事件についての推論
「板切れに付けたひもを外から引いて一丁上がりって、現実ってそんなものなんじゃないの」
目の前の少女は、いかにも可笑しそうに、かつ少し哀れむように口を釣り上げて笑うと、小鉢に盛っていた金平糖を一つ掴みあげると口に放り込み、ぼりぼりとかみ砕いた。
「くだらないトリック使うなら密室なんか作ってほしくないわよ、まったく。しかも引っ張った紐が途中でちぎれて残ってたなんて……犯人ヘボ過ぎでしょ」
志帆はどこか言葉を放り投げる様にして愚痴る。あの時の気分はどういえばいいのか……。志帆がことあるごとに、密室ですよね、と聞いていたせいなのか、聴取をしていた捜査員の刑事がああ、あれはね……と、説明してきたのだ。それがまあそこそこ気の利いたトリックなら志帆にとっては幾分救われたかもしれないが、志帆がそこで聴かされた、現場を密室にした方法とやらは、本当にどうしようもない代物だった。
ひもで投げ縄状の輪っかを作り、それを扉下の蝶番寄りのほうに置かれた、あのドアストッパーみたいな板を輪の中に入れる様にして置き、輪から伸びた紐を扉の外に出して、扉を閉める。扉と床には隙間が結構空いていて、外から板を引っかけるようにしてひもを引っ張り、板をドアと床の間に噛ませた。
ところが、結び目のところで紐が切れたらしく、輪っかがそのまま残っていたらしい。あまりのお粗末さに脱力するしかなかった。
とはいえ、まあ、実際の事件に巻き込まれたことではあるし、また同じ探偵小説好きの意見も聞いてみたいということで、事件のあと志帆は要の意見を聞いてみるか、という風に思い立ったのだった。
空木要は、志帆のいとこで同じ高校二年生。ただ、高校は志帆とは別の県立稲生高校――いまだに歩くとひどく音を立てる板張りの廊下で有名な古い高校――に通っている。
二人がいるのは二人の祖父の屋敷――祖父母がなくなった後、今は長女である伯母が住んでいるが――にある蔵を改装した書庫だ。二人の祖父が集めた本でいっぱいになっていて、要はよくそこに入り浸って蔵書を読み漁っている。志帆はそこから本を借りるぐらいで、伯母の屋敷にはお茶の先生をしている彼女のお茶教室へ顔を出すために行くことが多い。志帆はお茶が好きだし、何より高そうな着物を伯母から借りれるのも良い。要はお茶が嫌いなのと、正座するのが嫌だといって顔を出すことはない。志帆は何とか要に着物を着せようと画策するのだが今のところうまくいっていない。彼女のショートカットで前髪にかかるくらいの黒髪は鴉の濡れ羽といえるほどつややかで、着物を着せればさぞかし日本人形っぽく見えるはずなのだが……。ぜひ志帆のスマホのフォトコレクションに加えたい。ああ、加えたい。
伯母の屋敷に行くと、やっぱりいたというか、いつものように周りを引っ張り出した本のタワーで囲って、ドッカリと胡坐をかき、スカートの捲れも気にせず本を読んでいた。
本のタワーは志帆が背後から読書中に胸を触るから、そのための壁、ということらしいのだが、ぶっちゃけあんまり役に立っていない。
勢い込むようにして自身が巻き込まれた事件を語る志帆の話を、どこか面倒くさそうに本を読みながら聞いていた要だったが、そのしょっぱい密室トリックが明らかになると、本から顔を上げ、それが先ほどの、どこか意地悪い笑みとなったのだった。
「現実の密室なんて、こんなもんでしょ」
「それはそうかもしれないけどさ……でも怪しい扮装をした人物が現れたりして、探偵小説っぽい事件でしょ。メインのトリックは初っ端で割れちゃったわけだけど。まあ、密室はそこに人をくぎ付けにして逃げる時間稼ぎだったってわけじゃない? そう考えるとまあ、トリックが露見しようがどうでもよかったのかも」
「そうかもね」
そっけなく言うと、要はまた本に目を落とし始める。
