♪放課後ワーク
青春物語です。
とある高校生の二人が卒業式に思い出に馳せる内容になっています。
梅の花が咲き乱れ、桜の蕾が芽吹く季節になった。
春先とはいえ、まだ薄ら寒く風がよそよそしい。
けれど、暦の上では立派な春だ。
左胸に咲き誇る桃色の花飾りがその証と言えよう。
手を伸ばし、花飾りに指先を触れた。
「ここにいたのか、輝」
「翔!」
扉を開けて入ってきたのは、小学校以来の仲である衛藤 翔。高校初め頃に染めた赤褐色の髪は、生徒指導の対象となり、よく先生に追いかけられていた。
輝は視線を彼の胸元に向けて、苦笑を漏らす。
「随分、やられたみたいだね」
「女の方が野獣だな」
「ははっ、美男と野獣? ありそうだね」
淡々と事実を口にする翔の表情に、疲れが見える。
学校指定の学ランの前ボタンを奪い尽くされるまでに、どれだけの労力を使ったのだろう。
輝は彼の元へ行き、自分の胸に着けられていた花飾りで、彼の学ランの前部分を止めた。
「不格好だけど、これで我慢してね」
「・・・ん、ありがとう」
「どういたしまして」
輝は足を下げて翔から距離を取った。
そのまま教室の窓縁に肘を乗せ、校庭を見下ろした。
まばらに点在する生徒達。
ほんの数分前までは、自分たちもあの中にいたのだ。
「・・・高校生活、楽しかったね」
「あぁ」
「特に三年生が一番、楽しかったよ」
「勉強漬けだったのに?」
「それは、ほら・・・。最後の最後で、青春したじゃん」
輝は空に向かって指を差し、思い出を一つ一つ掘り下げていく。
梅雨の時期に行われた体育祭。
有志だけが募る夏の講習合宿。
秋の文化祭に冬の冬季講習。
あっという間の一年であり、悔いの残らない一年でもあった。
輝は目を閉じ、笑みを翔に向けた。
「大学に合格したのは、翔のお陰だよ」
「いや、輝が頑張ったからだ」
「うん、確かに頑張ったよ。けど、翔がいなかったら、きっと志望校には行けなかったと思うから、ありがとう」
翔は何か言いたげに、口を開けるが声にならず口を閉じる。
沈黙が二人の間に訪れ、窓から入り込む優しい風が、二人の間を通り抜けた。
遠くの方から聞こえる同級生達の声に耳を傾けながら、輝は瞼を開けて空を仰いだ。
「ねえ、少しだけ話しをしない?」
「話し?」
「そう、翔と一緒に過ごした一年間のことをさ・・・」
輝の提案に、翔は僅かに口端を上げて了承する。
全ての始まりは一年前の春からだった。
☆
茜色に染まった教室の中、シャーペンの走る音が響く。先ほどまで聞こえていた運動部のかけ声も今はなく、時間だけが一刻一刻と過ぎていった。
「・・・無理だよ、もう」
輝はシャーペンをワークの上に転がし、机に突っ伏した。
一度も染めたことがない黒髪が、頬に掛かり視界を悪くさせる。見た目だけは品方向性で通り、学校生活も違反行為など一度もしたことがない真面目な生徒だと自負しているが、この問題だけはどうにもできない。
「数学なんて、滅べ・・・」
半分以上が白紙の上、同じ問題の箇所を何度も消しゴムを掛けていたため、用紙はグシャグシャだ。
これ以上、やる気がしない。
シャーペンを指先で突っつき、意味のない行為をする。
今日もまた、先生が呼びに来るまでここにいることになるのだろうか。
「・・・たまにはちゃんと帰りたい」
成績が悪すぎて、放課後はほぼ補修に費やしているのに、全く問題が理解できなかった。
正直、これなら塾か予備校にでも行った方が良いのかもしれないが、家庭の事情上、それはあまりやりたくないし、塾には苦手な子が居る為、行きたくなかった。
そうなると、必然的に塾や予備校へ行っている子たちの方が成績が上がり、輝のような塾や予備校へ行っていない組の補修率が上がるというわけだ。
高校生活も残り僅かというのに、虚しい毎日を過ごしている気がする。
輝はシャーペンを手の平で受け止め、長く息を吐いた。
「もっと、青春したいぜ」
願望が先に口を出る。
「なら、真面目にワークをやるべきじゃないのか?」
教室の出入り口から言葉が返され、輝はポカンと口を半開きになった。
「翔、くん?」
学校指定の学ランの下に、青い色のパーカーを着こなし、髪は三ヶ月前に染めて以来、赤褐色だった。
