第011話、ぼろぼろの魔導書【SIDE:魔猫イエスタデイ】
【SIDE:魔猫イエスタデイ】
魔物襲撃のケガで苦しむアポロシスの街。
大規模襲撃の発生地だったダンジョン塔の周囲を守る騎士団の詰め所では、現在、鎧の音がカチャカチャカチャ。
まだ動ける騎士たちが、ネコ文字で刻まれた”転売無効:この街専用”のラベルが貼られた回復薬を運んでいたのだ。
値段は後で構わない。
だが、覚悟はしておけ、それで良いなら売ってもいいと。
そう宣言した魔猫イエスタデイは呑気に散歩気分。
女盗賊メザイアとは離れ、ギルド食堂から受け取ったお弁当を楽しみにしながら、とことことこ。
散歩を呼び止めたのはその、離れたばかりのメザイアであった。
情報収集をしにいくとのことだったのだが。
魔猫イエスタデイは彼女の言葉にうなずき、その後をついていく。
向かった先は、母のために回復薬を求めにやってきた少年の家。
彼にはまっさきに薬を渡していた。
しかし……間に合わなかったのだろう。
魔猫は耳を立てモフ毛を膨らませる。
少年の家へとつくと、子どもの泣き声が響いていたからだろう。
母親と思われるエルフの女性が、胸に巻いた包帯の下を赤く染め、大きな裂傷を耐えるように唸っていた。
その口から飲めずに垂れたエリクシールの液体が、むなしく、シーツに吸収されている。
そのサイドテーブルには少年が母のために治療に励んだだろう形跡か。
治癒の力を学ぼうとした魔導書が並んでいた。
しかし、治癒の力は並大抵の努力で掴めるものではないと、少年自身が知っていたのだろう。
中身の凹凸は、悔しさで滲んだページがふやけた証。
ぼろぼろの魔導書。
誰の目から見ても、回復の力を得ようと死ぬほど努力をしたのだと分かる部屋だった。
負傷する母親の周りにいるのは、何とか命を繋げようとしている冒険者たち。
低レベルの初級の回復魔術を掛けているが――崩れるダムを人の手では堰き止められないように、治したそばから体力が消えている。
助手状態となっている女盗賊メザイアが言う。
「イエスタデイちゃん……あんたは、あんまり人類へ回復魔術を使いたくないのかもしれないけど……このぼろぼろの魔導書を見ちゃってさ。その……、この人はもう回復薬を飲む気力もないっぽいんだ、頼めない……かな?」
『ふむ、お人よしめ、まあよい。任せておけ――』
普段と声が違った。
まるで神のような顔で魔猫が白い毛を神々しく輝かせていた。
その視線の先にあるのもやはり、ぼろぼろの魔導書。
『少年よ――これはそなたの悔しさに滲んだ魔導書への褒美だ。大量に薬を購入した街への特典。サービスというやつでもある。常に、受けられる恩寵とは思うな、驕るな。そして助けられた分、誰かを救え、良いな』
「助け、られるのか、た、たぬき。いや、タヌキ様!」
『いかにも――この冒険者らにも感謝せよ。回復の行使により、まだ間に合う状態である。肉体も精神も魂もこの場に留まっておるのだ。途切れかけた魂さえ反魂の秘術で肉体に戻し、その後に肉体を回復させれば良いだけの技術。本職の回復職ならば、容易き事――今一度いう、我だけではなくこの冒険者らへの感謝も忘れるでない。良いな?』
今にも死にそうな。
もはや生と死の境で、呼吸すら途絶えそうな母の前。
少年が何度も頷いていた。
『その心、忘れるでないぞ』
頷く少年に瞳を細め――。
普段の声で魔猫イエスタデイが、ぶにゃははははは!
『ならばよい! では、ヒーラー魔猫の力をとくと見ておれ!』
告げて、魔猫は亜空間に手を突っ込み。
わしゃわしゃわしゃ♪
ヒノキの棒に、白い四角い紙を組み合わせたような飾りがついた、変わった形の杖を取り出しキリリ!