「ちょっと、なんでそう反応うすいかなぁ」
志帆は不満げな声をあげる。探偵小説の好きなものとしては、こういう事件が実際に起こったとして、何か気になったりしないものなんじゃないだろうか……。何しろ仮面にマントの怪人なのだ。
「と、いわれてもね。現実の事件にはあんまり関わりたくないな。この前あんなことになったわけだし」
要の言葉にぐっ、と詰まる志帆。
本から顔を上げた要は、気難しそうな目を細めて、
「そもそも、これ以上なんか考えることあるの? 志帆期待の密室についてはアレだったわけだし。……また犯人を推理しようってわけ?」
「まあ、できるなら……。無関係と言えばそうなのかもしれないけど、でも巻き込まれちゃったわけだし、事件についてはやっぱり気になるのよ。私がする推理を聞くぐらいならいいでしょ? ちょっと気になる可能性があるのよね」
要は仕方がないな、と言う風に本を閉じると、
「つまり犯人は、旧部活棟の外に逃げて行かなかったんじゃないのか、ってことなんでしょ?」
志帆の言いたかったことを先回りしてきた。
「そう、それ。私が閉まってるのを確認した後、回り込んでいるうちに建物北側の入口の鍵を開けたとして、はたして本当にそこから出て行ったのかってこと。出て行ったという風に見せかけたんじゃないかって気がするんだよね」
そもそも目撃されたにせよ、さっさと逃げればいいのだ。死体を見つけるだけでも足止めにはなる。わざわざ密室を作って引き付けておいて、そのすきに現場から逃走した――そういうふうに考えることを誘導されているような気がしたのだ。
「犯人は外に逃げたんじゃなくて、建物内に留まらざるを得なかった――つまり、旧部活棟にいた人間だという可能性がある、と」
要の言葉に志帆は頷いて、
「うん。なんとなーく、そういった作為の臭いがするんだよね」
「確かに作為らしき感じはするけど……。まあ、とりあえず、その旧部活棟にいたのは何人だったの?」
「えーと、私と、私と一緒に犯人の目撃者になった的場さんを除いて、あの建物内の部室にいたのは全部で七人だったみたい」
要の問いに、聴取前に視聴覚室に集められたメンバーを思い出しつつ、志帆は答える。
「ええと、まずは志帆が騒いでいるところに最初に顔を出した、現場の隣の部室にいたメガネの人――」
「模型部で三年の宮本先輩ね。それから、次に来たのは現場の反対側――南端のチェス部で生徒会長の望月先輩」
旧部活棟の部室は廊下をはさみ、東西に分かれて四部屋づつならんでいる。現場となった演劇部が物置に使っていた西側の北端に位置している。そこから順に模型部、映画評論会、折り紙同好会、そしてチェス部。反対の東側は、現場の向かい側に位置するトイレから、的場が所属していた手芸部、歌劇部、SF同好会、バードウォッチング部。どれも2~3人程度の規模なので、部を名乗っていようが、すべて正式には同好会扱いである。部を名乗っているのは、かつてそうだった名残だ。
それらのなかで事件当時、部室に人がいたのは、模型部、映画評論会、SF同好会に折り紙同好会、チェス部で、映画評論会とSF同好会に二人づつ、残りは一人で部室にいたようだ。
その一人だったのが、模型部の宮本隆、チェス部の望月海斗、折り紙同好会の菱田正美だった。
「――そういうわけで、映画評論会とSF同好会の4人はとりあえずアリバイを保証しあえるわけだけど……」
志帆は旧部活棟にいた人間たちについてそうまとめると、
「アリバイを証明できないその3人の中に犯人がいると仮定して、まず犯人に成り得そうもないのは、折り紙同好会の菱田さんかな。私が見た犯人は男子生徒の制服を着ていたわけだし。そうなると、チェス部の望月会長か、模型部の宮本先輩か、ということになるわけで……」
