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結局何もできてない

「今日は、お誘いいただきありがとうございます。」

「いやいや、新しい生活でいろいろと必要かと思って……。でっ、デートのつもりで誘ったけど、俺のことは全然荷物もちにしてくれていいから!」


 一月の空は砂漠の砂のように乾ききり、肌を切るような冷たい風が吹いている。それに相反するように、商店街のストリートでは大きな噴水がどぼどぼと水を噴きあげている。

 黒と白の建造物が交差する商店街は、学生の冬休みが終わる数日前ということもあってか、平日にも関わらず人は多かった。



「新しい生活、ですか。まさか母ともう一度会うことになるとは思いませんでしたが……」

 

 そう言ったクロモの表情は、寂しさや悲しさといった、ほの暗いものを混ぜた顔だった。だが、すぐに顔を切り替えた。


「では、調理用具店などから行きましょうか」

「調理用具?」

「ええ。母の家には、私が普段から使うような物が少ないんです。それと、切れ味のいい包丁も」

「包丁……うん。包丁ね……」

 

 顔をしかめるような記憶を多少思い出しながらも、少し背伸びをして調理用具店らしきものを人の隙間から探す。すると、意外にもすぐにお目当ての店は見つかった。

 

「よし、ク……」


 見つけたから行こうという風に振り返ると、彼女があらぬ方向を見て体を止めていた。目を細めて視線を追うと、赤い長そでの男の子を連れた、仲のよさそうな三人家族が談笑しているのが見えた。

 指先で静かに肩をたたくと、ハッとしたように彼女が振り返る。それから少しばつが悪そうに眼をそらしながら頭を下げた。


「すみません。少し気になって」

「……うん」


 空気がよどむ。肩にずっしりとのしかかるような重さを感じる。

 今日のショッピングに乗じて、クロモの悩みか何かを引き出そうとしたが……このままでは成功しそうにもない。それどころか、もっと悪化しそうだ。

 そう不安に思っていると、彼女が手首を軽く握ってきた。本当に軽くではあるが、しっかりと根を張ったような強さを感じる。


「……」


 俺が、いろいろと考えてもしょうがないのかもしれない。そもそも、他人の考えにあれこれ口を出せるほど哲学を知るわけでもない。だが、何もできぬということはない。

 目を閉じて軽く頬を振り、意識をリセットする。できるだけ不自然にならぬように、口角をわずかに上げる。なるべく、楽しく振る舞おう。そうすれば、いつか話し合うことぐらいはできるだろう。


「よし! 筋肉も付け直さないといけないし、気合入れていくぞ!」

「はい。お願いします。」


 ……空回りしそうで怖い。

 手首を握るクロモと共に、人の波をかきわけて進む。なるべく離れないように、こまめに振り返る。調理用具店でいろいろと用を足し、ずっしりとした重さのを右手の中指にひっかける。

 太陽が頭の上に登るころには、近くの喫茶店で腹を満たした。クロモは意外にもコーヒーが苦手で、聞いてみたところ苦いものは基本的に好きじゃないそうだ。純白のホワイトケーキをスプーンですくい、ほおばる姿を眺めていると、リスのように頬を膨らませたと思えば、イチゴの酸っぱさで眉をしかめたりと、たくさんの表情を知ることができた。



 こんな姿を見ていると、気にしないと考えても、やはり考えてしまう。

 クロモの父親は……もう、俺たちと会うことはない。だからこそ考える。

 例えば、俺が赤点ギリギリの残念頭じゃなくて東大卒のエリートだったら、もっといい選択があったんじゃないだろうか。

 例えば、俺がフィジカル最強のスポーツマンだったとしたら、もっといい行動が取れたんじゃないだろうか。

 俺はここでクロモと飯を食えるような格の男じゃない。彼女は背が小さくて、かわいくて、性格も一部を除いて最高と言える。頭もいい。神様のほんの、足の爪を切ろうとかそんなレベルの気まぐれで、たまたま彼女をキャッチしただけだ。

 思考が堂々巡りを繰り返しながら、少しずつネガティブへと落ちていく。窓の外を流し目でぽーっと眺めていると、クロモから声をかけられた。


「……どこを見ているんですか?」

「んっ?! あっいや、いろいろと考え事」

「何のですか?」

「なにって……うーん。特に何もって感じ。ぼーっとしてたってのが近かったかも」

「そうですか。失礼しました。」


 クロモが、スプーンの上に最後のひとかけらを乗せ、口の中に運ぶ。ゆっくりと何秒もかけてから、まるで惜しむようにのろのろと飲み込んだ。

 それから、カランと小さな音を立てながら、スプーンを置いた。


「……その、冬ですね。」

「えっ? うん、冬だけど……」

「すみません。考えが上手くまとまらないので、今のは何も聞かなかったことにお願いします。」

「う、うん」


 クロモも、そう呟いたあとにぽーっと窓の外を眺め始めた。その目はどこに焦点を合わせるでもなく、何も考えていないかのようだ。

 空の中央に陣取っていた空は、いつの間にか少しずつ傾いていたようで、町はことぶきの光に包まれ始めている。朝からここにいるので、もう六時間は経っているだろうか。買った物が山を連ねているのにも納得が行く。

