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5話 恋心


「それでね、お兄ちゃんったらなんて言ったと思う? 詩はいまいちセンスに欠けるから俺が選んでやる、だって。一体何様よ!」

「うーん、庇うつもりはないけど、佑だって悪気があって言ったんじゃないと思うよ?」

「そんなことないよ。だって詩にはお兄ちゃんが悪玉菌の塊にしか見えないもん」

「ハハッ、ならしっかりと腸内フローラを整えないとね。母さんもそう思うだろ?」

「そうね、拓哉さん。水溶性食物繊維を多く摂取するといいんじゃないかしら。ヨーグルトが冷蔵庫にあるから食後にでもみんなで食べましょう」

「わーい、ヨーグルト!」

「……」


 そういうのは本人がいないところで話せって言おうとしたら、いつの間にか話が違う方向に脱線してヨーグルトの話になっていた。

 つまり俺はヨーグルト以下ですかそうですか。


 ――今は夜。午後八時前。

 五十嵐剣道具店でのミニライブを終え詩が会場グッズならぬ面タオルを購入したのち、何事もなく帰途に就き自宅まで戻ってきてようやく晩飯にありついたところである。

 リビングには、俺と詩、物腰柔らかな父親と虫も殺さないような母親、それから肉が噛み切れないのかずっと咀嚼そしゃくをする祖父の五人が食卓を囲んでいた。

 因みに今日の晩飯は豚肉の生姜焼きだ。その他にバランスのとれたおかずが何品か並んでいる。


 食事は毎回こう、なんというか賑やかだ。

 詩主体で話が進み、俺は主に相槌を打ったり突っ込むのに徹している。黙々と箸を動かしてるのは爺ちゃんで、昔の人特有のちょっと古い考えの持ち主である。三年ほど前に婆ちゃんに先立たれたものの、今は悲しみの淵から抜け出し剣道の師範代として弟子の指導にあたっていた。最高段位の八段を有するすごい人だ。その実力は折り紙付き。孫ながら尊敬の念だって抱いている。

 母さんは専業主婦として家の安全を守るのに勤め、父さんは単身赴任気味のサラリーマンで、例によって明後日から転勤を余儀なくされている。

 父さんはもう慣れっこというが、この悲報に一番悲しんでいるであろう人は――


「およよ、せっかく先月に戻ってきたばかりなのにまさかもう転勤だなんて。拓哉さん、嫌になったらこの仕事いつ辞めてもいいんですからね?」

「いやいや、この仕事辞めちゃったら家族が路頭に――迷うことはないだろうけど、一家の大黒柱であることには変わりないからしっかり頑張らないとね。けど、心配してくれてありがと母さん。愛してるよ」

「うふふ、私も愛してますよ。拓哉たくやさん」


 ……食事中だというのに互いにジッと見つめ合っている。自他共に認めるおしどり夫婦というやつだ。詩がヒューヒューと囃し立てている。俺とじいちゃんは揃いも揃ってテレビに夢中、いや俺に関しては夢中なフリ。因みに今観ているのは、何でも当たると評判の占い師についての特番だ。

 が、それでも気にならないといえば嘘になるわけで――


「……ん、どうしたんだ? 佑」

「あ、いや。別に何でもない」


 何でもない、なんてことはないだろうが、口にした通り何でもない風を装うと父さんはそれ以上言及してこなかった。が、代わりに妹のやつがニヤニヤとした顔で俺を見ていた。

 その顔やめろ。腹立つから。

 胸中で突っ込みだけ入れた俺は、何事もなかったかのようにテレビの画面に視線を戻す。


 こうして食事の風景は過ぎ去り、風呂にも入り、あとは床に就くだけという就寝寸前。

 俺が睡魔の誘いにあっさり乗りベッドの上に寝転ぶと、まるで狙ったようなタイミングで窓をコツンと叩く音がした。

 疑問には思わない。この音に俺は幾度となく聞き覚えがあったからだ。

 コツンからコンコン。果てはココココンとビートを刻むように小刻みになったところで、俺は上体を起こし勢いよくカーテンを開け放った。


「あ」


 一メートル先の窓から身を乗り出し、俺の姿を認めるや手にしていたフック棒を引っ込め、窓のさんに手をつき待つ姿勢でいる百奈。

 ここは二階。設計ミスなんじゃと思えるくらい隣地との境界線が短く、南側に位置する俺の部屋から百奈の部屋まで限りなく近いため、もはやスマホいらずでこうして長ものなどを使いコンタクトを取り合ったりする。まぁ、主に百奈がだけど。

