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第124話、ワタシはアナタの敵ですか【崩壊する魔王城】


 【SIDE:拷問拳闘家ロロナ】


 駒と駒とがぶつかり合う。

 天上世界では、ネコとネズミが賽を振り続ける。

 魔王城周辺、新たに湧いている敵神達には四星獣の眷属たちが動いて対処しているのだろう。世界は神の駒と、盤上世界の駒とがしのぎを削る大乱戦。

 盤面が大きく動いている。

 このエリアには、並の存在では勝てぬ神の駒が数体、大規模戦闘が続いていると言えるだろう。


 北の英雄アキレスも、殺戮令嬢クローディアも猛将マイアも動いている。

 四星獣ナウナウの眷属も、既に増援を送り込んでいた。

 それは異聞禁書ネコヤナギの分霊たる魔王城の願い、魔族にとっての思い出となっている自分しろを守って欲しいと心の底から願ったからだろう。


 拷問拳闘家ハンズ・トーチャーで魔王軍幹部、四天王の側近たる外道のロロナもその増援の一人だった。

 狂神スコルを前にして、影の中に潜む外道女は考える。


 ――このヌートリア、四星獣様たちの話ではリーダー・ストライプだっけ? 仲間の元に帰ろうとして、何度も殺された哀れなネズミちゃんかぁ。マジ、わかんないわ、こいつの考え。


 そう、魔族の中でも一際に冷淡な彼女には見えていた。

 どうせこの場を、この暗黒騎士の鎧に身を包む旅鼠が救ったところで、彼自身は救われないと。鎧の中にはネズミがいる。人類の敵となっている、かつて人類だったネズミがいる。どこまでいっても、ヌートリア。敵なのだ。魔族達は彼を受け入れないだろう。

 この場で勝利を収めても、いつか魔族達は手の平を返す。


 ああ、醜いネズミが英雄だなんて、許されない。と。

 未来に巻き起こる筈の、そんな声まで聞こえてしまった。

 それなのに。

 狭い鎧の中に無理やりに魂をねじ込んだ哀れなネズミは、必死になって戦っている。恐ろしい神を相手に、魔族を守ってさえいる。


 影の中、ロロナは敵の強さと役に立ちそうな魔族を選別しながら愚痴をこぼす。


「なんで、ネズミが魔族の味方なんてしちゃってるのよぉ……はぁ、ダルイ。はぁうざい。アキレス殿もアキレス殿よ。あのままあいつの不死殺しの力で眠らせてやった方が、絶対に幸せになったっしょ……」


 呟くロロナのぷっくらとした唇は少し濡れている。

 多少の化粧はマナーの内。

 冷淡ゆえに冷静で、魔族達の醜く弱い心を誰よりも知るロロナは静かに戦場を眺める。


「ま、あたしも加勢して。あのクソださ旅鼠と、マイア先生の妹さんと、他の魔族どもをうまく使えば倒せるでしょうね――けど」


 ロロナは悩む。

 昔から多くの外道を行っていたロロナには見えていた。

 この勝負、リーダー・ストライプは勝っても負けても、彼自身は不幸にしかならないのだ。


 だから、手を出せないでいる。


 今、直接にこの狂神スコルを抑えているのは暗黒騎士リーダー・ストライプ。

 四星獣から直接に情報を得ているロロナ以外の魔族達は知らないが――ヌートリアの集合体であるこの旅鼠。リーダー・ストライプは本来、罠や魔術で相手を術中にはめることを得意とする能力者。こうして、巨神と体当たりをしあう状態そのものが、不得手なのだ。

 それはある意味で、狩人や魔術師が肉弾戦を強要されている状態に近い。


 ロロナは思う。

 ここで加勢するべきだろうと。

 しかし、同時にこうも思うのだ。


 これはチャンスではないのかと。

 ロロナが裏切ろうとしているわけではない。目の前で、必死に戦うネズミを見て、思ったのだ。

 かわいそうなヤツらだと。

 だからこそ、思う。


 ここで、死なせてやりたいと。


 ――この子はきっと……この狂神スコルの手によって、殺させてあげたほうが楽になる。だって、こいつら、ここで滅びないと、もう後がない。ずっと迫害され続けるなんて、あんまりじゃない。それに……きっといつか、魔王陛下のように……反転する。


