探偵少女、現場に現る
結局、あれから要は何も言わず、ひたすら砂糖菓子をぼりぼり齧るだけだったので、志帆は適当に本棚から二、三冊抜き出して蔵を出た。とはいえ、結局それを家で開くことはなく、ぼんやりと事件について、考えるばかりだったが。
本は捲っていけばおのずと答えが出てくることが多いいが、この事件はどうなんだろう。待っていれば、それらしい答えがおのずと現れるのかもしれない。むしろその方がいいのかもしれない。実事件に首を突っこむのはあまりほめられたものではないんだろうけど。しかし、事件の性質上、気になることは事実なのだ。
次の日は雨だった。
事件を受けて、浮足立った空気が学校全体を包んでいるようであり、やはりというか、うわさ話や憶測が乱れ飛んでいる状態だった。
うわさ話の多くは被害者の森田耕一についてであって、どうやら彼はあまり愉快な人物ではなかったらしく、特に学年を問わずやたらと女の子に手を出し、さんざん弄んでは一方的に分かれるということを繰り返していたらしく、またそれは彼氏がいる女の子に対しても同様であり、男子女子双方から恨みを買っていたらしい。いつか刺されるんじゃないかと思っていたね、としたり顔で語る同級生もいるくらいだったので、志帆が知らなかっただけで、結構有名だったようだった。
そうなると、動機の面からも結局あまりわからないのかもしれない。
形式的には悲しんでいますというそぶりの中、みな残酷にこの事件を思い思いに消費しているようだった。自分もまた、彼らを非難できるようなはずもなくそんな人間の一人として、探偵小説的な興味でぼんやり事件を眺めている。
いまだ事件について気にはなるが、万が一謎が解けたとして、それからどうなるのかということを、いつも通りを装う授業中に窓の外を見ながらふと考えたとき、なんだか怖い気がした。結局この前の事件だってそうなのだ。首を突っこんだところでどうかなるわけではない。このまま何も考えない方がいいのかもしれない、そんな思いがわきだす。もし自分のような警察でもない人間が謎を解いてしまったら、たぶんその解決をどうするのかという謎より重いものが残るのだ。
だから警察に任せて自分たちはうわさ話や無責任な憶測に身を任せた方が楽なのだろう、きっと。
朝からの雨は放課後になってもまた続いていた。雨の日はテニス同好会は休みである。屋内練習? そんなものは同好会には存在しない。志帆はたいていさっさと帰るか、図書室で宿題をするか、それとも本を読むか、というパターンだ。
しかし、何故か足は違う場所へと向かっていた――あの旧部活棟へ。
警察の姿は特にないが、当分の間は部活棟ごと立ち入り禁止になるらしい。特に先生が見張っているということはないのだろうが、人の気配はなく、雨に濡れる古びた建物はただわびしいばかりだった。いくら知っている人間からは疎まれていたとはいえ、殺された森田の魂はあんな場所でいまだ事件現場にたたずんでいるのだろうか――。
そんなことを考えていると、建物の陰から、人影が現れた。思わずギョッとして身構えそうになったが、よくよく見ると女子生徒らしいことが分かる――というか、あの短い髪と小柄で猫っぽいシルエットはよく知っているような気がする。
「――って、カナちゃん⁈」
顔を合わせた瞬間、志帆が一瞬固まるほどの、普段見せたことのないような愛想笑いをさっと引っ込め、要はいつもの気難しそうな顔で手招きした。
志帆はそんな要を逆に建物の裏に引っ張り込む。
「ちょっと何してるのよ、しかもそれ、うちの制服じゃない」
「ちょっと借りた」
慌てたようにまくしたてる志帆に要は平然と言う。借りたって誰に? ……要が言うと、なんだか危険な香りがするが……。いやまあ、いいか、とりあえず写真とっとこ――。
向けたスマホを危うくはたかれそうになったが、何とか収められたはずだ。
要はそのことにはちょっと睨みつつ、今度はえらく恨みがましい顔になると、
「あれから、気になってしょうがなくなっちゃったじゃない。探偵小説みたいな事件がわからないままってていうのは読書の妨げにも、睡眠の妨げにもなるの」
なんだか非難されてしまった。要はそれから北側の入り口から中を覗き込み、じっと目を凝らしている。どうやら、あれからずっと考えていたらしい。眼の下にうっすらクマがあるし。
わざわざ他校の制服姿で現場に乗りこんでくるとは思わなかったが、しかし、あいにく現場を満足に見ることはかなわないようだった。
「中は入れないよ、鍵かかってるし。だいたいそんなほいほい入れるわけないでしょ」
入り口ドアのガラスにかじりついている要を半分あきれながら見つつ志帆は言う。普段の面倒くさがりな態度からして、わざわざここまでくること自体には驚いたが、とはいえ、あまり考えてのこととは思えない。まあ、徹夜で思考力が鈍ったか、その変なテンションのまま思い立ってそのままやってきたのだろう。傘もささず、小雨に髪がじっとりと濡れ、それこそ鴉の濡れ羽のようになっている。
「わざわざご苦労だったけど、特に何もわからないでしょ、そっから中を見たって」
どうせ部屋の並んだ廊下しか見えない。