 俺は窓を開けると詩の部屋の電気がついていないことを確認してから、近所迷惑にならない程度の声量で話し掛けた。


「もうちょっとで睡魔に負けて寝るとこだったぞ。どうした?」

「あー、あはは。それはごめんごめんご。うんとね、すこーしだけたーくんとお話ししたかったから」

「話?」


 気恥ずかしそうに百奈が頷く。頷いて、見るともなく空を見上げる百奈は、ボソボソと聞こえないような声で何かを呟くと、果たして覚悟を決めたのか唾を呑み込み俺へと向き直った。


「たーくんって明日時間あったりする? あるならちょいと付き合ってほしいんだけど」


 言われて俺は明日予定がなかったか思い出す。いや思い出すまでもなく俺のスケジュール帳は真っ白だ。強いて言うなら剣道の稽古があるくらいだが、日にちをずらすくらいの融通は利く。


「明日なら大丈夫だな。つうか珍しいな、百奈から誘ってくるなんて。買い物かなんかに付き合ってほしいとか?」

「まぁ、そんなとこ。……うん。でも、これだけは言わせて」


 言わせてと言った百奈だったが、何やら枠外に手を伸ばしおもむろに何かを掴み胸元辺りに手繰り寄せた。そしてその手に持っていたものは満タンに入ったカルピスのペットボトルで、蓋を開けるや半分まで飲み干した百奈は、しっかりと蓋をしめてから俺に向かってそれを放った。


「うおっ……とと」


 抜群のコントロールで取り損ねることはなかったが、なぜにペットボトル?


「あげる。というか飲んで。今ここで」


 命令調でそう促す百奈。

 別段断る理由もないため言われるがまま蓋を開け口をつけると、それを見ていた百奈がりんご病にでもかかったみたいに頰を染め俯き加減となる。

 んん? これって間接キスになるから恥ずかしいってことか? いやいや何年の付き合いだよ俺達。今更こんなことで恥ずかしがるなんてそんな……いや、だって。


 ――本当は気付いてるんだろ俺。

 ――お前だって意識してたじゃないか。


 そんな考えが無間地獄のようにエンドレスで反復していた時、恥ずかしい気持ちを紛らわすが如く百奈が声を張り上げた。


「私! 私ね……たーくんのこと、ずっとずっと、ずーーっと前から……っ! …あ、明日九時に待ち合わせ! 場所は菅浦駅の前にある菅浦西公園の、ええと、噴水のすぐ近くで! じゃ、私もう寝るから、おやすみ!!」


 最後は一方的に捲し立てられ、俺の言葉を待つでもなく話を打ち切り勢いよく窓とカーテンを閉め遮断したのだった。


「……」


 呆然という表現も強ち間違ってはないが、いやそれよりも、俺の身体は今までに感じたことのない興奮に支配されていた。

 心臓が張り裂けるんじゃないかと思えるほどに心臓が早鐘を打ち、尋常でないほど切なさに胸が突き上がる。

 この一週間、振り返ってみても百奈はこんな調子だった。いつにも増して積極的というか、とにかくアプローチがすごかった。

 もちろん、俺がそのことに気付かないはずもなく、俺も俺で天性の鈍感さをかなぐり捨てて百奈と向き合っていたつもりだ。もっとも、その期待に応えられていたかといえばあまり自信はないけども。

