キャンディーフレンド(3)
そうだよ。仕方がない。私はしたくてこうしているわけじゃないんだ。
今日もリンの手を引いて向かうのは、あの公園。
好きで来ている訳じゃないんだ。公園に着いた時、豪華ゲストメンバーを扱うように。満面の笑みが張り付いた顔たちに囲まれて、「待っていました」と声をかけられても。遅れてきたにも関わらず人の輪の真ん中にすんなりと通されることも。全部全部望んでいたことじゃない。だって汚い欲望を抱えた嫌いな自分は、遠い昔に捨てたはずなんだから。
不可抗力なんだから仕方がないんだ。だって私は、ちゃんとリンのことを心配していた良い子だったし。
滑り台やブランコに乗らされそうになった時は、黄金の細い足首が折れてしまわないかはらはらしたし。
でもリンの体は案外丈夫で、クラスメイト達に囲まれて、手や足を両側から引っ張りあいっこされたって、ヒビ一つ付くことはなかったから。心配する必要なんてなかったんだ。無駄に慎重に扱って気を使って、今まで何してたんだろう私。
彼女を見られてはいけないとお父さんが言ったのは、きっと彼女を見た素人達は、珍しがって触りたがってリンのことを奪い合って、彼女が壊れてしまうことを忠告しているのだとずっと思っていた。
私だってそれは嫌だ。リンは飴で出来ていたって、姉妹同然に過ごしてきた家族だ。失いたくないと思っているし、壊したくないとも思っている。
けどその心配がないくらいリンがこんなにも丈夫だったなんて、お父さんはもちろん知っていた筈。
なら、どうしてリンを誰にも見せちゃいけないなんて約束させたんだろう。変なお父さん。
リンが例え乱暴な扱いを受けたって壊れやしないと確信した頃、私はリンを街に遊びに行こうと誘った。
リンはもう、「怖い」とか「お父さんとの約束が」なんて断りをいれることもなくなった。
私たちは今日も手を繋いで、親の目を盗んで街へ出る。ふふっ。いけない事してるけど、なんだか城を抜け出して町へ遊びに行くお姫様気分でわくわくする。お姫様はリンで、私はただの従者って役どころだけど。
すれ違う人々はリンの姿に興味を示して振り向く。こそこそと内緒話をし始めたり、遠目から写真を撮る人達もいた。
どう、この子私の親友なの。珍しい?そうでしょう、飴で出来てるのよ。って違う違う。自慢してるわけじゃないの。
だって、そう。私一人がこんな特別なもの隠してちゃ、皆怒るでしょ?怒って責めるでしょ。だから見せびらかして歩いてるの、私がしたいからじゃないの。周りの大人達の反応が怖いからそうしているだけ。
でも、この周りからの羨望の眼差し。これだけは、ちょっとだけ心地よくて、イイかもね。
ある日の学校からの下校中。リンもいない、人気のいない夕方の細道で声をかけられた。
「あっ、君もしかして今SNSで話題になってる子?」
へらへらといかにも頭の弱そうな男の人。誘拐?痴漢?ロリコン?それにしたってこんなブサイクに目をつけるなんて、とんだブス専がいたもんだ。
「違いますけど」
冷たく吐き捨てて。ここはもう逃げた方がいいだろう。短い脚を必死に動かして随分遠くまで走った。
そう思っていたのに。振り返ると奴はいた。息も切らさず髪も乱れていないまま、余裕の笑みで私を見下ろしていた。
怖い……!なにこの人なんでこんなに私に着いてくるの!?
ひぃっと悲鳴を上げそうになった口元を見て、男の人は両手をばたばたと降って突然焦りはじめた。
「違う!違うから!俺は断じてそういう人じゃなくて」
「じゃあ、どういう人なんですか」
どこからどう見ても、そういう人にしか見えないんですが。
男の人は自分のスマートフォンを指さして、「これだよ!これを見て来たの!」と言った。でも、ちょっと待って、男の人が持っている掌サイズのテレビには、見覚えのある顔。あっ、私だ、私とリンが写っていた。何で、どうして?
