第126話、狂える神の断末魔【崩壊する魔王城】
【SIDE:魔王城】
天上世界では王冠を被った神のネコと、玉座に深く腰掛ける威厳を放ち始めたネズミの神。
彼らはダイスを転がします。
右の戦場では英雄アキレスが神と戦っています、左の戦場では山羊悪魔神パノケノスが神を喰らっています。
そしてその中央、崩れ落ちる魔王城の戦いにも変化が起こっていました。
そこで戦っているのは、称号も戦績もあまりない魔族達です。
神との戦いは壮絶です。本来なら彼らは戦力としては少し心許ない存在ですが、他の戦場に比べれば敵が強いので仕方ありません。他の戦場の狂神や、荒魂が溢れてしまえば、彼らはひとたまりもないでしょう。だから、名前もあまり知られていない彼らは、ここで戦っています。
負けるかもしれないと分かっていても。
それでも彼らは戦います。
四星獣の分霊の一つである魔王城の中で、神と子供たちが戦い続けていました。
みんなが戦っている中。
魔王城は思います。
『どうか――勝ってちょうだい。我らが世界に住まう子羊たち。あたしたちが命を与えた、あたしたちの子どもたち。あたしのために、何よりもあなたたち自身のために』
どうか、勝って下さいと願っていました。
戦場に動きがあります。
思い出の樹となっている魔王城の願いが天に届いたのか、統率が取れてきたのです。
その中心にいたのは、ロングスカートの魔族の女性ミリー。
かつて四星獣イエスタデイ=ワンス=モアに助けられた女の子。不治の病から解放されたお嬢様が、頼りない魔族達を動かします。指揮官クラスとしての才能を開花させているのでしょう、それは魔猫の治療を受けた副作用、恩寵の力です。魔猫イエスタデイの治療を受けたものは、神の力を授かり少なからず成長する傾向にあります。それは異聞禁書ネコヤナギも知っていました。ネコヤナギの分霊たる魔王城も知っていました。
だから魔王城は思います。
天上世界で愛する主人の横で眠る、友を想い思うのです。
全てがあの子の計算通りに進んでいるのではないかしらと。
事実、調合錬金術師マリーの喝のおかげで、魔族は立ち直りました。
自分たちを助けてくれるリーダー・ストライプについて、考えを改めました。呪いが解けたように、前を向いています。今は必死に協力しています。
リーダー・ストライプももはやネズミの正体を隠すことなく、存分に力を奮っています。
そう、全てがまるで世界を包む白き魔猫、イエスタデイの肉球の上で転がされているようでした。
ミリーがこの戦場にいることこそ、四星獣イエスタデイが事前に仕込んでいた一手。盤上世界の命の父であり母であるイエスタデイが十八年前、既に巧みに駒を動かしていたのでしょうか。
考えすぎでしょうか。
偶然だったのでしょうか。
魔王城には分かりません。けれど、これだけは分かります。
『ごめんなさいね、イエスタデイ……あたし、駄目だわ。彼らがとても愛おしく見えるの。必死に生きる彼らが、とても大事に思えるの。もう、想う事を止められないわ』
魔王城は本体ともいえる異聞禁書ネコヤナギの事を考えます。
申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。彼女は誰も愛してはいけなかったはずなのに、魔王城は、子どもたちを愛してしまったのです。
世界管理者としては失格です。
それでも、思う気持ちはもうどうしようもできません。だからいつも距離を置いていたのに。思い出の樹として認められていたことが、四星獣たる神の心を砕いていたのでした。
だから彼女は心配しながら戦いを見守ります。
暗黒騎士の鎧から黒い獣が濁流となって溢れます。
無数のネズミを溢れさせているリーダー・ストライプです。覚悟を決めた彼は唄を歌います。詠唱です。魔術をこの世界で具現化させるための儀式です。全てのネズミが、同時に、大詠唱を奏でます。
尾を立て、耳を立て、獣の毛を逆立て。
軋んだネズミの手で、複雑な印を切ります。
その数は――やはり無限に近い数がいます。魔族達が刻んだ、魔王城への思い出です。
リーダー・ストライプが詠唱を完了させれば、勝機は十分にあります。
詠唱はおそらく、完了するでしょう。
それは長い間、幼いころからの疑問と苦悩に悩まされていた拷問拳闘家ロロナの心が変わったおかげでもありました。今の彼女は、魔族を少しだけ信じていました。幼いころ、弱いからと酷い仕打ちを受けていた少女。ぼろぼろの身体と心で、強者たちへの復讐を誓った少女の道に、変化が現れていたからでしょうか。
低級食人鬼だった少女は、戦います。
影に隠れて、けして敵に気付かれないように巧みに立ち回ります。
彼女の功績は、おそらく誰にも認められないでしょう。見えないように戦っているからです。それが作戦であり、勝利を掴むために必要な手だからです。
