笑いは怒りの素
「……何首にかけてんの。お守り?」
「おう、いいだろ! クロモが渡してくれたんだよ」
屋上の柵に寄りかかり、引っかくような痛さを持った寒風を体に浴びる。
空は雲ひとつない快晴で、青空が山の向こう側まで広がっていた。これなら、今日の天気どころか明日も晴れが続きそうだ。
隣であぐらをかいている俊介がパンを咥え、もごもごと口ごもりながら言った。
「お守りって、神社で祈願とかするからご利益があるんじゃないか?」
「こういうのは気持ちの問題だろ。こう、パワーが溢れ出るって言うか……」
「……気持ちねぇ……」
俊介がパンを食べ終わり、ココア牛乳に手を伸ばす。
俺もその場にあぐらをかいて深く座り込み、大きなあくびを空に放った。
風は冷たいのに日差しは暖かく、眠気がじわじわと湧き始める。その眠気を振り払うように、無理やり声のテンポをあげて大きな声で言った。
「そうそう! 俺さ、もうすぐ腕治るんだよ!」
「マジ?! 長かったなー……ホント……」
両腕に装着したギプスを俊介に見せると、彼が嬉しいのか悲しいのか中途半端な顔を浮かべた。
ココア牛乳を地面に置き、重苦しい声で吐き捨てるように話す。
「夜の学校で命がけの鬼ごっことかさ……。ホント、逃げてばっかだったな」
「ああ、間違いなく人生で一番濃かった時期だな」
懐かしむように目を細め、今までの記憶を振り返る。
たしか、美術の課題で遅くなった時に受け止めたのが始まりだったか。両腕折るわ追いかけられるわ包丁で肩刺されるわで……。
俊介が頬杖を付きながら、「まぁでも」と小さく呟く。
「どっちかって言うと、お前は両腕が治ってからが本番っぽいけどな。」
「ん、何で?」
「あの女子が行動を起こさない訳ねーだろ。両腕が治ったから、もっとお構いナシになるんじゃねえか?」
骨折が治ったら、もっと遠慮なしになるか……。
確かにそうかもしれん。いやけど、別に悪くは……。
口を尖らせてうんうんと唸っていると、ココア牛乳の空箱を地面に置き、俊介がにやにやとしたあくどい笑みを浮かべた。
「お前、もしかして……ゲヘへヘ、あの女子のこと本気で好きになったのか?!」
「ばっ……やかましいわ!」
「隠すなって! ハハッ、うひゃひゃひゃひゃ!」
立ち上がって下品な笑い声をあげる俊介の脛を、膝で思い切り蹴り飛ばした。
痛みで悶絶しながら地面に倒れ伏しても、まだ笑い声をあげている。本当にこいつは……。
次は顔面に膝蹴りを叩きこんでやろうと思ったが、必死に堪える。
「クソ……お前こそ、あれだ! あの白鳥って言う子がだな!」
「あ? ……あー、白鳥ね。多分だが、あそこの影に隠れてるぞ」
俊介が、屋上に設置された巨大な室外機の陰を指差した。
ゴウンゴウンと機械音を鳴らしているだけで、人が隠れているとは思えない。
しかし、観念したように両手を上げ、にやけ顔を顔に貼り付けた白鳥さんがゆっくりと姿を現した。
「うおっ?! マジかよ!?」
「ほらな。あの野郎、退屈しないとか言ってずっと張り付いてくるんだよ」
俊介が心の底から嫌悪感の篭った声を出し、眉間にしわを寄せる。
何だか、アレだ。どことなくデジャブを感じる。気づいたら近くに居るという点が。
「先輩方、楽しそうっすね!」
「お前が来なきゃもっと楽しかったよ。帰れ」
明らかな敵対心が篭った声で、さっさと何処かに行けと言わんばかりに右手を何度も振る。
そんな態度は慣れっこなのか、彼女が綺麗に聞き流して近づいてくる。彼女が一歩近づく度に俊介の眉間のしわが深くなり、舌打ちの数が増えていく。
「いいじゃないですか、先輩方っていつも騒いで退屈しないんですよ」
俊介の周りに、半径一メートル程度の円が見える。これ以上踏み込んできたら殺すという意思が込められた、恐ろしい雰囲気が漂っている。
その円に、彼女が臆しもせず足を踏み入れた。
「この野郎! そんなに退屈したくねーなら不良共とでも遊び回ってこいや!」
「落ち着け俊介! 殴るのは不味いって!」
右の拳を硬く握り締めた俊介に後ろから飛び掛り、どうどうと宥める。
足と肩の筋肉に物を言わせて押さえ込んでいると、白鳥さんがカラカラと乾いた笑い声を出した。腹を押さえて笑っているのに、どこかほの暗いものを感じる笑いだ。
「アハハハハハハハハハ! いやー、先輩方ってホント面白いですね!」
「てめぇ! この、今すぐぶっ殺してやる!」
笑い声を聞いた俊介の怒りが更に増し、額に青筋が力強く浮かぶ。
このままでは本当に殴り飛ばしかねない。背中でグイグイと俊介の体を押し込み、白鳥さんに忠告するように言った。
「俊介に付き纏うのは良いけど、注意してくれよ! 本当に殴り飛ばしかねないから!」
「良い訳ねーだろ! 付き纏うなんてストーカー案件だっつの!」
足の筋肉に物を言わせて俊介を階段まで押し込む。
その様子を笑いながら見ていた白鳥さんが、ぽそりと呟いた。
「不良なんて退屈なんですよ。どいつもこいつもクソみたいな身分に……」
低く重く、暗い声で彼女がそう言った。
その言葉の意味を問いただしたかったが、今は後ろで暴れる俊介を押し込む方が大事そうだ。
階段を一歩ずつ、転げ落ちないようにしっかりと踏みしめて降りた。




