彼女の作り物
「……ビビってたけど、流石に野宿する訳にもいかないしな……」
時刻は既に夜の八時を過ぎた。頼りない街灯が道路を照らし、吐き出した息が白く染まる。
俊介の家は、今行くと面倒くさいことが起きそうなので却下だ。しかし、あいつ以外に泊めてくれそうな友人は居ない。というか友人が居ない。
足音を完全に消して歩き、玄関の扉をゆっくりと開ける。
「……」
息を潜めつつ、廊下の壁に耳を当てる。
とりあえず、一階に人の気配は感じない。視力も運動神経も悪いが、聴力と筋力だけは親から受け継いだいい部分だ。
一秒で一ミリ進むほどゆったりとした動きで、フローリングの廊下を進む。
踵から踏みしめるように階段を昇り、足音を完全に消す。この昇り方は俊介が教えてくれたものだ。いつか役に立つとは言っていたが、まさかこんな状況で役に立つとは思わなかった。
壁の影に潜み、顔だけを廊下の向こうへ出す。
クロモが住み着いている両親の寝室にも、俺の部屋の扉にも異常はない。何もなさ過ぎて、逆に不気味なぐらいだ。
「もしかして、出かけてるのか……?」
そういえば、家の前に原付が止まっているかを確認するのを忘れていた。
痛い失敗だが、この際突き進むしかない。どうせ、部屋の中に入ってしまえば安全なのだ。
冬なのにじんわりと汗を出してしまうほど集中し、のろのろとした動きで廊下を進む。
喉をぎゅっと絞め、自室のドアノブをゆっくりと傾け、扉を開いた。
転がり込むように部屋の中に入り、扉を閉めて内側から鍵をかける。
「――っぷはぁ~……」
止めていた息を一気に口から出し、カーペットの上に崩れ落ちる。
電気を点けようと今更起き上がる気分にもならず、首だけを動かして部屋の中を見回した。
有名どころの完結済み漫画が詰まった本棚に、ゲーム用のモニターが載ったデスクとチェア。後は俺が三千円で買った安物のベッドのみだ。
相変わらず簡素な部屋だとは自分でも思うが、汚部屋ではないだけマシだろう。
カーペットは寝心地が悪いので、半ば這うようにしてベッドの中に潜り込んだ。
「ぁ?」
目を閉じ、さっさと眠ってしまおうと思った瞬間。
ゲーム用のチェアの車輪が、きぃっと小さな音を鳴らしたのが聞こえた。
落ちかけた意識をたたき起こし、紙の様に薄く目を開く。
「……優人……」
部屋の中央に、制服姿のまま立っているクロモが居た。
びくりと震える体を抑え、一気に覚醒した意識のまま薄目でその様子を眺める。
デスクの下には、本当に狭いがスペースがある。彼女ぐらい小柄なら、あの中に入ることも出来るだろう。
「隠れるように帰ってこなくても、もう怒ってはいないのに……」
何だろう。
少しだけ、クロモに違和感を感じる。雰囲気はいつも通り冷たく大人しいのだが、作っていない……というのだろうか。
彼女がベッドにゆっくりと腰かけ、俺の頭に手を伸ばす。
「本当に感謝してるんだよ。私なんかを受け止めてくれて、捨てないでくれて……」
わかった。
普段と口調が違うんだ。ですます口調ではなくて、少しだけフランクな話し方になっているんだ。
彼女が指先で、俺の顎から涙袋まで指の先でゆっくりと擦る。
「何時まで一緒に居られるかな……。たまに暴れるけど、本当にごめんね……」
そう言った後、彼女が俺の涙袋から指先を離す。そして、ゆっくりと顔を近づけてきた。
目を開けているのがバレたのかと思い、ぎゅうっと強く目を閉じる。
瞬間、花のような優しい匂いが漂った後、おでこに柔らかい感触が走った。
ぽかんと思考が固まった数十秒の間に、クロモが部屋から出て行く音が耳に入った。
ゆっくりと体を起こし、おでこに神経を集中させる。
「……」
気持ち悪いが、それがとても儚く、手放せばすぐに壊れてしまいそうな感じがした。
壁際に体を寄せて枕で頭を固定し、顔を仰向けにして目を閉じる。
いつもならすぐに寝てしまうほどの疲れが体に残っていたが、その日はやけに寝付けなかった。




