無能
人は時間が進まないでくれと思うほど、早く物事が進んでいくように感じてしまうものだ。
入院していなければならない、短くも長い五日という時間。その五日間のうち、何も掴めぬまま、半分以上の三日が過ぎ去っていた。
枕の上で目を覚まし、窓から差し込んでくる日光に向かって小さく舌打ちをする。部屋の中に静かに響く秒針に合わせて徐々に意識が覚醒していく。
この三日間、出来る限りのことはやった。ただ、努力が結果に必ずしも繋がるとは限らないらしい。未だに何も、クロモの母親と思われる人物の名前すら分からないのだ。
ベッドの傍に置かれた電話には、何度か俊介に通話をした履歴が残っている。しかし、一度たりとも繋がることはなかった。
「……どうすりゃ……」
あの司書さんに何度も教えてくれと懇願したが、首を横に振るばかりだ。病院の入り口でクロモに少しでも似ている人物が居ないかをずっと探していたりもしたが、見つからない。
体を起こして動き出そうとするが、頭ではやる気を出しても、体が反応しない。
「……」
秒針の音が、響く。自分の降ろした腕に視線を固定したまま、呼吸をする。
このまま何も出来なかったらどうしよう。それに、クロモの母親に会ったからと言って何なんだ。今の状況が決定的に打開できるわけでもないだろう。
後ろ向きの思考が浮かんではかき消し、浮かんではまたかき消す。
ふと、秒針のリズムを乱す微かな音が空気を伝わって耳の中に響いてくる。廊下の外からだろうか、誰かが歩く音が聞こえる。
その足音は扉の前で止まり、引き戸式の扉がプシッと小さく音を立てて開いた。ベッドの回りを覆うカーテンを閉めているせいで誰かは分からない。看護師さんだろうか。
「……えっと、誰ですか?」
「誰だと思いますかぁ?」
全身の毛が一瞬で逆立ち、動く気配のなかった体が電気でも通されたかのようにビクッと反応する。耳に絡みつくような、弱い語尾を延ばす異様な話し方。
声を出した人物がカーテンの端に手を伸ばし、カララッと音を立てながらゆっくりと開いた。
「白、鳥……!」
「三日ぶりですねぇ、先輩? あっとと、別にもう何かする気はありませんよ」
手に持った白いビニールに満杯に詰められた菓子類を近くの小さな丸机に置き、椅子を引き出して我が家のように堂々と座り込む白鳥。
片足をベットから降ろしていつでも動けるように警戒し、白鳥の顔を睨む。
「いやぁ、親が麻薬の密売やってた程度でしばらく私も留置場に入れられてたんですよねぇ……酷いと思いませんか?」
「やかましい!! 何しに来たんだお前!」
声を張り上げてそう言うが、白鳥は落ち着き払ったように両手でどうどうとこちらを宥める仕草をしてくる。三日月のように開いた口の笑顔を顔に貼り付けたまま自分が持ってきた菓子に手を伸ばし、口元を片手で隠しながら食べた。
「まぁまぁ、確かに色々とありましたけどねぇ。些細ないたずらだったわけで、ねぇ?」
「……俺の怒りを煽りに来ただけなら、今すぐ帰れ。じゃないと……」
今すぐこの場で殴り殺す。
口から飛び出しそうになったその言葉を何とか飲み込み、湧き上がった怒りと微かな殺意を視線に篭めて睨む。
「私は基本的に、いつも退屈なんですよ。殆どのことが思い通りに行ってしまいますから。……けれど今回、もう一人の田宮俊介先輩に上手いこと騙されて……
もうすっごぉく、面白かったんですよぉ!」
今にもとろけだしそうな表情のまま、そう言い放った白鳥。何だろう、何か、初めてクロモの黒い部分を見たときと同じ感覚がする。脊椎と脳みそが万場一致で危険とみなす様な、そんな感覚だ。
浮かんだ恐怖を怒りで塗り消し、再び問いかける。
「だから何なんだ。俺は何をしにきたか聞いたんだ」
「いやぁ、先輩方はまだ面白そうなことをしてるじゃないですかぁ? それに混ぜて欲しくて、ここまで来たんですよ」
……頭がおかしいのか? 何を言ってる?
この無駄に暖房の聞いた部屋に加え、明らかに頭の処理を超えた言葉に頭が痛み始める。それに少しぼーっとしてきた。
「まぁ断るなら……強引に割り込むだけですから。それに先輩、あなた少し熱っぽいですよ。誰かに協力してもらうのも一つの手ですって」
確かに、白鳥の言うことも一部ある。俺一人だけなら、きっとこのまま何も出来ない。クロモの母親を探すどころか、名前を見つけることすらできないだろう。
怒りを押し殺し、ベットのから出した片足を布団の中に戻す。
「……わかった、協力して欲しい。お願いだ」
「その言葉を待ってたんですよぉ。で、何か今困ってることとかあります?」
「ああ。今は、クロモ……お前が誘拐したと嘘を吐いた先輩の母親を探してる。名前も顔も分かってないけど、この病院で働いていることだけは分かってるんだ」
「へぇへぇ。それはそれは……へぇ。ふーん……なるほどぉ、分かりましたぁ。とりあえず私の方で少しだけ動くんで、先輩は夜まで休んでいてください」
「何でだ?」
「そりゃ、少し動くからですよぉ」




