第117話、旅鼠達(レミングス)の慟哭【迷宮内】
【SIDE:リーダー・ストライプ】
かつて魔族だったヌートリア汚染された駒。
リーダー・ストライプは知っていた。
魔族の弱点を知っていた。
なぜかは知らないが知っていた。
彼はまた、忘れてしまった、かつて魔族だった記憶が、奪われていた。
思い出しても、すぐに制御魔術が働き記憶を奪われるのだ。
それはおそらく、自分たちを支配する異界からの外来種。神ヌートリアレギオンがしかけた、万が一のための魔術。裏切りを防ぐための安全装置。
――それでも、知っている。なぜかは分からないが、知っている。
魔族の弱点を、痛いほどに知っている。
長い間種族ピラミッドの頂点にいたことで驕った彼らには、協調性が大きく欠けているのだ。仲間を思いやるよりも、陥れる方法に長けているのだ。
だから、対処もたやすい。
リーダー・ストライプは知恵あるヌートリアだった。本来ならあり得ない個体。ヌートリアの中に発生した、個性ある特殊個体だったのだろう
だから――。
腕を掲げ、ヌートリアの群れリーダーは指揮を飛ばす。
『キキキキイィィィィ!』
無数のヌートリアが、濁流のように全てを包み――覆い尽くしていく。
また倒した。
完全勝利である。
大地神を探しにやってきた魔族たちを個別に撃破し、その駒を汚染する。これは盤上世界の民が先に”空となった大地神の駒”を発見するか、それともヌートリア側が先に発見するかの戦い。
ヌートリア達は勝利を収め続けた。
迷宮の魔物も、統率なく単独でやってくる愚かな魔族も討伐し続けた。
しかしやつら、魔族は無限に湧いてくる。汚染しようとしてもできない。キャンセルされ、浄化される。いつもどこかに消えて、いつのまにか拠点へと戻っている。
なぜだ?
簡単だ、四星獣イエスタデイ=ワンス=モアが常に全世界に回復魔術を行使し、同時に負傷した駒を汚染から守り帰還させているからだ。それはまさに神の御業。だが、賢いリーダー・ストライプは考えた。
これは使える、と。
『キキ――キイキキキィイイイイッィィィ!』
魔族も人間も愉悦を感じると口角が吊り上がるというが、ヌートリアも同じだった。
敵を嵌める。
自らの策で相手を陥れる快楽をリーダー・ストライプは知っていた。おそらく、それは皮肉なことに、彼がかつては弱肉強食の世界で生きた魔族だったからだろう。ぶわぶわっとタワシのように獣毛が尖っていく感覚が、全身を昂らせていた。
リーダー・ストライプはまず、宝箱を用意した。
そこから罠を取り出し、加工した。皆で協力し、加工した。それは魔族だった頃には取得できなかった《種族技能:協調性》である。ネズミは群れとなって行動する。家族となって行動する。フェロモンにより支配されたグループを作る。全にして個。個にして全。すなわち、集合体。
単体ではどうしようもないことも、複数ならば可能となる。
リーダー・ストライプは迷宮の入り口に罠を仕掛けた。
それは上位宝箱に仕掛けられている、転移の罠。
開錠に失敗すると発動し、ダンジョン内のどこかランダムな場所に飛ばされるという単純だが強力な罠である。
また大地神の駒を回収にやってきた魔族が、迷宮に入り込んでくる。
かなり強力な魔族だ。
それは古参の魔王軍幹部、四天王。おそらく種族は牛顔悪鬼ミノタウロスだろう。
やはり単独だ――。
リーダー・ストライプは白い縦じまを揺らし、尻を上げ、大蛇のようにしなる尻尾を唸らせる。
瞳を赤く染めたのだ。
キィィイィィィィィィイィン。
▽転移罠が発動。
「しま……っ――」
しまったと言い切るより先に、四天王は強制転移。
転移座標は固定されている。
ランダムだと思われている転移の罠だが、リーダー・ストライプはそこに法則性を見出していた。既に座標に別の個体、すなわち魔物や魔族や人間、宝箱などが配置されているとそこはランダム座標から除外される。ならば、全ての座標を事前に埋めているとどうなるか?
