第105話、鑑定能力―願望と詳細―【ダンジョン上層】
【SIDE:神父ニャイ】
盤上遊戯が開始された世界。
かつて戯れていた四星獣が本気で眺め始めた盤面。
楽園への道を彷彿とさせるダンジョン上層を進む一行の中で、全てを見通す、文字通り神の視線でニャイ神父は考えていた。
仲間には四星獣の分霊と誤解されているが、あえて解こうともせず――ニャイ神父は美貌に微笑みを湛えていたのである。
熟練の戦士たちや世界そのものを見渡し、白くてふわふわな尻尾を左右に振る。
神父は冷静に分析していたのだ。
――死した駒を召し上げた四星獣の眷属たち……。戯れる暴君、四星獣ナウナウが配下――智謀に長けた饕餮ヒツジや、破壊力に特化した山羊悪魔。不死たる炎の鳥シャシャ。四星獣ムルジル=ガダンガダン大王の眷属としての力の加護を一点集中で受けている、彷徨う殺戮令嬢クローディア。世界管理者ネコヤナギが盤上世界をヌートリアから守るために契約を交わした、魔君アルバートン=アル=カイトス。全ての命の始まりともいえる四星獣イエスタデイ=ワンス=モアが恩寵を与えた千年幼女マギ。そして終焉スキル取得者を束ね、力とできる終焉皇帝ザカール八世。彼らは確かに強い。けれど、おそらく楽園の神々が本気で送り込んできた神性存在とは、ほぼ互角。相手が複数となると圧されてしまうだろう。そして――。
ニャイ神父は現状での盤上世界最強候補たちの戦力、今の仲間を見て。
――たしかに、この子達もそれなりには強い。けれどそれはあくまでもこの盤上世界ではの話。個の強さで神々の戦いについてこられるのは、おそらく一人だけ。それでもパーティとなれば外来種の神たちにも対抗できるだろう。しかし……異常に平均レベルの高いこの大陸以外の場所は――圧し負ける可能性がかなりある。魔猫が住まう北部はネズミに対しての”特効効果”が働いているので、大丈夫だろうが……。
本来なら十分以上に成長しているのだ。神に勝てない事実はけして恥ではない。
けれど実際に今、この世界は汚染されている。
ヌートリアが盤上を喰らっているのだから、仕方がない。
更に神父は考える。
――四星獣にして世界管理者、異聞禁書ネコヤナギの幹にはこの記録も登録されてしまうだろう。もちろん意図的に隠すことや、魔力で偽装したログを登録させることも可能だが。偽装なしでそのまま行動すると……何を考え、どんな行動をしたのかも全て――世界管理者に観測される時点で記録されてしまう筈。故に、あまり深くを考えることも危険。しかし――それを逆に利用すれば、言葉も伝えられる……か。
神父は観測されていることを理解した上で、この世界について深く知るべく動いていた。
猫しっぽをファッサファッサとさせながら、ネコの瞳で全てを正確に観測していたのである。自らの情報も筒抜けとなってしまうが、問題ない。それは強者の余裕。知られても構わないと判断していた。
そして、少なくともニャイ神父はこの世界を守ろうとも考えていた。
理由は二つ。一つはこの世界を覆っているヌートリアは本来、この世界とは無関係な存在。楽園が滅んだ時に消えているべき存在であること。ようするに神同士の争いの残党を、この世界に押し付け放置するのは違うだろうと考えていたからだ。
そして理由のもう一つは、この願いを叶える性質のある盤上世界が奪われてしまうのは、ニャイ神父としても困ってしまうからである。
迷宮の中。
神父は適当に戦いながら、自分たちのパーティを《大邪神の瞳》で鑑定する。
人間の男、この中で一番強い英雄アキレスに付与されている神の恩寵は――《不老不死》に《運命操作》。それと《駒破壊》。世界によって魔術やスキルのルールが違う。名前は違うかもしれないが、おそらくそう遠くないモノだろう。
おそらく既にニンゲンを辞めている。
駒自体も特殊。異界神話における半身半神の英雄をモデルとした、一種のレア駒だと認識できる。
この中では一番強い。恩寵と成長のおかげか、単騎で神にすら届きうる攻撃能力と防御能力を有している。弱点は明白。蹴撃という特性上、範囲攻撃をあまり得意としていないことである。