 しかし、狡猾で残酷なロロナは知っていた。

 この旅鼠の終わりを与えることができる存在は限られていると、知っていた。

 暗黒騎士クローディアが彼らの成仏に失敗していたことも知っている。


 四星獣を除けば、それができる存在は味方サイドでは一人だけ。

 駿足のアキレス。

 あの三枚目を演じている、本物の英雄気質の男。


 しかし、ロロナは知っていた。

 アキレスはきっと、この悲しい旅鼠に終わりを与えてはあげないだろう。

 理由をつけ、殺してあげはしないだろう。


 それはリーダー・ストライプが戦力になるからだ。確実に戦力となる、暗黒騎士クローディア以上に強力な存在。それを利用しない手はないだろう。

 そして同時にアキレスは英雄であり、優しい心を持っていた。だから、本当にハッピーエンドになると思っている筈だ。いつか、旅鼠リーダー・ストライプの正体がヌートリアだとバレても、魔族達は彼を受け入れてくれると本気で思っている。

 本人が善性を持っているからだ。


 しかし、現実はそう甘くない。

 かつて多くの魔族を返り討ちにし、奴隷にしてきたロロナは知っていた。

 怯える男女に跨り、欲求を満たしていた彼女は魔族の醜さを知っていた。

 彼らの基本は喉元過ぎれば熱さを忘れる。

 魔族は基本、バカなのだ。


 なのに、アキレスはそれを知らない。

 どうにかなると思っている。

 だからきっと、今回もどうにかなるだろうとこの可哀そうなネズミを、戦場に送り出したのだろう。


 彼は英雄故に、時に残酷な優しさを持っている。誰しもが自分のように前向きに光り輝けると、勘違いしている節がある。

 うざくて嫌いなタイプだと、彼女は心底に思う。

 けれど。


「バカよねえ。アキレス殿の強さは本物。疑いようがない、それは認めるわ? 人格も最高。きっと誰もがアレを英雄と呼び、慕い、ついていく。けれど、それだけ。光の後ろの闇には、眼を向けない。きっとわざと、見ようとしない。あいつみたいに心が強い存在なんて、そんなにいるわけないじゃない……」


 そう、ロロナもそんな光は疎ましく思っている。

 さて、どうするか。

 ロロナは考える。しかし、時間は待ってくれない。


 ロロナが見守る戦場で――駒と駒とがぶつかり合う。


 ヌートリアレギオンの腹の中から吐き出された狂神。

 狼の顔を纏う、ただただ歪な古き神。嘲りし巨人スコルは圧倒的な魔力を放ち、魔族を一蹴しながら、昏い眼光で周囲を見渡していた。

 狂気に染まった鈍器は確かに気持ち悪いが、それだけ。実用面では肉と骨の鈍器に過ぎない。リーダー・ストライプもそれを把握している、だから真正面から戦えている。

 けれど、ネズミが真正面から敵と戦うなどそもそもの失敗。


 そのネズミはというと――。

 四星獣ムルジル=ガダンガダン大王が眷属クローディアから正体隠しの鎧を譲り受けた、ヌートリア。

 漆黒の鎧を身に纏う旅鼠リーダー・ストライプ。


 赤い瞳を輝かせるケモノ。

 その声が、甲冑の中から淡々と漏れる。


『魔王城は言ってイル。助けて欲シイと。ワタシはそれに答エル。だから、滅びヨ、異界の神ヨ――』

『貴様は――ほぅ、聖父が言っておった裏切り者か』

『否、裏切ったのデハない。ワタシたちはただ、帰りたかっタだけ。あの日々に、あの思い出のナカに。ソレを邪魔スル、おまえたちが、邪魔なダケ――』


 暗黒騎士はやはり淡々と答える。

 ぼぅっと全身甲冑を赤い魔力で染め、詠唱を開始。

 暗黒鎧の周囲に、複雑怪奇な魔法陣が浮かび始める。


『其はいつかミタまぼろし。其はいつかミタまほろば。ああ、イエスタデイよ、在りし日を望むケモノよ。我は汝と呼応スル。さらば、我らは共に――全てを、掴めぬ思い出に帰す』


