第118話、醜い旅鼠の冒険【逃走の馬車道】
【SIDE:リーダー・ストライプ】
哀れな縦じまヌートリア君主。
リーダー・ストライプは旅に出る。
行き場をなくしたネズミ達は旅にでる。
集団旅鼠レミングスのように死に場所を求めて旅に出る。
夜を駆けたのだ。
誰もいない場所を求め、最後に天を見上げた。
リーダー・ストライプは思った。
こんなにつらい思いをするのなら、思い出さなければよかった――と。
もはや彼らは裏切り者。
魔族にも敵と襲われ、ヌートリアからも離反者として襲われ。
どこにいっても敵だらけ。
そもそもヌートリアになる前の、魔族だった記憶を取り戻してしまったせいで生きる希望を失ってしまった者は多い。また一人、駒が消滅した。もはや戻れぬ人生に疲れ、二度と帰れないあの日に絶望し――終わりを望んだのだ。
ヌートリア君主、リーダー・ストライプは終わりを望む仲間を喰らった。
故郷に帰っても殺され、愛する者から化け物と呼ばれ。
また或いは、既に愛する者に新しい伴侶がいた者もいた。どこまでいっても、どこへいっても。前世ともいえる魔族だった頃を思い出した駒達に、幸せなどなかった。
滅びることはできない。
状態異常:《ヌートリア汚染》のせいで再び汚染されたヌートリアとして再生するからだ。
けれど。
ヌートリア君主となったリーダー・ストライプならば話は別。
もはや人生に疲れた仲間を介錯することができたのだ。
終わりを望んだ仲間のヌートリアの頭に手を乗せ。
祈り、念じる。
すると終わりを望んだヌートリアはドサりと、力を失い倒れ込む。原理としては、吸収攻撃に分類されるだろうか、汚染された駒の汚染部分を把握し、自らの力として取り込んでいる状態にある。
リーダー・ストライプの汚染は拡大するが、汚染部分を喰われたヌートリアは消滅し、ただの綺麗な駒へと戻るのだ。後はおそらく、長い年月を経て――元の駒へと戻る筈。
いつかまた、魔族として生まれ変わる未来を信じて死ねるのだ。
けれど、介錯には条件がある。それはまだ分からない。
だから。
リーダー・ストライプたちは旅に出た。
終わりを望む旅に出た。
目的地は決まっている。それは遥か北のエリア。
鬱蒼とした大樹と、黄色く美しい花に包まれた魔猫の聖域がある土地――。
真樹の森。
あの地にはタンポポに恋をした強大な魔猫がいる。
愛しい花を眺め、見守り、永遠に徘徊し続けている。
あれは神の眷属。ならば――終わりはそこにある。
山を越え、谷を越え、川を越え。
旅鼠達の冒険は続く。
終わりを求めた冒険は続く。
◇
仲間は日に日に減っていった。
襲い来る敵、汚染されたままのヌートリア達を撃退するたびに、仲間の誰かを喰らったのだ。
もちろん強制したわけではない。
彼らは自分を終えることのできるタイミングを知ると、満足げに頭を差し出すのだ。そして、リーダー・ストライプに終わりを望む。汚染された部分を喰らってもらい、輪廻の輪へと戻っていく。
リーダー・ストライプは思った。
なんて満足げに死んでいくのかと。
彼らは既に疲れていた。
ネズミに殺され、或いは不意をつかれて駒部分を汚染されヌートリア化し――長い間、敵対者たる異界の神の駒へと変えられ、戦わされ続けていた。当時の彼らに記憶はない。四星獣イエスタデイ=ワンス=モアの魔導書が手に入るまでは、誰も、何も知らなかった。
だから。
知らずに、愛する者を殺してしまった者もいるだろう。
知らずに仲間を殺した者もいるだろう。
知らずに、家族を食い殺した者もいるだろう。
それを、思い出してしまった。
消えたい。終わりたい。醜い身体を捨て、また新たな命としてやり直したい。
そう願い、終わりを乞うのだ。
