表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/10

飛んで上海 (一)- 中国

マレーシアで業務を行っていた筆者に突如の連絡。

その内容は、上海での業務支援依頼。

未知の世界「上海」で、筆者はどんな新しい経験をするのか?

二〇一〇年十月。私は懲りずにマレーシアにいた。前回の渡航前に、残りの滞在可能日数を数えてまで渡航させられたのにだ。


前話で私が「一八〇日ルール」について触れたのを覚えていらっしゃるだろうか?そう、あの税金が云々…といった話である。


前回もお話ししたが、当時私が勤めていた出向先では、このルールに詳しい人は誰一人としていなかった。このような情報は、現地に長期滞在したことのある者から噂程度で聞いたり、ネットで調べるか…くらいのものだった。


(大使館なりにでも聞けば直ぐに分かるのだろうが、誰一人としてそのような発想はなかったようだ。)

話は戻るがこの時私はこのルールについて、親会社の課長さんから、「初回渡航日から一年間のうちに一八〇日を越えてはならない。」と聞いていた。


私のマレーシアの初回渡航日は、二〇〇九年九月だった。そして今は二〇一〇年の十月。初回渡航日から一年が経過し、一八三日という限度はクリアされてしまった。そういう認識だったのだ。正しくは国によってルールが違うのだが、それはまた別の話。


そう思っていた親会社の課長さんは、直ぐにマレーシア案件を用意して、私をその案件にアサインした。故に私は再びマレーシアにいるのだ。


私はマレーシアでの生活にもすっかり慣れてしまっていた。仕事の内容も然程変わらず、システム運用設計の支援。現地のメンバーに更なるノウハウを叩きこみ、現地のメンバーを成長させる、これが私のミッションだ。


勿論、現地の生活にもすっかり馴染んでいた。ホテル暮らしという不便さはあるものの、ネットを通じて現地で知り合いを作ったり、職場のメンバーと仕事終わりに一緒に食事に行ったりと、現地の生活で困る事など殆ど無かった。強いて言えば、趣味の音楽活動が出来なかったり、主だった娯楽がないというくらいだろうか。私はそれなりにマレーシアでの出張生活を満喫していた。


そんなある日のこと。日本にいる職場の同僚から電話がかかってきた。


「やぁ、マレーシアはどう?もうすっかり慣れただろう?暇か?」


久しぶりに電話を掛けてきたかと思えば、聞いてくる事が『暇か?』とは何とも失礼な話である。


「あ、お久しぶりです。いや、そんなに暇ではないですよ。一応ちゃんと仕事してますよ。」


と笑いながら私は答える。これは、定番となりつつあるいつも通りの二人の遣り取りである。しかし、この日の同僚の声は、いつもの雰囲気と少し違った。


「いや、仕事してるのはいいんだけど、再来週ってまだマレーシアにいるよね?今の仕事の状況はどう?忙しい?」


同僚が珍しく私の仕事の状況を聞いてきた。その雰囲気を察した私は、


「再来週ですか?まだマレーシアにいますけど、こっちの仕事は概ね順調ですし、主だって忙しいといったことはないですよ。どうしました?」


と私は答えた。すると同僚は、


「いや、実はちょっと別件で仕事の相談があるんだ。お前、俺の前の上司の秀さん知ってるよな?」


 同僚が聞いてきた前の上司の『秀さん』という人は、これまたかなりイケイケの人で、私が日本にいる時は、しきりに私に『うちの会社に来ない?』と誘ってくるような人だった。この秀さんは、今は親会社に戻って営業部長をやられている、そんな人だ。


「あぁ、秀さんですね。勿論知ってますよ。それがどうかしましたか?」


「いや、それが実はね、その秀さんから相談があってね、上海に行けないか?って言われてるんだよ。」


「えっ、上海…ですか?」


 上海。これまた行った事のない地名が出てきた。取り敢えず、その相談されている仕事の内容を聞いてみる。


「日系のお客さんらしいんだけど、お客さんが社内システムの運用で色々と困っているらしくてね。どこで、誰が、何をしているのかっていうのが全然把握出来てないんだって。じゃぁ、それを見える化しましょう!って事らしいんだわ。」


「はいはい、なるほど。」


「それで、運用の見える化ならって事で、こっちに白羽の矢がたったらしいんだ。二泊三日くらいでいいらしいんだ。第一弾が上手くいけば、二弾、三弾と続くらしい。まずは第一弾って事で。お前、こういうの得意だろ?」


「まぁ、別に得意って程ではないですが。そういうことであれば。」


「二泊三日って行ける?」


「こっちの仕事はなんとか調整します。」


「じゃぁ、秀さんには大丈夫って事で伝えておくから。」


「分かりました。」


「あっ、あと、上海には秀さんも日本から行くから心配すんな。お前は現地で合流してくれればいいから。」


「そうですか。」


「じゃぁ、そういうことで。」


ツーッ、ツーッ。


あっさりと電話は切られた。


上海か…。中国は、三国志程度の知識しかない。ましてや今の中国の現状なんて、テレビのニュースで見るくらいしか知らない。まだまだ発展途上の国、そんなイメージだ。


とはいえ、まだ行ってもいないのに色々と考え込んでも仕方がない。行く事が正式に決まってから考えることにしよう。しかしまぁ、何ともポジティブに成長したもんだ、と我ながら感心した。


