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第129話、旅鼠編―エピローグ後編―


 【SIDE:リーダー・ストライプ】


 青い草原。青い月。

 黒い渦となったリーダー・ストライプ。ネズミとなった彼は一瞬、惚けた顔をしてみせた。状況を理解できていなかったのだ。

 そこには誰もいなかったはずなのに。

 なぜか、彼女がそこにいる。


 ミリー。

 かつて愛した、今も愛する少女趣味の愛らしい女性。


 リーダー・ストライプは振り返ったまま。

 しばらく固まっていた。渦の中心にある、白い縦じまを輝かせるヌートリア。かつて魔族だった青年の堕ちたその身が、獣毛が、心が……ぶわりと膨らむ。ネズミの小さな瞳も、真ん丸な月のように膨らんでいる。尾が、小さく左右に揺れた。


 ――ナゼ?


 それが分からず、ヌートリアは考える。

 髯を、傘のように広げて、困惑する。けれど、心は正直だった。


 ――ワタシはやはり、まだ、君を愛している。


 心はまだ、愛を自覚している。

 ざぁああああああああぁぁぁぁぁっと。

 タンポポ畑が揺れる。

 風が、草原の青を揺らす。


 月の下。

 風に靡く草原の青色の中に、ロングスカートの彼女きみがいる。月光を浴びた長い髪も、スカートもキラキラキラと輝いていた。

 黒い渦となっているヌートリア。

 終わりを探す旅路の終わりを見つけたリーダー・ストライプは、困惑しつつもネズミの口を蠢かす。


『どうして、君がココニいるのですか?』

「どうしてじゃないわよ――」


 女魔族ミリーはぐっと唇を噛み。

 少し怒った様子でタンポポ畑の風を受けながら告げた。


「勝手にいなくなっちゃうだなんて、そんなのって、そんなのってありえないでしょう」

『勝手に? イエ、ワタシは魔王城を発つ前に――女魔族のロロナと名乗った女性に森に帰るト……』

「そのロロナさんから聞いて、ずっと探していたんですっ」


 相手は大きな瞳いっぱいに、涙を浮かべている。

 けれど、その涙を零れさせるのは女性魔族としてのプライドが許さないのか、ぐっと睫の下に水を押しとどめていた。

 唇から、誰かの名前が零れていた。


「あなた――……なんでしょう?」


 男の名を口にする彼女の口元は、揺れている。

 ヌートリアの耳も、揺れていた。


 彼女が意を決して言葉にしたその名こそが、自分。

 かつて共に冒険していた時の、青年魔族の名だと気が付いて――驚いたのだった。


 黒い渦の集合体となっている旅鼠、状態異常ヌートリアを受けた駒達。その核となっている青年魔族の魂は揺らいでいた。

 リーダー・ストライプは考え込んでしまう。

 自分でさえ、もはや忘れてしまった名である。自分でさえ、もはや自分が自分だというアイデンティティがなくなっているのに。

 言葉が次々と魂の奥から押し出される。


『どうして、そう思うのデスカ?』

『誰かに、聞いたのデスカ?』

『四星獣、ネコヤナギ。四星獣、イエスタデイ=ワンス=モア。それとも――』


 神の啓示ならばそれはありえる。

 けれど、彼女は首を横に振った。あの日の少女の顔で、彼女きみが言う。


「バカにしないでっ、あたしは、あたしは――っ、神様の力を借りなくたって、あなたがあなただって分かっていたわよ」


 ロングスカートの女性が歩いてくる。

 近づいてくる。その足を遠ざける様に、リーダー・ストライプはきつい口調で闇の渦を吐き出していた。


『それは、ありえナイと思うのデス』

『ナゼなら』

『ワタシは、ワタシですら、ワタシがワタシだと分からないのデスから』


 ワタシが。

 ワタシが。

 黒い渦の旅鼠が、無数の小さなヌートリアへと姿を変貌させる。それらは全て旅鼠。迷宮を覆うほどに湧いていた、外来種としての駒。


 森の前の大きな草原に、山ほどになるネズミ達が佇んでいた。

 それは黒い絨毯。

 どこまでも広がる、ネズミの群れ。

 かつて彼女を愛したのは、結局、結ばれることのなかった青年魔族はその中の一つに過ぎない。群れの中心であっても、魂の核であっても、仲間を看取るために喰らい、その記憶をも取り込んだ彼には、彼自身が分からなくなっている。