調べている内に分かったことは、終わることのできるタイミングのこと。敵と戦い、魔力を放った後に生じる魔力減少がカギとなっていたのだ。おそらくネズミの神によって与えられた汚染状態の保護が、緩むのだろう。だから仲間たちは皆、敵ヌートリアと戦った。
魔力を放ち、敵を屠る。時には街を襲っていたヌートリアを、ヌートリアである彼らが追い払ったこともあった。
魔族には手を出さない。
援軍としてきている人間にも手を出さない。
やられてもやり返さない。
旅鼠達は北へ進む。
かつて御者の男と呼ばれた、魔王の父が歩んだ馬車道を進む。
リーダー・ストライプは仲間を介錯するたびに強力な存在となる。
ありがとう、先に逝って、終わることができてすまない――と、仲間たちは最後の言葉を残し安らかにドサリと倒れて消えていく。
旅鼠達は仲間の屍を乗り越え、北へ進む。
魔族から、家族を返せと罵倒され攻撃され、それでも反撃せずに北へ進む。
ただかつて愛した故郷を眺め、北へ進む。
また一匹、介錯する。
一匹、二匹。三匹。
闇の中、迷宮を覆うほどにいた仲間ももはや数十匹。
みんな、終わっていく。
満足げに、輪廻の輪に戻っていく。
また一匹、介錯する。
なぜこんなに滅びたがっているのか。
理由は簡単だ。
またいつ、神鼠に再洗脳されるか分からない。今度洗脳されたら、もう二度と……思い出すこともなく、かつて愛したこの世界で暴れだすと分かっていたのだ。
自らが愛した過去の思い出たちを守るため、早く、眠りたいのだ。
また一匹、介錯する。
リーダー・ストライプは少し怖くなった。
もし、北の森。
真樹の森の魔猫が、自分を滅ぼしてくれなかったら。
また一匹、介錯する。
いったい誰が自分を眠らせてくれるのだろうか、と。
それでも彼らの旅は続く。
いや。
彼の冒険は続く。
仲間はとうとういなくなってしまったのだ。
みんな満足げに、滅んで消えた。
リーダー・ストライプは振り返る。
思い出を振り返る。
旅を続けている内に、記録が発生していたのだ。
それは一冊の魔導書となってアイテムボックスに発生した。
魔導書名は、《醜い旅鼠の冒険譚》。
レミングスとなったヌートリア達の、生涯を綴る書。
終わりを求め、罵倒され続けた冒険の物語である。
けれど。
もういない。
誰もいない。
誰よりも強いヌートリアと化した特殊個体、リーダー・ストライプ。旅鼠は伽藍洞となった思い出の中で、立派になった魔力を纏っている。邪悪な獣毛を、醜い髯を風に靡かせる。
あと少し。
あと少しで目的地だ。
けれど、もう誰もいない。
醜いネズミは一匹。
記憶を取り戻した反逆ネズミは一匹。
この世界でただ一匹。
とうとう痛みを分かち合える仲間すらも、いなくなってしまった。
この広く愛しい世界で、ついに独りぼっちになってしまった。
その事実が、とても怖かった。
◇
独りぼっちのリーダー・ストライプはとうとう目的地へたどり着いた。
けして侵してはいけない森。
魔王陛下の愛する者が眠る場所。
ここは盤上世界を巣食っているヌートリアでさえも手を出せない聖域なのだろう。
誰も、何もいなかった。
リーダー・ストライプは真樹の森に入り込む。
鬱蒼とした森だった。
ざわざわざわと語り続けているような、森の声が聞こえている。
森の潮騒だ。
空気も澄んでいる。
香りも心地よい。
リーダー・ストライプは鼻先をスンスンと揺らし、水の香りがする道を歩む。
天を衝くほどに成長した大樹に囲まれた道を進んだのだ。
リーダー・ストライプは立ち止まる。
暗い森の中に、光を見たのだ。
そこだけが、太陽を大きく浴びている。ひとりぼっちの足が、動く。
そこに何かがある。きっとある。自分を終わらせてくれる、疲れたこの世界から解放してくれる何かが。
森を駆け、暗闇を抜けるとそこは一面の黄色。
タンポポ畑が出迎えた。
