第107話、けして魔猫には手を出すな【ダンジョン上層】
【SIDE:蹴撃者アキレス】
ログに表示される個体名、大魔王ケトス。
玉座に鎮座する、外套と王冠を装備する白くてモコモコな異界魔猫。
外来種、いわゆる盤上世界の外の世界から入り込んできた異物たち。大魔王という肩書に戦慄したのは、アキレスを通じて盤上を眺めていた、四星獣ナウナウとその眷属、そして終焉皇帝ザカール八世。
神々や、主君ザカールの動揺を魔力で感じながらも、アキレスは歯を食いしばっていた。
――敵対行動を取っちまった以上は、覚悟を決めるっきゃねえ……っ。
戦士の思考に切り替えた英雄アキレスの前。
仲間だったという事もあり、捕縛用の攻撃を選んでいたロロナとスピカ、存外に甘い二人の女性が声を上げている。
「ちょ!? マジ!?」
「うそ……っ!?」
まともに顔色を変えたスピカから漏れた驚愕。
二人の精神状態は相手のプレッシャーに圧され、怯み状態となっている。
彼女たちの吐いた困惑の息――その吐息に乗るかのように、蹴撃者アキレスは前屈みになり神速の突撃。
魔力を含んだ土煙が、大魔王ケトスが放ち続けている黒い謎のモヤを散らしていく。だが、黒い靄はまるで、氷菓を冷やす魔力煙のように、モコモコとした闇を生み出し続ける。
アキレスにはこの黒い靄の意図がまったく読めなかった。
黒い靄を鑑定しても、このモヤによるフィールド効果は皆無。
本当に、ただのイミテーション。玉座の周りを黒い靄で包んで、それっぽい演出をしているようにしか見えないのだ。
――だが、そんな筈はねえ。デバフか? いや、それとも召喚儀式の準備段階という可能性もある。鑑定は――百パーセント判定にしても、ただのモヤ。演出の霧としか答えがでねえっ。
人間として最高峰の英雄が、狼狽の中で叫ぶ。
「っち! 怯んじまうぐらいならっ、勝手に攻撃してんじゃねえっての!」
「アキレス殿!」
「分かってる! 始まっちまったもんはしゃあねえだろう! 猛将女、てめえもこっちの攻撃に合わせな!」
「心得た――!」
猛将マイアは頷き――緊張に汗を滴らす顔を尖らせ、大きく息を吸う。もはや始まってしまった戦いに覚悟を決めたのだろう。
赤髪をぶわりと魔力で揺らし、瞳に魔王軍幹部としての覇気を込め始める。
「怯むな、ロロナ! 黒い靄の正体が分からぬのなら――、打ち消してしまえばいいだけの事! 我等は魔王陛下の右腕、ここでの敗北はあの方の御名を傷つけることと知れ!」
八尾の鞭をしならせた猛将マイアはアイテムを散布、周囲全体に発生する支援効果の霧を展開。
大魔王ケトスの玉座の後ろから発生する、黒い靄をかき消していく。
黒い靄を消された大魔王ケトスが、玉座の手すりで顎肘をつき――すぅっと赤い瞳を細める。
『魔王陛下、ねえ。まあ世界が違うのだから仕方ないけれど、まさかあの方と同じ御名を名乗る存在がいるとは。いささか不快だね』
「ざけんなよっ、勝手に人の世界に入り込んでいる奴の言うセリフか!」
霧の中。
多重分身するほどの神速で、質量をもった残像を生み出しアキレスは跳躍。
足跡がそのまま魔術文字となり、舞踏詠唱による強化自己バフが発動されていた。
魔猫ケトスがモフ毛をぶわっとさせ、興味深けに身を乗り出す。
『へえ、面白いじゃないか。ステップによる詠唱、ワタシたちの世界の陰陽師が使う《禹歩》に似ているね。文字そのものに魔術効果のある《ルーン文字》との類似性も感じられる。楽園の神々によりこの世界が遊戯世界へと改造されたときに、北欧系の魔術体系を取り込んだという事かな』
「余裕ぶってるんじゃねえっての! 砕けろ――!」
まずは座り続けるだけで体力と魔力を全回復し続ける、謎の《偉そうな猫玉座》から落とすしかない。
なのだが――。