「知らないの?君達SNSの界隈じゃ有名人なんだよ?」
「えっ……SNS?」
どうしてそんな事に。でも差し出されたスマホに映っているのは、どう見たって街中を歩く私とリンの横顔で。もしかして、あれ?あの時の盗撮?
「ねぇ、もう片方の金色の女の子はどこ?……あっちょっと、待って!待ってって!」
後ろから声を掛けられていたかもしれないけど、今はそんなこと構ってる暇はないの。ごめんなさい。
私はマッハのスピードで私は家に向かって走り出した。
「リン!」
「恵美ちゃん!」
家に帰ると、既に情報は耳に入っていたのだろう。震えたリンが胸に飛び込んできた。
「恵美ちゃん。ねぇ、どうしよう。テレビに私の顔が映ってて…。この番組って全国放映だよね?どうしよう、全国の、たくさんの人が私の事を見たんだ!」
一番最悪で、最大な方法でお父さんとの約束を破ってしまったと。リンは怯え震えた
「怖い。怖いよ、恵美ちゃん。どうしよう……!」
リンはシワ一つない顔をくしゃくしゃに歪めて。助けてと私の服にすがった。リンの顔とは反対的に、簡単にシワが寄っていく私の服。その懇願をする、強い力で握られた金色の指先を見つめた。相変わらず綺麗な指。
「……リン、これからはさ、もっとテレビとかにも出ようよ」
「え……?」
「だって、ほら。これ全国放送なんでしょう?もうリンのことは皆に知れ渡ってるのに、今更秘密にしたり、隠そうと思えば、私全国のいろんなひとから、酷いこと言われると思うんだ」
「そっ、そんなことある訳ないよ!もし、そんな事になれば私が恵美ちゃんを守ってあげる!だからもう……」
「リンじゃ力不足なんだよ!リン私がひどい目に会ってもいいの!?酷いよ、リン。リンだけは私が苦し
んだり、辛い目に会った時助けてくれると、そう思っていたのに、信じていたのに。やっぱり……裏切るの?」
リン、リンも私の事どうでも良いって思ってるの?昔のクラスメイト達のように、
ねぇ、リン。泣きたいのはこちらの方なのに、どうしてそんなに傷ついたような顔をするの?
「……リン?」
「……そうだね。分かった。恵美ちゃんにはひどい目に会ってほしくないし、私、頑張るね」
そう言って悲しそうな顔をしていたはずのリンは、照れたように笑った。
良かった。これでこそ私の知っているリンだ。そうだ、これからはもっと積極的に外に出てみよう。そうしたらきっと沢山の人達にもリンの姿を見せることが出来るし。私もきっと揶揄されたりすることもない。これは仕方がないこと、自分の身を守るには必要不可欠なことだから。
そんなことばかりをぐるぐる頭の中で考えていた。もうお父さんとの約束なんて、これっぽっちも覚えていなかった。
私は気が付かない。「恵美ちゃんが喜んでくれるから」とリンが小さく呟いていたことなんて。
パキン。また小さく何かが割れる音がした。
思っていた通りだった。街に出る度に私たちは大勢の人に囲まれて、カメラを向けられる。同級生たちもその様子を悔しそうにハンカチを噛んで見守っているだけだ。
そんなに悔しがるくらいなら、この私と昔から親しくしておけばよかったのに。見下して馬鹿にしていたのはどいつだ。
リンの体にいろんな人の手がまとわりつく。
「どうして、体が黄金色なの?」「どうして体が透けているの?」「どうして甘い匂いがするの?」聞き飽きた質問にリンは、一つずつ丁寧に「飴だからです」と答える。
すると、「飴で出来てるの!?」と大抵の人が驚いて、リンの体に鼻を摺り寄せた。
なるほどこれは甘い、確かに飴だな。べろりと赤い舌でリンの体を舐める人。
私は、人の渦の先の終わりが見えないことに興奮を覚えていた。人の波が切れないくらい、私たちは今、大勢の人から注目されているんだ。
