飛んで上海 (三)- 中国
マクドナルドに苦戦した翌日、私は朝からタクシーに乗って上海事務所に出社した。
この日から私は、数日間かけてとある日系企業の業務整理をすることになっていた。事務所にて資料と打合せでのヒアリング内容を営業と確認し、その後お客様事務所に訪問するためにタクシーに乗った。
客先までは上海の営業がアテンドしてくれるとの事だったので、取りあえずは一安心だ。現地に向かうまでの間、同行してくれている営業と上海について話をした。現在の上海の状況や、食べ物の話など、いろんな事を営業は教えてくれた。この頃の中国は経済成長真っ只中で、インフラの整備や高層ビルの建築が物凄い勢いで進んでいて、それもあって上海万博の開催はひとしおとの事らしい。
そんな話が暫く続いたが、話すこともなくなったのか、車中は急に静かになった。十分、二十分、車が進んでいくと何故か道幅はどんどん広くなっていった。最大で四車線といったところだろうか?その道が延々と続くのである。
しかし郊外になると、あっという間に街の風景は変わり、それまで都会だった街並みが一気に田舎の風景へと変貌するのである。その中を四車線の道が延々と続く…。時折赤信号で車が停まると、自転車の大群が目の前を通過していくのである。一昔前にテレビで見た中国の光景が、まだそこにはあった。
三十分くらい経っただろうか。車は静かに停まった。するとそこには古ぼけた工場のような建物が建っていた。今日私が訪問する日系企業は、日本でも物凄く有名な企業と聞いていた。だから私は立派なビルや工場が建っているものだと思い込んでいたのだが、それとは全く違っていた。
『これが今の中国なのだろう。』
そんな事を考えながら、私は営業と工場の中へと入っていった。
工場に入ると、営業さんは入場手続きのために受付へと向かった。その間私達は、入口に置いてある椅子に腰を掛けた。待っている間に建物の内観をじっくりと拝見させてもらったが、失礼ではあるが古ぼけていて、なんともパッとしない。有名な日系企業といえども、中国では未だにこんな感じかと改めて思わされた。
待つ事数分。先方の担当者が受付にやってきた。そして私達を、工場内の会議室へと案内してくれた。会議室に入ると挨拶を交わし、早々に打合せに入った。打合せを始めたのはいいが、私はここで初めての経験をすることになった。
この打合せの参加者は、先方側が四人。此方側も四人の計八人で行われた。先方の担当者は全て現地の方の為、日本語が理解できない。但し、二名ほどは英語が理解できる、所謂「中・英」の組み合わせ。
一方のこちらは、営業が「中・日」、現地法人組が「日・英」、出張組の私が「日・英」の「日・中・英」の組み合わせだ。取り敢えず双方には「中・英」の組み合わせがあるので、打合せ自体は問題なさそうにみえるのだが、実際はそうもいかなかった。
こちら側のメインスピーカーは営業さんのため、中国語で説明をする。そうすると、先方担当者の方も、中国語で会話できると思い、営業に向かって中国語で質問するが、システムは全くの担当外のために説明ができない。なので営業さんは、質問の内容を日本語で私に説明する。私は中国語が出来ないので、質問の回答を英語で行う…。といったようななんともややこしい形になるのである。そのため打合せが進まない、進まない…。
更に打合せが進まない要因がもう一つ。それは中国人同士の会話だ。先方の担当者が営業さんに向かって中国語で質問をし、そこから中国語での会話が始まるのだが、営業さんは一生懸命何かを回答している。その後どのような質問がくるのか待っているのだが、一向に質問が来ない。勿論何を話しているかなどは一切分からない。そして、五分程経っただろうか。営業さんが突然私に、
「この資料の、ここの項目の意味はどういう意味ですか?」
と尋ねて来た。
えっ?五分も話してて、質問の内容これだけ?いやいや、もっといろいろと話してたでしょう?私はこの疑念が払拭できなかったため、