アキレスの常人では影すら捉えられぬ攻撃を、魔猫は玉座の上に乗ったまま、ヒョイヒョイヒョイ♪
空飛ぶ玉座を制御し全てを紙一重でかわしていく。アキレスの足踏みによりバフが乗った分身、その英雄魔物すらワンステップで押し通す多重攻撃を――重たい玉座を操作し避けているのだ。並の技量ではない、いや、神域の技量であることは明白。
魔力で浮かべた杖すら使わず、魔術すらも使わず大魔王はアキレスの全力を児戯とばかりに受け流しているのだ。
頬に汗を浮かべたアキレスが、分身による連撃を繰り返しながら唸りを上げる。
「ちっ――、どうなってやがるんだ、こいつ!」
「そのまま時間を稼いでくれ英雄殿――生半可な攻撃では効きもしないだろう、大魔術で一気にしかける!」
猛将マイアは決意した顔で、雄々しい悪魔角に雷を纏わせる。
角に魔力を溜め――アイテム空間に手を伸ばしていたのだ。その腕に握られていたのは――、一冊の異界魔導書。それも明らかに通常の異界魔術とは別格となる魔導書だと、すぐに分かるほどのオーラを纏った逸品。
アキレスの瞳には、それが四天王が魔王陛下から預かっている切り札であると理解できた。
「一分はもたせる――!」
「三十秒で構わぬ! わたしの詠唱速度を舐めるな、英雄――!」
過剰なバフによる弊害。分身一体一体が舞踏詠唱で本体から魔力を奪う影響だろう――英雄アキレスが鼻と口から血を垂れ流す程に駆け、全力で玉座破壊を狙う中。
マイアは仲間を信じ詠唱を開始していた。
その手に乗せた炎の書が、ゴゥっと火を吹きだす。
前衛も後衛も可能な万能職であるマイアの唇が、高速詠唱を紡ぎだす。
「其は無限煉獄の中で揺蕩う皇子。荒ぶる炎の機神男。邪悪なる王の子にして、偉大なる精霊王の子。汝、その炎舞の瞳に宿りし――」
猫の耳が、ピンと立つ。
大魔王ケトスの瞳が、驚愕に開かれる。
『ほう! その詠唱は《炎帝皇子》のグリモワールか。もう一人のワタシの子の力を借りた魔術とみえる! 異神の力を借り受けるこの世界の大魔術体系、異界魔術。実に興味深い、が。そうだね。それを喰らって装備が焦げても困る――だから。真面目に対処させてもらうよ』
大魔王ケトスが猫目石を輝かせる禍々しい杖の底で、影を叩き。
トントン。
ようやく魔猫側から、まともなスキル発動が確認された。
『猫魔獣奥義、《窃盗》!』
一瞬だけ影の中に溶け込んだ大魔王が、緊急転移。
影から顔だけをニョコっと出して、ニヒィと悪戯ネコの顔。
そのまま詠唱するマイアの魔導書をペチ!
「なっ……!?」
『甘いね、駄目じゃないか。ちゃんと影転移を封じておかないと、キミの失態だよ四天王さん』
叩き落とした魔導書を確保し、そのままスタコラさっさと回収。
玉座に戻って、ドヤァァッァァア!
なんてことはない、盗賊系統も扱えるただの窃盗である。
むろん、その効果は忍び寄るネコという属性と合わさって、とんでもない効果範囲と対象となっているのだろうが。玉座の上でお尻をフリフリしながら、大魔王猫が踊りだす。
『ブニャハハハハハハ! 甘い、甘すぎる! これはもうワタシのものだ!』
「しま……っ」
「だぁあああああああぁぁぁ! この魔族女、伝説級の魔導書を奪われるバカがどこにいやがる――!」
慌てて魔導書を取り戻そうとするアキレスを、やはり肉球で軽くいなし。
魔猫が、ニョホホホホホっとチェシャ猫スマイル。
『駄目だね~、キミ達……ィ。絶対に壊れない不壊属性は付与していたみたいだけど――大事な魔導書にはちゃんと窃盗耐性と食事耐性もつけておかないと、こうして盗みが得意な敵に奪われてしまうかもしれないし。破壊耐性があったとしても、食べられちゃったら終わりだからね?』
告げた魔猫が、魔導書を自らの影の中に落とす。
魔猫の影がフロア全体に広がり、クハハハハハハハハ!
