第010話、新拠点の救い手【SIDE:魔猫イエスタデイ】
【SIDE:魔猫イエスタデイ】
女盗賊と猫がアポロシスの街について三日が過ぎていた。
山越えの果てにあった街は人手不足という事もあり、二人を歓迎。
無事にギルド登録まで済ませていた。
時刻は朝。
酒場も兼ねたギルド食堂。
湯気を吹かせるブロッコリーの塩気を感じながら、ココアをぶちまけたような白い毛布がぶわぶわっと揺れていた。
ただしそれは、実際には毛布ではなく、タヌキのような顔をしたネコ。
やはりタヌキのようなモフモフで丸い尾が特徴的な。
ラグドールと自称する魔猫イエスタデイであった。
潰したエビと玉子から作られたソースにブロッコリーを浸し。
手の先まで丸い魔猫が言う。
『メザイアよ、野菜もきちんと摂らねば栄養が偏ると聞くぞ。そなたも肉ばっかり齧っていないでちゃんと温野菜も取ると良かろうて』
「えー、やっぱり同じお金を払うなら栄養になる肉を取った方がいいんじゃないの?」
銀に輝くフォークで”マトンの柔らか肉”を刺し、メザイアは仄かに香る胡椒を楽しみつつパクリ。
そう、二人は食事中だったのだ。
ようやく落ち着ける場所についたのだろう。
『ふむ、そういう見解もあるか。確かに残り費用でどれだけの栄養が摂れるかを計算した場合、そなたのいうように肉を選択することも一つの真理。おぬし、さては肉の賢者であるな?』
「いや、なにいってるの? わりと本気でちょっと意味わかんないわよ?」
『つまりだ。我らの残りの金でどれだけの栄養を買えるかを考えた場合であるな――金貨一枚で肉を十単位買えるのならば、金貨一枚でどれだけの野菜を買えるかとだな――』
「ああ、もうまた難しい話でしょ。いいわよ。ここで稼いでガバッと美味しい料理を楽しめば問題ないわ」
女盗賊は脳筋。
そう呟きながら、ぶにゃははははは!
二人は食事を楽しんでいる。
そこに一つの影がやってきた。
静かな歩みは武芸を極めた者の証。
ナイフとフォークを黒足袋色のネコ手で握っていた、イエスタデイの丸っこいしっぽが揺れる。
追加の料理が置かれたからである。
『これ、テーブルを間違えておるぞ。我らは頼んでおらんのだが?』
「メザイア様に魔猫様。受付執事のダニエルでございます。こちらは当ギルドからのサービス。どうぞ、ご遠慮なく」
と、野菜と肉のパラダイス状態の大皿を、テーブルに乗せたのは長身の耳長男。
ギルドの受付執事である銀髪褐色肌の紳士的なスタッフであった。
ハーフエルフのダニエルは、表情の読めない笑顔を浮かべながら退散する。
他人を信じることに躊躇があるのか。メザイアは少し警戒する。
だが魔猫イエスタデイは違った。
黒いモフ手が構わず皿にうにーっと伸び、鶏の唐揚げを掴んで、一口。
肉球についた脂を舐めながら言う。
『やはりまだ他人は信用できんか』
「ごめん……やっぱり、あたし、あいつらの事がどうしても忘れられないんだよ。いまだに夢に見るのさ。まあ、こんな時だけ女の子ぶるつもりはないけど、ちょっとトラウマになっちゃってるのかもね」
『あの男、ダインといったか……ではおぬしを助けようともしなかった、街の他の連中はどうなのだ?』
「そりゃあ、ちょっと……は、ムカついてるけど。あいつらほどじゃないし、もう帰るつもりもないから、別にいいけど――ダイン達だけは別。もし殺していい場所であいつと出逢ったら――」
メザイアの瞳には、憎悪とも違う決意がにじんでいる。
『ログに残るぞ?』
「そうね……あたしだけじゃなくって、殺された皆のためにも? みたいな? そういう部分もあるかもだけど。ちゃんと証拠を掴んで、必ずその罪を認めさせるわ」
『ふむ、それもまた一つの答えと言えよう。まあ……ああいう連中はいつか必ず報いを受けると思うがのう。悪事を働いた分だけ、必ず他者からの反感や不興を買う。今のそなたが恨んでいるようにな。そのツケがいつか、奴らの臓物を食い破る日もこようて』
と、ほくほくウインナーをぶちゅりと噛みちぎり、イエスタデイ。
その視線が会話を聞いている受付執事ダニエルに移る。
『というわけだ。ダインという男が来たら、警戒することを勧めるぞ』
「おっと失礼……聞いていたのがバレておりましたか」
メザイアの視線が光るが、イエスタデイが言う。
