第110話、外世界の法則、神々の思惑【ギルド食堂】
【SIDE:集いし神々】
神が語り部となった、異界の逸話。
語られた場所は――ギルド内の宴会場。
周囲には神をもてなすグルメの数々が、湯気や香りとなって広がっている。
四星獣達による空間操作で広くなったギルド食堂の中――語り終えたのは異聞禁書ネコヤナギ。
この世界を管理する植物獣神だった。
世界管理者が奏でるその旋律は、魔力そのもの――たとえ技能レベルが足りなくとも物語を理解させる力が含まれている。
そして朗読劇に涙を流すのは、ヴェルザの街の魔猫達。
彼らはネコという共通点から、大魔王ケトスに感情移入しているのだろう。主ともいえる四星獣イエスタデイ=ワンス=モアを眺め、じぃぃぃぃぃぃぃい。
その願いを叶えてあげてと、モフ毛をぶわっとさせている。
聞いていた人間たちの中で、特に後衛職にある者は今の話に興味深く耳を傾けていたはずだ。なにしろそれは異界の大魔王の物語。断片とはいえ、それは魔術の極意――力を借り受ける異界の神性存在、その物語を理解することが異界魔術を使いこなす近道。
実際、ギルドに在籍する魔術師の数人は今の逸話を耳にして大魔王ケトスの魔術を多少なら扱えるようになっているだろう。
英雄の末裔スピカ=コーラルスターもその中の一人。
幼女教皇マギも魔導書製造のスキルを発動し、今の逸話を人間でも扱えるように変換――魔術利用するべくアイテムクリエイトを開始していた。
そして、人間たちよりも異界魔術を得意とする魔族たちならば話はもっと変わってくる。
おそらくその脳裏には様々な魔術が巡っている筈。ビスス=アビススも猛将マイアも四星獣に並びうる神性存在の魔術。大魔王ケトスの逸話魔術を新たに修得していたのだ。
当然、新たな魔術を修得した者の中には、旧人類の八割を滅ぼした魔族の王、アルバートン=アル=カイトスもいるのだが――四星獣三柱の顕現と異界の大魔王の顕現で、魔王なのに空気となっている。
魔王の登場よりも、神々の降臨の方が大ごとなので仕方ないが――。
誰しもが声を失っている中。
大魔王ケトスと四星獣イエスタデイ=ワンス=モア、そして四星獣ナウナウが出されたグルメをむしゃむしゃモグモグ。ナイフやフォーク、レンゲといった食事用装備で喰らいつくしていく音だけが鳴っていた。
この場で、平然としているのは肝が据わっているギルドの受付娘と、北の英雄アキレスか。
整った馬顔で、アキレスはグルメを貪り尽くす大物獣神たちにジト目を向け――。
「つまりは大魔王さんはその、焦げパン色のキミってのと異世界の魔王陛下を蘇らせるのが目的ってわけでいいのか?」
大魔王が焼き鳥串のタレでべちょべちょになった口周りを舐めながら。
つぅっとシリアスに瞳を細める。
『いや、ワタシの魔王陛下は既に転生という形で再顕現を果たしているからね。すでに救われた状態にあるんだ――ワタシが望んでいるのは、焦げパン色のあの子が再び転生してくれること。彼女ともう一度、出会いたい。そして、可能ならばもう一度……』
「あんた異界ではそれなり以上の神なんだろう? 自分の力でなんとかできねえのかよ」
『さきほどの逸話でも少し触れられていただろう? この盤上世界と外の世界は法則が大きく異なるのさ。残念ながらあの子は、蘇生や転生ができる存在じゃない。悲しいけれどね、もう何度も試したが……駄目だった。けれどだ――この世界でなら、話は別。本来、転生が難しいあの子も、この特殊な世界かつ願いの力さえ使えば――可能性はゼロじゃない』
アキレスの瞳も、つぅっと細く締まっていく。
「ゼロじゃないならどうとでもなる、か。ま、オレにだって確率操作ができるんだ、アンタなら同じこともできるっつーわけだろうな」
『そうだね――きっかけさえあれば、あとはワタシ自身の力でどうにでもできるからね――ワタシの目的はあの子の蘇生のきっかけを掴むこと。楽園の神々の悪戯によって作られた、この願いを叶えるための盤上世界ならば……それが叶う』
大魔王猫はふわふわな白毛を膨らませ、同じく白くてふわふわな四星獣イエスタデイ=ワンス=モアに目をやり言う。
『イエスタデイ君、キミは理不尽に主を変えられてしまったことを今でも憎んでいるだろう。神々を憎悪しているだろう。それを利用しようとしているワタシへも思うところがあるだろう。けれど、ワタシはワタシの目的のためにもこの世界を救うつもりでいる。どうだろうか、ここは協力関係を築けないかな?』
四星獣イエスタデイは手捏ねハンバーグから口を離し――。
『その前に質問がある、異界の魔猫よ』
『なんだい、この世界の魔猫』
