解決、そして雨
「え?」
言葉の意味が分からないといったように、志帆はぽかんとした顔で要の顔を見つめるしかない。要は眼を細め、決断を促すように志帆を見返している。
「私自身は謎が解けたからそれでいい。今日は本が読めてよく眠れそうだ。志帆が話を聞きたくないっていうならそのまま黙っててもいい。どうせ後々分かることなのかもしれないし」
要はそう云うと、じゃあこれで、とばかりに立ち去ろうとする。志帆はしばし逡巡し、そして、決めた。
「それじゃあ、どこから話そうかな」
店の角砂糖を備え付けの瓶から自分のものかのように無造作に取り出すと、がりがり齧りながら要は説明を始めた。
「私がまず気になったのは、やはりなぜ怪人は現れたのか? ということだった。的場に姿を目撃させる犯人の目的は何なのか? 第三者にわざわざ犯人としての姿を見せることの目的として、一番それらしいと考えたのは犯人が男子生徒の制服を着ていた、ということで、それが犯人にとって隠れ蓑になる場合――つまり犯人は女子であり、この場合、菱田正美が犯人であるという結論だ。しかし、その後の志帆の話から菱田が男子の制服を所持していたということではないらしいことが分かって、菱田犯人説は暗礁に乗り上げたが……もしかしたら、何か思わぬ制服の隠し方とかがあるのではないかという可能性が浮かんで、それをずっと考えていたんだけど、結局結論は出ずに、やっぱり現場を見るしかないと思った」
どうやら、意外と可能性でしかないといった割に菱田犯人説にこだわっていたらしい。
「でも建物の中は見れなかったわけでしょ。思わぬ隠し場所とか、捜す以前の話だし、それでも犯人が分かったわけ?」
「うん、発見というか、志帆が語り落していた部分。それが重要だったんだ」
「それってなに、あの部屋のドアがみんな部屋の内側に向かって開くとかそういう話?」
それが何か意味でもあるのか? 骨折り損の照れ隠しかと思ったが……。志帆の言葉に要はうなずいて、
「そう、それを言ってもらっていれば、もっと早い段階で犯人の目星はついてた」
要は志帆に責任があるといわんばかりに言う。
「そんなこと云われても……で、それが結局どう重要になるわけ?」
とりあえず先を促す。要は、また、角砂糖を口に放り込むと、
「死体を発見した時、内開きの扉を部屋に押し倒すようにして破って中に入ったわけでしょ。そしてそのあと志帆が見たものが問題になるの」
「私が見たもの? 別に何も見たわけじゃ……犯人は消えていたわけだし」
「そうじゃない、事件現場に残されていたものがあったでしょ」
要がじれったげに云い、じゃあ最初からそう云ってよ……と志帆はブツブツ言いつつあの時の情景を思い出しながら、
「つまり、怪人の衣装でしょ。マントや帽子、セルロイドの仮面、あとドアを開けなくしていた木のストッパー……それくらいかな」
今挙げていったものの何が問題なのか、言われてみたところでよく分からない。そんな志帆の様子に、要は角砂糖をさらに口に放り込み、ガリガリ盛大に音を立てる。
「一番大事なのは扉――もっと言えばその下から出てきたものなの」
「セルロイドの仮面? 半分ひしゃげて、ドアの下だったところからはみ出ていた……」
「そう、それ。それが一番のカギだったんだ。押し倒すようにしてこじ開けた扉の下敷きになっていた――つまり、仮面は扉がこじ開けられる前に扉のすぐ前に置かれていたことになる。けど、それはおかしい。そんなはずはない」
「は、え? そんなはずないって云われても、でも実際につぶれてたし……」
「そこで大事になるのが扉なのよ。もう一度言うよ、あの扉は部屋の中の方へと開く扉だった」
「それがなにって――あ……」
ようやく要の言いたいことが分かってきた。思考のサーキットがつながり始める。
「そうか、もし変装を解いて犯人が部屋のドアから出るとして、仮面が部屋のドアの前に置かれていたら、出るためにド……扉をひらいた場合、仮面は扉によってその前から端の方へ押しやられる。だけど、実際はお面は扉の下敷きになっていた……」
――ということは?
