第122話、燃える記録(ログ)【崩壊する魔王城】
【SIDE:異聞禁書ネコヤナギ】
ここは崩壊しかけた魔王城。
語り部は異聞禁書ネコヤナギ。
魔王城は植物の城。偉大なる魔導書であり、世界を記す植物獣神たる彼女が株分けした記録の城。赤い瞳の少女が司る《記録》の権能で用意した、分霊の一つでした。
魔王城は記録の城。記録とはネコヤナギ自身。
だから魔王城は彼女の一部であり、記録の一部。
手足の一部と同じです。
崩壊しても本体にはあまり影響はありません。
ほんの少し、手足がちぎれる程度に痛いだけ。
ただ、魔王城で過ごした記録が失われてしまうだけ。それは永遠を生きる彼女にとってはほんの一瞬の出来事です。繰り返す遊戯の中で見えた、一瞬の輝きにしか過ぎない煌めきです。
けれど、彼女は崩壊する魔王城を眺めていました。
なぜか目が離せないのです。
異聞禁書ネコヤナギの本体も、終わる分霊を眺めているのです。
ネコヤナギは思います。
――どうして、この子たちは戦っているのかしら。ここにはもう、何も残されていないのに。
と。
魔王歴が歴史に刻まれるようになって、どれほどの月日が経っていたのでしょうか。記録を管理していても、ネコヤナギはさほど彼らに興味がありません。
いつかまた、彼らも消えてしまうからです。
人間とよばれた旧人類たちを退け、新人類となった魔族。
いつも勝利を掴んでいた彼らも、今回ばかりは敗北の戦いを強いられてばかりいました。
それは彼らが頂点に立って成長を止めてしまったせい。世界の長ともいえる四星獣イエスタデイ=ワンス=モアは言っていました、お前たちは魔物であった時よりもむしろ退化していると。
その通りだと、ネコヤナギも思っていました。
協調性。
共に生きる力。それは無くしてはいけない大切な力。魔王アルバートン=アル=カイトスは本来、彼らのそんな未熟な心を鍛え、育ててあげなければならなかったのです。もし魔族にそういった、協力し合える心が育っていたのなら。きっと、世界は平和のまま。こうして外来種に襲われても、簡単に対処できたのでしょう。
けれど。
そうはなりませんでした。できませんでした。不可能だったのです。
当然です。なぜなら、アルバートン=アル=カイトス本人は誰からも、その心を教えてもらえなかったからです。
学びたくとも、学べなかったのです。
彼は生まれも育ちも特殊です。それは四星獣のせいでもありました。
それは世間のせいでもありました。
唯一、心を許せたのは父親だけ。
それでもいいのです。誰かを導く、それこそ魔王にさえならなければそれでも良かったのです。
父親以外の他人は幼い少年に言いました。
君は英雄になると、絶対に大成する。歴史を変える大人物になると。だから、どうか手を貸しておくれ。救っておくれ、だって君はとても強いだろう? だから、君には救う義務がある。
と。
協調性の強要です。
けれど、アルバートン少年が動かなければ誰かが不幸になります。だから少年は動きました。
他人のために動くことはあくまでも義務。誰かを助けたいと願う心が、少年にはありました。けれど、分からなくなりました。大人の手が、子供の少年に向かいます。少年は何でもできました。神の恩寵を受けた少年は、おそらく恩寵がなくとも天才だったのでしょう。
王家の血を引いていたからでしょうか。それとも単に少年が優れていただけなのでしょうか、今となってはもうわかりません。
大人たちは言います。
少年に言います。
助けてくれと。手伝ってくれと、だっておまえは英雄になる存在なのだからと。
少年は笑顔を覚えました。心を殺していました。父親だけが、少年の世界でした。
誰も少年の心に触れてあげなかったのです。
孤独を癒してあげなかったのです。
子供は父親に愛されて育ちました。けれど、それだけです。それだけだったのです。それだけしか、知りませんでした。
そんな少年が英雄となり、英雄故に人間に疲れ、魔族の始まりの王となった。けれど、少年だった魔王は少年のまま。強さもカリスマも魅力もありました、誰からも好かれる魔王でした。偉大な魔王でした。けれど、他人を導くことだけはできませんでした。
当然でしょう。なぜなら誰も、手を差し伸べなかった。
手を伸ばすのは助けて欲しいときだけ。