答えは簡単だ。
転移されるのは誰もいない場所、つまりは――壁の中。
「……――」
▽四天王は、いしのなかにいる。
これは盤上遊戯のルールを悪用した、裏技。
壁の中に転移された駒は”身体透過能力”を持つ者以外は、即死する。ダイス判定さえ行われない特殊なルール、システムの穴をついているのだ。つまりヌートリア達は転移罠を相手に直撃させるだけで、完勝できる。強制即死攻撃と化すのだ。
実際、ログには様々な英雄たちの死亡情報が表示されている。
またリーダー・ストライプが群れボスとなっているヌートリア達のレベルが上昇する。リーダー・ストライプの職業がヌートリア君主へと昇格される。
四天王ミノタウロスは死亡したが、四星獣イエスタデイ=ワンス=モアの力で蘇生され帰還する。
それは無限に湧く経験値。
そして、迷宮に敵と認識させればアイテムをドロップさせることができる。
経験値を得て、なおかつ宝箱が無数に発現するのだ。
後は増援が湧けば湧くほど、有利になる。
いつか大地神の駒が入った宝箱も出現するだろう。それが、盤上遊戯が開始されたこの世界の規則。あくまでもリーダー・ストライプはルールに則って戦っているだけに過ぎないのだ。
裏をつき続ける戦い。
その成果が影響したのか、レベルが上がり続けるリーダー・ストライプのステータスに、称号名『曲解する詭弁者』が付与される。
ステータス情報の詳細によると、この称号を与えられたのは世界で二番目。
悪魔羊に次ぐ二匹目の称号らしい。
リーダー・ストライプは少しだけ誇らしく思え、胸を張った。胸にはやはりネズミの獣毛がびっしりと風に靡き、邪悪に揺れている。
次々と敵を倒し、成長するリーダー・ストライプに部下のヌートリア達も歓喜する。
『キキキイ!』
『キキ!』
リーダー・ストライプは思った。
ああ、魔族であった時よりも仲間と共に歩んでいる気がする、と。
しかし同時にまた、思い出す。
なにか大切なことを忘れてしまっているのではないかと。
そうだ。
それに魔族と心で思った。
かつて自分は魔族だったと、また思いだしたのだ。
けれど、その度に盤上世界の外、操作者となっているヌートリアの神がその記憶を掻き消していく。リーダー・ストライプは何度も腕を伸ばす。消えてしまう幻想を抱きしめようと、ネズミの手を伸ばす。ここまで記憶が回復し始めている駒は危険な筈、けれどヌートリアの神はリーダー・ストライプに手を出せない。
もはや鼠側は圧倒的に不利。
ここまで成長した駒をリセットすることを嫌っているのだろう。
大事な記憶を奪われたリーダー・ストライプは神に言った。
『ナゼ、キオクを、奪う。ソレは、アマリニモ、フカイです』
と。
神が言う。
『それは偽りの記憶だからだよ。いけないよ、神を疑うだなんて……とても、悲しいことだ』
『ナラバ、信じさせてクダサイ。モシ、無事に、大地神ノコマを手に入れたナラ。ワタシからキヲクをウバワナイと約束してクダサイ』
『それは――神に逆らうという事かい?』
『イイエ。アナタが信じさせてクレナイ、狭量なるカミであったダケでしょう』
世界で二番目の特殊な称号を得たリーダー・ストライプは知恵ある個体となった。
巨大ネズミの口が続けて言う。
『ナラバ、コノママ。ワタシはほろんでもイイノデス。ドウセ、また、コマとして蘇るのですカラ。デスガ、ソレに困るのは神、あなたナノデハ?』
『いいだろう……大地神の駒を奉納することができたのなら。約束しよう』
言質を取った。
リーダー・ストライプは満足げに微笑んだ。
賢い彼は知っていたのだ。もはやネズミに後はないと。だから、たとえ神とて交渉のテーブルにつかせることができると。
リーダー・ストライプは敵を狩る。
魔族を狩る。旧人類の亡霊を狩る。
宝箱を開ける。
罠を解除し、解体し、悪用し、敵を倒す武器とする。
後はこれの繰り返し。
宝箱は無数に出現した。
たくさんの宝を手に入れた。
それでも大地神の駒は手に入らない。
おそらく、最上位のレア枠として設定されてしまっているのだろう。外来種と在来種との戦いに盤上遊戯が移行した際、この世界は遊戯としての性質の強い世界へと変えられてしまった。
もしやこの迷宮にはないのでは?
仲間から疑問が浮かぶ。
けれどリーダー・ストライプは言う。
ドロップ確率が極めて低いという事は――本物がここにある可能性も高い、と。
そんな中。大地神の駒ではないが、リーダー・ストライプはレアアイテムが約束された最上位の宝箱”桐の箱”を手に入れた。
中には魔導書が入っていた。
神の樹の下、チェスのような盤上遊戯の横で寄り添い、眠り続ける魔猫の絵が描かれた――膨大な魔力を内包した、魔導書だ。
その時。
不思議なことが起こった。魔導書に触れた途端、知らない思い出が魂の中を駆け巡ったのだ。
記憶の中。
自分の知らない誰かが、自分も知らない自分を眺め、微笑んでいた。
笑っていた。
口元を、綻ばせていた。
再び、リーダー・ストライプの白い縦じまのトサカにノイズが走る。
鈍痛だった。
誰かが、大きなスカートを揺らしている。なんでそんな大きくて、フリフリなスカートを装備しているんだ。かつて野営していた時にそう聞いたことがあった。
誰かは言った。疲れた顔で、困った顔で、けれど自分の中で既に劣等感を憧れへと昇華させた顔で。
女性だけど凛々しい姉、いつも頼りになって、誰からも尊敬されるほどに強い姉と比べられたくないから。
彼女は確かにそういったのだ。
――彼女とは誰だ。
分からない。ただ、脳裏の奥には消せない女性の疲れた笑みがある。
無理をして笑っていた誰かの顔が映っていた。
その頬に流れる涙を指で拭ってやりたくなり手を伸ばす。けれどそこにあるのは醜悪で軋んだ獣の腕。
涙を拭えぬ、邪悪な手。
――あぁ、そうか。ワタシは……かつて……。
リーダー・ストライプが呆けた顔をして自らの掌を眺めていると――。
どうしたか?