人々は口々に言う。
「すごい」「すごいですね」「すごい!」と称賛の言葉を私たちに向ける。
こんなに多くの人が私を認めてくれている。どうだ、あの時の勝負は私の勝ちだ。私のことをブサイクだ、名前と顔が一致しないだの、目つきが悪い根暗だのとあの時はよくも言ってくれた。今はどうだ?クラスメイトの数の比じゃない大人数が私を「すごい」と褒めたててくれているんだ。どうだ、どんな気持ちだ?悪口を吐かれたた奴の方がこんなにも周りから持ち上げられているなんて。
なんて、私は考えていない。全ては脅されているため、私たちじゃ全く歯の立たない大人の中傷被害から逃れるために。
「こっち向いてくださーい!」
テレビのカメラとマイクが向けられる。
照明の明かりが激しすぎで、目がチカチカした。
「リンさんとは一体どういった経緯で出会ったんですかー?」
「そうですね……。リンとは……」
って本当に眩しい。調節を間違えたんじゃないのか、これ。あーあ、だんだん周りの景色も白ボケしてきて、リポーターもテレビクルーも周りの人々の姿が薄くぼやけていって。アナウンサーの声も、自分の声も、周りの歓声も何も聞こえなくなった。
「あれ?」
気が付くと私はドロドロとした黒い沼に浸かっていた。黒のぬめぬめとした何かは異臭を放っていて、取りあえずここから逃げ出そうと必死にもがいた。
それにしてもここはどこだろう。私はリンと町中にいて、SNSを見てやって来た人やテレビクルーに囲まれていたはずなのに。
そうだ。リンは?リンはどこにいるんだろう?
「リン―――――ッ!リン、どこにいるのぉ―――?」
先の見えない暗闇に向かって、大声で叫んだ。だってあの子ったら私がいなくちゃ何もできないんだから。早く見つけてあげなくちゃ。
「リン――――ッ!」
「……恵美ちゃん?」
微かに返事が聞こえた。期待に胸が高鳴って「リン!」と叫びながら黒の沼の中を駆けた。足に絡みつくパンケーキの生地みたいに、どろっとした液体が邪魔で、何度も足を取られそうになりながら声の方向に走る。
「リン!リン!」
「……恵美ちゃん!」
「……リン!」
見つけた!どうしたの?こんなところに一人でいるなんて。心配したじゃないと声を掛けようとして。息が詰まった。
「……恵美ちゃん」
酷い。
「……恵美ちゃん」
気持ち悪い。
「……恵美ちゃん、助けて……」
酷く。気持ち悪い。
リンの体に巻き付いているのは、年も年齢も様々な人間だった。そいつらはリンの体をゆっくりと厭らしい手つきで撫で回すと、リンの綺麗な輝く黄金の肌にぱくりと嚙みついたのだ。
リンが声にならない悲鳴を上げる。
黄金の肌にちろちろと現れては消える赤い舌。
「やめっ……やめてよ!リンに手を出さないで!」
「どうして?リンをこんな目にあわせようとしたのは貴女じゃない」
「……えっ?」
黒い沼に写る私が言った。「もうそろそろ嘘を吐くのを止めたら?」
「嘘?嘘なんて吐いたことないよ」
「嘘つき」
もう一人の私が、私の胸元を指さした。とんっと軽く突かれただけなのに、私の体はバランスを崩して倒れていく。
「一回も脅されたなんて思ってないくせに」
近づく私の顔がそう言って、ニヤリと微笑んだ。視界が黒に染まる。もう何も見えない。どろどろと粘ついた液体が口から、鼻から喉に流れ込んで息ができない。苦しい、遠ざかる意識の中、パキンと何かが割れる音を、はっきりと聞いた。
……眩しい。眩しいけど、でもあの時の照明よりはずっと優しくて穏やかな光だ。
「……夢?」
私たちに集っていた人たちも、あの地獄みたいな、最悪な光景もない。真っ白な天上と、フリルのカーテンが風にあおられてふわりと靡いたのが見えた。