 それでも。

 ネズミの足は綺麗な花をけていた。

 黄色いタンポポの花を醜い足で踏まないように、けていた。

 青い草原で獣毛を揺らして――。


 そんなネズミの優しさを眺めて、かつて少女だったミリーが言う。


「ほら、やっぱり……あなたはあなたじゃない」


 ロングスカートの女性が近づいてくる。

 あの日の思い出が、近づいてくる。

 けして、触れてはいけないはずの彼女が――歩み寄ってくる。


 声は、ネズミ達の中心から押し出されていた。


『ミリー……』


 ネズミの渦が赤い瞳を輝かせる。


『たしかにワタシたちの核となっている魔族の男は、ワタシは、君を愛してイタでしょう』

『ケレドそれはもはや終わったハナシ』

『ワタシという男はあの日、外来種の神に殺サレ――我ら、盤上世界で生きる者の魂の元となっている駒部分、職業部分を汚染サレ、敵対者の駒にサレました。残酷なネズミの神が操ル、外の世界で生キル存在が操作する駒へと、作り替えられマシタ』


 ネズミ達が、あの日の絶望を思い出し。


『そして、四星獣イエスタデイ=ワンス=モアによって、駒を操作する遊戯者ごと滅ぼされマシタ』

『そこカラ十八年』

『ワタシという駒は、再生しました。ケレド、もう前のワタシではありません。もはやあの時のワタシはどこにもイマセン。あなたを愛してイタ、ワタシではないのです』


 あの時、猛将マイアを襲った駒。

 あの時、四星獣によって破壊された駒。

 その駒がなぜこうして再生しているのか、それは彼自身にも分からない。


 けれど、汚染されたヌートリアとして再生されていた。

 もう、あの日々には帰れない。

 それが分かっているからこそ、ヌートリアの旅はここで終わるのだ。


 ヌートリアの渦が、小さくなっていく。

 一匹一匹の大きさが、縮んでいく。

 最後には、ヌートリアではなくただの野ネズミの姿となっていた。


 ネズミ達が消えていく。


『さようなら、ミリー。どうか、幸せになってくだサイ』

「待って!」

『あなたの事を愛しています。だから、幸せになってくれると、ワタシは嬉しいデス』


 告げて――。

 最後にネズミは醜いネズミの手で、自らの胸を撫でていた。

 心臓の音を探っているのだろうか。


 それは彼自身にも分からなかった。


 追いかける少女の手が、渦を掴もうとして。

 通り抜ける。

 どさりと、ロングスカートの女性が草原の中に倒れ込む。


「どうして……?」


 まるで霧のように、ネズミ達が消えていく。


 草原に広がった山ほどのネズミの渦が、森の中へと消えていく。

 帰る場所のなくなった者たちが棲む、真樹の森へと去っていく。

 けれど――その時。


 青い月が、ネズミの群れをその光で照らしだした。

 獣毛に、光が反射する。

 立ち上がった彼女は――駆けていた。


 ネズミの渦の中を、タンポポを踏まないように――必死に、駆けていた。

 その手が、伸びる。

 霧の中から、希望の光を掴むように。


 野鼠となったリーダー・ストライプは、少女の温かい手の中。

 青い月の下で目をぱちくりとさせていた。

 掴まれていたのだ。


『なぜ、分かったんだ――』


 渦の中心ではなく、野を駆けるただ一匹のネズミを捕まえて。

 愛おしそうに抱きしめて。

 彼女は、言った。


「だって、あなた――困ったことがあると煙草を吸おうとして、胸ポケットを探っていたでしょう。全然、変わってない。バカね、やっぱりあなたはあなたのままじゃない……」


 彼女は、ミリーは泣いていた。

 けれど、微笑んでいた。


「あなたがあなたを忘れてしまっても、あたしはちゃんと、覚えているわ。だからお願い、ずっとそばにいて……あなたがいない日々はもう、嫌なの。嫌なのよ……っ」

『ミリー……』


 帰る場所のないネズミ達が、森へと帰っていく中。

 リーダー・ストライプだけは、捕まっていた。

 ネズミの口が、言葉を紡ぐ。


『ワタシはネズミだ』

「ええ、そうね」

『怖いんだ。それでも、君を幸せにできるのだろうか。それが分からないんだ』


 彼女の口が言葉をつなぐ。


「それでも、あなたがこのままあたしの前から消えてしまうのはもっと、嫌」

『ミリー……』

