キャンディーフレンド(1)
気が付けばれ常日頃から、顔が不細工だの、名前が恵美のくせに美しくないだの、目つきが悪いだの根暗だのとよく容姿について小学校のクラスメイトの男子から馬鹿にされたものだ。特に名前と容姿はまったく関係がないだろ、失礼な奴らめ。
外に出れば馬鹿にされるものだから、気が付けば内面まで気弱で根暗になっていた私。
もちろん友達など出来やしなく。いつもは一人部屋にこもっているばかり。
そんな私を心配してか。ある日お菓子屋を営む母親が、新しいお友達よと。飴で出来た同じ年頃くらいの可愛い女の子を作ってくれた。
しかし、言葉もしゃべれないただのお菓子なんぞに、興味がわくはずもなく。私はこんなものは捨ててしまえと泣いて暴れた。
私に痺れを切らした父親は、代々家系にひっそりと伝わる魔法の呪文で。ただのお菓子を、言葉を喋れる同じ年頃の可愛らしい少女に変貌させてくれた。
えっ。なんで魔法が使えたのかって?そんなのお父さんが魔法使いだったからに決まってるじゃない。
そうよ。魔法使いなんてね、案外どこにでもいるものなのよ。でもうまく都会の喧騒に紛れ込んでいて目立っていないだけ。って今はそんな話関係はなくて。
こうしてついに私は、飴で出来ている可愛くて不思議な女の子の友達を作ることに成功したのです。
必ず何があっても絶対に彼女を見られてはいけない条件付きで。
彼女はまるで鈴の音の様な声で笑う。だから私は彼女にリンという名前をつけた。
リンはとても可愛い。手先がとても器用で、得意なことはお裁縫とあやとり。残念ながら熱を使う料理は腕が溶けてしまうのでやったことがなかったけれど。
大抵指を細かく使う作業は大の得意で。一緒にクマのぬいぐるみを作った時は、私のクマはどう見てもモンスターで、リンがお手本のものよりも可愛くてきれいなクマを作った時は、悔しくて腹が立って仕方なかった。
でも、そんな時リンは必ず「恵美ちゃんの方が可愛い。恵美ちゃんのほうが上手だよ」と無条件に私のことを褒めてくれた。
それはきっと、そうするように父親からされていたから、なんだろうけど。
ろくに他人から褒められたことのない私は、リンに褒められることが嬉しくて、たまらなくて。
テストで満点を取った時も。上手く人形が縫えた時も。逆上がりが出来た時も。二重跳びが出来た時も。報告しに行った相手は、父親よりも母親よりも、誰よりも何よりも、一番初めは必ずリンだった。
するといつもリンは、自分の事のように喜んでくれて。「良かったね。頑張ったね。すごいよ!」と私のことを褒めてくれる。
だから、彼女のことが大好きだ。
もちろん、それだけじゃない。リンと遊ぶのはとても楽しかった。
リンを誰かに見られてはいけないから。いつも遊ぶのは私の部屋の中。互いの似顔絵を描きあったり、難しいあやとりに挑戦したり。人生ゲームで競い合ったり。
楽しかった。外に行かなくたって部屋の中はオアシスで、そこには私が夢見ていた世界が、友達がいた。
勝負事には手を抜きたくなかったから、私もリンも本気で戦って。あの子と私、同じくらい勝って、同じくらい負けた。
負けたときは悔しくて泣いたり、取っ組み合いになったりもした。でもリンは飴で出来ているから、あまり強く引っ張ると砕けちゃう。だから毎度のように遠慮して身を引くのは私の方で、それがなんだか悔しく思えて喧嘩もした。もう一生口何てきいてやらないと思ってたのに、食卓に着いて目の前にご飯が出てくれば、ご機嫌になって笑いあってるの。不思議ね。ごはんマジック。
それもきっとご飯が食べれないくせに、いつもガツガツと勢いよく口元にお箸を突っ込む私を見て、リンがニコニコしていたせいね。
あぁ、そう。リンはご飯が食べれないの。もちろん溶けちゃまずいから熱を使うのも無理。例えばさっき言ったみたいにお料理とか、お風呂とか、あとこたつにも入っちゃいけない。トイレだって使わないし、水だって飲まない。
それなのにリンの体はいつもきれいな蜂蜜色で。光が体の中で反射しあって、キラキラツヤツヤ輝いていて綺麗だった。
おまけに近づけばお砂糖の甘い香りがするから。ほっこりと癒されてしまって、彼女の甘い香りに包まれながらよく一緒に眠った。
でもお腹が減っているときは要注意ね、お腹の虫が暴れ出しちゃうから。