意識が覚醒してくると、寝巻は寝汗をぐっしょりと吸い込んでいて、シーツもなんだか湿っぽくて居心地が悪かった。
「……嫌な夢」
嫌な夢。変な夢。なんでこんな夢見たんだろう。夢も選択肢があればいいのに。なんたって週が始まるこのテンションの上がらない月曜日に、気分の乗らない夢まで見ちゃうかな。
後ろめたいとでも思ってる?いやいや、ないない。だってリンだっていつもと変わらない。今日だって食事はとれないくせに、一番早く食卓に着いては、にこにこと満面の笑顔でご飯を頬張る私を見つめてくる。なんだか食べにくい。
「行ってきます!」
時間になったらランドセルを背負って、玄関まで歩く。リンは後ろからコツコツと足音を鳴らしてついて来る。
「それじゃあ。リン行ってくるね」
「うん。行ってらっしゃい」
「あっそうだ。リン今日も帰ってきたら一緒に街に行こう?私行きたいお店があるんだよね~。すっごい
可愛い内装なんだよ、きっとリンも気に入るって」
どう?と提案をしてみるが、リンは曖昧な表情を浮かべるばかり。
結構心躍るプランを出したと思うんだけどな。お気に召さなかったのかな。
いつも従順なリンに限って?
「……どうしたの。リン?」
「ごめんね、恵美ちゃん。そのお店、もう行けそうにないの」
パキン。と音がした。
どこかで聞いたことのある音。どこで、今日夢の中で聞いた幻聴。いや、違う。もっと前から――――。
「……リン……?」
目の前で起こったことが信じられなくて、恐々と尋ねた。
リン、その顔。どうしたの。
綺麗だったすべすべとした一面の蜂蜜色の肌が、中で幾重にも割れてしまって、光が乱反射、濁った黄色を浮かび上がらせる。
そのヒビ割れた顔は、一体どうしたの?
手を伸ばしてリンの肌に触れようとした瞬間だった。鍵がしてあったはずの玄関が勢いよく開いて、黒い塊が雪崩のように転がり込んできたのだ。黒い塊は一斉に方向をリンに定めて、すさまじいスピードでリンに近づいて来る。
私は思わずリンの腕を引っ張って、彼女を後ろに隠した。
「これはいったいどういうことなんですか!?」
聞き覚えのある声に、ハッと顔をあげる。口元に向けられているのはマイク。紛れもない、この前私にインタビューをしてきたリポーターのお姉さんだった。
嘘でしょう。私が黒い塊だと思っていたものは、全て人、人、人。人の塊だったのだ。その中には夕方の細道で私に声を掛けてきた男性、さらには塊の下の方で蛙のようにつぶされてはいるがクラスメイトの面々も紛れ込んでいた。
「たった今彼女にヒビが入りましたよね!?こういったことは以前にもあったんですか?彼女の事を街のマスコットキャラクターにしようと考えている、という情報も入って来たのですが……」
パキンパキン。砕かれていく。リンの肌が体が。大勢の喧騒と勢いに圧されて壊れていく。
「リン、逃げるよ!」
頭より、体が先に動いた。
黒い塊を踏み潰すように避けながら、私はリンの腕を引っ張って走り出した。
バタバタと忙しなく響く足音の後ろから、コツコツとヒールのような足音。そしてそのもっと後ろの方から聞こえてくる、雨の始まる合図、ポツポツとアスファルトを打つ音。
「恵美ちゃん、恵美ちゃん」
「リンもっと早く走ってよ!逃げきれないでしょ!」
「恵美ちゃん……」
小雨だったはずの雨は、いつしか土砂降りに変わっていて。小さな小学生の体から容赦なく体温を奪っていく。
「もっと!もっと早く!早く逃げなくちゃ!」
髪の毛も服ももうびしょ濡れで、何度はらっても肌に吸い付いてくる。それはまるで追ってくる黒い人間の塊のように。
それとも。
「待ってよ!恵美ちゃん!私もう……」
いくら逃げても、リンが壊れていくのは止められない、現実のように?