 発動した魔術名が――がログに表示される。

 《終わりを望む旅鼠達の帰路》。

 その言葉自体が、魔術効果となっているのだろう。


 暗黒騎士の手甲には、淡い光が浮かんでいた。

 過去を思う、魂の色だろうか。

 狂神が一瞬揺らぐ。その輝く手の触れた部分が、削り取られていく。

 在りし日……つまり、触れた部分を過去へと戻らせ消す。一種の即死効果のある魔術攻撃なのだろう。


 肩の肉片をえぐり取られた狂神がさすがに動揺を見せる。


 しかし――。

 黒き狂神が嗤う。

 狂神の口が、ギシシシシシシシっと邪悪な歌で周囲を軋ませ始める。


『邪悪なるモノよ、退け――神たる我が命じる。之こそが神話再現:《アダムスヴェイン》。汝らが異界魔術と呼ぶ、その元となった最高位の魔術体系。さあ、終わりの歌を聞け。人類ヨ。首を垂れ、全ての命を贄とせよ。我が名はスコル。我は神、北壁の狼。太陽を喰らいし天災なり』


 それは詠唱であり、神の歌。

 リーダー・ストライプの手甲から、光が消失していく。

 四星獣イエスタデイ=ワンス=モアの力を借りた、即死魔術が消えていく。

 ロロナにも、それが魔術を喰らう性質のある、神の魔術だとは理解できた。


 ログに表示される魔術名は――《アンノウン》。

 解析不能。

 盤上世界の外の領域にある魔術だからだろう。ロロナの修得している考古学と図書館のレベルでは理解に届いていないようだった。


 ここで参戦するべきか。

 それとも、まだ隙を探るか。考える中で、戦場の時は加速する。


 すかさず、リーダー・ストライプは宝箱から暗黒の剣を取り出し――。

 一閃。

 巨神に切りかかっていたのだ。


 しかし――黒の狂神は嗤ったまま。


『陽動など。無駄なこと――我には全てが見えている。浅はかな、お前たちの心もな?』


 斬撃はただの囮、実際には魔術発動がメインだったのだろう。

 ネラネラネラとうねるネズミの尻尾の先でリーダー・ストライプは魔法陣を描いていたが――狂神スコルはすぐさまに歌を再開し、尻尾で描いていた魔術を喰らってしまう。

 詠唱や魔術閃光を太陽の光と認識し、喰らってしまうのだろう。


 光を喰らう事に特化した、異形なる巨人を眺め――勝てないと判断したのだろう。

 旅鼠は振り返る。

 かつて仲間だった魔族達に言う。


 甲冑の中から、くぐもった声を漏らしたのだ。


『コノママでは負けマス。ワタシが負けたら、アナタたちも終わりデス。それは理解、できていマスか? そもそも、ワタシの声は、あなたたちに届いていますカ?』

「え、ええ。少しくぐもっているけれど、聞こえているわ」


 ロングスカートの女魔族、おそらく猛将マイアの妹ミリーが言う。


「あなたはいったい……誰なの?」

『ワタシは、暗黒騎士リーダー・ストライプと呼ばれてイマス。それより前の名は、もう忘レました。たぶん、名前はアッタと思いマス。魔導書を見れば、個体名も判断デキマス。けれど、ソレが自分の名かどうかはワカリマセン。ワタシたちは、混じっていますカラ。なれど、ワタシはこの地を守りたいと思いマシタ。ここまでは、理解、できましタカ?』


 ミリーは言葉の隙間を縫うように声を放つ。


「味方ってことでいいのね?」

『ソレは違うカモしれまセン』


 リーダー・ストライプは言葉を否定していた。

 それはここまでの旅路が影響しているのだろうか。


『あなたたちは、おまえたちはワタシを敵と呼ぶかもしれマセン。あなたたちはワタシに剣を振り下ろします、魔導の杖を放ちます。ソレを味方と言っていいノカ。ワタシには分かりません。もう、ワタシには、ワタシタチには分からないのです』


 もう分からないのです。

 もう分からないのです。

 と、甲冑の騎士は繰り返す。


 その鎧の隙間から、長い髯を苦悶に揺らすヌートリアの怨霊が零れだしていた。

 狭い鎧に魂をねじ込んでいるからだろう。

 今のリーダー・ストライプは、喰らったヌートリアの集合体。その痛みも悲しみも喰らって自分のモノとした、終焉を望み続けたケモノ。それでもその正体は鎧によって守られている、タンポポの香りで守られている。

 けれど、それも時間の問題だろう。


 暗澹としたヌートリアの集合体が女魔族に向かい言う。


『ワタシはアナタの敵ですか?』


 ぞっとするほどに、寂しい声だった。

 泥の奥底。

 母に捨てられた水子が、動かぬ手を蠢かし、光を睨むような声だった。


 狡猾なるロロナは察した。

 この問いかけへの答えで、全てが決まってしまうだろう、と。


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