「いや、志帆が語り落していたことが分かったよ。……部屋の扉はみな部屋側に向かって開く……」
「……」
――大した発見だ。
とりあえず志帆はへばりつく要を引きはがそうとする。だいたいこんなところを見つかったら言い訳に困る。
「そこの二人、何してるんだ」
案の定というか、やっぱりというか、声をかけられた。ただ、声の主は先生ではなかったことで、少し志帆は安堵した。しかも知ってる声だ。
「――すみません、望月先輩、この人変な人かもしれませんが、私の、その、クラスメイトで……」
とはいえ、我ながら何を言っているんだというような感じになってしまった。そしてやはり望月は志帆と要に不審な眼をむける。
「ああ、すみません。私、早瀬さんと同じクラスの空木です」
さっきまでの仏頂面はどこへやら、にこやかな笑顔すら浮かべて、
「私が一人で勝手に見に来てたところを、早瀬さんにいま注意されていたところなんです。いけないとはわかっていたんですけど、つい野次馬根性と言いますか……すみません」
てへ☆っとでも舌を出しそうな調子に志帆は若干鳥肌が立ちそうになるが、仮初の殊勝な態度で頭を下げる要になんとか調子を合わせる。
「そ、そうなんですよ。この娘ちょっとこう、デリカシーのないところがあって、勝手に一人でこんなところに来てたもんですから注意してたんです」
「建物は立ち入り禁止だし、周りをうろついていたって何にもないよ。まあ、僕も気になって図書室へ行く途中ちらちら見てたわけだけどね、それで君たちを見かけたわけだけど、とりあえず生徒会長として注意しとくから」
「ええ、すみません。本当に特に何もありませんでした、はい」
要はそう言って、また頭を下げた。望月はそれから志帆の方を見て、
「今日はテニス部は休みなのかい? 君は割と熱心に部活後も自主練していたみたいだけど」
「え、えっとまあ、その、テストが近いので今日は勉強しようかなあ、と」
雨の日は休みなんですとはっきりは云えず、適当にごまかす志帆。
「そう。とにかく二人とも濡れてるし、さっさと戻った方がいい」
はいはい、と頷きつつ、要を促すようにして志帆たちは望月と別れた。
「なるほど、あれが望月海斗ね……。会長の目に留まるくらい熱心に練習しているらしいじゃない」
あっという間に表情を消し、離れていく望月をじっと見つつの、どこか皮肉るような要の言葉。
ふん、見てる人は見てるのよ、と志帆は応えるが、それじゃあ大会が楽しみ、という要に、志帆はうっ、と詰まったものの、もしかして観に来てくれるの? と返すと、やっぱメンドイから行かない、とそっぽを向かれた。
「で、どうするの? 結局何もわからなかったわけでしょ」
渡り廊下まで要を引っ張り、志帆はそう言う。
わざわざ来た要の労力に見合った成果が得られたという風には見えない。
志帆としてはセーラー服姿の要が見れたから別にいいのだが。まあでも、ぶっちゃけいつものブレザーの方が似合っているけど。
「あれ、あんた昨日の……」
突然声をかけられて声のした方へと意識を向けると、昨日の険のある瞳とかち合った。菱田だった。
「あ、菱田先輩……昨日はその、すみません……」
思わず謝る志帆を菱田はどこか冷ややかに見やりつつ、
「の、割には現場をうろついてたみたいだけど……まあ、私も人のことは言えないけどさ」
そう言って、旧部活棟の方を見やると、
「森田のやつの噂、多分もう知ってるだろけど、どうなっちゃうんだろうね。犯人捕まるのかな……」
菱田が視線を向こうに向けたまま、独り言のように言う。
「女の子の写真を撮っちゃあ、別れた後にそれで脅してたなんて、笑っちゃうほどクズだけど、あんなのに惹かれちゃう子もいるわけよね……。まあ、あたしは犯人が捕まろうがどうだっていいんだけどさ」冷淡に言い放つとそっぽを向くようにして、現場の建物から目を引き離した。
菱田を観察しているようだったが、特に何も言わず、菱田の方も要をちらと見た限り、何も言うことなく、じゃあね、と立ち去って行った。
志帆はボンヤリ見送りつつも、はたして菱田がただ何となく事件が気になってここに来たのか、それとも何か気になるのか……もしかしたら、犯行に使ったかもしれない男子の制服――それを旧部活棟内に隠したものの、取り出す機会を失って様子をうかがいに来たのかもしれない……。
なんてまた、事件について誰何している。そのこと自体に、なんだか言いようのない罪悪感のようなものが、今さらながら志帆の内側でもたげだす。
ほんと、今さらだ――。
雨にけぶる旧部活棟を見つつ、志帆はぽつりと、
「やっぱり、この事件についてはもう気にしない方がいいのかもね。被害者ってかなり恨みを買ってたみたいだし」
「だからって殺されていいってことはないんじゃないの」
取り出したハンカチで髪の水気を拭きつつ、要は少し抗議するように言う。
「まあ、そうかもしれないけど。でも、結局は警察に任せた方がいいんじゃないかって」
「本当のことを知るのが怖い? それとも面倒?」
濡れた前髪の隙間から志帆を見据える要の鋭い言葉に志帆は思わず顔をそむける。そんな志帆に、要はどこか無造作に告げた。
「――犯人が分かったんだけど。どうする?」