「お願いだから。あなたを過去の思い出にさせないで。あなたとずっとに一緒に居たい、それって、そんなに我儘なことかしら?」


 告げて彼女は、リーダー・ストライプの白い縦じまに唇を寄せる。

 それは純粋な願い。

 誰よりも何よりも強い、愛の願いだったのだろう。


 世界が、揺れた。


 盤上世界の横に寄り添い眠る、猫の置物。白い魔猫が僅かに瞳を開き。

 そして。

 腕を伸ばし――肉球を輝かせた。


 四星獣イエスタデイ=ワンス=モア。

 愛する世界を見守る神。

 あの日、ただの駒に命を吹き込んだ――願いを叶える魔道具。


 肉球から放たれた光が、彼女とネズミの身体を包む。

 彼らに選択肢を与えたのだろう。

 しばらく考えて、魔族の女性ミリーは微笑み――愛するネズミの小さな手を取った。


 決断したのだろう。


 四星獣イエスタデイ=ワンス=モアは願いを叶える魔道具。

 だから、彼女の願いを受け止める。

 それが正しい選択かどうかは分からない。

 けれど、彼女自身がそれで幸せになると微笑んでいる。その微笑みに、嘘はない。


 だから。

 四星獣イエスタデイ=ワンス=モアは強く瞳を見開いた。

 愛する世界に寄り添う置物は、力を行使した。


 それが偽りなき本心ならば、良いも悪いも本人たち次第。


 女魔族ミリー。

 その身体がネズミの姿へと、変貌していく。

 リーダー・ストライプと同じ大きさの、愛らしいネズミへと――変わっていく。


 ネズミとネズミが、見つめあう。


 ずっと一緒に。

 それは心からの愛だった。

 だから――願いは成就された。


 行き場を失ったネズミの渦たちが森へと帰る中。

 二匹だけ、逆方向に進むネズミがいた。

 青い草原を、並んで走って駆けていた。


 嬉しそうに、幸せそうに。

 青い月の下。

 旅鼠の二匹は、旅に出た。


 一匹ならば悲しい旅。

 けれど、二匹ならば違う。


 旅鼠の冒険は続く。

 どこまでも。

 どこまでも――。

















 ▽この日、ヌートリア君主は討伐された。


 死なぬネズミの駒は分散して、それぞれの旅に出た。

 それは魔物としてのネズミの群れが死んだと同義。

 だから、そこには盤上遊戯のシステムが発生する。


 リーダー・ストライプ。

 最強のネズミ。彼の去った青い草原には、本来ならばありえぬドロップアイテムが転がっていた。


 それはあのネズミの核。

 青年魔族がネズミの駒として再生する因となった道具。

 変異種として生まれるきっかけとなった、原因の一つ。


 一部始終を眺めていた女魔族ロロナが、その落ちたアイテムを拾いあげる。


 アイテム名は――。

 《大地神の駒》。


 リーダー・ストライプに設定されていた、ドロップアイテム。

 盤上世界を救うために必要なアイテム。


 願いを成就させた旅鼠の背を眺める女魔族ロロナ。

 草原を自由に駆ける恋人たちの獣毛を眺めたその瞳が、この結末をどう受け取っていたのか。

 それを知るのは、本人だけ。


 彼女の恩師、猛将マイアは……ミリーの姉はこの結末に心を痛めるのだろうか。それとも、妹の願いが叶ったことを、涙をこらえて祝福するのだろうか。

 それは分からない。

 きっと、感情を表には出さないだろう。


 猫の置物イエスタデイにも。

 世界を支える神樹ネコヤナギにも。

 神々にも――分からない。

 これが正しい選択だったかどうかは、誰にも分からなかっただろう――。

 けれど。


 女魔族ロロナの瞳に映ったネズミ達は。

 幸せそうに、微笑んでいた。

 それだけは事実として、語り継がれる。


 青い草原を並んで走った恋人たち。

 彼ら旅鼠達の逸話を綴る物語は語り続けられる。

 恋人たちの物語として、永遠に――。










 リーダー・ストライプの物語。

 旅鼠編 ―終―



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[一言] ネズミからは戻れなかったか…… 再会して一緒に居られるだけラッキーだったかな?
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