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 時計の針が二度目の三を過ぎ去り、太陽が下へと傾き始めたころ。空は青と紅が入り混じり始め、不純物のない宝石のように輝いていた。

 止まるところを知らない日差しは肌に深く刺さり、皮膚を焦がす。日差しは地面で跳ね返り、空と地面からの熱気がタッグとなって襲い掛かってきていた。

 おまけに、水蒸気になって見えそうなほどに濃い獣の臭いが漂う。動物の汗が蒸発しているのか、はたまた自分の汗が蒸発しているのかわからないが、かなりの湿気が空気に交じっていた。


「ほとほとでかい遊園地だな……動物もいるとか」


 ファニーエリアとかいうふざけた場所を抜けた先は、アニマルエリアという臭いのキツイ場所だった。一言でいえば、あきれ返るほどに臭い。とにかく臭いがキツイ。

 道にゴミが落ちているわけでもなければ、動物の入った檻の中が掃除されていないというわけでもない。ただ単純に、熱気で倍増した臭気がいたずらをしているのだろう。顔を少ししかめていると、ふとクロモがある方向を向いて口を閉じているのに気がついた。


「……」

「ん。なんかいた?」

「いえ……少し見覚えのあるような影が見えた気がしまして」


 クロモが向いている方向に振り返るが、特に見知った奴がいるわけでもない。彼女も見間違えだと考えたのか、特に何かを思い詰める様子もなく視線を逸らした。

 彼女があたりを見回す。そこら辺で適当に寝っ転がっているありふれた犬種の犬から、肩にちょこんと乗る程度の小動物、檻に入れられている動物まで多種多様なものがたたずんでいた。


「動物ですか」

「もしかして……嫌い?」

「いえ。ただ、あまり接した経験がないので」


 クロモが、寝転がる犬をなでるカップルを見ながらそう言った。据わりきった目でそういうものだから、少しだけ背筋が冷たくなる。彼女は動物を見て「かわいい」とはしゃぐタイプではないのだ。


「まー……この場所には結構動物いるみたいだし、一応見て回る? 気に入る奴がいるかも」

「わかりました。」


 人から見れば無愛想、そういわれても仕方ない表情で彼女は歩く。歩幅は小さく、首の動きも小さく、何も知らない人物が見れば「仲が悪い」と言われても仕方ないといった感じだ。

 だがよく見てみれば、視線はきょろきょろとせわしなく動いている。表情は逐一、ほんのわずかに変化している。といってもそれは、眉間にしわを刻むような感情によるものではあるが。


「あそこの動物だけ人気ですが、一体何が……」

「えーっと……ああ、ライオンか」


 人の波を飛び越えるように、少しだけ背伸びをして覗き見る。

 そこにいたのは百獣の王、ライオン。意外と寝ている姿しか見れず、子どもたちの期待を裏切ること間違いなしの動物だ。

 しかしやはり王、いくらのんきな姿で野生を忘れようともその人気は地に落ちることなし。凛々しいイメージを人々の脳裏に焼き付けている。



「見たいなら持ち上げようか?」

「大丈夫です。……人気なんですね、ライオン」

「百獣の王だし、結構ね。それ目的で来る人も多いんじゃないかな。ここ遊園地だけど」


 遊園地なのになんでライオンまでいるんだ。不思議なほどに設備が整っている。

 

「檻の中なら人気者、檻の外なら………。人がどう見るかで、こんなにも変わるものがあるんですね。」


 クロモが、白い瞼をさらに細くしてそう言った。何かを思案しているように鋭い目つきで人だかりを見つめる。一目で感じ取れるのは、冷気のようにゆらりと漂う怒りに似た感情。

 だがその黒曜石の瞳孔の奥には、ほかの感情もかすかに読み取れた。


「私も……」


 彼女がそう、隠すように呟く。聴力がいいせいか、おかげというべきか、人の喧騒に一瞬でかき消されそうなその言葉が空気に乗って耳に届いた。

 進行方向を変えた彼女のあとを追いながら、ふと視線を上にあげる。歩いているうちに日はますます沈み、空は紫色に染まり始めていた。





『助け必要?』

『いい』

『そうか がんばれよ』



 携帯の電源を落とす。

 遊園地最後の場所にして、おそらく最大の難所であろう、()()()()()。まぁざっくりと言ってしまえば、カップル御用達の場所だ。ホテルなどの宿泊施設がいくつかここに建てられているが、決して深い意味はないらしい。