母親の傷をギリギリで塞ぎ、死を止めていた冒険者たちの隣に二足歩行で立ち上がり。
その肩に肉球を乗せ。
下がっておれと、目で合図。
『我を信じよ』
荘厳なる言葉と共に――。
床が魔力によって生み出された、青白い光で満ちていく。
その魔力量を理解したのか、冒険者たちもおとなしく後ろに下がっていた。
”賢き魔猫の反魂ダンス”。
ヒーラー魔猫の祈祷が開始された。
誰もがその魔術を鑑定できない。けれど、効果が凄まじいとだけは理解できた。
ほいほいほいと、片足立ちで、ステップを踏む度にモフ毛が揺れる。
黒足袋足の肉球を輝かせながらの、詠唱が響く。
『うんにゃら、ぶにゃぶにゃ、どがすがうんにゃ♪ 蘇れ~! 治れ~、治れ~、傷、治れ~♪』
地上神の力で癒しや除霊を行う神主や巫女職が扱う、玉串を揺らし。
カカカカ!
両手でモフっと掴んだ棒の先、白い紙が花吹雪のように揺れる。
飛び交う魔力の白き紙、幻想的な空間が作られる中。
尻尾がファッサファッサと揺れる。
詠唱も踊りも冒険者たちから見ても謎であったが、たしかに回復の魔術は発動されていた。
光が、アポロシスの街を包んだのだ。
◇
母親の手が、少年の頭を撫でていた。
まだ声は出せないのだろう。
けれども、眺めていた冒険者たちには分かっていた。
生と死の狭間にいた筈の母親エルフは回復していた。
肌には血の気が戻り、魔力と体力の回復も始まりつつある。
魔女の帽子をかぶる冒険者が、少年に頷く。
ぱぁぁぁぁぁっと顔色を明るさ全開にし、少年は母親の手を握りながら。
泣いた。
絶望の涙ではない。
喜びの涙だった。
零れ溢れる涙が、まだぷっくらとした少年の頬を伝う。
母の指が、少年の涙を優しく拭っていた。
「ありがとうっ……っぐ、おぐ、んぐ、ぼんどうに、ありがどうございまず、タヌキ様!」
『よいよい! ここで出逢ったのも何かの縁。巡り合わせであろう! その感謝を忘れるでないぞ? いつか誰かに、感謝を返すと良かろう。その繋がり、その心の連鎖が良き人の世を作るのだからな』
まるで神のようなことを言う魔猫だと。
魔猫イエスタデイが到着するまで治癒をつづけていた冒険者が言う。
「それで、報酬はいくらお支払いしたら」
『ふむ。まあ多くを取ろうとは思わん、なれど――そうであるな。我は家庭料理とやらに興味がある。落ち着いてからで良い、助かった者らが家庭の味だと思う物を奉納せよ。感謝し、心を込め作る料理。それは店では買えぬアイテムであるからな、世界で一つの味。ある意味でダンジョンでいくらでも取れるオリハルコーンやヒヒイロカネよりも貴重な、一品物の宝と言えようて』
「おれの、があちゃんはっ、スープがうまいがら! すっげぇ、すっげぇ、うまいから!」
『それは楽しみであるな。良いか、我は必ず報酬を徴収しにくるからのう。それまでは母親をちゃんと看病し、我に報酬が払えるようになるまでそなたが守るのだぞ?』
かーっかっかっか!
魔猫は得意のドヤ顔で腕を組んで、仁王立ち。
まるで世直し英雄譚の御老公のようだと、冒険者の誰かが冗談を言っていた。
魔女帽子をかぶる冒険者が言う。
「本当に助かりました。料理もよろしいのですが、それだけというわけにはいかないでしょう。報酬の件に関してはこちらからもギルドに掛け合ってみます。それで……えーと、あなたがたは……」
『おう、ヴェルザの街から三日前ぐらいにここについてな。移籍登録をし気分一新の宴の最中に、この少年が駆けこんできてな。この流れというわけだ』
「ヴェルザの街から移籍? わざわざ山を越えてですか?」
それは冒険者にとっては驚くべきことなのだろう。
魔猫と女盗賊は目を合わせて。
はははは……っと苦笑いである。
そこに何かを感じたのだろう。
魔女帽子の冒険者が言う。
「あの、わたしたちはヴェルザの街に向かう途中だったのですが……なにかあったのなら、教えていただけませんか?」
魔猫と女盗賊は隠す必要もない。
そして、冒険者殺しダインに気をつけろという意味も込めて、説明した。
『というわけでな――』
「それは、酷い話でありますね――」
冒険者たちの顔色が変わっていた。
同業者殺しは忌むべき存在。
そして――街を救ったモノからの言葉を疑うものは誰もいなかった。




