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ケントルム王国の王都。王都には王様が暮らす王城があり、その周りに貴族街がある。貴族街の周りを取り囲んでいるのが、平民街。平民街の中には、商人や職人、ギルドに籍を置く冒険者や観光客が出入りしている。
平民街にある『白鹿亭』。ここは主に宿屋を生業としているが、お客さんの要望で昼は食堂もやっている。
白鹿亭を切り盛りしているのは、ガンツとナンシーのモリス夫妻。
ガンツが料理を担当し、ナンシーが宿泊の受付などを担当している。
更に従業員は料理人として働くベン・ウィルソンと配膳と注文を担当するヴィオレット・ハマーがいる。この二人は通いで働いている。
ユーリはモリス夫妻と一緒に暮らしながら、洗濯や掃除などの雑務を担当している。
今日も朝から雨がザーザーと降り頻っている。今の時期は梅雨のせいでほぼ毎日が雨。
その為、店内は湿気が多く、洗濯したシーツも乾きづらい事にユーリは辟易していた。
雨の日はお客さんが余り入らないので、今のうちに買い出しに出ようとユーリは勝手口を開けた。
ちょうど、扉を開けた所の路地裏に薄汚れたローブを纏った小さな塊が踞っている。
最初は犬か猫なんかがローブに包まって寝ているのかと思った。でも、塊が身動きした事で、ローブの隙間から白い手足が見える。
「人間だ。それにしては、小さいような?」
外に出ようと買い出しでいつも使っている黒い傘を差してから近付いてみる。
左手に傘を持ち直して右手でローブの裾を捲ってみた。
「子供だ。それに綺麗な顔。こんな美少女が、どうしてこんな所に?」
ちょうど、捲ったのは顔の部分だったらしくローブの持ち主の顔がハッキリと見えた。
ボサボサの銀の髪に綺麗な柳眉、鼻筋が通っている。生気が無いのか、本来なら桃色をしているであろう頬は白い。ただ、唇だけが紅を差した様に紅い。幼いながら大変美しい容貌をしている。
動いていた事から生きているのは分かるが、一向に目を覚まさないので心配になる。恐る恐る手の甲を頬に着けてみる。
「…冷たい」
雨に打たれて体が冷えてしまっているらしい。勝手口付近は軒先なので余り雨が降ってこないが、それでも全く濡れない訳ではない。
(どうしよう…ナンシーさんに話してみよう)
差していた傘を差しかけてから勝手口から店内に戻り、ナンシーさんを探す。
「ヴィオレットさん、ナンシーさん見なかった?」
食堂でお客さんで来ていた冒険者の注文を聞いている所だったヴィオレットへ声を掛けてみる。
「ナンシーさんなら、厨房に居たわよ」
「ありがとう」
直ぐに厨房へと向かうとガンツとナンシーが話している所だった。カウンターを回り込んで厨房内へと入る。
「ガンツさん、ナンシーさん」
「どうしたの?」
ナンシーは、おっとりした性格で雰囲気や言葉がふんわりと柔らかい。あと、抱き締めると柔らかい。
「ユーリ、買い出しはどうしたんだ?お金忘れたのか?」
ガンツは短く借り上げられた焦げ茶色の髪と元冒険者の為か顔に大きな傷があり、目付きが若干きついので誤解されがちだ。
実際は、とても優しいし、繊細な質の彼は、誤解される毎に傷付く。それをナンシーと私で全力で慰めるのがいつもの定番。
「買い出しは後でちゃんと行くよ。そうじゃなくて、その…」
ユーリは言い出しづらかった。二人に宿屋に置いてもらっている身で、もう一人増えたら二人の負担になってしまうのでは無いかと考えると口が重くなってしまうのは仕方の無い事だった。
「な~に?私達の間で遠慮は要らないのよ?」
優しく頭を撫でてくれるナンシー。そんな彼女にユーリは、いつも甘えてしまっている。
「そうだぞ」
ガンツもユーリの言葉を優しく促してくれる。二人は、いつもユーリが困ったら優しく励まして、導いてくれる。
それはユーリが欲しかった愛情と言うものだ。親から無償で与えられる筈のモノがユーリには与えられず、愛してほしくて勉強や家事を頑張っても親は誉めてくれず、愛してもくれなかった。
でも、二人はユーリに惜しみ無い愛情を注いでくれる。血が繋がっていないユーリに。それがユーリにとって、どれだけ嬉しかった事か。
「……助けたい子供がいるの。私が世話をするから、二人には迷惑を掛けないようにする。だから…」
「なんだ、そんな事か」
ガンツが息を詰めていたらしく、ホッと溜め息を漏らした。その横で相変わらずおっとりと微笑んでいるナンシーにユーリは視線を向ける。
「良いのよ。ユーリのしたいようにして。以前のユーリだったら、言わずに耐えていたでしょう?それは私達に少しでも甘えてくれている証拠よね」
手を頬に当てて、ふふふっと嬉しそうに笑うナンシー。
「ありがとう!ガンツさん!ナンシーさん!」
嬉しくて笑ってしまい、ユーリは照れ隠しで二人に抱き着いてから外の子供を迎えに行く。
ユーリが立ち去った後も二人は厨房で嬉しそうにしている。
「ナンシー」
「な~に?」
「子供って良いな」
「そうね。私達には授からなかったけど、あんなに良い娘が居てくれるなら、こんなに嬉しい事は無いわ」
長年連れ添った二人だったが、結局子供を授からなかった。寂しくはあったけれど、二人で仲良く宿屋を経営していた。
長年二人でやっていたが、年齢的に厳しくなり始め、畳んでしまおうかと悩んでいる時にユーリと出会った。
二人が宿屋をやっていると話すとユーリが手伝うと言ってくれた。
それからは、三人で宿屋をやる事にした。すると、いつの間にかお客さんが増え、昼は食堂として開放し、従業員を雇える程に余裕ができてきた。
更に若い娘がいる事で自分達の娘のような錯覚を起こしたのか、衰えていた体力が漲って来ているような気もしていた。
二人の娘は頑張り屋で気配りができる優しい娘だ。愛情に飢えていて、でも甘え下手で、いつも自信が無さげだ。そんな放っておけない娘が可愛くて、甘えてくれないなら、こちらから全力で甘やかす事にした二人だった。
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