「もしかして、扉は開かれなかった、ということ?」
「そうなるよね」
要の短い肯定の言葉に、しかし志帆は今までの前提が崩れるのを感じた。
「え、つまり、あのひもで引っ張って扉下にストッパーをかませるトリックはダミー? いや、そんなことより、扉が開かれなかったって、犯人は部屋を出なかったってこと? じゃあ何? 扉を破った時、犯人は部屋に隠れていたの?」
そんな馬鹿な、そんなことはありえない。あの部屋には確かに誰もいなかった。隠れる場所なんかなかったはずだ。
「部屋を出てない、とは言っていないよ。ここで言えることは廊下側の扉を通らなかった、というだけのこと」
しかし、要の言葉は志帆を余計混乱させる。
「え、じゃあ窓から? そんなはずないでしょ。だって窓には鍵がかかってたのを私はちゃんと見たんだから。扉が破かれた後だって、望月先輩がクレッセントを回してたんだし」
「見たっていってもずっと見てたわけじゃないでしょ」
分からない顔をする志帆に、いい? と要は続ける。
「望月がクレッセントを回したのは確かなんだけど、それはその時きちんと受け金にはまっていたのか? ということなのよ。志帆はその時それを見たの?」
要の鋭さを増す問いかけに、志帆は言葉を失っていく。確かに押し入った後、部屋の窓にはカーテンがかかっていて、窓に鍵がかかっていたのかは確認できなかった。望月がクレッセントを回したのは確かだが、望月の体にさえぎられていたわけで、鍵そのものを見ていたわけではない。
「でも、外には的場さんがずっといたはず……」
「いいかえれば的場しかいなかった。物的証拠から類推される事実と人間による証言、どっちを疑うか――私は断然、あとの方を疑う。だって、人間はうそをつくから」
冷然とした言い方ではあったが、要の言う通りではある。扉から出たのでないなら、窓から出るしかない。的場が共犯なら、それはわけはない。
そして要は続ける。
「つまり、そもそもの前提が間違っていたことになる。的場は犯人に用意された目撃者じゃない。偶々現場に居合わせていたと思われていた志帆こそが、実は用意された目撃者だった」
「そんな……」
「望月は知っていたみたいじゃない。部活後に志帆が自主練してたのを。そして志帆はだいたい毎日あのあたりを走っていたんでしょ?」
「あ……」
知らずに利用されていたのか……。志帆がそんなことを思っている間にも、要は推理をまとめる。
「まあ、なんというかトリック自体は単純な篭脱けトリックなのよ。怪人を演じて志帆が扉側に回り込むと外の的場が合図し、犯人は窓から部屋を出る。カーテンを閉め、窓はクレッセント回しておいて閉めるだけ。受け金にかかってはいないけど、カーテンを閉めてあるので、扉を破ったときに気づかれることはない。そして、そのまま扉側に回り込んで扉を破るのに加わり、破った後はみんなを押しとどめて、カーテンを開けて体で鍵の部分を遮りつつクレッセントを回して窓を開ければいい。もちろん、窓から出る前にダミーのトリックとして、ひもの切れた糸とストッパーとを部屋側から扉に噛ませてやる。そこで変装を解いたのかも。だからつい仮面を扉の近くに置き過ぎた」
「犯人は……望月先輩と的場さん……」
もうすでに出ていた答えだったが、志帆はそれを声に出して要に確認せずにはいられなかった。
「そう、望月と的場の二人。おそらく主犯――というか、実際に殺したのは的場でしょうね。このトリックによって容疑の圏外に完全に出るのは彼女だから。望月は共犯でしょうけど。ただ、計画のメイン――密室なんかの小細工は望月主導なんじゃないのかな」
そう云って、要は自分の推理は終わりだ、とばかりに締めくくった。いつの間にか卓上の角砂糖を食べつくし、持参してきたらしい瓶詰の金平糖を齧っていた。
外の雨は、まだやみそうにない。
「的場さんが犯人……」
そう云われてもいまいちピンと来なかった。あのどこか線の細くて、下級生的な同級生が犯人?
「なんで? 彼女が?」
森田のうわさ話を聞けばおそらく何となくはわかる。望月との関係も。とはいえ、いざ犯人が分かったとして、そこには何の高揚感もなく、ただ戸惑いだけがあった。
「まあ、本当かどうかはわからないし、すべては推理にすぎない。ただの推理。それを真実かと思うかは志帆次第ってことでいいんじゃないの。とにかく、これで私は今日から眠れそうではあるけれど」
謎は解けたが、そこには現実の続きがある。
「どうしたらいいの?」
「どうもしない」
要はそう言うだけだ。
「少なくとも私は何もしない。志帆以外に推理を話そうとも思わない。まあたぶんそのうちきっと警察がかぎつけるんじゃないのかな。私なんかが分かるくらいだし」
要はそう云って、どこか眠そうなあくびをした。卓上の両腕に頭を乗せ、猫が丸まったような姿でそのまま寝つきそうな気配だった。
しかし、志帆は別の想念が沸き始めていた。事件についてはその通りなのかもしれない、だが、実行犯が的場だということが気になっていたのだ。
もっといえば、この事件があらかじめ計画立てられていたということに。なんというか、的場が衝動的に森田を殺し、とっさに望月が全体の計画を立てたなら話は分かる、というか望月が的場を庇ったという話になる。
だが、すべてを計画立てて、的場に殺させたというのなら、望月の別な顔が浮かび上がる気がしたのだ。
確かに、要が解かなくても事件は警察が解決する――もともと、そのつもりであったなら? 仮面が“そこ”に置かれたのははたしてミスだったのだろうか。
自分を裏切った男女を被害者と加害者にしてまとめて始末する……。的場に相談された時に、望月が選んだのは……。
……はたして、自分は今日、よく眠れるだろうか。
安らかに目を閉じる要から目をそらすように、志帆は窓の外に眼をむける。
鈍色の空は昏く、まだ、雨はやみそうになかった。
まあ、なんとか解決です。時間が空いてしまいました。事件とその解決はストレートに決まっていたのですが、いささかストレート過ぎてなかなかお話が膨らまないなー、という思いがあって無駄なあがきをしていました。リドルストーリーっぽいのはその無駄なあがきの跡ですね。