そこまで一気に言うと、志帆はいったん言葉を切る。要は特に異論や意見をはさむことなく、ただ黙って先を促す。
「――で、残りの二人について、注目すべき点は、チェス部と模型部の位置になるのかな。チェス部は、現場から最も遠い旧部活棟南側入り口のすぐ近く。大して模型部は現場のすぐ隣。密室の工作や、北側のドアを開けておくなどの作業は宮本先輩の方がずっと余裕があるし、すぐ隣だから目撃される危険も少ない。望月会長だと、部室に戻る前に下手すると、私に鉢合わせする危険性がある。――というわけで、宮本先輩がもっとも犯人らしい可能性を備えている」
一応の結論を志帆は言葉にした。
――犯人は宮本隆。
志帆としては、なんだかあまりにも推論が単純すぎる気がしなくもないが……。
「うーん、自分で言っといてなんだけど、建物内に犯人がいたとして、一番犯人らしいのは宮本先輩である――と、そんなふうに短絡しちゃっていいのかなぁ」
「いいんじゃないの、それで」
要はあっさりと同意して、
「シンプルイズベスト。物事は簡潔な方が楽でいい」
「何それ、いい加減ね……」
「だけど――」要は遮るように言葉をおっかぶせると、
「私は違う気がする」
要はそう言うと無造作に足を組み直す。いくら女の子同士だからってもう少し気にしてほしいぞ。
しかし、志帆のせいとはいえ本のタワーに囲まれている姿はなんだか妙、というかいささか滑稽な儀式めいて見える。それから小鉢の金平糖を一握り口に放り込むと、やたら大きな音を立ててそれを噛み砕いた。
「違う?」
意見を否定はされたものの、志帆としては、いままでやる気の無さそうだったぶん、ようやく積極的になってきたか……という思いで先を促すように要を見やる。
「うーん、なんというか、怪人が気になる。というか、そもそも犯人がなんであんな恰好をしていたかっていうのが気になる」
「ああ、そういえば、帽子とマント、仮面を含めて、もともとあの物置にあったものだったみたいなんだけど……犯人がそれを知ってたってことが問題ってこと?」
「いや、そうじゃない。それは旧部活棟の人間なら知ってただろうし、演劇部の人間だって知ってだろうし。そうじゃなくて、そんな恰好をすること自体が変だってこと。とりあえず被害者を物置に呼び出して殺すとして、先に部屋に潜んでいて、被害者が入ってきたところを殺せばいいだけでしょ。これから殺す人間に対して顔を隠す意味があるのか。それから、カーテンが開いていた、というのも気になる」
要の指摘について志帆は考えながら、
「つまり……どういうこと? 犯人は誰かに対して顔を隠す必要があった……」
そこでハッと気が付く。
「あ、そうか、窓の外――つまり、私たちか!」
「というか、的場さんに対して、でしょうね。志帆の場合は偶然なんだから」
「ああ、そうか、そうだね、なるほど――」
そこで納得しかけて、志帆はまた変なことに気づく。
「……ちょっと待って。どういうこと? その前に変な格好して顔を隠さなくても、部屋のカーテンを閉めておけばいいことでしょ。そうすればそもそも目撃なんかされな……い――」
改めてハッとした志帆に要は頷いて、
「そう。わざと姿を窓から見せるつもりだった、ということが考えられる」
ということは、どういうことなんだろう……。志帆は考えを進めて、
「的場さんに見せるつもり……だったということは、何を見せるつもりだったのかってことだけど……」
同じように目撃した志帆としては怪人の格好でしかないわけだが。あと気が付いたことといえば、怪人が男子生徒の制服の上からマントや帽子、仮面をかぶっていたことくらいだが……そこで、志帆は気づく。そして唐突に容疑者らしき名前にも。
