逃げの一手
「お口を開けてください。あーん」
「あ、あーん……」
口の中に、独特の食感のあるレバーが突っ込まれた。
目の前の食卓には、何と言うか、おびただしい量の料理が並べられていた。
俺が好きなレバニラ炒めに始まり、うなぎの蒲焼き、にんにくのスライスが乗ったハンバーグ、ささ身フライ、ジンギスカン……
そのどれもが山積みとも言えるほどの量で皿に盛られており、一口食べるたびに胃の中にずっしりとした重さと共に溜まっていく。
夜桜……クロモの手伝いもあって食べることが出来るのは嬉しいが、流石に量が多すぎる。
「あの、クロモ? さすがにもうお腹一杯って言うか……」
「……そうですか。では、これはまた明日に取っておきます」
持って帰ればいいのに、と背もたれに体重をかけながら呟いた。
机の上に置いてあるテレビのリモコンを肘で引き寄せ、電源ボタンを押す。
『――生活保護の打ち切りが政府より通達され、不適切との声が多く寄せられています。あまりに急すぎる出来事に、自殺する者も――』
何だかよくわからないが、世間は大変そうだ。
チャンネルを変えてみるが、どれもつまらなそうな話題を取り上げたニュースばかりだ。テレビを消し、リモコンを乱雑に置いた。
「優人、何をしているんですか?」
「ちょっとテレビを……というか、夜……クロモは家に帰らなくていいんですか?」
ピンクのエプロンを外したクロモに後ろから話しかけられた。
今の時刻は六時を少し過ぎた辺りだ。冬ということも相まって、窓の外はもう真っ暗である。
「何を言ってるんですか。私は今日この家に泊まりますよ」
きょとんとした顔で首をかしげ、さも当然かのようにそう言い放った。
数秒その言葉の意味が理解できず、視界の焦点が定まらなくなる。
「ちょっとよく理解できないんですが」
「私はこの家に泊まります。彼女として当然ですよね?」
当然っていうか、そもそも彼女じゃないです。
そう言いたかったが、彼女の背後で揺れる銀色の刃物に怖気づいて言えなかった。
ぽたりと赤黒い血が一滴地面に零れ落ち、全身の毛が一気に逆立つ。
「……さっきの料理、気づきましたか?」
「な、何がですか?」
クロモが一歩ずつ、ゆっくりと近づいてくる。
椅子から半分倒れるように立ち上がり、冷や汗を垂らしながら距離を取る。
「早く治るようにと、元気の付く食材ばかりを使わせていただきました。多少、下の方も元気になってしまいますが……私が責任を持って処理させていただきます。さあ、早くこちらに」
……
鼻から、肩が持ち上がるほど大きく空気を吸い込む。
「よし!」
俺は逃げた。