見事な黄色い絨毯が、ふわりふわり。花弁を揺らしてリーダー・ストライプを眺めている。
このタンポポ畑には魂が宿っているのだろう。
揺れる黄色。
穏やかな口調でタンポポが言う。
『あら、珍しいお客様。どうしたのですか? こんなところに』
リーダー・ストライプは事情を説明した。
自分がかつて神鼠に殺されたこと。
汚染され、それ以後――手駒にされていたこと。
かつて仲間だった魔族と戦わされていたこと。
記憶を失っていたが、猫神の魔術により思い出したこと。もう、終わりたいと願っていること。
もう疲れたんだ――。
と。
『そう。大変だったのですね。でも、困りました――』
タンポポは言う。
『あの方は、わたしに敵対する者しか襲わないのです。わたしを守るためにしか戦わないのです。今も、あなたの影の中で、ずっとこちらを眺めていますが。話を聞いてしまった以上、きっと、あなたを滅ぼしてはくれないでしょう』
そんな。
リーダー・ストライプは嘆きを覚えた。
ボロボロボロと泣きそうになる顔を、醜いネズミの手で覆ってしまった。
滅びるのは簡単だ。
このタンポポを、たくさん咲いている黄色い草原を踏みつぶせばいい。
そうすれば、タンポポを守る猫は怒り狂い、リーダー・ストライプを塵一つ残さず滅ぼしてくれる筈。
けれど、それはできなかった。
もう二度と。
誰かが愛している存在を、愛されている誰かを穢すことなど、したくなかったのだ。
それがたとえ野に咲くタンポポでも。
もう二度と――。
この手を悲しい涙で汚したくなどなかった。
もう疲れたのです。
疲れたのですと、その獣毛が涙を吸収して揺れる。
醜い獣へと堕とされた魂の叫びを眺め。
タンポポは花弁を揺らす。
彼女の心を打ったのだろう。
『泣かないでください。優しい人。わたしにひとつ、心当たりがあります』
タンポポがザァァァァァっと花弁を揺らす。
光による道を作ったのだ。
それは真樹の森の奥へと続く道。
タンポポが言う。
『ここにはもう一柱、神の力を宿した存在がいます。この地を守り続けている、ずっと、ずっと眺め守っている……悲しい人がいるのです。あの方ならば、あるいは』
黄色い花弁が優しく告げた、その瞬間。
目の前が一瞬、揺れた。
影の中から、魔猫が顕現したのだ。
太く、大きな骨格の目立つ、ボス猫といった風体の猫だった。
魔猫はタンポポの花弁に額をこすり付け、ニャーと鳴く。
この森を徘徊し続けている、人間にとっての守り神。魔族による侵攻……北砦への侵入を五百年以上妨害し続けた、伝説の魔猫だろう。
タンポポが言う。
『この人が連れて行ってくれるそうです。だから、どうか。泣かないでください』
黄色い草原が、再びザァァァァァァっと花弁を揺らす。
声が、響き渡る。
『あの方も、ずっと終わりを望み続けた悲しい令嬢。この森で死んだ愛する人を思い続け、世界を徘徊する神の眷属。重責を感じ……後悔の中で歩み続け、魔王の父を看取った、永遠を生きる哀れな女性……。あなたと同じく、世界に疲れた――残酷な運命の犠牲者。彼女なら、きっと、きっと……あなたの心を理解してくれるはずです』
魔猫がテクテクテクと歩き出す。
ついてこいと、一瞬振り返りウナーと鳴く。
これはお前のためじゃない、愛するタンポポの頼みだからと後ろ肉球を覗かせ歩む。
ヌートリアが言う。
その女性の名は、と。
タンポポは言った。
『暗黒騎士クローディア。ムルジル=ガダンガダン大王が眷属……かつて、多くの命を散らした殺戮令嬢。それが彼女の名です』
あの方は今でも、愛しい人の墓の前。
ずっと、ずっと……。
語り終えたタンポポはもはや何も語らなくなった。
旅鼠は魔猫のあとにつづいた。
黄色い草原を、猫と鼠が歩き出す。
奇妙な二匹の冒険は続く。