以前の彼女ならば、手柄を取れない戦いなど避けたはずです。けれど、今は違います。誰よりも弱かった少女ロロナは、誰かのために戦う力を身に付けていたのですから。
濁流となったリーダー・ストライプ。
黒い獣毛の波の中、女魔族ロロナは卑劣に卑怯に、狂神スコルを相手に立ちまわり続けました。
闇の中から神のいびつな関節を破壊し。
呪いをかけ、毒を撒き、厄災を植え付け、麻痺を押し込み、筋肉を石化状態へと変貌させます。それが拷問拳闘家の戦い方です。今まで多くの相手を、自分を助けてくれなかった魔族を返り討ちにした戦いの集大成です。とても卑怯で美しくない戦い方だと、誰もが思うでしょう。
けれど、女魔族ロロナはキラキラキラ、とても輝いていました。
リーダー・ストライプも調合錬金術師ミリーも闇に潜んだ誰かが戦況を有利に進めていると気づいている筈です。けれど、声をかけることはできません。狂神に気付かれてしまえば能力が弱体化するからです。
だから、女魔族ロロナの英雄的な活躍は、きっと誰も知らないままで終わるのでしょう。
それでもいいと、少女は初めて自分ではない誰かのために戦っているのです。
魔王城は揺れました。
ロロナの心を感じ取って、揺れました。
彼女はとても、喜んでいました。調合錬金術師ミリーが、リーダー・ストライプを受け入れた。そのことがまるで自分の事のように嬉しかったのです。
それは少女が子供の頃、誰にも助けて貰えなかったつらい思い出の上書き。ネズミにさえ手を差し伸べるお人好しな魔族がいる、そんな現実がとても愛おしく思えていたのでしょう。
なんて愛しい魂かしらと、魔王城は幹を揺すります。
フィールドにいる魔族全体に、支援効果の恩寵を放ちます。
それはかつて魔族だったヌートリア。暗黒騎士の鎧に身を包むリーダー・ストライプたちにも効果を及ぼしていました。恩寵の範囲内だったのです。この子も、自分の子だとばかりに支援効果をかけ続けます。
狂神スコルが唸りました。
魔王城を睨み、言いました。
『解せぬ、魔王城よ。なぜこやつらの味方をする。なぜ中立たる管理者が魔族の味方をする。異聞禁書ネコヤナギよ――汝は、四星獣イエスタデイ=ワンス=モアを裏切るつもりか』
焦りの声が聞こえます。
魔族達に恩寵を与える魔王城の行動に、動揺しているのでしょう。
魔王城は……いえ、異聞禁書ネコヤナギは言いました。
『裏切るつもりなんてないわ。あたしはいつまでもあの子の味方。だから、これもそうよ――あの子が選んだ決断なら、あたしはそれを尊重するだけ。部外者さんが口を挟むことじゃないわ』
それはまるで天啓のようでした。
空から光が射していました。
『なにやつ……っ』
『あら、あたしを知らないだなんて。あなた、駄目な子ね。いいわ、教えてあげる――子どもたちも聞いて頂戴。気が変わったわ、助けに来てあげたわよ、直接ね。魔王城自身が願ったのなら、仕方ないものね』
鈴を鳴らしたような、綺麗な声でした。
けれどおそらく、声を耳にする者には――ぞっとするほどの魔力に感じていたでしょう。
ふわりふわり。
花弁が落ちていきます。
続いて、小さな雫が零れ、闇の中から道が生まれました。
降臨の道です。
魔王城の上空から、こつんこつん。赤い靴を鳴らして、銀髪赤目の美少女がパラソルを片手にふわりふわりと降りてきます。
それはこの世界でも強者の頂にある者。
盤上世界の外、天上世界から眺めている筈のネコヤナギ、その本体としての意識に最も近い花の一つです。
少女は微笑み、スカートをきゅっと摘まんで足を交差し。
子供たちを振り返ります。
『はじめまして、あたしの世界の子どもたち。あたしはネコヤナギ。異聞禁書ネコヤナギ。これでも四星獣の一柱。あなたたちが記録と呼ぶ、あなたたち全ての情報を管理する者よ。戦いの最中ですもの、頭を垂れろとは言わないわ、けれど――心に刻んでおいてちょうだいね』
少女はキラキラキラ。
赤い瞳を輝かせます。
きっと、皆は気づいたでしょう。彼女が本物の四星獣であると。
リーダー・ストライプや調合錬金術師ミリー。
拷問拳闘家ロロナは動揺します。
それは、空から降りてきたパラソルを回す美少女から、明らかに器の違う神格を感じたからでしょう。
彼女は異聞禁書ネコヤナギの本体と言っても差し支えない存在です。
だから――。彼らを安心させるため、魔王城を守ってくれた彼らに、零れるほどの笑顔を向けていました。
『まずはあなたたちに感謝を。ありがとう、魔王城を守ってくれて。ありがとう、魔王城を思い出と言ってくれて。あたしはあなた達の心に応えることにしたの。これは特別なことなのよ? 感謝してくれていいわよ? だから、どうか、失望させないで頂戴ね。あたしはとても気まぐれなの、今は愛しているけれど、将来は分からないわ』