可愛くて優しくて、手先が器用で良い匂いがするリン。飴で出来た不思議な友人。
私は彼女のことを自慢に思っていた。それに親に条件を出され止められているからといって、彼女のことをクラスの奴らに見せびらかしてはいけない、なんてことを考えたことはなかった。
しかし私は、緑色の怪物だの、UFOを発見しただのと。信憑性のない不確かなオカルト話でキャーキャーと騒ぎ立てるクラスメイト達を、もっと確かで奇妙奇天烈な存在がいるのにと鼻で馬鹿に出来る瞬間が好きだったので、彼らに彼女の事を紹介する気は微塵もなかった。
彼らが明らかに興味があるだろう彼女の存在を、誰にも教えずに自分の物だけにしている。自分だけが知っている。誰もこのことを知る由もないんだ。
いつも私を馬鹿にしていた連中よりも、私の方が上に立っているというのに、それに気が付かないでやいのやいの嫌味ばかりをいう彼らが、とても滑稽に見えて。ドロドロに腐った優越感に私を浸らせていた。
「なぁ!見てよ。俺こんなに大きなカブトムシ捕まえたんだぜ!」
「えっすっげぇ!見せてっ見せて!」
「俺にも!」
なんて、ばっかばかしい。たかが虫の大きさ一つで何故そこまで騒ぐのか。カブトムシだから?虫は虫だろう、私にはゴキブリを捕まえて喜んでいるのと同等にしか思えない。
あんな虫よりも、リンのほうがよっぽど珍しくて、その上可愛くて優しいのに。
今日も目立たない様にして、背筋を丸く曲げていそいそと家路を急ぐ。
そうだ。アイツらはリンのことを知らない。だからあんな虫一匹にあんなにはしゃいでいるんだ。馬鹿だ、大馬鹿だ。馬鹿野郎な自分に気が付いていないなんて、もっと馬鹿だ。ウケる。面白すぎる。
早く、早くリンに会いたい。あの甘い香りに包まれたい。
小さなお庭に、一つ置かれた赤い三輪車。茶色い木の玄関が見えたら、もうすぐ彼女に出会える合図。きっと今日もまた、扉を開けた先でニコニコ満面の笑顔で私の帰りを待っていると思うから、勢いよく扉を開こう。
「ただいまー!」
「お帰りなさい恵美ちゃん!」
奥からリンがやっぱりニコニコ笑顔を浮かべながら走ってきた。
リンの足音って私たちと違うの、やっぱり硬い素材で出来ているからかな。コツコツコツコツ、ヒールでも履いているみたいな足音。
「恵美ちゃん待ってたよ。やっぱりあの部屋にいても一人じゃ寂しくて、ずっと待ってたんだよ」
「ごめんね、リン。でもほら、こうやって学校が終わったら帰ってきたでしょう?今日は何して遊ぶ?」
「うーんとね。じゃあ、あやとり!」
「えっ、また?一昨日もやったじゃん」
「じゃあ人形遊び?」
「それは昨日やった」
「じゃあ、人生ゲーム!」
「……うーん」
リンが友達になってから、この家の中だけが私たちの遊び場で、はじめは私もそれで満足していたのだけれど。近頃になって深刻な問題が出来てしまった。そう、家の中で遊べるゲームの類はもう遊びつくしてしまったのだ。
もうかれこれ、人形遊び、裁縫、人生ゲーム、お絵描きをローテーションしている日々が続いている。とはいえ母親に新しいおもちゃをねだれば、「我慢しなさい!」の一辺倒だし。
……もういっそのこと、リンを外に連れ出してしまおうか。
「どうしたの、恵美ちゃん?」
蜂蜜色の濁りのない純粋な瞳が私をとらえる。
ハッとした。
いや、ダメだ。お父さんとの約束がある。しかもあんな奴らの前にリンを連れ出せば、取り合いの奪い合いになるに決まっている。そうしたら彼女のもろい体はきっと……。
「ううん。なんでもない。人生ゲームやろうか」
引っ張ってしまえば簡単に折れてしまいそうな手を握って、なんて馬鹿なことを考えたのだろうと反省した。
彼女は、ただ私のことが好きなだけなんだ。私を信頼しきっていて、そのうえで懐いてくれている。
クラスメイトに見せびらかすか見せびらかさないで迷うなんて、こんなんじゃ捕ってきたカブトムシを自慢するのと同じじゃない。友達のリンの事物扱いして、馬鹿なのは私のほうね。嫌だ、そんな自分が嫌になった。
「おい恵美。お前なんか自慢できるもんとかねぇーのかよ」
放課後、さっそく帰ろうとした私を真っ黒いランドセルが通せんぼうした。
「……自慢?」