巨大な魔猫の影がくわっと口を開けて、ぱっくん! モグモグモグ。
《異界皇子の炎帝大魔導書》を丸のみにしてしまったのだ。
しかし。
そのタイムラグを利用していた仲間がいたのだろう――。
魔猫が首のモフモフを蠢かし、ハッと後ろを振り返る。
『んにゅ!?』
「油断大敵ね、ネコちゃん!」
まず拷問拳闘家のロロナの拳による地面破壊攻撃が、周囲の闇を蠢かし――ニヒィ!
闇属性の衝撃を大地から発生させ――。
更に――鉄拳により浮かんだ大地に、手を胸の前で合わせた精神集中状態のビスス=アビススが魔術文字を刻印、状態異常攻撃をふんだんに練り込んだ《疫病の土槍》を、大地から無数に顕現させていく。
「踊り、貫け――大地よ」
「クソネコがっ――女魔族舐めるんじゃねえぞ、こら! ははははは! その首、ねじ切ってやるよ!」
嗜虐者としての本性を現すロロナが、大地の槍の中に継続ダメージを発生させる重力魔術を撒き始める。
ビスス=アビススとの連携に更に連携が発生。その直後――。
狙い澄ましたスピカ=コーラルスターによる面制圧を意識した散弾の矢が、連続投射される。
「アキレスさん! お願いします――!」
「任せな――!」
連携による広範囲多段攻撃を確認して、アキレスがそのまま突進。
矢の雨を駆け――疾風神馬のように駆けた蹴撃者は、魔猫の腹を目掛けて致命的な一撃を放っていた。
避けようのない一撃。
魔猫が放った周囲の闇を切り裂いて、それは一筋の光となって襲う。
「貰ったぁあああああぁぁ――!」
確率を百パーセントに操作することによって必殺必中となった、神速の跳び蹴りなのだろう。
その一撃は大地神すら屠る攻撃であった――。
が――。
アキレスの表情が、凍り付く。
大魔王ケトスは、嗤っていた。
『すばらしい! いい連携だ! これなら神々との戦いにおいても、足元の先程度には届きうる。ダメージぐらいは与えられるだろう。でも、相手が悪かったね。魔猫には絶対に手を出すなと、言われていないかい? キミたちの事は嫌いじゃないけれどね、さすがにあの方から授かった装備を穢されるのは、うん。看過できないよね? だから、ペナルティーだ』
言って、魔猫は肉球の壁を展開。
百発百中ゆえの誤算。スキルによって確定させた運命のせいで、もはや止まれぬアキレスの瞳には――その肉球の壁の効果が見えていた。
魔術効果は、反射。
いわゆる、攻撃反射の魔術だと推測できる。そして、その規模は――絶大。攻撃を数十倍にして反射すると観察眼が読み取っていた。
冗談みたいな反撃倍率だが、何度チェックしても同じ答えが返ってくる。
不老不死のアキレスだけはどんな攻撃を受けても、最終的には滅びない――が、ほかの存在は違う。
アキレスが叫ぶ。
「返される! てめえら――、伏せろ!」
『大丈夫、ワタシは魔猫だ。この世界の法則に能力が引っ張られようと、回復は得意としているからね。ちゃんと蘇生してあげるよ。だってここは、魔猫だけが蘇生魔術を扱える世界なんだから、ねえ?』
大魔王ケトスが告げた直後。
キイィィイイイイイイィィィン……!
音がした。
「――……っ!?」
「退け――力。戻れ魔力、《在りし日の邂逅》へと」
瞬時に何かが転移しやってきて、アキレスの蹴撃を掌に浮かべた魔力で受け止めている者がいたのだ。
大魔王ケトスではない。
だがアキレスの必殺必中の技が、時間逆行魔術の効果により分解されている。
観察眼に映る魔術名は、《回帰》。
アキレスも知らない魔術である。
反射される前に攻撃を防いだのは――銀髪の美しい顔立ちをした絶世の美青年だった。
見る者に畏怖を抱かせるその装備は、儀礼服を身に纏った皇帝のソレに近い。
人間味の薄い、まるで神話芸術の中から抜け出たような、神秘的なその存在は――。
猛将マイアが珍しく狼狽した顔を見せ。
肌に浮かべた汗に、赤い髪を張り付けながら叫んでいた。
「ま、魔王陛下。どうして、こちらに――!?」
そう、顕現してきたのはこの世界の魔王。
アルバートン=アル=カイトスであった。




