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夜の側面

 牛革の肩掛けバッグがいつもよりも重く感じる。昼間は日光による光沢で怪しく光る黒が、月が躍る夜の中では闇に溶け込むようにたたずんでいた。

 見上げると、街灯がチカチカと音を鳴らし、ハエがたかっているのが見える。その街灯のさらに向こうには、七色に光る巨大な観覧車がおうおうと唸るような声を出して回っていた。


 右手と左手を掲げ、人差し指と親指で四角を作る。観覧車を四角の中にトリミングして、「パシャリ」と口に出して言ってみた。レンズは俺の目、フィルムは脳みそ、使い捨てカメラに劣る粗悪品だ。

 両手をポケットの中に突っ込み、ふわあっとあくびをあげる。


「先輩!」

「……」

「ジュース買ってきたんですけどぉ……」

「……なんでこいつと来たんだろ」


 眉間にしわを寄せ、重いため息を吐く。タタッと後ろで駄々を踏むように足音を鳴らす()()の方に振り返り、手に持ったジュースの片方を奪い取る。

 プルタブに指をひっかけ、プシュッと音を鳴らす。夜の闇と街灯の光が屈折しあった液体を口の中に入れると、胃が飛び上がるように甘いぶどうの味がした。


「いやぁ。あの二人とも、今ごろ上手くいってますかねぇ?」

「知らねえよ。お前が気にすることじゃないだろ」

「ぶーっ、何ですかぁその態度。私と早く別れたいんですかぁ?」

「うん。」


 俺の返事に、白鳥がさらにぶーっと口を鳴らして抗議する。アホらしいと思いながら、ジュースの飲み口に口をつける。



 つい先日、()()の奴から『遊園地で色々とするから手伝ってほしい』との連絡があった。特に予定もなく、暇つぶし程度の金はあったので、手伝うことにしたのだ。

 ただそこからが問題だった。自分たちが行く予定のアトラクションの説明や問題がないかの確認などを特に頼まれたので、随分と朝早くに家を出ようとしたとき。

 数日前からストーカーのように家の周りを這いまわっていた白鳥に見つかってしまったのだ。



 中身のなくなった空き缶を、そこら辺にあったゴミ箱の中へ投げ込む。一度ふちに当たってバウンドしてから、すぽっと中に入った。


「本当に気にならないんですかぁ?」

「……否が応でも明日のニュースでわかるだろ。遊園地で殺人事件とか流れでもしない限り、成功してるってことだよ」


 もう一度、観覧車の方に視線を向ける。バッグの中に望遠鏡は入っているが、この距離から見えるとはとても思えないし、まあ見なくても……大方どうなるかはわかる。

 

「それより、スタンプラリーの景品本当にいらないんですかぁ? 今日の思い出なのに。心霊屋敷の時もカップルに間違えられちゃってぇ……キャーッ!」

「……お願いだから黙っててくれ。」


 わざとらしく頬を押さえて声を出す白鳥に、心の中でファックユーの中指を立てる。もちろん両手でだ。

 スタンプラリーの景品とやらは、製造費に十円もかかっていなさそうな遊園地の入り口を模したアクセサリーだ。白鳥の奴は自分の小指に引っ掛けているが、俺は早々にバッグの中へ押し込んだ。



「というかお前、いい加減にしろ。俺が怒りに任せて暴力を行使しないほどやさしい人間に見えるか?」

「いえいえ。でもぉ、先輩の腕力で私に暴力は……」

「黙れクソ。とにかく、わかったら俺の前から消え失せろ。ここで十分待つ」



 心霊屋敷に無理やり連れ込まれたときにできた右腕のあざをさすりながら、近くの壁にもたれかかる。腕を組み、目を閉じる。

 夜の闇よりもさらに暗い闇の中で、一、二、と秒数を数える。すると、ぴとっと組んだ腕に何かが触れるような感触がした。瞼を上げる。



「……殺すぞ」


 白鳥が俺の体にもたれかかるように、自分の肩を当てていた。さっと身をひるがえし、数歩後ろに下がって距離をとる。



「いいじゃないですか、別にぃ。ホモってわけでもないんですよねぇ?」

「お前といるぐらいならホモとキスする方がマシだ。帰れ」


 何なのこいつ?

 馬鹿か?