「そう。特別なもの。俺はなぁ芸能人のサイン!誰のだかよくわかんねぇーけど、レア物らしいぜ!」
誰なのかも分かっていないのに価値なんか理解できるのだろうか。馬鹿馬鹿しいこんなくだらない自慢なんて無視して早く帰りたい。
だけど私の冷ややかな視線を挑発と受けとった、目の前のあんぽんたんは得意げにふんぞり返っているだけで、道をあけてくれる気配がない。
「へぇーそう。良かったね……。じゃあ帰るから」
「おい待てよ!なんだよ、逃げるってのか!?あっ、分かった実はお前何にも自慢できるもんなんてねぇーんじゃねーか?」
はいはい。そうですね。勝手にそう解釈してもらって結構ですよ。別に自慢なんてしなくてもいいし、すごーいなんてちやほやされたら鬱陶しいだけだし……。
もう、面倒くさいと目の前の男子を押しのけて帰ろうとしたその時。教室の奥の方から「ぎゃはははは」と下品な笑い声が響いてきた。
「何言ってんだよ。こいつ自慢出来るもんあんじゃねーか」
「えっ、なんだよ、それ?」
そいつは、真っすぐ私の顔を指さしてこう言った。
「このブスな顔だよ」
パキン。何かが割れる音が聞こえた。
「恵美とか言って。全然可愛くねーの。おい、美しさに恵まれてるんじゃないんですかー?」
「確かに、言えてる。詐欺だよ詐欺!名前と顔のギャップがすごすぎだろー!」
あれ、皿でも割れたかな。でも、もう給食の時間は終わっているし、じゃあ花瓶?
「いやー名付け親のセンスを疑うわー」
「いやいや。違うだろ!ぜってぇコイツのかーちゃんが綺麗の意味分かってねぇーんだよ。じゃなきゃコ
イツにこんな名前つけるわけねーだろ?」
あっ、違う。さっきの音。あれは。あれは、私の心が割れた音だ。
「ふっざけんじゃねーよ!!」
ピシリと空気が固まった。
誰、誰が叫んでいるの。
「てめぇーらほっとけば好き勝手言いやがって。だから名前は関係ねぇーつってんだろ!ブスだろうが何だろうが、お母さんが必死に私のことを思って付けてくれた名前なんだよ!なんなんだよお前ら!お母さんの事馬鹿に出来るくらい偉いのか?違うだろお前ら全然偉くなんかねーよ。お前らなんて全員馬鹿だ、馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿、馬鹿なことに気づけないとんだ大馬鹿野郎だよ!大体、カブトムシがなんだっていうんだ。サインがなんの自慢になんだよ。そんなんただの落書きだろ?私なんてな、私なんてなお前らよりももっとすごいもの持ってんだからな!」
口が、勝手に動く。
口から言葉が、胸いっぱいに溜めていた言葉が溢れ出てくる。ざらざらと一息を吐く間もなく吐き出す。
心が空っぽになった。すっきりした気分だ。でも反対にピリピリとした緊張した空気が辺りを覆っている。
「おい、お前今なんて言った。俺のこのサインのこと落書きとか言いやがったな!」
突然胸倉を掴まれてどやされる。唾が顔中に飛び散って、汚い、怖い。体温が一気に低下していく。足先に感覚がない。恐怖で腰が抜けそうだ。
「さっき言ったこと本当だろうな?」
「えっ……」
「自分の方がもっとすごいもの持ってるんだろ?なら見せてみろよ。俺たちに。それがもし、しょーもなかったり、嘘だった場合。どうなるか分かってんだろうな」
胸倉を掴む手に力が入る。喉元がきゅっとしまって息ができない、苦しい。
もともと美しくもない顔を、醜く歪ませて恐怖に震える私の姿を見て、奴は満足したみたいだった。
ニヤリと不敵な笑みを見せると、ようやく胸倉を開放してくれた。
突き倒されたみたいに、地面に転がる無様な私。
「いいか。絶対だぞ。明日、絶対俺たちにお前の言う特別なものを見せてみろ!」
男子の罵声を背中に私は走った。マラソン大会で優勝候補に選ばれるくらいのスピードで。躓いても、咽喉が熱く焼けそうになってもひたすらに走った。
どうしよう。どうしよう。私はなんてことを言ってしまったんだろう。皆より優れている特別なもの。そんなのリン以外あり得ないじゃないか。あんな猿みたいな奴らの前にリンを晒すなんて、約束破りの
自殺行為だ。絶対にさせたくない。させるもんか。
本当に?本当に、それは本心?
この時にはもう芽生えていた真っ黒な欲望に、気付かない様に私は夢中になって騒がしい町中を駆けていった。