☆
顔を仰ぐと、赤褐色に染められた髪が太陽の光に当てられ、鮮やかな赤色をしているように見えた。
「翔くん」
「輝は、まだ補修してんの?」
「う、うん。そうだけど・・・」
「だっせぇ」
笑うことなく、呆れてため息を吐く翔に、輝は苦笑いを浮かべた。
翔とは所謂、幼なじみと言った関係だ。出会いは小学一年生の時、苗字が天野 輝と、衛藤 翔で、席が近かったことから必然と仲良くなり、そのまま小学校、中学校とその仲は続いた。
但し、高校に入ってからは翔の方が急に疎遠気味になっており、少し寂しいと思っていたので、翔から話し掛けてきたことが純粋に嬉しかった。
「それで、何が分かんないの?」
翔は当然のように、輝の前に座り、ワークを覗き込んだ。
「! 翔、手伝ってくれるの」
「・・・最初だけだ。後は自分で解け」
素っ気ない態度だったが、凄く嬉しかった。
翔は一問、一問、丁寧に教えていってくれる。少しでも躓くと、教科書を開かせたり、何度も根気よく質問に答えてくれた。
「外角を求めるのに、何で内角から求めなくちゃいけないの?」
「・・・内角は、その図形の形で何度か決まっている。確かに外角から求めることもできるだろうが、オレはそのやり方を知らない。お前が外角から求めたいなら、どうぞご自由に」
「あ、いえ、内角からのやり方を教えて下さい!」
頭を下げれば、翔は何事もなかったかのように教えてくれる。
時折、先生から教わったやり方ではないやり方を教わるが、そこは仕方がない。翔は中学時代に行っていた塾のやり方を忠実に行っているせいだ。
(けど、本当に分かりやすいんだよなぁ)
メモを取り、質問を繰り返している内に、外は真っ暗になっていた。
しかし、そのお陰で、今日の分の補修は七時前に終わることができた。全て翔のお陰である。
「ありがとう、翔。これ、お礼」
翔の好きな紙パックのカフェオレを手渡すと、翔は小さく笑みを浮かべ、飲み口にストローを差した。
「まぁ、あれくらいはな。・・・というか、あの問題、中学の基礎だった気がするんだが?」
「うん。数学の先生がさ、お前は基礎からなってない、中学からやり直せ! 何て言うから、補修では中学の問題やってんの」
輝は自分の分用に買ったピーチティーを口にする。
甘酸っぱくて優しい味。毎日飲んでいたいが、生憎と桃味の飲み物は夏限定なので、残り三ヶ月しかこの味を楽しめない。寂しいが仕方がない。変わりに冬は翔と同じカフェオレを飲み始めるのだが、その時になると翔はコーヒー牛乳に主旨替えをする。
理由を尋ねた事があるが、「何となく」で返されたことがあるので深い意味はないのだろう。
(けど、味覚まで避けられてるようで、あんまりいい気はしないんだよなぁ)
上目遣いで翔を見上げると、翔から心底、呆れた視線を向けられた。
「お前、相当酷いな」
「言われなくっても分かってるよ」
「いいや、分かってない。分かってないから同じ事を繰り返すんだ」
翔は空になった紙パックを綺麗に畳み、自動販売機横のくず入れに捨てた。
「小さなミスも、繰り返し行うことで事態が悪化する事がある。お前はどこかで、自分自身に甘えがあるのだろう。それが、勉強に反映されているんじゃないのか?」
ぐうの音も出ない。
翔の言葉はいつも的を得ているから、反発などできるわけがない。
押し黙る輝に背を向けて、翔は歩き出す。
数メートル進んだ所で、翔は立ち止まり振り返ってきた。
置いていけばいいのに、どうして待っていてくれるのだろう。
輝は走り、翔に追いついた。翔は黙って隣を歩かせてくれる。その事が嬉しくて、輝は他愛もない話しを続けた。
「明日、晴れるかな?」
「晴れるな」
「星が綺麗だね」
「晴れてるからな」
「さっきはありがとう」
「別に」
「素っ気ないなぁ」
「生まれつきだ」
トントン拍子で続く会話に、心地よさを覚える。
昔に戻ったような感覚に、輝は今日のような日が続けばずっと良いと密かに思った春の初日のお話し。
END
最後に輝は性別を考えていません。男にするか女にするか悩み中だったりします。
短編なので続きがあるかは不明です。