第132話、仄かに焦げ目をつけた焼き鳥のタレ【亀島ダイナック大陸】
【SIDE:魔猫の少女】
かつて楽園と呼ばれた天上世界で行われる、ネコとネズミの盤上遊戯。
彼らの動かす駒とは離れた、輪廻の輪からも外れた存在。
人間や魔族から魔猫へと進化した者達が、この盤上世界には棲んでいる。
まず代表的なのはヴェルザの街の魔猫だろう。
かつて四星獣イエスタデイ=ワンス=モアと街とが契約し、塔から下ってきた魔猫と共栄共存する事となった地域である。
次に候補に浮かぶのはかつて北砦と呼ばれた北部レイニザード帝国。
新たな大陸、生きる海亀そのものが大地となったダイナック大陸でも魔猫の数は増えている。
そしてレイニザード帝国と魔王領の境界線となっている真樹の森にも、魔猫は棲んでいるだろう。
モフモフふわふわで自由な生き物。
明らかに魔物よりも一つ上の存在として君臨している、肉球の支配者たち。
彼らがどこからやってきたのか。
それは誰にも分からない。
ダンジョン塔の魔物であったとされているが、その大半はかつて四星獣イエスタデイ=ワンス=モアによって願いを叶えて貰う代価に、死後の魂を明け渡した者たちという説が有力となっている。
無論、全ての個体がそうだというわけではないが。
今、こうして亀島ダイナックに建設された街を歩く魔猫の少女もそうだった。
魔猫の少女は、ふふん♪
太陽を吸った毛布のような白いモフ毛を膨らませ、スラリと長い脚でスタスタスタ!
鼻孔を揺らし、海産資源豊かな街並みを眺めて目をキラキラと輝かせている。
長い髯が太陽の光を反射し蠢く。
『あら、生きた亀に作られた街って聞いていたからちょっと不安だったんですけど、なかなかいい街じゃない!』
そう。
かつて人間だった彼女だが――魔猫になってからの少女は、悠々自適にネコ生活を満喫していた。
ここには自由がある。
一匹の魔猫として生きていける。
『太陽も気持ちいいし、潮の香りも悪くないわ! まあちょっと地面は揺れているし、島自体の魔力がすごいことになってるけど許容範囲。これって、とっても素敵なことなのだとあたしは思うわけよ!』
だから堂々と街を出歩き、誰の目も気にすることなく買い食いだってできてしまう。魔猫はヴェルザの街に代々伝わる、由緒正しい焼き鳥屋の露店の前で、じぃぃぃぃぃぃ。
おいしそうな焼き鳥ね、とアピール。
少しタコに顔が似た焼き鳥屋の店主は、先祖から厳しく言われているのか――ははぁ……! と魔猫の少女に頭を下げて、焼き鳥のパックを献上する。
香ばしい鶏のタレの香りに満足しつつ、アイテム保管空間に肉球を入れて魔猫が顔を上げる。
『おいくらかしら?』
「いえいえいえ、魔猫様にはいつもお世話になっておりますから」
『あのねえ! そういうわけにいはいかないでしょう? あなた、商売を舐めているの? 新鮮な鶏肉を用意して、事前に下ごしらえをして、焼き串スキルを向上させて素早く肉に串を通す。それって既に職人よね? 駄目よ、職人が自分の技術を安売りなんてしちゃあ』
あたしの親も、といいかけて。
『まあいいわ。ちゃんと料金を払ってからじゃないと気持ちよく食べられないから』
「そういうことだったら――料金の代わりに一つ、治療をお願いできませんかね? 魔猫の方々は全てが癒し手、――癒しの肉球や、癒しのネコダンスや、癒しのネコ祈祷などができると聞いているんだが……駄目か?」
『構わないわよ。あたしもヒーラー魔猫の端くれ、誰の何を治せばいいのかしら』
「実は――」
焼き鳥屋の店主が熱耐性を獲得している、ごつごつとした皮膚の厚い指で首の後ろを掻きながら説明する。
『そう、娘さんが風邪をひいて……それは心配ね』
「すぐに治ると思っていたんだが、少し長引いちまって。まあ、女房に言ったら心配しすぎよと笑われるぐらいの軽い病気で……あと、二、三日すりゃあ治るって軽い予言能力者の女房も言ってるんですが。でも、ほら、心配だろう? あんなに元気だったのに、寝ちまってるし。いつもなら寺院で待機しているプロのヒーラー魔猫の方に頭を下げて、料金を支払って治して貰うんだが」
なるほどね、と魔猫はくすりと肩を竦めてみせる。
『寺院は今は大繁盛の繫忙期。つい最近まで攻め込んできた外来種、この世界とネズミの戦いが続いていたものね。まあ、今は天上世界の神々が手を休めているから戦いが起こっていないだけで……盤上遊戯自体は続いているそうだけど。異界の神の駒との戦争があったばかりですものね。かわいい娘さんの軽い病気を治してくれる、手が空いている魔猫が見つからなかったってところかしら』
この少女魔猫は知的好奇心の強い魔猫なのか、神々に対しての知識も豊富らしいが。
ともあれ、その理知的なネコに目をやって、額を輝かせるタコ顔の店主は頷き。
「ああ。やっぱり非戦闘員で、しかもそれほど重症じゃなくて、後遺症も残らない患者ってなると……どうしても、なあ」