冒険の目的は願いの代償に魔猫となってしまった仲間、或いは家族を元の人間へと戻すこと。そのために願いを叶える力を持つムルジル=ガダンガダン大王を探している。
おそらくダンジョン塔の最終決戦で、仲間の誰かが自らを犠牲とした。勝利のために魔猫イエスタデイに願い、その身を最強種族たる魔猫へと変貌させたのだろう。
願いを叶える魔道具:四星獣。その願いの代価で魔猫となったのなら、本来なら絶対に元に戻すことはできない。それはこの盤上世界最強と断言してもいい魔猫、イエスタデイ本人であっても不可能。既に叶えた願いの代価なのだ。もしそれを覆せば代価を失い、その願いそのものがキャンセルされ歴史改竄が起こる可能性もある。
逆説的に言えば、願いを覆せば勝利が敗北。
つまり全滅へと変わってしまう。
だから治せない。
今も北部は、地獄のような背水の陣を強いられていたことだろう。
しかし、何事にも例外は起こりうる。
どんな願いでも莫大の対価によって叶える存在、金銭こそが全てであると、生前の人生を呪いのように肯定するムルジル大王。良き行いを行ったモノには相応の良き願いを――と願いを叶える魔猫イエスタデイとは違う論法で”願いを叶える魔道具”ならば話は別。より高価で価値ある代償が必要となるが、願いそのものを維持したまま魔猫化した姿を人に戻せる可能性はゼロではない。
そしてゼロではないのなら――彼はその確率を百パーセントに固定することができる。
だから彼は、金さえあれば願いを聞き入れるムルジル=ガダンガダン大王をどうしても必要としているのだ。
次に神父は拷問拳闘家に目をやる。
名はロロナ。おそらくこの中では凡人と言わざるを得ないだろう――、単純な強さなら下から二番目、特筆すべき点はあまりない。状況や法が許す範囲でなら、快楽で人を殺すことも痛めつけることも問題ないと判断する、快楽主義者とも推察できる。
そのカルマ値の低さに、ニャイ神父はあまり好感を持つことはできなかった。
今の神父は理由なく弱者を痛めつける存在を軽蔑していたのである。
ただ一応、法や状況が許さないならば快楽よりも規則を守る分別はあると断定できるので、軽蔑はしても侮蔑まではしていなかった。魔王軍を名乗っている者たちが、どうしても汚い仕事をする場面では彼女のような存在を使っているのであろう。
いわゆる必要悪を自覚し、その役割で動いていると理解もできる。
彼女の目的は、ひそかに思いを寄せているアヌビス族の男と一緒に居たい。
ただそれだけ。
弱肉強食を是とする魔族の中で、一流の戦士として育つまでに彼女の中でも多くの試練があったことだろう。生きるために、嗜虐者としての彼女の人格は形成されているのだ。
カルマ値が極端に低い反面。この中では一番ピュアで、現実的な願いを秘めている存在でもある。ニャイ神父は彼女のその心だけは本物で、尊きモノだと見守っていた。
そのまま神父は猛将マイアに目をやった。
この中ではアキレスの次、二番目に強い存在。職業は神父も初めて把握した、盤上世界特有のレア職業、《魔軍教授》。
前衛も後衛も、中衛もこなす万能型。教師という職業柄、他者にスキルや魔術、戦い方を教える能力にも長けている。教師の才は本物。並の教師が教える状況と比べ、彼女が教育した教え子には一定以上のボーナス効果があると予想されるか。能力自体はバランスがとれていて全体的にステータスは高め。ただレベルに比べ知力がやや低く、脳筋気味だということが欠点であるが――その欠点を本人も自覚している。
なんでもできるが、器用貧乏。
神器の八尾の鞭を使いこなせているとはいいがたい。
色欲の魔性フォックスエイルの武器ならば、本来ならもっと魅了や誘惑、精神的な攻撃が可能な筈なのだが――神器に秘められたアビリティを引き出せていない様子である。
八尾の鞭を、本来の意味で使いこなせるのならば、格上であるアキレスにも勝てる可能性はあるが――単純な戦力では彼と比べ、二段階は下と判断せざるを得ないだろう。
願いは魔王アルバートン=アル=カイトスの役に立つこと、それが表の願い。
