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好きになりたかった

作者: ユキ


「あなたのことが好き、です」

バイト終わりの帰り道、隣にたたずむひとの口から出た言葉。

「付き合ってください」

彼女の頬が高揚している。白い息がふわりふわりと浮かんでいく。

対して僕は硬直していた。うまく考えられない。少し開いた何かを言おうとした口はうまく言葉をつくれず、開いたままだ。


「あの、その、返事はいつでもいいから!じゃあね!」

沈黙に耐えられなかったのだろう。彼女はそのまま走り去ってしまった。彼女の手をつかもうとした僕の腕は空振り、宙ぶらりんになる。無様だ。一部始終を見ていたサラリーマンが気まずそうな顔で横を通る。寒空の下、僕は何とも言えない気持ちで立ち尽くしていた。

彼女、愛菜さんはバイト先の同期である。平均身長よりも少し低い背丈。短く整えられた茶髪。栗色の瞳が特徴的な女性だ。

彼女とは帰り道がほぼ同じということで一緒に帰ることが多かった。だから彼女と必然的に話す機会が多くなる。

彼女は僕が今まで話をした中でも群を抜くほど聡明な女性だった。僕が全く興味なかった分野について、懇切丁寧かつ分かりやすく教えてくれたこともある。自慢じゃないが僕は人よりも本を読む。偏りは多いがそれでも人並みに知識はある方だと自負している。彼女も本を読んでいた。そして自分の知らない分野に対しては非常に謙虚で前向きに勉強するタイプの女性だった。

僕は彼女を心の中で尊敬しており、一人の友人として一目置いていた。それは彼女も同じだと思って接していたが、どうやら違っていたらしい。

家に帰り荷物を放り投げてベッドに倒れこむ。どさりと重い音を立ててベッドのクッションが歪む。少し雑に倒れたからか、ぎしっと嫌な音を立てた。

ふと思う。

いつからだったのだろう。

いつから彼女は僕に恋心を抱いていたのだろう。

記憶をたどってあれこれと考える。けれどどれも推察の域を出ない。僕がどう考えたって彼女は僕を好いているというのは事実なのだ。それまでの結果を考えたって意味がない。

返事…をどうするか。

まず僕はそれを考えた。彼女になんて答えればいいのだろう。何が正しい答えなのだろう?好きなら好きっていえばいいのかもしれない。でも僕にはそれができない。


だって、僕には、恋愛感情がないのだから。


僕が最初の違和感に気付いたのは高校生の時。同じクラスの女子に廊下で告白された時だった。みんなが見ている前での堂々の告白。正直面食らった。その子のことは好きでもないけど嫌いでもなかった。そもそもほとんど会話なんてしてなかったから好きも嫌いもなかった。

でも彼女は本気だった。そして周りが見ている中で告白したら、みんなが彼女に味方するだろう。僕は断ろうにも断れない雰囲気で、一週間だけという期限付きで了承した。

しかし、今となっては普通のことだが、付き合っても僕には何の感情もわかなかった。彼女とは何もかもが違った。好きな食べ物も、好きな本も。何もかもが違いすぎたのだ。そんな彼女に友人としての感情も生まれなかった。勿論、恋愛感情も生まれなかったが。僕はどうしたらいいのかわからなかった。そしてある日彼女に言われたのだ。

「どうして付き合っているのに何もしてくれないの?」

どうしてもこうしてもない。僕は君になんの感情もわかないんだ。そう伝えたら彼女が泣きながら僕に怒ったのを覚えている。


「だって私たち付き合っているでしょ。少しぐらい特別に見てよ」


そんなことを言われても、どうしろっていうのだ。なんでなんの感情もわかない人を特別扱いしなくちゃいけないんだ。僕は途方に暮れてしまい、泣き叫ぶ彼女をなだめることしかできなかった。そして僕たちの関係は終了。本当に一週間で終わってしまった。

それからがひどかった。彼女は理性の箍が外れたように口を悪くし、僕を悪者扱いして、友人たちに僕がいかにひどい人間かを言いふらしたのだ。僕のあることないこと全部捏造して、自分は悲劇のヒロイン気取り。

僕はわけがわからなかった。そもそも彼女になんの感情もわかないのだから、どうしようもなかった。周りに流され、付き合わされたこちらの身にもなってほしいくらいだ。それに付き合ったからといって何をすればいいのだろう。何が正しい行為だったのかも今もわかっていない。

それから僕は自分に違和感を覚えた。この僕の失敗談に関してもそうだった。例えば友人とこんな会話をしたのだ。


「付き合っていたら少しは好きになるだろ。情がわくってやつ?」


「どうして?」


「どうしてって…。お前本気で言っているのか?」


いまだに友人が何を言わんとしていたのかがわからない。だから当時の僕も純粋な疑問として友人に投げかけた。結局あきれられただけで答えはわからなかったけれど。しかしどうやら僕は普通ではないことはわかったのだ。

僕は恋愛に関しては興味が薄い。無いといっても過言ではないだろう。

この事件を発端に僕は恋愛小説だとか、恋愛漫画だとかを読み漁った。何が正しいのか判断するために。けれどどれもわからなかった。主人公がヒロインに恋をする。(逆のパターンもある)でもなぜ好きになるのかがわからない。僕はわからないまま話を読み進めていく。読み終わるころには頭の中は疑問で満ち溢れていた。

