2話 転校生
「ぐああああっ! テスト解ける気がしねええええっ!!」
自宅から徒歩圏内にある学校に到着し、一個下である詩が一年の教室に足を運ぶのを見届けたのち、今日が試験最終日であることなどとおくびにも出さない百奈とともに帰属意識を引っ提げて自分の教室に辿り着いてすぐのことだ。
窓際付近の席で頭を抱え、苦悶に満ちた顔を張り付けた顔馴染み、小野修也がそこにはいた。この四日間、飽きるほどに見た光景でもある。
そんな修也に、俺は友のよしみで忠告の言葉を送る。
「他のラストスパートかけてるクラスメイトの邪魔んなるから、騒ぐならよそでやった方がいいと思うぞ、修也」
「恨みを買われたくなかったらねー」と俺の後ろから顔を覗かせる百奈。
「来て早々、俺を見限るような冷てえこと言うなよなおめえら。お前達が俺にとっての最後のトリカブトなんだからな?!」
「砦、だよな。俺がトリカブトならぽっくり逝っちまってるぞお前」
「そして草葉の陰からこっそり私達に答えを教えてくれるんだよね。さっすがシューヤン! そこにシビれる! あこがれるゥ!」
「おうよ! 間違った答えならいくらでも教えてやらァ!」
「あ、早く成仏してもらっていいですか?」
「いくらなんでも手のひら返すの早過ぎやしねえか!?」
ワッハッハッハと楽しく哄笑するバカ二人だが、いい加減衆目に晒されてるのに気付いた方がいい。そして恨みがましい目で見られる俺の身にもなってくれ。
「あれ? そういえばかほりんは? 姿が見えないけど」
「便所だってさ。きっと試験前で緊張してトイレが近くなってるのに百レアル」
「じゃあ私は化粧直しに行ってるのに千バーツ!」
「おっ、俺の十倍も賭けてきたってことはよっぽど自信あるってこったな?」
「えへへー、そゆこと! 持ってけドロボー!」
「しょうもないことで張り合わないでくれるかお前ら」
それに、今のレートだと千バーツの方が安いんじゃないか?
「もう。私がお手洗いに行ってる間に変な話で盛り上がらないでよ」
「あっ、かほりんりん!」
「りん、一個多いぞ」
後ろの引き戸からとことこと恥ずかしそうに駆けてきたのは、中学からの親友、宇佐美果穂だ。
黒髪ロングで、清楚でおとなしい子って言やいいかな。裏表も腹黒さも一切感じられないすげえいい子だ。
そんでもって彼女から見て、俺親友、百奈大親友、そして――
「まぁまぁ、ちょっとくらいいーじゃんか。果穂ちゃんの広い心なら何でも許容してくれるって俺信じてっから」
「いや何でもは無理だよ!? 例えば......その、修ちゃんが浮気とかしたら、私ゆるひゃないんらからっ!」
――このリア充カップルめが!
おっと、ついポロっと本音が。
見ての通り、というか聞いての通り、果穂と修也は付き合っている。
美男美女カップルと言えばそれまでだが、修也は俺よりも立っ端があり顔立ちの整った二枚目で、付き合う以前から異性にモテていた。頭の方はお世辞にもいいとは言えないが、その代わり運動神経は抜群で運動部からは引っ張りだこだったと記憶している。
次に果穂も引っ込み思案な性格ではあるものの、自分よりも他人をよく気遣い、愛嬌ないし美少女なのも相俟ってこちらも異性からの人気が高い。
双方ともに羨ましい限りだ。もっとも、今更身の上を憂いたところでどうこうなるもんでもないけどさ。
「今日というか最後は古典とライティングの二科目だな。今まで三科目だった分、一つ減って二つになったんだからある意味楽勝だろ」
「そういう問題じゃねえッ! テストの存在自体忌むべきものなのよ俺にとっちゃ。たかだか紙切れ一枚に人生を左右されたくねえって話だ。この世から抹消して然るべき懸案だと俺は思うぜ。まぁ百歩譲って真面目に取り組むにしても、俺の比較的得意な教科、現代文に生物、保健は全部一日目に重なりやがったからな。既に詰んだも同然だぜ!」
「なんで自慢気なんだよ...というか、英語のライティングはともかく、現代文がいけるなら古典なんてお茶の子さいさいだろ。まず古典文法を完璧にマスターするだろ? 次に古文常識を身に付けーの、古文単語覚えーの、最後に敬語に取り組んではい終了。な、簡単だろ?」
「簡単だろ、じゃねぇえ! 仮に簡単だったとしてもそれは勉強ができるやつの台詞じゃボケ。ああ、もういい。不毛な議論は終了して、俺は遊びに興じるぜ」
言うが早いか、ポケットからスマートフォンを取り出した修也は、何やら画面を操作するとスマホを鷲掴みにし、開き直ったように俺達にその画面を見せた。
「見やがれ、俺のラブモンのデータを! プレイヤーランク百だぜ?! すっげえだろ!」
「うわ......。......すげえな修也! 尊敬に値するレベルだ」
「あ、今の絶妙な間、ひょっとしなくても引いたねたーくん?」
「えっ、マジで!?」
百奈の言葉に心底驚く修也。そら引くわ。なんだよ、プレイヤーランク百って。ランキングとかあったら絶対上位にランクインしてるだろ。
どうやら俺だけでなく、傍らに立つ百奈と困ったような顔をする果穂、それから周囲にいるクラスメイトも、俺達の話を耳にし仲良く苦笑しているようだった。