 

 少し暖かくなったとはいえ、まだ寒さの残るこの月。夜に近づくにつれ、気温が下がっていく。白かったクロモの頬と鼻先が少しだけ赤くなり、口からは白い息が漏れ始める。


「しかし……」


 あたりを見回しながらそう呟く。

 時間が時間ということもあり、子ども連れはほとんどおらず、恋やら愛やらを育むカップルばかりがはびこっていた。

 場所も関係して、絶叫系などの叫んだり騒いだりするアトラクションはあまりない。ハンモックで揺られるかのようにゆったりとしたものが大半だ。


 

 クロモが、道行くカップルを眺める。

 それから静かに言葉を発した。


「……私のこと、どう見えてますか?」


 喧騒にまぎれそうなほど小さな声の質問の内容に、一瞬だけ身が固まる。どう、と言われても。


「ちっこちゃくて、白くて……あと……うん、かわいい……とか」


 彼女の表情が、オレンジの街灯が逆光になっているせいでうまく読み取れない。静かに呼吸を続けている音だけが聞こえた。



「そうですか。……かわいい……ですか。

 私のこと、怖くはないですか?」

「ちょっと待って。」


 クロモが話だそうとしたのを、口を出してさえぎる。

 この先は、メリーゴーランドで話すには暗すぎるし、コーヒーカップで話すにはあまりに苦すぎる。かといって道の真ん中で話すことではないのは明らかだ。


「あそこの観覧車。あそこなら二人でゆっくり話せる。俺もクロモも色々と」


 俺はそう言って、最初にここに来た時から見えていた大きな観覧車を指さした。


「……そうですね。」


 クロモは開いていた口を閉じ、視線を下に下げ、少し俯いた様子で歩く。歩く途中で言葉を交わすことはないが、かといって一触即発の危険な空気が流れているわけではない。互いに何か、覚悟を決めるように胸の中をうずまかせている。



「……さて」


 係員さんの案内に従い、少し気だるけなかけ声とともに、ゴゴゥッと音を鳴らして観覧車が動き始める。窓から見える遊園地の景色は、まばゆいイルミネーションで照らされ、細かな宝石をちりばめたように美しかった。


「九分か、もうちょっとか……一周するのに、それぐらいはかかると思う」

「ええ。それで十分です。」


 クロモと向き合って座り、握ったこぶしを膝の上に持っていく。肩肘を張り、ピシっとした体制で彼女の方に力強く視線を向ける。



「……ずっと、考えてたんです。お父さんは、本当に悪かったのかって」


 彼女が視線を、窓の方へ向ける。イルミネーションから届いた光が彼女の肌を白く照らす。彼女の双眸は、眼下の景色ではなくどこか遠いところを見つめているように見えた。


「言い表せないぐらい……本当に、色々なことがありました。お母さんが消えて、お父さんと暮らしていて……。そして、あなたと出会って」

 