理解できないのだ。友情が恋に変わる瞬間がわからない。異性にときめく瞬間がない。恋愛の話を聞いても共感できない。

当時純粋だった僕はこのことを友人たちに打ち明けたことがある。その時に言われた言葉はいまだに忘れられない。

「なんかロボットみたいだよな。心がないみたいな」

それがどれだけショックだったか。僕はこうして自分に欠陥品の烙印を押すことになった。

それから僕はいろんなことを見た。経験した。けれどこと恋愛に関しては何もわからないまま僕は生きていくことになった。


そして時を今に戻す。僕はスマホを握りしめたままベッドに横たわっていた。僕は断らなければならない。それが正しい答えなのだろう。けれど、それで彼女を傷つけたくはなかった。彼女は大切な友人だ。きっともう今までのような関係は続けられないんだろう。それは寂しいことだった。恋愛感情なしに気の置けない友人だと思っていたのは僕の幻想だ。


じゃあ断るとしてなんて断ればいいんだろうか。

「ごめん。君を好きにはなれない」

いやこれだと傷つけてしまわないか。僕は極端に憶病になっていた。

どんな言葉をかければいいのかわからない。彼女を傷つけないで済む方法がわからない。考えれば考えるほど僕の胸が締め付けられていく。耳鳴りがする。胸が苦しい。吐き気がする。

だれか、だれか、誰か僕に答えを教えてくれ

結局その日は一睡もできず、僕は悶々とした思いのままバイトに向かうことになった。

バイト先にすでにいた彼女はいつもよりよそよそしかった。どうしてそんなによそよそしいのか僕にはわからなかった。かといっていい言葉の一つも思いつかない。僕もぎこちない動きで仕事をすることになった。


バイトが終わると、彼女は急いで帰ろうとしていた。ダメだ。このままでは何も伝えられないまま一日が終わってしまう

僕はとっさに彼女に向かって呼びかけていた。


「あの、この間のことで、話が、あります。だから、聞いて、くれますか」

片言のように発せられた言葉は何故か敬語だった。彼女は僕を見ると、黙ってこくりとうなずいた。

暗闇の中の公園。彼女はそこのベンチに腰掛けた。僕は彼女に向き合っていた。ああそうだ。彼女に言わなくてはいけない。僕の率直な思いを彼女に伝えるのだ。

「この間の返事だけれど…」

胸が苦しい。傷つけない方法は結局見つからなかった。きっと僕の言葉で彼女は落胆し、傷つくのだろう。でももうどうしようもなかった

「ごめん、なさい。僕は、あなたとは付き合えません」

早口に僕は続ける。

「僕は恋愛、というものがわかりません。だから、あなたが僕を好いてくれる気持ちが、わからないのです。あなたがどうして僕を好きになったのか。その気持ちに僕はどう答えたらいいのかわかりませんでした。きっとこのまま付き合えば、僕はあなたをたくさん傷つけてしまう。でもそれは避けたいのです。だってあなたは大切な友人だから。君のことを、僕は尊敬しているから。だからこのままの関係を、壊したくないのです。でも君はきっと違う。僕たちはきっとかみ合わない。あなたにふさわしい人は他にもいると思う。だから、だから、ごめんなさい」

途中からなにが言いたいのかわからなくなっていた。自暴自棄になって僕は早口にぶちまけた。ああ、これでは僕の気持ちをちゃんと伝えられたかわからない。また僕は同じことをしてしまった。

そう後悔した瞬間だった。

「そっか…。じゃあ仕方ないね」

「えっ?」

顔を見る。その顔は少し赤くなっていて目元には涙が浮かんでいた。

「君は、恋愛がわかんない人、なんだね」

「うん…。」

「昔ね、本で読んだことあるの。誰かを性的欲求を抱かないし、恋愛感情を抱かない人達の本。そういう人たちをアセクシャルっていうんだって」

「アセクシャル」

初めて聞く言葉だった。君は涙をぬぐいながら続ける。

「私ね、最初はそんな人たちがいること信じてなかったの。でももしそんな人がいたらきっと心無いような、そんな冷たい人なんだって思い込んでいた」

ずきりと胸が痛む。高校時代の友人の言葉がフラッシュバックする。

「でも」

ふと君は立ち上がる。その瞳はもう涙はなく、じっと僕を見つめた。

「でも。君は冷たい人じゃない。それはわたしがわかっている。それに今だって色々考えて打ち明けてくれたんだってわかるんだ。君のことが好きだから、かな。」

「…」

「世の中いろんな人がいるよね。恋愛感情がなくてもそれも個性の一つだよ。私は悪いことだと思わない。君も謝らなくていいよ。私、君を好きになってよかった。君は私のために色々考えてくれた人だと思うから、それだけは伝えたいの」


今度は僕の目に涙がたまっていた。拭っても、拭っても次から次へと涙があふれてくる。


「君はこのままの関係でいたいって言ってくれたよね」

「うん」

「私もうれしい。君と友達のままでいられるなら、それでいいよ。だからもう泣かないで」


彼女が手を差し出してきた。和解の握手の意味だろう。僕は彼女の小さな手を両手で握りしめた

「痛いよ」

「ごめん。うれしくて」

苦笑いする彼女。僕は涙を流し、鼻水をすすりながら答えた。

こうして僕は大切な友人を一人守ることができたのだ。これは世間がクリスマスに沸く夜のことだった。


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