 昔と比べて本当に女らしく魅力的に成長した百奈。そうでなくても百奈はナイーブだ。天真爛漫で人当たりもいい。

 昔からそれなりに恋心はあった。それこそ幼稚園の時から。それは今だって変わらない。ただ行動に移すキッカケがなかっただけだ。

 だがそれを逃げ口上にする気はさらさらない。今までの関係が崩れるのが嫌で、ただそのことから目を背け続けていた。


 ――だけど、今は違う。

 ある意味で利害が一致し、幼馴染みがこれ以上ないくらいお膳立てしてくれたんだ。ここでいかなかったらそれこそ男じゃねえ。


 だからこそ俺は明日、百奈に――


「――お兄ちゃん」

「ひょわああっ!?」


 真横から声を掛けられ思わず飛び上がる。

 別の意味で心臓がバクバクし、おっかなびっくり首を巡らすとそこにいたのは詩で、なぜか話し掛けてきたであろう詩も驚いているようだった。

 あまり膨らみのみられない胸の真ん中辺りに手を当てる詩は、


「あービックリした。心臓が飛び出るかと思ったよ」

「そ、それはこっちの台詞だ! 大体なんで俺の部屋に詩がいやがる。入る時はノックしろっていつも言ってるだろ」

「ノックなら何回もしたって。単にお兄ちゃんが気が付かなかっただけでしょ。詩のせいにしないでよねまったく」


 そう言って腕組みぷんすかと頬を膨らます。

 何回もした? マジかよ。全く気が付かなかった。

 それはつまり、ノックの音ですら気が付かないくらいに俺は考えに耽っていたってこと、だよな。


 恋は盲目というフレーズが脳裏を過ぎり、いやいや俺に限ってそんなことはないと思いっ切りかぶりを振る。振ったものの、まぁでも、ちょっとくらいならと笑みを口許に浮かべる。

 なんてったって明日は七夕だ。少しくらい羽目を外したところで決してバチは当たるまい。むしろ織姫と彦星も本望だろうさ。


「……で、俺に何の用だよ?」

「そうだった。むっふっふ〜。やるじゃんお兄ちゃん! 詩、見直しちゃった」

「何の話だ?」

「百奈ちゃんのこと」


 げっ、まさか詩のやつ、ずっと聞き耳を立ててたんじゃないだろうな。

 妹相手に露骨にいぶかしんでいると当の本人はこれっぽっちも悪びれた様子もなく例に漏れず卑しい笑みをその顔に湛え、ズビシッという擬音が付くくらいの勢いで俺に人差し指を突き立てた。


「明日は一年に一回しかない七夕なんだからビシッと決めなきゃダメだよ。まぁ? 彼氏の一人もいない詩には関係のない話なんですけどね~」


 結局何が言いたい。


「はいこれ」


 と詩が手渡してきたもの、それは樋口一葉がプリントされたイラスト――というのも強ち間違っちゃいないが、端的に言うと五千円札だった。


「何これ?」

「五千円」


 それは見れば分かる。


「明日のデート資金に使いなよ。お兄ちゃんバイトやってないし貰える小遣いだけじゃ資金繰り厳しいって何かにつけて漏らしてたじゃん。だからあげる。百奈ちゃんとのデート資金用にね。でもあげるからにはちゃんと有効活用しなよ。でないとおこだから」

「詩……」


 ……年寄りから言葉巧みに奪った汚い年金とも一瞬思ったが、よくよく考えてもみるとお金自体に罪はない。さらに極論を言えば、いくら汚かろうが金は金だ。使ってしまえば何の問題もない。

 結論は出たと俺は申し訳なさと感謝の意をないまぜにして詩の頭を優しく撫でた。


「ありがとな、詩」

「えへへ、どういたしましてのもものすけ」


 それはちょっとよく分からない。


 ――ここまでの記憶が一昨日、七月六日木曜日にあたるものだ。

 この日、違和感という違和感を感じることはなかった。となるとやはり七月七日が何らかのターニングポイントになったことはまず間違いない。


 そう言える根拠は次の日、七夕の日を迎えてすぐに突き付けられた既成事実にあった――


次回 一週間後くらい

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