『もしだ、もし――この盤上遊戯勝利者としての願いの力を使っても、その焦げパン色のキミとやらの救いを掴むことができなかったら。おぬしはどうするつもりなのだ。仮に、だ。我ら四星獣、全てをイケニエに捧げねば無理となった場合、おぬしは我らを裏切るのではないか――?』
『それはできないよ。するしないの問題ではなく、できないんだ。そこは信用してもらっていい』
銀髪美少女ネコヤナギが、周囲に魔猫の花を咲かせて言う。
『どういうことよ』
『ワタシの主、ワタシの魔王陛下はモフモフな存在を傷つけることを嫌っている。キミ達四星獣は全員がモフモフで愛らしく、とても力強い獣神だからね。もしキミたちを悪用したと知ったら、陛下はワタシを絶対に許さないだろう。それはワタシの望むところではないのさ。そしてなにより、あのヌートリアレギオンはかつて楽園にあったモノ、ワタシの魔王陛下とも関係があってね、彼を止めるか或いは封印しようと動いている。ワタシは主人の命を聞き、アレを討伐するつもりなのさ』
ヌートリアレギオン。
魔王アルバートンもアキレスも、そしてダンジョン上層で汚染された英雄魔物ヌートリアキングと出会った冒険者たちはアレの危険性を理解しているのだろう。
蜂蜜ゼリーを吸いながらネコヤナギが、赤い瞳を輝かせる。
『そもそもよ、あの巨大ネズミっていったい何なのよ。あたしのログの中にまで入り込もうとしているし、もちろんすぐに追い払ってやったけど、普通の強さじゃなかったわ。あたしほど強力な神性じゃなかったら、汚染されていたはず。ちょっと、怖いわ――』
『言っただろう、アレはかつて楽園にあった神だって』
『また分からないわ。そもそもよ、楽園ってなに? あたし、気になるわ。とっても、気になるわ』
少女の声に、大魔王はネコ顎に肉球をあて考え。
『そうだね。楽園とは……まあ世界の始まりの神々がいた場所と思って貰えばいいかな――そのリーダー格だった男神が死んだ後、同じく楽園で死んだ神霊を吸収し肥大化した厄介な残滓がアレの正体さ。神の亡霊の集合体みたいな存在といっていいだろう。亡霊の”集合体”という事から、我々はアレをレギオンと名付けている。かつて支配者だったからルーラーレギオンなんて呼び方もしているが、ともあれだ――アレの主だった人格が巨大鼠ヌートリアとなっているようだから、ログにはおそらくヌートリアレギオンと表示されるだろうね』
ほとんどの観客は世界のルールを知るための技能レベルが足りず、この時点で理解の届かない領域となっている。
『ふーん、そう。でもなんで、神がネズミなの?』
『それを四星獣たちが言うかい?』
『まあそうね。あたしたちも全員、猫という獣性を持つ神なわけですし。それはいいけど、教えて頂戴。あたし、気になるわ。とっても、気になるわ』
赤い靴の先から追加の魔猫の花を咲かせ、気になるわ。気になるわ。と輪唱を始める神ネコナヤギ。
その好奇心に苦笑しながら、大魔王ケトスがまるで教師の声音で言う。
『繁殖、繁栄。駆除しても消えぬ存在。ネズミには滅びぬ存在としての神性があるからさ。イメージというものは存在に大きく影響を与える。力となる。だからルーラーレギオンは、外来種の神、滅んでも滅びぬ存在としての象徴にヌートリアを選択したのではないか。ワタシはそう判断している。そうだね、図式にした方が分かりやすいかな』
異界の大魔王は、魔術理論を展開しているのだろう。
周囲に異界の魔術文字による、魔術の式を、空間拡張されたギルドの天井全面に展開していた。
『神々の力の源が信仰……つまり人の心だっていうことは知っているだろう? なにしろキミ達四星獣とて、同じく人の心を利用している存在。我々の世界から送られてくるネコへの信仰心が最も大きな力の源になっているのだからね』
『あら、そんなことになっているのね』
『……。知らなかったのかい?』
くすりと銀髪美少女は微笑み、けれど――。
酒場に集うネコ以外の存在を眺めてつまらなそうに言う。
『だって、外の世界の事情なんてあたしたちには関係ないモノ。あたしたちは、ただ、あたしたちを拾ってくれたこの子の願いを叶えるために、遊戯を繰り返し続けていただけ。あなたたち人間だってそうよ? 魔族もそう。潰そうとも思わないし、守ろうとも思わない。だって、キリがないんですもの。感情移入なんてしないわ。これからもきっとそのまま、あたしたちは遊戯を眺めてダイスを振り続けるだけ。外の世界にも、人類と旧人類の戦いにも興味なんてないわ』
世界管理者の言葉に、人間たちはなんとも言えない状態になってしまったようだ。
異聞禁書ネコヤナギ。
彼女にとって、この世界で生きる駒たちはあくまでも駒。邪険に扱うつもりはないが、過度に思い入れを作る気などない。そんな、突き放した感情が透けて見えるからである。
管理者だからこそ、ドライな心情を持っているのだろう。