 彼女が記憶を大切に、なくさないように、ゆっくりと引き出して言葉を紡いでいく。本当に、ちんけな男の人生にしてはあまりにも濃すぎる一か月だった。


「けれど、本当は私が騒ぎ立てていただけで。道行く家族も、人に見せていないだけで、私と同じようなことを当たり前に耐えているんじゃないかと思うようになって……」


「お父さんしか居なかった私の人生に、色んな人が入ってきました。たくさん、考えるようになりました。自分を貫き通そうとしました。ですが……」


 クロモが、目を閉じる。光で白く照らされた長いまつげが、異様に印象的だった。成熟した大人でいて、どこか子供っぽさを感じさせる、矛盾した何かを。


「結局、その貫き通そうとした自分で大変な迷惑をかけたりして。挙句の果てに、その自分すら、本当に()()なのかわからなくて」


「丁寧な口調で、落ち着いていて、優人が好き。こんな簡単なことでさえ、自分かどうか分からないんです」



 クロモがこちらを向く。まるで人が二人くっついているような、そんな不思議さがあった。

 彼女が一呼吸を置いてから、静かな目で口を開く。


「聞かせてください。……怖いですか? こんな、自分でも自分がわからない私を」

「うん」


 即答した。答えはYES、はい、その通り、それ以外にはない。

 彼女が俺の声を聴き、少しだけ思い詰めたような顔をしてから、自分のコートの中に右手を入れる。



「でも、やっぱり。誰でもそういうものじゃないかな」

「え……?」


 彼女が手の動きを止める。


「俺だって自分が何かわかんないよ。

 いきなり不可解な行動はするし、自分でもよくわかんない考え方をするし、はたから見れば異常者って言われても仕方ないよ」


「けどさ。そんな奴でも、パズルのピースがハマったみたいに気の合うやつがいるんだ。親友とか、運命の人とかって言うのかな」



 彼女が、何が言いたいという顔をしている。正直俺もノリで話して正しい日本語を話せているのかわからないが、伝えたいことだけは揺らがない。



「クロモと俺のピースは、正直合ってないと思う。互いに四方向でっぱったようなタイプだから。

 互いに完璧にあったピースじゃないから、俺は怖くなったりするんだ」


 彼女が視線を逸らし、自分の足元を眺めて固まる。何を考えているかはわからないけど、俺の言葉は伝わっていそうだ。

 昼は沈み、完全な夜が観覧車の外に広がる。イルミネーションの光が一層強まり、互いの顔が照らされる。


「だけど、俺はクロモを受け入れるよ。

 色んなことで悩んで、ちょっと暴れたりもする、クロモを。怖いと思うところも全部含めて、魅力だから」

「え……」


 彼女が顔を上げる。その瞳の下には、光を反射するきれいな液体がかすかにたまっていた。



「本当です……か? こんな私でも、受け入れて……くれるって」

「うん。

 いざとなったら、俺のピースを無理やり削ってクロモに合わせるよ。なんつっ……?!」


 彼女が抱き着いてくる。勢いはなく、まるで赤ん坊のように弱々しく。怖いものから逃げて安堵した子供のように、ぎゅっと力強く服を掴んだ。




「ずっと怖くて、寂しくて……! ひぐっ、一人で何にも見えなくて……一生このまま暗いままだと思ってて! ずっとずっと、ひぐっ、ぐっ、うぅ……」


「ううっ、ふっ、うぇええええん…………」




 いつも長い髪をたなびかせて、冷静にふるまっていたクロモが、俺の服にしがみついて、人目をはばからず泣いている。

 鼻水は垂れてるし、顔はゆがんでるし、例えるなら幼稚園児の泣き顔、といったところだろう。だが、何も悪い気はしない。むしろ嬉しかった。以前の彼女なら絶対に見せなかったであろうこんな表情を見せてくれたことが。



「……あっ」


 いつの間にか一周しきっていた観覧車の扉が開く。係員の人がこちらを見て目を見開いたが、すぐに気だるけな目に戻り、何も言わず扉を閉めた。ありがとう。

 



 結局彼女が完全に落ち着くのは、観覧車がもう一度一周してからだった。目の周りは赤く腫れ、頬には涙の通った跡がくっきりと残っているが、どこか楽しそうな様子で歩いていた。

 遊園地の外、駅まで向かう道すがら、夜の街灯の下を二人で歩きながら話す。



「ありがとうございます、本当に。私を助けてくれて」

「いやいや、そんな大層な……。俺が嫌になったら、すぐぶん殴ってくれてもいいよ。捨てられるのは……ちょっと嫌だけど……」


 クロモが、俺の腕を自分の胸まで引き寄せ、ぎゅっと抱きしめる。今までは腕を互いに絡ませる程度だったので、胸までもっていくという突然のレベルアップに身が固まる。


「捨てるなんて滅多なことを口にしないでください。ずっと、ずっとこのままですよ」


 彼女が笑った。何かを含んだ暗い笑顔ではなく、作り笑いではなく、心の底から沸き上がった楽しそうな顔。

 俺も笑い返そうとした瞬間、腕に不思議な感覚が走った。コートのボタンにしてはあまりに硬すぎる、何か金属製のような硬さのものを触ったような……。



「クロモ、コートに何か入れてる?」

「はい、()()を一本。

 もしあなたに拒絶されていたら、いっそのこと()()()と思っていまして。けれどもう要りませんね」


 そう言って、クロモは懐から取り出した包丁を、無造作に近くのゴミ箱へ投げ捨てた。

 体が震える。芯の底から震え上がるほどの恐怖を感じた。よくよく考えたら、あの晴天の中、長いコートを着ていたのは、返り血を浴びないため……。


 包丁を回収するなどと常識的な考えは浮かばず、ただただ恐怖に身を震わせた。

 彼女への恐怖すべてをまとめて受け入れることができるのは、まだ少し先のようだ。




 空に浮かぶ月は、夜に咲く桜のように、美しく二人を見守っていた。

 

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