 彼女に習って、俺も頬杖をついて窓を眺める。空の境界、夜と昼が喧嘩している場所をうつろうつろとみていると、突然クロモが立ち上がった。


「ちょっ、えっ?!」



 クロモが店から出ていくのを、荷物を急いで持ち、レジを済ませてから追いかける。だが、帰り際の人々の波に捕まって一瞬で見えなくなってしまった。


「くそっ、マジか!」


 人と荷物が多すぎるせいで、思うように歩けない。濁流をかきわけ、必死に彼女を探す。だが、どこにもいない。携帯も試してみるが、繋がらない。


 昼が夜に負け、街頭の白いライトが道を照らし始める。人の波がいくらか減って歩きやすくなったが、それでも見つからない。

 荷物を持つ指は麻痺し、歩く足はズキズキと刺さるような痛みがする。ぼてっとその場に倒れこみそうになった瞬間、がっちりとした手の男に肩を掴まれた。それから、泣きそうな声で必死に問い詰められる。


「子どもがずっといないんです! 知りませんか?!」

「子ども?! ……あっ!」


 その男性は、今日の朝にチラッと見えた、赤そでの服の男の子を連れた家族の父だった。その隣には不安げな表情で立っている奥さんもいる。


「知っていますか?!」

「いや……。けど、僕も人を探してるんで協力します。ちょっとこの荷物見ていてくれませんか?」


 奥さんのほうに荷物を置くと、弱々し気な顔でこくりと頷いた。父親と一緒に、町の端から端までしらみつぶしに探していく。

 靴の中で痛みと嫌な感触がする。もしかしたら、血が出てしまったのかもしれない。それでも体に鞭をふるい、無理やりのどを張り上げて街中を歩く。



 疲労で意識が混濁し始め、人の姿がまばらになり始めたころ、2個先の街頭の下に、小さな影が2つ見えた。

 一人は、白のライトの下でもはっきりと見える、ひどく泣きはらした赤い服の男の子。もう一人は、光で内臓まで見えてしまいそうなほど、透き通る白い肌を持った女性。


 父親が一目散に子どもに向かって駆けていく。子どもの方もそれに気づき、腹の底から絞り上げるような声で泣き、小さな足を回転させて歩いてくる。

 

「……ぶへぇ」


 その場にへたりこむ。疲労がすごい。熱くなった手のひらに、地面の冷たさが心地よい。風の冷たさが心地よい。そこに加え、近づいてきた女性の冷たい手が頬に触れて心地がよい。


「大丈夫ですか?」

「いや、結構キツい。また折れたかも」

「それは大変ですね。私の家でずっと治療しますか?」

「すみません、冗談です。」


 クロモの手を借りて、ゆっくりと立ち上がる。

 緊張が解け、一気に筋肉に弛緩する。脳もドロドロに溶けそうなほどに柔らかくなり、頭がふらふらと揺れる。

 

「……店からいきなり飛び出したのは」

「はい、あの子が一人でいるのが見えまして。何も言わず、申し訳ありません」


 クロモはそう謝罪し、父親と子どもの方に振り返った。こちらに背を向けているので、表情は読み取れない。だが、その小さな背中から大きな、哀愁にも似たものがにじみ出ていた。

 数秒か数十秒か、そうして眺めていたが、クロモがこちらに振り返る。それから、少し疲れの出た声で言った。


「帰りましょう」

「うん。」


 特に何を言うこともなく、端的な返事を返した。不安げに荷物を見張っていた奥さんに無事を伝え、荷物を受け取り、帰路に着く。


 帰りの電車でうとうとと揺られている内に、瞼が鉛のように重くなる。駅までまだあるし少し寝てしまおうかと思った瞬間、こてんと肩に小さな重みが乗った。

 花の香りと共に、かすかな寝息が耳に入る。クロモがこちらに体を寄せたまま、眠ってしまったようだ。


「……眠るまい」


 覚悟の言葉と共に目を見開き、クロモの重みを肩に感じながら、修行僧のような誇り高き心をかかげて睡魔と戦った。



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