リンの腕を掴んでた方の手が、突然鉛を持ったようにずしりと重たくなる。おまけにそれが異様につるつるしたものだったから、掴んでいた私の手からするりと滑り落ちてしまった。
「……走れないよ」
ごちん!と鈍い音を立てて、リンの一部だったものは砕け散る。
片腕のないリンが悲しそうに呟いた。
リン。貴女片手が……。片手が折れてしまったの?それは、ヒビ割れていたところを私が強く引っ張ってしまったから?
それにこの突然の土砂降りの雨。傘なんて持っているはずもなく、ずぶ濡れになってしまったリンの細かった足は、みるみるうちに溶けてしまって、今はもう赤子の手首くらいの太さしか残っていなかった。
「……どこかで休もう」
そう呟いた言葉は思ったより覇気がなかった。
逃げる道すがら、丁度良く潰れたホテルを見つけた。幸い扉には鍵がかかっていなく、ありがたく無料で宿泊させてもらうことにした。
バスルームの棚の上、まだ使っていない新品の、埃は被ってしまっているけれど、タオルで体を拭いた。
リンはもう自分の手で体すらを拭けないから、私が慎重にゆっくりと体を拭ってあげた。
細い脚。そして溶けて痩せてしまったリンの顔。落ちてしまった片腕。
「ごめんね」
気が付くとそう口に出していた。
「何が?」
「リンをこんな目に合わせてしまって。ごめんね。リン」
リンの顔を見ようと顔を上げたのに、視界がぼやけてよく見えない。リンの顔しっかり記憶するために、隅々まで観察しようと思っていたのに。泣いてどうするのよ、馬鹿。
「それを言うなら。私の方がごめんね、だよ。最後まで一緒にいてあげれなくてごめんね」
「最後まで一緒にいられなくなったのは。私のせい。そうでしょ?私が、私がリンを……」
リンを皆に見せびらかしたからだ。お父さんの約束を、破ったからだ。
頭の片隅に追いやっていた約束が、脳内を埋め尽くしている。
そうだよ。私が破ったんだ。大丈夫だとか言って、リンに死ぬかもなんて言って心配させて。脅しが怖いなんて、冷めた笑いしか出ない、脅していたのはむしろ私のほうだったのに。
「脅されたとか。怖いとか嘘を吐いて私を脅して外に連れ出したこと?」
「リン、気づいて……」
「私、気づいてたよ。ずっと、だって恵美ちゃんが脅しなんかに負けない強くて、口の悪い女の子だっ
て、私知ってるもん」
「じゃあ、怒ってる?恨んでる?私の事」
「ううん。そんなことないじゃない。私は恵美ちゃんのこと大好きなんだよ。恵美ちゃんの幸せになれればそれでいいの」
リン、貴女はそこまで純粋に私のことを……。
「私なんて脅されてるから仕方ない。怖いから仕方ないと勝手に理由づけて、結局はリンを良い道具としか思ってなかった。リンを使って皆からちやほやされるのが好きだったサイテーな奴なんだよ」
「それでも、恵美ちゃんは私の人生で初めて出来た友達だから」
だから泣き止んで。涙をすくうのは今にも折れてしまいそうなほど細い指先で。私の一滴の涙さへすくおうとすれば、指先が溶けて。ほら。パキンと砕ける音。
「……あ。砕けちゃった。えへへ……へ」
口を小さく開けただけでも、顎の先までぴしりぴしりとヒビが入る。
「リン!いいから。喋らなくてもいいから。取りあえずベットに横になろう?そしたらきっとヒビの進行もなくなるよ。そうだ!ここにお母さんを呼べば。鍋とコンロと砂糖があれば治せるかもしれない!」
「良いんだよ恵美ちゃん。そもそも恵美ちゃんと家族以外に姿を見られた時から、私の寿命は終わってたの」
「寿命……?」
「そう決められた時間。恵美ちゃんの家族以外の人に見られた、その日から半年間。それが私の定められた時間」