本音でもあるが、もし自分の願いを叶えるとしたら――それは妹の仲間だった男の蘇生。妹の仲間はまだヌートリア化が発生するより前の段階で、外来種に憑依された哀れな犠牲者でもある。妹は憑依され死んだ男の死を悲しんでいる。
おそらくそれは、姉だからこそ気づいた儚い恋心。
彼女は妹の想い人を取り戻すため、今、ここにいる。
そして、この中で最も弱いが伸び幅がある人間。
それが英雄たちの血族、この世界で発生した二重職業を会得している少女スピカ=コーラルスター。
彼女に大きな願いはない。
まだ若いという事もあり、まだまだ成長する可能性の高い存在と言えるだろう。
そのコンプレックスは英雄の末裔という事か。
いつでも彼女は英雄の血筋であることを求められた。かの大英雄アークトゥルスのように弓の達人となれ、かの大英雄カレンのように魔術の達人となれ。少女は幸か不幸か、弓と魔術、どちらの才能にも秀でていた。一族で一番、才覚に溢れていた。
それがいけなかった。
だから一族は分断されてしまった。彼女の家系は弓と魔術で派閥が二分されていたのだ。その亀裂をもはや覆い隠せぬほどに肥大させてしまったのが才女、まだ十二歳の頃で一族最強の弓使いで魔術使いとなった彼女。
弓と魔術に別れ毎日、毎日、毎日。毎日。身内同士を罵る家族を見ていることができなくなった。
少女は嫌気がさし、家を飛び出した。
それでも彼らは追ってきた。ああ、ここにいたのかスピカ。さあ、弓をとれ。あの山を撃て、川を穿て。大丈夫、おまえなら全てを射抜く才がある。いいえ、スピカちゃんは魔術のお勉強をしましょう? 山を燃やしましょう。川を蒸発させましょう。あなたならそれができる。
だって、あなたは――、一番、かの英雄の才覚に近い、天才なのだから。
実の親なのに、彼らは少女の心を見てなどいなかった。才能しか、愛していなかった。
そもそも親たちは互いに互いを愛していなかった、血が濃くなりすぎない程度ではあるが、英雄の血筋を維持するための一族同士の結婚だった。
あくまでも英雄の血筋、弓の腕と魔術の腕を保つために子供を作っただけだったのだから。
うんざりだった。もう付き合っていられなかった。だから少女は年齢を誤魔化し旅に出た。
結果として、少女が十五になった時、既に並ぶ者のいないほどの弓と魔術の才覚を覚醒させていた。
前述したが、彼女に大きな願いはない。
しかしわずかな願いなら存在した。
願いは――。
家族が仲良くなってくれますように……である。
仲間たちを見渡し、その事情と願いを確かめながら神父は最後にアヌビス族を見た。
ビスス=アビスス。
才覚に溢れた魔族の若者である。強さだけなら上から三番目。真ん中。けれど、この中で一番冷静で周囲を見ることができる男でもある。
この盤上世界の駒において、その名にもある程度の法則が存在する。韻を踏んだり、反復する場合、その多くが魔術やアイテム創作者の才能に長けた存在となっている。職人系の駒によくあらわれる特徴だと、神父は既に把握していた。ビスス=アビスス。その名もまた魔術系アイテム職人としての才に長けた、特殊駒の特徴が確認できる。
魔族へと進化する前の魔物名はアヌビス。
魔物側の切り札駒である英雄魔物アヌビスの子孫なのだろう。魔族でありながらカルマ値が善よりにかなり高い。英雄魔物という存在が騎士道精神を持ったボスだったからだろう。
そんな彼の願いや性質を分析しようとしていたニャイ神父であったが――。
ジャッカルの瞳が、睨み返してきていた。
明らかに疑っている瞳である。
あえて誤認させる情報のみを流すことにより――四星獣イエスタデイ=ワンス=モアであると、皆が信じ切っていたはずなのに。
犬歯を覗かせるビスス=アビススの口が、上下に動く。
「で、そろそろ教えてはくれねえか。神父さん、あんた――何者なんだ?」
指摘されたニャイ神父は、静かに微笑んだ。
気づいた者がいた、観察眼に優れたアキレスですら誤魔化せたのに、論理的に疑う者が出た。その事実は困るが喜ばしい事でもある。
だから駒に化ける神父の端正な唇からは、感嘆とした息が零れていた。
神父は考える。
さて、どうしようか――と。