「あの、質問はそれだけですか?」
と念のために聞いてみたが、
「ハイ、この項目の意味を教えて欲しいそうです。」
返事はこれだけだった。あの五分間は一体何だったのだろう…。結局この日は、当初予定していたヒアリング内容の三分の一も進まなかった。翌日もこの調子で打合せは進み、結果的に私が滞在している間には全てのヒアリングを終わらせることが出来なかったのである。私は残った作業を現地の方々にお願いして、上海での業務を終えた。
上海最終日の夜。私は現地駐在の皆さんのご厚意で、晩御飯をご一緒することになった。私が上海に来てからの数日、皆さんはトラブル対応などでとても忙しそうで、私に構う暇もなかったのだが、このまま帰すわけにはいかないと食事会を開いてくれた。
ご用意いただいたのは勿論中華料理。本場の中華料理を頂くのは初めてだ。麻婆豆腐など、日本で目にする料理は数少なく、寧ろ知らない料理の方が多かったが、どれも美味しかった。そして、初めて飲んだ青島ビール。日本のビールと比べると、味が結構薄いような感じがした。
そんなこんなで出てきた料理とお酒を堪能していると、加原さんが、
「今回上海は初めてでしたよね?どうでしたか、上海は?」
と尋ねて来た。
「上海ですか。そうですね、私はマレーシアから飛んできたので、マレーシアと比べると上海の方が活気があるように感じましたが、まだ昔のイメージのままの中国も残っていて。でも、これから成長していくんだろうなというのは凄く感じました。」
と、ザ・サラリーマン的な模範解答をした。すると加原さんは、
「今回はねぇ、全然お相手してあげれなかったので。もっといい所あるんで、また是非来てください。」
そういうと、締めにということでお酒を頼みだした。
出されたお酒は、「白酒」と呼ばれるもので、私はこの時初めて知った。中国発祥の蒸留酒との事らしいが、日本に居た時は名前すら耳にしたことが無かった。テーブルには小さなグラスが配られ、白酒が注がれた。加原さんの締めの挨拶の後に、
「「干杯(gānbēi)」
の掛け声をして、一気に白酒を飲み保した。私も皆の後を追う様にして一気に飲み干した。
数秒後…。
熱い、熱い、熱い!
腹の中から喉にかけて、一気に激しい熱さが襲って来た。私が熱さで悶えていると、皆から笑い声が上がった。そう、この白酒、一般的にはアルコール度数が五十度以上の物が多く、中には六十度を超えるものもあるらしい。今回は送別会ということもあって、高めのアルコール度数の白酒を用意したとのこと。私はこの一杯で完全にやられてしまった…。なんとも手洗い送別会だった。
この後、私達は店を出てタクシーを拾ってもらい、なんとか無事にホテルへと辿り着いたのであった。
翌朝。私は二日酔いになることもなく、ホテルも無事にチェックアウトを終えて、タクシーで浦東国際空港へと向かった。空港へ向かう道中、私は再び上海万博の会場を車中から目にした。私は上海万博の会場を見ながら、
『中国へ来ることはもうないんだろうな…。というか、もういいかな。』
そんな事を考えていた。
これまで『海外』と言えば、英語さえ話せればなんとか生きていけるものだろうと思っていたが、今回の出張で英語が共通ではないという事を初めて知らされた。これまで行った先々では、何不自由なく英語でコミュニケーションが取れるので、海外はそれが当たり前と思い込んでいた。しかし、よくよく考えてみればそれが英語が共通でない事の方が当たり前なのだ。日本ですら標識や看板、お店のメニューなどは英語を使っている部分も多少はあるものの、英語でコミュニケーションが取れるほど英語が日常に普及しているわけではない。
マレーシアやシンガポールでも、英語以外にマレー語や中国語が使われる。そう考えると、世界にはまだまだ私の知らない事が沢山あるんだろうな…とも思ったが、出来る事なら日本でのんびり生活したいな…とも考えさせられる出張だった。
こうして私は再び出張元のマレーシアへと飛び立ったのだった。