だが、モソモソっと小さな尻尾を蠢かしたのは巨獣。四星獣ナウナウが、ん~っとパンダの巨体を揺らし。
レンゲでチャーハンを滝のように喰らいながら言う。
『安心してよ~、僕はね~。ネコヤナギとは違って~、君たちのことに興味津々だよ~?』
『あなたの場合は玩具が楽しいだけでしょう、ナウナウ。油断しちゃダメよ、人間の人と魔族の人たち。この子は、本当にその時、その瞬間だけが楽しいならなんだっていい。全てがどうでもいいと本気で思っている、あたしたち四星獣の中で一番邪悪な子なんだから……』
『えぇ~? だって~、楽しいんだから、仕方ないよね~?』
口では笑っているナウナウだが、その瞳の奥は笑っていない。
本当に、人間も魔族も、ただ気ままに遊んでいい玩具だと思っているのだろう。
四星獣はこの世界の味方であっても、人類や旧人類の味方というわけではない。その境界線をはっきりと理解している者は、やはりなんともいえない、苦虫を嚙み潰したような顔をしてしまうのみ。
比較的、旧人類にも新人類にも協力的な四星獣イエスタデイ=ワンス=モアが言う。
『安堵せよ、この盤上世界に生きる者たちよ。我らの機嫌を著しく損ねない限りは、我らは汝らに介入などせん。まあ、稀に悪戯はするがな』
ニョホホホホと笑う四星獣イエスタデイの前。
悪戯の塊ともいえる魔王アルバートン=アル=カイトスは苦笑を漏らしてしまう。
「それで、異界の偉大なる大魔王よ。あのヌートリアの目的とはいったい、この盤上世界を喰らいつくして何をするつもりなのか、それをお聞かせ願いたいのですが」
『単純だよ――ヤツは滅んだ楽園が元の状態、つまり人間や世界全てを管理していた状態にまで遡る事を望んでいる。楽園の再興だね』
「そのようなことが可能なのですか?」
『おそらく、盤上遊戯の勝利者となったとしても、無理だろうね』
再び複雑な魔術式を展開し、周囲の正気度を奪いつつ。
教師の声音で異界の猫が言う。
『――なにしろ、既に百の世界の願いを抱えても、楽園の再興には失敗しているからね。楽園という場所を再現したエリアは確かに蘇った。この盤上遊戯世界も、楽園の森――かつてブラックハウル卿と呼ばれる狼獣神が棲んでいたとされる樹々の中にあるのだから、それは間違いない。形だけなら、既に楽園は戻っているのさ。けれど、失った神々も世界も、人々からの信仰も……元には戻らない。どれだけの願いの力があっても、全てを元に戻すことはもうできないだろう。単純な話、結局のところは力勝負なのさ。願いを叶える力があったとしても、それを拒絶するそれ以上の願いの力があったら叶わない。そして、楽園はもう二度と復活させてはいけないと願う存在は多い。改心した楽園の神々や、そこの四星獣イエスタデイ=ワンス=モアのように楽園を恨む神々も多いのさ。だから、二度と、楽園は蘇らないよ』
「では、楽園が蘇ることはない。その理論を軸にして外来種ヌートリアと交渉をするという選択肢も、あるいは――」
大魔王はモフ首を横に振り。
『アレにはもはや理性が残されていない。かつては聖父クリストフと呼ばれていたらしいけれど、それは過去の話。今は暴走し、妄執に囚われたただの神々の亡霊だからね。会話はできても、意味が通じているわけではない。話もろくに通じはしないだろう。愚かで哀れな、本当の意味で滅んだ楽園の残滓なのさ』
遠くを眺めるような顔を見せた大魔王。
その凛々しくさえ感じる神猫の横顔を見て、幼女教皇マギが言う。
「それでも、妾には――平和だったあの日々に戻りたいと願う心だけは、分からぬでもない」
幼女もまた、過去を見つめる瞳で言う。
「魔王アルバートン=アル=カイトスよ。先に言うておくが、そなたを責めているわけではない。旧人類の八割が滅び、北部とこの大陸のみとなってしまったことは自業自得。全ては手ずから蒔いた滅びの種。当時の愚かで驕っておった我ら人間は、滅ぶべくして滅んだのだろう。なれど――できることなら、まだ過ちを犯す前の日々に、まだ人間が人類であった頃の遠き過去、まだやり直すことのできるあの日に帰ることができるのなら……そう、思うてしまうときがある」
千年を生きる幼女は言ったのだ。
「叶わないとわかっていても、考えてしまう。願ってしまう。ああ、あの日に帰りたい……と。そう、思ってしまうのじゃ。きっと、聖父クリストフとやらもこの老いぬ老体と同じく、そう願わずにはいられない、哀れな存在なのじゃろうて」
告げる幼女の微笑みは、ひどく疲れた微笑だった。
永遠を生きる賢人の、思わず漏れた弱音だった。
大物が揃っているギルド食堂にて――。
神に異界猫に人類に、旧人類。
それぞれの想いや思惑が、複雑に交錯し始めていた。




