キャンディーフレンド(2)
カチカチカチカチ……。
暗闇の中、針が無遠慮に時を刻む音が部屋に響いている。
「ねぇ、まだ起きてるの?」
「リンこそ。まだ起きてたんだ」
リン特別専用の、プラスチック製のベッドから起き上がる気配がする。
「恵美ちゃん。今日はなんだかおかしいよ?どうしてそんなにそわそわしているの?」
「……別に何もないよ」
「嘘つき。恵美ちゃんの事なら私、なんでも分かっちゃうんだからね。ねぇ、どうしたの?私に出来ることなら何でも言って?協力するから」
「……本当に?」
「うん」
「……あのね。今日クラスメイトとちょっと口論しちゃって。その時思わず言っちゃったんだ。私の方が
もっと珍しくて、自慢できるもの持ってるって」
「えっ。そんなにすごいもの恵美ちゃん持ってたの!?私見てみたい!どんなの?」
「……リンだよ」
「えっ」
リンにとっては全くの予想外の答えだったみたい。目を丸くして自分を指さした。
「私?」
「そう」
「でも、私ただの女の子だよ。飴で出来てる」
「飴で出来てる女の子は、世界中どこ探したってリンしかいないよ」
「えっ!?嘘っ」
そんなに意外なことだっただろうか。飴で出来た女の子なんて、この世界中探したところで、きっとリンしかいないなんて当たり前なこと。当たり前。あっそうか、リンにとって世界はこの家の中しかないから、分からないんだ。
「もし、私が嘘を吐いたり、子ふざけたものでも持っていったら、私殺されちゃうかも」
嘘、多分きっと殺されたりなんかはしない。精々殴るか蹴るか、それともクラス全体で無視をするか。それもそれで社会的な死と呼べるだろうけど。
「恵美ちゃん。死んじゃうの?」
「うん」
「嫌だ!」
「じゃあ、協力してくれる?」
リンが困惑した顔をしている。私はその顔が変化しないように、じっと真顔で監視し続けた。
「……それは、クラスのたちに私を紹介するってこと?」
「うん」
「でも、それじゃあお父さんとの約束破ることになっちゃう」
「じゃあ、私が死ぬだけだ」
ずるい奴。こう言えばリンが傷つくのは知っているのに。私は自分の掌の上でリンの感情をころころ転がして、自分に都合がいいように動かしているんだ。
大きな目をまん丸に開いて。そんなショックを受けた顔をして、可哀想な子。
「……バレなきゃ大丈夫だよ」
「……そうかな」
「うん。平気、それにこの一回きりだから大丈夫。アイツらにリンの事見せたらもう二度と外には連れ出
さないから」
「本当?絶対だからね。約束」
「うん。約束」
リンは気が付いていなかった。闇の中悪魔が不気味に微笑んでいたことを。
今日の夕方四時。学校近くの豚の遊具が有名な公園で、私の特別なものを見せてあげると言ったら。皆は伝えた時刻の五分前には既に集まっていた。変なところで律儀だ。お前らは五分前行動の好きな先生か。
「来たな恵美。ちゃんと俺たちを驚かせられるすごいもの、持ってきたんだろうな」
「……うん」
持ってきた。というよりも連れてきた。の方が正しいけど。
初めての外で、怯えているリンが私の手を強く握った。まぁ割れない程にだからそこまで力は入ってい
ないけど、硬くてちょっと痛い。
「ふーん。どれだよ?」
何を言うか、今目の前に立っているだろう。しかしリンは、目立つのを避けるためにつばの広い帽子を目深に被り、長袖のくるぶしまで隠れるロングワンピースを着ていたから。分からなくても仕方が9ないか。
「この子だよ」
私は声を張って、リンを指さした。
「あ?なに言ってんだ。ただの人間だろ、ソイツ」
せっかくこの私が苦汁の末に秘密を打ち明ける決意したというのに、それに気が付けないとはなんとも恩知らずな奴らだ、恥を知れ。
仕方ないからもう一度丁寧に、優しく「この子ですよ」と言って彼女を指さすが、まったくもって信じてくれない。ふざけてるのかと胸倉を掴まれそうになるのを、鈴のような声が遮った。
「あっ。あの、私です。恵美ちゃんの自慢は」
帽子を外して、伏目がちに相手を見つめる。相手にはどんな風に見えただろうか。金色の肌と瞳を持ち、花の蜜様のように甘やかな砂糖の香りを放つ彼女を。
よっぽど驚いたのか。私たちの周りだけが時を忘れてしまっているように、誰も声を出さず、誰も身動きすらしなかった。
「……あの」
固まった空間に、硬い彼女が一番我慢できなかったみたい。掠れた小さな声で私に助けを求めてくる。いや、でも私に助けを求められても、することも浮かばないし、ただ困っちゃうだけなんだけど。
「……いな」
「え?」
確かに今小さな声だったけど、彼の口から発せられた言葉だったような気がする。
これがこれからの私の人生を左右する重大な言葉だと思うと。緊張しちゃって思わず身構えてしまうけど。彼は小学生並みの、あ、違った小学生だったっけ、瞳をキラキラと輝かせて「すごいな!」と叫んだ。耳が痛い。
「えっ。えっ!?」と状況を飲み込めずに、狼狽えるリンの手をがっしりと両手で包み込んで。彼は熱の入った口調でまくしたてる。
「お前、なんで全身そんな金ぴかなの!?うわっ、しかも体透けてるし!それにちょっと甘い匂いがする……?なぁ、何で!?何で!?」
「えっ、えっとそれは多分私が飴で出来てるからで……」