くすりと微笑する少女が、静かに瞳を閉じました。
それだけで、魔王城が再生していきます。
音を立てるほどに、メキメキと――元の偉大な城へとその姿を戻しています。
誰も何も言えません。
力の差に畏怖を感じているという事もありますが、皆はこっそり魔術の詠唱を開始していたのです。
それに気づいていないのか――圧倒的な力を前に、狂神スコルが身震いします。
その狼の毛が、ぶわっと逆立ちます。
後ずさる姿はとても滑稽でした。
狂神が言います。
『なにゆえ……っ。何故、盤上を操作する神は降臨した。ありえぬ、きさまら四星獣の目的は――っ』
『おしゃべりな子ね。駄目よ、管理者たるあたしが禁じます』
禁じます。
そう告げるだけで、狂神スコルの口が閉じてしまいます。
それは世界を管理する者の強制魔術なのでしょう。
『……っ――』
『睨まないで頂戴。卑怯じゃないわよ? だって、あなただって神なんですもの。神が神じゃないモノを攻撃していた方が卑怯なんだし、これでフェアですもの――そもそも弱い者いじめをしている方が悪いんじゃないかしら?』
天上世界でネズミが慌てて回避ダイスを振り続けますが。
判定は全て失敗。
これは神と神の勝負。世界管理者たる異聞禁書ネコヤナギのダイス判定には抗えないのでしょう。
王冠とマントを装備した太々しい白猫が、クハハハハっとドヤ顔をする中。
天を見上げて少女は言います。
『無駄よ、ネズミの王様。あたしたちはあたしたちの世界で、あたしたちが思うように好きに動くだけ。問題ないでしょう? そもそも楽園だかなんだか知らないけれど、部外者のくせに勝手に入りこんでいるあなたたちがマナー違反なんですから。そこは弁えて欲しいわ』
弁えて欲しいわ。弁えて欲しいわ。
再生していく魔王城から、ネコのしっぽのような花が大量に咲き誇り始めました。
彼らは輪唱します。ネズミ達の詠唱を加速させながら、自らも輪唱します。
異聞禁書ネコヤナギが再生していた魔王城に、更に力を注ぎ、蘇生に近い魔術を行使したのだと分かります。
魔族達の心の拠り所。
魔王城。再生する――彼らの思い出の樹の前で、異聞禁書ネコヤナギは小さく微笑みます。
けれど。
言葉はとても静かでした。
『狂神スコルだったかしら? あなたはあたしの世界には要らないわ』
要らないわ。要らないわと、尻尾のような花が言います。
再生した魔王城の隙間には、びっしりと魔猫の花が咲いています。赤い瞳をキラキラキラ、侵入してきた異界の神を睨んでいます。
魔王城はリーダー・ストライプを認めたのでしょう。その周囲にいるネズミ達を追い出すことはしません。
世界管理者に存在を否定される。
それだけで駒として設置されている狂神の存在が揺らぎます。
その隙を見過ごすはずがありません。
異聞禁書ネコヤナギはやっと連携と協力を覚えた魔族を振り向き。
神たる声で告げました。
『さあ、あなたたちの歌を聞かせて。あなたたちの物語を聞かせて頂戴。あたしは異聞禁書ネコヤナギ。魔王城と心を同じくする者、あなたたちを――ほんの少しだけ、贔屓してあげるわ』
今だけはね、と。
銀髪少女はふわりと世界に花を咲かせます。
魔族達はそれぞれに魔術を放ちます。
調合錬金術師ミリーが、神を腐らせる調合薬を投げつけます。
拷問拳闘家ロロナが彼らの魔術を更に倍増させるべく、痛覚、汚染、状態異常倍増スキルを発動させました。
神が揺らぎ、大きく口を開いた直後。
ネズミ達は一斉に。
獣毛を逆立て、詠唱していた魔術を解き放ちます。
狂神スコル。
神の駒の一つが滅んだのは、魔族全員の連携が決まった瞬間でした。
◇
天上世界。
神の駒が砕けた盤上を眺め、四星獣イエスタデイ=ワンス=モアの本体は瞳を僅かに開きます。けれど、結果を確認したらまた眠ってしまいます。これもすべて計算通りなのでしょうか。
異聞禁書ネコヤナギには、今の彼の目的が分かっていました。選んだ答えも理解していました。
だから、何も言いません。
四星獣イエスタデイ=ワンス=モアは愛する主人の横。今も静かに寝息を立てています。尾の先が揺れています。眉間に、小さな皴ができています。夢の中、主人に頭を撫でて貰っているのでしょうか。
四星獣イエスタデイ=ワンス=モアはかつて願い続けていました。
盤上世界が在りし日の姿に戻ることを願い続けていました。
あの日に帰ることを夢見て。
鳴き続けていたのです。
魔王城周辺をめぐる神の戦いもネコの勝ち。
盤上遊戯のフェーズが進みます。
次の戦場はどこになるのでしょうか。それはまだ、誰にもわかりません。
勝利を掴んだ彼ら。
特にリーダー・ストライプがこれからどうするか、それは異聞禁書ネコヤナギにも分かりませんでした。
だから、彼女は見守ります。旅鼠の冒険は、まだ少しだけ続くのでしょう。