スマホの普及率が七割を超える現代において、去年七月、あるソーシャルゲームのアプリがリリースされ、その意外性と斬新さからたちまち人気が出、社会現象にまで発展した。
その名も、【ラブリーモンスター】。縮めてラブモン。
株式会社ラナックが二◯十六年七月七日にリリースしたアプリの名称で、その内容は位置情報を活用することで、リアルに現れる可愛らしいモンスターを仲間にし、育て親として愛情を注ぎ育成するというもの。シンプルながら話題性には富んでいた。
割りかし俺もやってはいるが、まだランクは五十を超えたあたりだ。そういやラブモンに課金してるって話も前に聞いたな。いくらなんでものめりこみな気もするけど、面白いのは素直に認める。でも課金するってほどじゃないかな。無課金でも十分楽しめるし。
そんなラブモンもついに明日で一周年を迎え、大々的にイベントを開くと運営側が豪語していた。
正直言って俺も楽しみにしてないと言えば嘘になる。何をやるのか未だそのほとんどの情報がカミングスーンとなっているが、なんだかんだで妄想してる時が一番楽しいとも言うしさして問題はなかったりする。
テストなど記憶から抹消したとでも言わんばかりにスマホ片手に教室中を闊歩する修也は、
「おっ、すぐ近くにレアモンの反応あんな。方向的にこっち側に沸いてーー」
ドンッ。
そんな音が俺のすぐ側でした。
すぐさま音のした方を見遣ると、修也が窓際後方一番目の席に座る女生徒と相対していた。傍目に、彼女あるいは彼女の机にぶつかったんだと悟る。
「うおっ、わる......」
反射的に謝罪の言葉を述べようとしたであろう親友の口が止まる。
――それはなぜか?
そんなのは決まっている。
修也が接触した女生徒――氷室藍が、深窓の令嬢を彷彿とさせる様相でその場に佇んでいたからだ。
眉目好い顔に見え隠れする人形めいた表情。色白で透明感のある肌。そして絹糸のような焦げ茶色の髪が余計に少女を魅力的なものへと昇華させていた。
身長は女子の平均くらいはあり、いかにも女の子らしい身体付き。胸もたわわで魅力的なプロポーションまで兼ね備えているのは正直反則的と言っていい。
背筋をピンと伸ばし机の上で手と手を重ね窓から外界の果てを望む彼女の姿はまるで一幅の絵のようであった。その様子に釘付けになるのとはまた違った感慨を覚えたのはどうやら俺だけではないらしく、他のクラスメイトもまた静寂の虜になっていた。
そんな中、加害者側にあたる氷室は、一テンポほど間が空いてからようやく修也とぶつかったことを認識したようで、ゆったりとした動作で顔を修也へと向けると、「大丈夫。......大丈夫?」となぜか語末に疑問符を付けていた。......って、ぶつかった修也が怪我してないか心配したってことか。紛らわしい訊き方だな。
鈴を振るような声で紡がれる問いにおずおずと口を開きかける修也だが、すぐさま横槍がとんできた。
「無問題だよ藍ちゃん! シューヤンって頑丈なとこだけが取り柄だからさ。丈夫な身体に産んでくれた両親に未来永劫感謝だねっ」
「あ......? いやそれ俺の台詞だからな!」とキョトンとしていた修也の意識が戻ってくる。
「えっと、氷室さん。修ちゃんがごめんね。大丈夫だった? ちょっと悪ふざけが過ぎたと思うから、あとでしっかりと言い聞かせておくね」
「......うん。後のことは、任せる」
「オイオイ俺は問題児扱いかよったく」
誰も修也の肩を持たないのはまぁ自業自得だからいいとして、この必要以上に喋ろうとしない氷室は元々そういう性格だからかもしれないが、転校生というのもその一因にはなってると思う。
つっても、氷室が転校してきてから既に四ヶ月が経とうとしてるけど、先の通り彼女にはいい意味で近寄り難い雰囲気がある。話し掛けるのも畏れ多いというか、そのせいもあって寡黙な彼女に近付く人間は数えるほどしかいなかった。
だがそんなことはお構いなしにと誰彼構わず話し掛ける人種も中にはいて、それが百奈達というわけだ。
そのメンバーの中には当然俺も含まれていて、例によって俺も百奈達に混じって口述した。
「氷室さ、机に何も出してないけどテスト勉強しなくて平気なのか?」
「一応は。そういう如月くんだって、何もやってないように見えるけど?」
手痛い正論。まぁズバリそうなんだけど。
俺に指摘を受けたからなのか机の横に掛けてあった鞄に手を突っ込む氷室は、そこから一冊の本を取り出した。
見たところA6に近いサイズ。一体何の文庫だと思索する必要もなかった。透明なブックカバーの施された表紙にはでかでかと可愛い女の子のイラストが描かれていた。無論、三次元ではなく二次元だ。
あまり詳しくはないが、俗に言うラノベと呼称されるやつだろう。妹がよくリビングで読んでいるのをたびたび目撃している。
「......」
たおやかな指で本をめくり何かのキャラクターがプリントされた栞を机上に置く氷室は、俺達など初めからいなかったと言わんばかりにその小説を紐解き始めた。
なんつうか、いまいちつかみどころのないやつだな。
こうなってしまっては話し掛けるだけ無駄だろう。肩を竦めて顔を見合わせる俺達は、最後の悪あがき――もとい、真面目に勉学に勤しむクラスメイトに倣うべきだろうと各々の席へと散っていった。
次回一週間後くらい