何それ。私聞いてないよ。誰に言われたの、お父さん?お母さん?どちらにしたって酷いよ、何も教えてくれないなんて。だったら、だったら私一生貴女の事外に連れ出さなかったのに。
大事に大事に、何重ものシーツに包ませて。誰にも誰の目にもつかないように。。
「私は一生、恵美ちゃんと二人で楽しく過ごせたらそれでいいなって思ってたの。でも、恵美ちゃんと過ごした騒がしかった時間も、楽しかったよ」
リンを守ったのにと、考えるのは自分勝手で邪心なことだよね。だって結局リンが壊れなかったとしたら、私は彼女を大事にしようと、思えないのだから。利用できる物として一生扱い続けていたのだから。
おかしいな、元々友達がいない私を心配してお母さん達はリンを作ってくれたはずなのに。
もしかしたら私は初めからリンを都合の良い物とでしか、見ていなかったのかもしれない。
嫌だ。嫌だ。こんな欲望にまみれた自分が嫌だ。
なんで、こんな性根が腐りきっているんだろう私。純粋に好きで、愛してくれてる相手を、どうしていままで道具だなんて思っていたんだろう。
どうして、別れる間際にリンのことがこんなにも好きだったなんて気づいてしまったんだろう。
「逝かないでリン。私、リンがいなくなったらまた一人になっちゃう。お願い逝かないで、私もっと良い子になるから、もう嘘つかない、リンのこと大切にするから……お願い……」
涙が止まらない。ぼろぼろ大粒の涙が頬を伝いシーツにシミを作っていく。ずるずると鼻をすすりながら何度も頼んだ「お願い、逝かないで。リンが好きなの。逝かないで」と。
「恵美ちゃん……。私の事大切に思ってくれてるの?」
「そうに決まってるでしょう!」なんて大声で返せなかった。好きか嫌いか、そんな簡単なことに今まで
気づけなかった私には、胸を張って頷ける資格がない。
「……うん」
「そっか……じゃあね。私の最後のお願い聞いてくれる?」
止めればいいのに、リンは片方しかなくなった細い手を私の頭にそっとのせる。まだほのかに温かい。リンがただの飴ではなく、生きている飴という証拠だ。
「……何?」
細くて長い指先が髪の毛を一本一本梳いていく。一本の束を、何本もの髪の毛になるようにほぐしていく。いったりきたり、またいったりきたりを繰り返す指先。まだほんのりと温かくて、美容院でシャンプーをされているみたい。「痒いところはありませんか?」と優しく尋ねるお姉さんの幻聴が聞こえそう。
「私が砕けて溶けてただの飴になったら、私のこと食べて欲しいの」
「何言ってんの。そんなこと出来るわけないじゃん」答えながらも意識はだんだん夢の中に落ちていく。
あれ、私、今ちゃんと答えられていた?
口が動かない。ねぇリン、私ね、なんだかとても眠たいの。ここまで来るのに疲れてしまったのかな。
このセリフどこかで聞いたような気がしない?これで目が覚めてリンと同じ世界に行けたのなら、それはそれで幸せなのかもね。
「……お願い。約束、約束よ?」
ねぇ、なんでそんな事。私に頼むの?
「だって私の事食べたら。恵美ちゃん、どうしたって一生私の事忘れられないでしょう?」
意識を手放す瞬間。視界の隅っこで小さな悪魔が、そっとほくそ笑んだ気がした。
「……リン?」
目を覚ますと。リンの姿が見当たらなかった。代わりにベッドに寝そべっているのは、小さな黄金の塊。
そっと手に取って口に入れてみた。
がりっと奥歯でかみ砕く。
なんだ。甘い。ただ甘いだけじゃん。
「あの子本当に飴だったんだ」
ただの砂糖の塊を口で転がしているだけのはずなのに、不思議、心がぽかぽか温まっていく。
パキン。あの子が砕かれる音がした。