『心配せずともよい、こやつのサービスは打算塗れではあるし、盗み聞きもしておったが――悪意はあるまいて。メザイア、そなたの盗賊としてのスキルに期待しておるのだろう』
「おや。どうしてそう思われるのですか?」
『ギルド登録の際にスキル権限を確認しておっただろ? その時にそなたの心音が明らかに速くなったのでな。我にはギルドの仕組みはよく分からぬが、上級冒険者が移籍すると、ギルド全体に得があるのであろう? どうであるか?』
腹筋の前で静かな拍手を打った受付執事ダニエルは、にっこりと商売人の顔。
「お見事でございます、あなたもさぞや名のあるネコ様でいらっしゃるのですか?」
『それほど大したことはない。まあ、長く生きてはおるから耳年増ではあろうがな』
「あなたはギルド登録をなされないので?」
『ま、気が向いたらな』
「いつでもお待ちしておりますよ。優秀な人材はいつでもウェルカムでございますので」
牙で甘ダレのチキンレッグを食いちぎりながら、イエスタデイは何の気なしに口を開く。
『まあこの馳走の事は未来永劫忘れぬ。本当に困ったことがあれば、我に声を掛けよ。我に可能な事ならば、その声に応えてやってもよいぞ! うにゃはははは!』
その時だった。
空気を変える叫びに近い声が、ギルド内に響き渡った。
「お願いだ! なあ――! 頼むよ!」
皆の視線が移る。
悲痛な叫びに尻尾を揺らし、魔猫が言う。
『なんであるか?』
「いえ、ワタクシは把握しておりませんが――見たところ緊急依頼でしょうか」
カウンターの前にいるのは、十歳前後の子ども。
少年は心臓部分の服をぎゅっと掴んで叫んでいた。
「お願いだ! 回復薬を売ってくれよ! 金なら、後で絶対。なにをしてでも払うから! 母ちゃんが、母ちゃんがもう危ないんだ!」
悲痛な叫びだった。
けれど受付にいるエルフの女性は、首を横に振って、ぎゅっと拳を握っている。
断られているようだと察したのだろう、イエスタデイが首を傾げる。
『あの少年はなぜ道具屋や魔道具屋に行かぬのだ? ギルドに依頼するよりも手っ取り早く入手できるだろうて。まあツケというのはどうかと思うが、母が危ないのならば、誰かが手を貸すだろうに』
「……。今このアポロシスの街では回復薬の在庫がほぼゼロなのです……」
ダニエルは無力さを知るモノの顔で言っていた。
メザイアが頬にハンバーグソースをつけながら口を挟む。
「ゼロって……なにかあったの」
「実は先日、ダンジョン塔から大規模な魔物の進軍がありまして……なんとか塔の周りで魔物を討伐はできたのですが、被害は甚大。最後の防衛は騎士達で行われました、文字通り、回復薬を使い続けて肉の壁となったのです。騎士たちが回復薬で耐えている間に、狩人や魔術師が遠距離からの攻撃で倒したのですが……」
「なるほどね、それで……使い切っちゃったってわけか」
「ワタクシがあなた方にサービスで出したこれも、襲撃の影響といえるでしょう。可能な限り戦力を引き留めておきたい……そういう意図もあったというわけですね」
「って!? もしかしてまた近いうちに襲撃があったら」
「ええ、アポロシスの街は終わりでしょうね」
事実を告げるハーフエルフの顔は穏やかだが。
それはあくまでも接客のプロだからこそ表面上を取り繕っているだけだろう。
『おぬしの足の動きが少々ズレているのは、その襲撃の影響ということか』
「おや、凄いですね。気付かれましたか――これでもワタクシも騎士の称号を得ておりますので」
この街の事情を察したのだろう。
イエスタデイが、少年に声をかける。
『そこの小僧! 許す、近こう寄れ』
「な、なんだよ! このタヌキ!」
『にゃははははは! タヌキとは、言うではないか!』
受付執事ダニエルの顔がぎょっとこわばったのは、見込みのありそうな魔猫をタヌキ呼ばわりしたからだろう。
『案ずるな、人と精霊の狭間の子よ。我はトモダチキャットと違い、子どもの発言に気を悪くするほど短気ではない』
「心遣いに感謝を……。少年、申し訳ないが……本当にギルドにももう在庫は……」
悔しさに眉を顰めるダニエルの言葉を遮り。
モフっと丸い口が蠢き話す。
『おぬしらはツイておるな。我、回復薬なら売るほど持っておるぞ?』
ギルド内、全員の視線が魔猫のモフ毛に向かっていた。