『頼みにくいし、優先順位ができてしまうってわけね。いいわ、そういうことならそれで契約しましょう。あなたのおうちに行けばいいのかしら?』
「そりゃありがたい、そうしていただけると!」
『むふふふふ! まあ、感謝されるのは悪い気分じゃないわね! ところでついでに聞きたいんですけど――他の魔猫が普段どこに行ってるのか知らない? あまり姿を見なくなったり、かと思えば、急に大量に姿をあらわしていて、どこか隠しダンジョンみたいな場所に入ってるんじゃないかって――あたしは思っているんですけど。見つからなくて、お手上げなのよ』
家の座標を魔導地図に記入する店主が顔を上げ。
「さぁ? たしかに最近、どこかに向かってぞろぞろと歩いていたと噂には聞いているが……。てか、あっしらよりも同じ猫同士、お嬢さんの方が詳しいんじゃ?」
『え? いや、あははははは! あたしにも色々と事情があるのよ、事情が。それよりも、地図に座標は記入できた? あたし、待たされるのってあまり好きじゃないのよ。どうかしら? できたかしら? できたのならさっそく向かってあげるのだけれど。ああ、できたみたいね!』
矢継ぎ早に言って、魔猫はアイテム保管空間に地図と焼き鳥のパックを詰め。
ガサガサゴソゴソ。
黒い足袋を履いたような後ろ足を伸ばしたまま、ムフっと振り返る。
『それじゃあサクサクっと治してくるから、今度は塩味の焼き鳥も用意しておきなさいよ? あたし、タレも好きだけど塩も好きなのよねえ』
「はい、よろしくお願いします。あの、それで魔猫様のお名前は――」
『内緒よ内緒。あんまり言いたくないんだけどぉ、実はあたし! ちょっと家出してきててねえ! あんまり名前を出したくないのよ!』
家出だというのに明るく言って、魔猫は空間転移の魔術を発動。
指定座標へと転移し消えていく。
店主は呆然としたまま、ぼそり。
「もう行っちまいやがった。ちゃんとお礼を言いたかったんだが……なんつーか、せっかちな子だなぁ」
店主は家族のためにも金を稼ぐべく、そしてあの魔猫がいつ帰ってきてもいいように、塩味の焼き鳥を用意しようと料理スキルを発動させていた。
最上位の塩味焼き鳥の習得に必要なスキルツリーを選択。
焼き鳥に大きめな塩を塗し――表面を炙りながら鶏の余分な脂を炭火で落としていく。
露店街に香辛料の香りが広がっていく。程よく炙られた肉が、塩を吸って引き締まっていた。
このスキルツリーも盤上遊戯のシステムの一つ。
この世界は常に進化を続けている。
おそらくこれからも、ずっと進化を続けるのだろう。
「っと、なんだ――この音は。また敵襲か?」
呟いたのはやはり店主。塩味の焼き鳥の練習をしながら待っていると、まるで疾風のように飛んでくる気配が一つあったのだ。
海の亀の背にある新大陸ダイナックには、北と南の人間。そして魔族が共に生活を始めている。だからそれなりに騒動も多いのだが――。
高速で駆けてきたのは南の人間である店主でも知っている、北の人間。この街でも有名になりつつある北部の英雄、アキレス。
この世界で初めて、ダンジョン塔の完全踏破を果たしたとされる蹴撃者だった。
英雄は猛ダッシュで街を駆け――キキキキ!
砂埃を巻き起こしながらブレーキをかけ、商品を埃で汚さないように緊急結界を張って――凛々しい馬顔をキリリ!
仰天する店主に言う。
「すまねえが、店主! ちょっと聞きてえんだが――この辺で焦げパン色の手をした、ちょっと生意気そうな猫を見なかったか? すげえかわいい猫で、こうなんつーか、品があって、でもツンとした部分もある美猫の筈なんだが。どうだ?」
「え?」
「いや、アレだ。なんつーか、あれでもあれはオレの娘なんだが。いや、娘っていってもネコと結婚したわけじゃねえぞ? 色々と事情があって……だぁああああああぁぁぁ! そんなことよりもだ! この辺で見かけたって情報があったんだが、あいつっ、オレから隠れてどこに潜伏してやがる――これが反抗期ってやつなのか? せっかく大王に金を積んで、ネコ化を治してもらえる約束を取り付けたって言うのに――なにが気に入らねえんだ、あいつは」
英雄殿は相当に焦っているのだろう。
店主は考える。
焦げたパン色の耳と手足をした、白いふわふわな魔猫といえば――さきほどの。
「あ、ああ。じゃああんたが……」
店主が口を挟むより先に、ハッと更に先の路地裏を見て。
「あぁあぁぁぁ! あっちにも露店街がありやがるのか……っ。ったく、ヴェルザの街の連中は、なんでこうもすぐに新しい土地でグルメ街を築きやがるんだ。どうもあっちと勘違いしてたみたいだわ。すまねえが、そういうことだから。時間を取らせて悪かったな!」
「あ! お客さん! 知ってますよ! 知ってますってば!」
待ってろよ、あのバカ娘!
と。
言い捨てて、駿足の如きスピードで駆けて行ってしまう。
「行っちまいやがったよ、こりゃあ、決定だな……」
店主は確信した。
おそらく、あの魔猫とこの英雄殿は親子なのだろう、と。