少年だった魔王を導いてあげなかったのですから。誰も何も教えていない子供に、何を期待しているのでしょう。だから魔族は気づいてあげなければならなかったのです。王の孤独に、王の割れてしまった心に。けれど、そうはなりませんでした。
だから、協調性を育てなかった彼らはここで負けるのです。
魔王アルバートン=アル=カイトスの本当の悲しみを知らなかった彼らは、ここで消えるのです。
成長を捨てた魔族はネズミに勝てないのです。
それでも魔族は魔王城を守るために戦います。
ケンタウロス型の魔族が弓を引きます。
ミノタウロス型の魔族が斧を奮います。
ロック鳥の翼をはやした鳥人が、剣を振りかざします。
ネズミの多くが滅びました。
当然です。魔族の個の力は強い。旧人類と呼ばれた人間の数倍はあるでしょう。
けれど、ネズミの猛攻は止まりません。ヌートリアという状態異常で汚染された彼らは、無謀に動くアンデッドと同じような存在。楽園で駒を操る邪悪な神の言い成り。
死が怖くないのです。
だから、無限に湧き続けて魔王城を齧ります。
戦いは終わりません。
協調性を知らない魔族は、仲間をうまく助けられません。
また一人死にました。
四星獣イエスタデイ=ワンス=モアの蘇生が発動します。
魔族たちは戦います。魔王城という名の樹を守ります。
やはりそれでも、連携がうまくできません。
ヌートリア災害が始まった直後の十八年前に比べればマシです、けれどやはり、成長は止まったまま。この盤上は負けるでしょう。
異聞禁書ネコヤナギ、魔王城の分霊は思います。
必死に戦う魔族を眺めて思います。
負けるのが分かっているのに、どうしてまだここで、戦っているのかと。
それがネコヤナギには分かりませんでした。
どうしても、もう、思い出せませんでした。
◇
どれほどの時間、戦っているのでしょう。
既に魔王城は半壊しています。
ネズミ側に、強大で邪悪な神の駒が発生したからです。
理性を失った狂神です。
異聞禁書ネコヤナギは知っています、これはヌートリアレギオンが吐き捨てた使えない駒。理性を奪い、理知的な思考の邪魔になる、力だけしかない神です。
けれど神は神。
その力だけは本物です。
とても形容しがたいバケモノのような神でした。
ここまでだとネコヤナギは思いました。
パチパチパチパチ、音がします。乾いた樹が、中から破裂する音がしました。
魔王城は燃えていました。
それは敵に燃やされたのではありません。魔族が燃やしたわけでもありません。記録を奪われそうになったその時、その場所を、ネコヤナギ自身が自分を焼き、燃やしているのです。彼女は魔王城での暮らしに特別な思い入れなどありません。だから躊躇なく切り捨てます。
魔王城:異聞禁書ネコヤナギは淡々と思います。
――ここも、もう終わりなのね。
異聞禁書ネコヤナギが根付いていた神樹。
植物獣神という守りに長けた獣性を用いた鉄壁の守りも今は、もう、ただの並の守り。最強の駒であり、奪われてはいけない最大の弱点でもある魔王アルバートン=アル=カイトス。彼を守るために、彼女の本体はもう場所を移しています。もう、ここにはいないのです。
敵の狙いは分かっています。
魔王城を攻め続け、ログから技術を奪う事。そして同時に、悲惨な現場を作り出して魔王アルバートン=アル=カイトスをおびき寄せること。ネズミは亀島には絶対に入れません、だから、こうして炙り出そうと邪悪な侵略を企てたのです。
これは敵の罠。
だから、切り捨てます。
ネコヤナギはネコのしっぽの花を咲かせます。
必死に魔王城を守る魔族たちに言いました。
『もう十分よ、あなたたち。ここは放棄します。記録は全て焼却します、技術が奪われることはありません。だから、お逃げなさい』
魔王城はもぬけの殻。
本来なら放棄してもいいのです。
燃やしてしまってもいいのです。
燃やしてしまっても、異聞禁書ネコヤナギは痛みません。記録の残滓を破壊しても、問題ありません。むしろ技術という名の記録を敵に盗まれ、知恵という名の幹や枝を敵に噛まれ、ヌートリア達を強化してしまった方が問題です。
『もうここには何もありません。だから、お逃げなさい。魔王城は役割を終えて消える。ただそれだけの事なのです』
なのに、魔族たちが言います。
