クロモ's room
退院し、初めての学校帰りの夕刻。
当然の様に置かれているクロモの原付の横を通り過ぎ、玄関の扉を開けた。
「た、ただいま~……」
ゆっくりと家の中に入り、靴箱にクロモの靴がないことを確認する。
壁に耳をあて、リビングとキッチンに人の気配がないことを感じ、ふうっと安堵の溜息を吐いた。
「とっとと部屋に閉じこもるか……」
鞄の重量を肩に感じつつ、階段を一気に駆け上がる。
フローリングの床をすり足で走り、自室の扉を開けようとした瞬間。ふと、両親の寝室が目に入った。
クロモが住み着いているのは、確かあの部屋だったはずだ。そして、その彼女も今は家に居ない。
「よし」
すり足で両親の部屋の前まで移動し、ゆっくりとドアノブを捻り、扉を開ける。
ふわぁっとした、柔らかい匂いがドアの隙間から流れ出てきた。頭だけを突っ込み、きょろきょろと中を観察する。
「……何もない」
てっきり、目が飛び出しそうなほどヤバイ代物が置いてあるかと思ったが、そうでもなかった。両親が使っているダブルベッドに、アンティークの小棚と机。それ以外には何も置かれていない。
部屋の中に完全に体を入れ、パタリと扉をしめる。
「何か、決して悪くはないんだけど、変な匂いがするな……」
顔を少しだけしかめつつ、小棚に近寄る。
ベッドの横に置かれた棚の取っ手には、少しだけ埃が積もっている。いや、これ本当に埃か?
足の指で取っ手を引っ掛け、ズズズと音を鳴らしながら開く。
「……あっ。」
パタリと、棚を元に戻した。
そりゃ夫婦だからそういう道具もあるよね。知りたくなかったけど。
紫色と透明のそれが記憶にこびりついてしまったが、時間経過で取れると信じたい。
ベッドから離れた位置にある机の前に移動し、一番下の引き出しを足で開ける。
「プリント? それにしては多いけど……」
大量にある黄色のファイルに、かなりの数の紙が挟まっていた。体をかがめ、唯一動かせる指先でファイルを一つ取り出した。
机の上に置き、中の紙を出す。
「……」
無言になるしかなかった。
俺が普段寝るときは、扉に鍵をかけ、その上に椅子を立てかけているのだ。
そんな面倒な作業を毎日するほど厳重に警戒していたのに。
目の前に、寝顔が写された写真が置かれていた。
一枚目は涎を垂らして爆睡しているのに、二枚目になった途端涎が消えている。ご丁寧に、透明の液体がついた指まで写されている。
よからぬ考えが頭に浮かんでは消えを繰り返し、ファイルの中にいそいそと写真を戻す。一番下の引きだしにファイルを入れ、二段目の引き出しを開けた。
真っ先に見えたのは、肌色。その時点でかなりの嫌な予感がしたので、引き出しを開ける足の速度を少しだけ緩める。
一番当たっていて欲しくない予想が当たってしまった気分とは、こういう物なのだろう。
俺のベッドの上でよからぬことをしているクロモの写真が入れられていた。まあ、シーツに盛大な日本地図を作る行為である。
欲情を通り越し、仏のような視点でその写真を眺める。
「我は仏、我は仏……」
「なら、今日は精進料理でよろしいですか?」
「うんいいよ……うん?!」
引き出しを思い切り閉め、バッと振り返る。
制服姿のクロモが、いつの間にか背後に立っていた。
「先日は申し訳ありませんでした。私も少し気が動転していて……」
「いやいや、怪我がなかったならいいんだけど……あはは……」
ペンギンの様に少しずつ、少しずつ部屋の扉へ進む。
何か持っている様子はないが、なんとなくヤバイ気がする。偶には直感に従った方がいいことは、ここ最近の出来事で嫌と言うほど知っている。
そんな風に警戒していたが、意外にも何もなかった。クロモはそう言った後、すぐに扉に向かって歩いていった。
少しだけ寂しさを抱いたが、扉を開き、彼女が出て行く瞬間、
「申してくれれば、いつでも……」
そう呟いた。
パタパタと廊下を歩く音が響き、階段を降りてキッチンに向かう足音が聞こえる。
「……いつでも、って……」
少し複雑な気分になりながら、俺は写真を盗んだ。