「飴!?お前飴で出来てんの!?じゃあ何で喋ってんだよ!おかしいだろ!」
リンはその言葉がよっぽどショックだったらしく。金色の顔を恐らく青色に染めて、まぁ現実はリンの金色は変わらないから、本当にそうなったのかは分からないけど、「そうなのかな……」と元気なさ気に答えていた。
目の前の少年の気迫に負けて今まで呆然としていたクラスメイト達も、飴という心ときめくワードを耳にして、これは放っておけないとリンと私を取り囲んだ。
「リンちゃんって言うの?」
「うん。そうだよ」
「飴で出来てるってホントかよ!?」
「ほ、本当だよ」とリンが答えると、何を思ったか丸坊主のいかにも野球やってまーす、な風貌のガキ大将がリンの指先をペロリと舌先で舐めた。
リンにとっては相当の不快感があったのだろう。口元を大きい「へ」の字にして、背筋をぶるぶると震わせた。
「ほんとだ!飴だ!めっちゃ甘い!」
「えぇっ。マジか!?」
「ちょっと私にも舐めさせて!」
「僕の方が先だ――!って、あれ?」
「リン?」
ダメだ、こりゃ。完璧に怯えてしまっている。初めて見る大勢の人に、囲まれて指を舐められたら、意味が分からないし、怖いよなぁ、そりゃ。
私の後ろで小さく丸まってプルプル震えている掌を安心させるように握ってやると。落ち着いたようにすり寄ってきた。可愛いな。
「ごめんね。リンってば私以外と話すのが初めてだから、まだ怖いみたい」
「……あーそっか。なんかごめんな?」
えっ、謝れるんだ。奴が素直に謝るところなんて初めて見た。あまりにも怯えて震えるリンの姿に、雨で濡れた捨て猫でも連想したのかな。
「じゃあさ。今度でもいいからこの子、リンだっけ?また連れてきてくれよ。飴で出来た女の子なんて初めて見たし、友達になってみてーし」
「私も!リンちゃんと遊んでみたいなー」
「俺も」「僕も」と続く声に乗せられて「ちょっと待って」と答えようとした時。ふと気が付いた。今まで悪口暴言を吐かれていた相手と普通に会話していることを。
背後を振り返ると、そこにいつも居たはずの自分の姿はいなくて。代わりに私を中心に輪になった人々の輪の切れる端っこが見えた。
もしかして、私は今クラスの中心にいたりするのか?いや、間違いない。自覚する。私が今立っているこの位置こそが、クラスの中心なんだと。
皆、皆私を見ている。私をすごい奴だと尊敬の目で見ている。皆が私を持ち上げて、褒めたてている。
クラスの端っこに座り込んで泣く役目はジョブチェンジ済みで、きっと明日からは私じゃない誰かがそこで泣くようになるんだ。
なんて、気分が良いんだろう。カブトムシを自慢していた少年は、そうかこんな気持ちだったのか。こんなにも爽快な気分を手に入れるためなら、確かにゴキブリでも自慢したくなってしまうね。
隣で震えるリンはきっと気づいていない。私に絶大な信頼を置いて、昨日の約束も必ず果たされるのだと信じ切っている。
リン。私はようやく心のそこからお礼を言えそうだよ。ありがとう。私をここまで連れてきてくれて。それから、ごめんねって謝っておくよ。でも仕方がないよね、だって脅されているんだから、不可抗力なんだよ。貴女との約束を破ってしまうことは。
「じゃあ、来週またこの公園で待ち合わせな!それでいいだろ恵美?」
「うん!」
私は満面の笑みでそう答えた。
「ねぇ!ねぇどうして約束破ったの!?」
日が傾いてきた夕方。私は家路の道を急いで歩く。私の後ろをリンがコツコツ足音を立てながら走って追いかけてくる。
「待ってよ。恵美ちゃん!」
待ってよと言われたから。足を止めて振り向く。呼吸器官なんてないくせに、リンは肩で息を吐きながら、私を責めるような眼で見た。
「仕方ないじゃん。だってアイツらの話断れば、私殺されちゃってたかもしれないし」
「殺されるって……。相手は恵美ちゃんと同じ小学生だよ?そんな事ある訳ない……」
「じゃあリンは私が死んでも良いっていうの!?」
ハッとリンの顔がこわばる。そうだよ、リン。私はリンのせいで死ぬかもしれないんだよ。ねぇ、どうするの。
リンはしばらく困ったように、視線を宙に彷徨わせていたけれど、最後には「それじゃあ仕方ないね」と微笑んでくれた。
「そうそう。仕方ないの。じゃあ早く帰ろうリン。お父さんたちが返ってくる前に」
急がなくちゃとリンの腕を引っ張る。その時微かに、パキンと何かが割れる音がした。
すっと腹の中が冷たくなる。この音はもしかして。
「リン今の音何!?」
頭に最悪の予感が走って、慌てて振り向いた。でも、背後にいたリンはぽかんとした間抜けな顔をして。
「……音って何?」
強く引っ張りすぎて割ってしまったのだと思ったリンの腕は、ヒビ一つはいっていなく、相変わらずツルツル、キラキラとした金色だ。良かった。
「ううん。なんでもないなら良かった……」
私はホッと息を吐いて、今度はもっと優しくリンの腕を引っ張った。
「じゃあ、帰ろう?」
「うん」
アスファルトの灰色の地面に映った、飴と人間、二つのおかしな影がくっついたり離れたりを繰り返す。
私は気が付かない。彼女がその時どんな表情を浮かべていたのか。
苦いカプセルの薬を入れ物から外したみたいな、あの軽い音がどんな意味を持つのか。私は気が付かなかった。