「できません、ここには魔王陛下の思い出があるのです」
「魔王城は我らの希望、我らの御旗。奪われることなど、耐えられません」
「それに約束したのです。死んでいった友と、仲間と、いつか転生したら魔王城を目指す。魔王陛下が御座すこの城を目指し、必ず戻ってくると。生まれ変わって戻ってくる彼らのために、ここは無くしてはいけないのです」
魔族の中の強者の女性。
ロングスカートを揺らし爆薬をスカートから投げ続ける魔族が言います。
「この場所に、生まれ変わったあの人も帰ってくるはずなの。いつかきっと。だから――っ」
魔族たちは慣れない連携で戦います。
ネズミから樹を守ろうと戦います。
それは誰かと待ち合わせをするような感覚だったのでしょうか。
巨人顔像や梟の像の前で友との再会を待つような。
或いは、あの日、あの時。遠き青き星の思い出――ネコヤナギの樹の下で再会したお爺さんとお婆さんのような。
それではまるで、思い出の樹です。
その時でした。
魔王城に咲いていたつぼみが、開きました。
パァァァアァァァっと、ネコヤナギの花が咲いたのです。
お爺さんとお婆さんが、樹の下で微笑んでいます。
笑っています。
生き別れになっていた筈なのに、再会できたのです。
それは遠い遠い、昔の思い出。
猫神イエスタデイの肉球に拾い上げられる前――ネコヤナギが神の樹へと召し上げられる前の、記憶の残滓でした。
ようやく、ネコヤナギは気づきました。なぜ魔族たちが必死に、魔王も去ったこの城を守っているのかを。理解できました。外来種から魔王を守り続けた城。魔王が住まう城。魔族たちの憧れの存在である、大きな大きな神の樹。
学生たちはこの樹を目指し、励んでいました。魔王陛下と会うために、この樹を目指して競っていました。魔王軍に入れた者はこの樹を見ることができました。魔王城を眺めて、青春を思い出したでしょう。競争に敗れたものは、魔王城には入れませんでした。それでも、それは、遠い日の苦い思い出となったでしょう。
そうです。もうすでに、魔王城は誰かの思い出の樹となっていたのです。
そうだと気付いた、その時。
魔王城は静かに泣きました。赤い魔力を揺らして――その身を震えさせました。
涙が勝手に零れていたのです。
必死に自分を守ろうとする魔族を眺め、ネコヤナギはあの日の思い出を重ね。
ただ静かに――。
ネコヤナギにかつての記憶はありません。地球でお爺さんと共に過ごしていた時の記憶は、既に樹と共に切り捨てられていたはずです。けれど、なぜだかとても懐かしいのです。嬉しいのに、悲しいのです。
――あたしは、なんで、泣いているのかしら。誰かのための思い出の樹になれたことが、嬉しいから? 分からないわ、分からないわ。けれど、どうしてだか、とても思ってしまうの。
消えたくない、と。
分霊に過ぎない。本体には影響のない存在だとしても。
彼らの思い出を、消失させたくはないと。
もう魔王城に、戦術的な価値はありません。
あくまでも魔王城は魔王を守るためだけの特殊空間。異聞禁書ネコヤナギが生み出した、魔王を囲うための鳥籠。それに――中立な世界管理者たる彼女が守りたかったのは少しだけ気に入っている魔王だけ。魔族を守りたいわけではなかったのです。
ネコヤナギは魔族を愛してはいませんでした。けれど今、彼らには大事な思い出として守られています。
けれど、魔族は勝てません。絶対に、勝てません。
だから、放棄してもいいのです。
ここにはもう何もありません。
役に立たない思い出しかありません。
それでも、思ってしまうのです。
魔王城。
異聞禁書ネコヤナギが生み出した分け樹。
この場所が魔族たちの希望の樹となっていたのなら。
彼らの思い出を、守ってあげたいと。
それでも、敵は残酷に襲ってきます。
敵にとっては倒されても問題のない神。狂える鼠神の駒が爪を、牙を尖らせ魔王城を襲います。
誰か、助けて――。
そう願った時でした。
それは突然現れました。
迫りくる鼠狂神を押し返していたのは――暗黒騎士の鎧を身に纏った、邪悪なネズミの魂でした。
本体と繋がっている魔王城は知っています。
彼こそがリーダー・ストライプ。
終わりを求める旅鼠。かつて魔族だった者たちのレギオンなのだと。