 いや馬鹿なんだろう。

 俺にこんなに付きまとうメリットが一切合切わからん。甘い言葉で誘惑してるわけでもなければ、特に顔がいいわけでもない。ブランド物を買い与えるほど財力があるわけでもない。もちろんフィジカルエリートでもない。

 


 白鳥が肩を揺らすほど大きく息を吐き、俺から遠ざかるように一歩、二歩と歩いていく。やっと帰るのかと思った瞬間、ピタリと足を止めた。




「人、全然きませんねぇ。」

「は……?」

「これで、雨でも降ってきたら完璧なんでしょうけどぉ……」


 人がこない、雨……。

 まさか。脳裏にピンとある日の光景が浮かぶ。



「もしかして、誰か教えてくれるのか? あの時のアレ」


 雨が土砂降りの日、チャカをぶっ放すアホのせいで腹に風穴を開けて山の中の道路で死にかけていた。車も来ないし、携帯も使えないし、本格的に死を覚悟していたときのことだ。

 ガードレールに死にかけの芋虫みたいにしがみついていた俺を、誰かが助けてくれたのだ。顔は見えなかった。ビニール傘に雨が跳ね返る音に、かすかにいい匂いがしたのは覚えているが……。



「誰だと思います? アレ」

「さあ。通りがかりの人、じゃないのか」


「その人のこと、どう思ってます?」

「……お礼は言いたいな。できるなら、恩人として友人にもなりたいがな。

 というか、何だこの質問」


「友人? 友人で終わりですかぁ?」

「話聞けって。おっ……おい、待て、なんだその顔」



 白鳥が少しだけ顔をこちらに向けたが、すぐにぷいっと顔を逸らす。一瞬見えた般若を思わせる恐ろしい顔に若干委縮してしまう。

 が、言葉を再び吐く暇もなく、すぐに再度こちらに振り向いた。その顔は、唇を横一文字に結び、口角を少しだけ上にあげ、瞼を閉じ、目じりを垂らした、様々な感情が爆発寸前に入り混じり、しかもその制御をあきらめた奴の顔だった。



「その助けた人って、私なんですよねぇ。」


「え?」



 思考が吹き飛ぶ。頭が真っ白になる。

 プライドとか自尊心とか、自己を築き上げる何かが崩れていく。


「おまっまっ、マジジジジ? 俺が、よりにもよってお前に助けられたのか?」


「しかも私、先輩のことが好きになっちゃいました。」


「はァ!?」


 その瞬間、白鳥の閉じていた瞼がかすかに開いていることに気づく。夜の闇にも負けないほどの黒をはらんだ瞳は、見るものに本能的な危険と恐怖を感じさせた。

 瞼がだんだんと開いていく。それに呼応するように真一文字に閉じた唇がゆっくりと三日月のように開いていく。

 第六感が警鐘を鳴らす。本能が生命の危険を察知する。まずい。このままだと何かはわからないが確実にやばいことが起きる。


「先輩」

「なっ、落ち着け。人間気の迷いとかあるんだって。女だと生物的に機嫌の悪い日もあるだろ? そこに俺がたまたまいただけで……」

「……」


 右手を前に出し、震える足に鞭を打って後ずさる。俺はこいつの身体能力を知らない。足の速さには自信がないし、腕力も負けてる。

 全身がカタカタと震えだしたころ、白鳥の瞼が完全に開き切った。瞳孔は闇の中に走る光をとらえるために目いっぱいに丸く開くが、その瞳に光は一切ない。



「先輩。追いかけっこ、しませんかぁ?」

「……やだ」

「じゃあ、そのままでいいです。そのまま、そこでぇ……」


 白鳥がこちらに向かって一歩踏みだした瞬間、震えていた足の枷が一気に解けた。心臓が生命の危機に合わせて激しくビートを刻み、肺は必要以上の酸素を摂取するために限界以上に膨らむ。

 アスファルトの地面を叩きこわす勢いで踏みつけ、世界で一位をとれそうな速度で走った。



「なんで俺までこんな目にぃぃぃいいい!!」




 

 月夜の中、二つの影が駆ける。

 片方は今にも倒れそうな勢いで、息をぜぇぜぇと吐き、服をはためかしながら走っていた。

 もう片方は、口を刃物で切ったように開き、楽しそうにもう一つの影を追いかけていた。


 太陽が昇るころには、残り数センチの距離で二人とも公園で倒れているところを散歩中の人に発見された。

 

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