「あ、わざと男子生徒の格好をしていていた、ということか。なるほど、ということはそれが目的だったわけね。怪人が男子生徒の制服を着ていた、ということを目撃させて、容疑を男子生徒に向けさせる――そして、当時あの旧部活棟には女子は一人しかいなかった。つまり犯人は菱田先輩ということになる」
言葉が積み上るにつれてはっきりしてきた容疑者の名を言葉にすると、志帆はさらに続けて、
「一人しかいない部室で着替えて私たちの騒ぎの後に現れれるだけの時間はあったわけだし。つまりあの密室はそのための時間稼ぎだった、というわけじゃない!」
パタパタとつじつまが合うような気がして勢いづく志帆だったが、当の要の方は特に表情を変えることなく、
「まあ、そういう風に考えられる、という一つの可能性でしかないけど」
「えー、ここまで来てそういうこと言う?」
志帆が不満げな声を上げるが、要はあくまで冷めた調子で、
「そんなことを言っても、可能性止まりであることは確かでしょ。確たる証拠らしきものは何もないわけだし」
「でも、怪人衣装をわざわざ見せた理由を説明はできてるじゃない」
「あくまでも、説明の一つであって真実じゃない」
要はきっぱりという。
「んー、さっきからそればっかじゃない」
「そうはいってもね……とりあえずは可能性を列挙していくのも大事」
「そうかもしれないけどさ……」
それらしき真相が見えたような気がしただけに、志帆は少々不満を隠せない。いささか慎重すぎる気もするが、まあ、要のいうようにできるだけ可能性を挙げていくこと自体に異存はないが。
「でも、他に可能性ってある? アリバイがあるらしいSF同好会と映画評論部の四人――各二人づつお互いのアリバイを確認しているというだけで、共犯、という可能性はあると思うけど」
「そういえば、その四人の名前聞いてなかった」
「SF研究会が確か、近藤那由他と安西雄太、映画評論部が水落宗助に稲垣幸平――四人とも三年生ね」
「二人、もしくは四人が共犯という可能性はあるだろうが、そうなると結局は的場に怪人の姿を見せる理由は特になくなる……うーん」
要は小鉢の金平糖を一握り口に放り込むと盛大にぼりぼりと噛み砕く。そのやたら大きな音だけがしばらく響き、しばらくして要はぽつりとつぶやく。
「怪人は何故現れた、か……」
「やっぱり、菱田先輩が今のところ有力な容疑者じゃない? なんか調べられるの嫌がっているような感じだったし」
「それは部外者の志帆が首突っこんでただけだと思うけど……」
要はそう突っこみつつ、釘をさすように、
「確かに菱田犯人説は怪人の出現や密室についての説明はつく、ただ、制服の問題がある。たとえ同じ高校だとはいえ、そうそう簡単に調達できるかが問題でしょうね。知り合いのを借りているのか、兄弟がいたりするのかもしれないけど……」
「あー、そこはまあ、後で調べてみるけど」
「だとしても、着替えた後も制服をどうしたのか? という問題もある。いちおう、警察から持ち物検査のようなものはされたわけなんじゃない?」
要の指摘に志帆はその時のことを思い出して、声を詰まらせる。
「うん、まあ、形式的な感じではあったけど……私と的場さん、菱田先輩はまとめて見分されたんだけど……」
菱田の持ち物からは制服など出てこなかったのだった。
「なるほど、そうなると菱田犯人説の土台が崩れるか……」
振出しに戻る――か。志帆は脱力してしまう。それらしい解答すらもするりと逃げてしまったようだった。
「やっぱり推理だけで犯人を見つけるのって無理なのかなあ」
「まあね、本読んでいるのが一番だよ、結局は」
要はそういって、再び本に目を落とす。そしてまた金平糖を口に入れてはぼりぼりと噛み砕き始めた。
ぼりぼりぼりぼりぼりぼり……。
行儀が悪いなあ、まったく。そう思いつつも志帆は要の先ほどぽつりと漏らした言葉が気になる、というか大きな疑問として大きくなっていくのを感じていた。
――怪人は何故現れたのか?