指示を求む。そんな顔で、赤い瞳の仲間たちが鳴き始める。
『キキキ?』
『キキ……キキキキキキ』
彼らは思い出していないのだろう。
今回ばかりは確信をもって。
リーダー・ストライプは言う。
『ワレワレはカツテ……マゾクだった』
『キキ?』
『ソウカ、まだおまえたちにはワカラナイカ』
リーダー・ストライプは考え、迷宮の中で手に入れた宝箱、桐の箱から出現した魔導書を選択。
発動するべく赤い瞳を輝かせた。
それは普通のヌートリアではできない行為。ヌートリア君主にクラスシェンジした英雄ネズミの力。それこそが特殊行動。白い縦じまを持つ彼が群れリーダーかつ、特殊個体である証であっただろう。
開いた魔導書のタイトルは《在りし日を望む魔道具猫》。
四星獣イエスタデイ=ワンス=モアの力を宿した、レアアイテム。
そう、ここはかつて四星獣イエスタデイ=ワンス=モアが目覚めた地。五百年封印されていた、過去を司る、この世界に本物の命と魂と、そして心を与えた創造神が、眠っていた場所。
この世界を支える獣神の力が宿る迷宮だった。
その名もウィルドリア迷宮。
醜い獣の腕にのる魔導書が、ばささささ……と揺れ。
魔術が発動される。
魔術名は――。
《イエスタデイ、ワンスモア》。
あの日の温もりを、もう一度――。
神の名そのもの。
忘れられぬ過去。壊される前の幸せを望み、泣き続けた魔猫の慟哭がヌートリア達の耳に反響する。
主人を愛する一匹の魔猫の魔術が、ヌートリア化された者たちの記憶に侵食していく。それは過去という魔術性質をもった、魂に左右する高度な魔術だった。
するとどうしたことだろうか。
赤い瞳を輝かせ、命令を遵守し、命令のままに動いていたヌートリア達の動きが固まっていた。
一匹が、腕を見た。
自らの腕だ。
その先にある掌を見た。
『キキィ……?』
リーダー・ストライプと同じく、そのネズミの手に違和感を覚えたのだろう。
一匹が違和感を覚えると、それは群れ全体に感染していく。
そして彼らは思い出した。
自分たちは汚染され、洗脳されていたのだと。
ネズミの鼻が、揺れる。
ボロボロボロと零れる雫を、醜いネズミの手で拭いだす。
ネズミは泣いた。
あの頃に帰りたいと、泣いた。
思い出してしまえば、もはやヌートリアの神に従う道理はない。
『サア、帰ろう。我らの街ヘ――』
リーダー・ストライプの言葉にヌートリア達は駆けた。
故郷に帰るべく、迷宮を放棄したのだ。
彼らはそれぞれの街を目指し――草原を駆けた。
希望を駆けた。
友や家族の顔を思い出していた。
もはや忘れぬ。二度と忘れぬ。汚染もされぬ。
四星獣イエスタデイ=ワンス=モアの過去を司る力によって、記憶はもはや奪われない。
そうして。
彼らは――。
懐かしい街に辿り着き――。
殺された。
そう。
彼らは既にヌートリアだったからだ。
駒として蘇るヌートリアが言う。
ワレワレは。かつてマゾクだった。
タダ、あの日にカエリタイだけなのダ。
ソレナノニ。かつての仲間はワレワレを受け入れてはクレナイ。
コロサレテモ、コマとして蘇る。
帰る場所も、モハヤない。
こんな醜いカラダにカエタ、あのカミのブカには戻れぬ。
ナラば。
ワレワレはどこに行けばイイ?
ドコで嘆けばイイ。
ドコで泣けばイイ。
ドコで――朽ちればイイ。
このミニクイ身体のママ、ワレラはいったいドコに……。
ああ、せめてモウイチド。
アノヒにカエリタイ。
あのナニモない、ただ過ごしていた日常をこの手にシタカッタ。
キミ達と笑っていた、あの忘れえぬ日々に――。