数日後。マレーシアのオフィスで仕事をしていると、社用の携帯に突然電話が掛かってきた。携帯の液晶を見ると、そこには『秀さん』の文字が表示されていた。そう、例の営業部長だ。とりあえず私は電話に出る。


「あ、もしもし、元気?何、今マレーシアにいるんだってねぇ。そっちはどう?」


「あ、どうもご無沙汰してます。マレーシアですか?こっちは相変わらずですよ。特になんら変わりもなく。」


「そっかぁ、そう言えば彼から中国の話は聞いてる?」


「あっ、ハイ。先日先輩から電話がきて、概要だけは伺いました。」


「そっか、よかったよかった。それなら話が早い。実は来週お客さんの所に打合せに行く事になってね。それで、申し訳ないんだけど、一緒に行ってくれないかなぁ。ホテルとかの情報は後でメールで送るから、手続きだけそっちで進めてくれない?」


「ハイ、わかりました。メールで送ってくれれば渡航の手配はこちらで進めますので。」


「そう!ありがとねー。じゃぁ、また近くなったら連絡するねー。」


部長さんなのに、なんとも軽いノリだ。というか、やっぱり行くんですね、上海。前もって話を聞いていたので、なんとか諦めもつく。


私は何に(あらが)う事もなく、マレーシアから上海へ向かう手配を始めた。


航空券、ホテルの手配も無事に終え、後は現地へ行くのを待つばかり。


初めての一人海外移動、そして初めての中国。初めて尽くしで若干の不安はあるものの、現地に着けば部長との同行だし、まぁ大丈夫だろうと心のどこかで少し安堵していた。


それから私は上海への渡航日まで、マレーシアでこれまでの業務を淡々とこなしていた。

上海への渡航前日も、私はいつも通りオフィスへと向かった。オフィスに着くとパソコンを起動し、メールの確認。私は日々のルーティングの一つをいつも通り行う。


すると、メールの受信ボックスに気になるメールが一通届いていた。そう、明日から上海で合流する、秀さんからのメールだ。しかも前日の夜に送られている。かなり珍しいことだ。


「夜にわざわざメール?何だろう?」


私は不思議に思い、秀さんからのメールを真っ先に開いた。

するとそこには心臓が止まるかと思う程の衝撃的な内容の文章が書かれていた。


『お疲れ様です。明日から予定していた上海出張ですが、急遽別件対応が入った為行けなくなりました。大変申し訳ないですが、現地へは一人で行ってください。上海はタクシーの運転手さんに住所を見せればその場所へ連れて行ってくれるので、住所のコピーを忘れずに持っていって下さい。


上海オフィスのメンバーには私の方から連絡を入れておくので、オフィスに着いたらこの番号に電話して下さい。よろしく。』


秀さんからのメールの最後には、現地の担当の方の電話番号と、添付ファイルに現地オフィスの住所が貼り付けてあった。


このメールを読んだ途端、私の頭の中は一瞬にして真っ白になった。


(えっ、えっ、何?一人で行く?上海に?中国語なんて読みも話せもしないのに?)


とりあえず私は、一人でも現地に行くべきかの判断を仰ぐ為先輩に電話した。


「あっ、もしもし、お疲れさまです。あのー、秀さんからのメールって読まれました?なんでも急遽別件対応が入って明日上海に行けなくなったらしいんですけど…。これ…私一人で行くんですかねぇ?」


「あー、メール読んだよ。明日行けないらしいねぇ?でも、お前は行けるんだろ?」


「そりゃ仕事調整したから行けますけど…。僕、中国語全然話せないですけど、大丈夫ですかねぇ?」


私がそう言うと、先輩はいつもの決まり文句で、


「大丈夫、大丈夫、行けばなんとかなるって。ま、また何かあったら連絡して!」


そう言われて電話を切られた。


(そんな無責任に『大丈夫、大丈夫。』って…。僕はおたくの社員でもなんでもないんですけど…。)


そう言いたかったが、今となっては後の祭りだ。私は渋々一人で上海へ行く決心をした。


翌日。私のフライトは夜二十二時頃の飛行機だったので、この日は日中マレーシアのオフィスで仕事をして、終わり次第空港へと向かった。二十時過ぎには空港に到着し、チェックインを済ませて空港の中で上海行の飛行機を待つ事にした。


待っている間喫煙所に行って煙草を吸ったり、喫茶店でコーヒーを飲んだりして時間を潰していた。フライトまで一時間を切ろうとしていた頃、私は確認のために館内の電光掲示板を見に行った。モニターで自分が乗る予定の便を確認すると、そこには「Delay(遅れ)」の文字が表示されていた。三十分遅れとの事。私はこれまでの様々な渡航で、飛行機が遅れるという経験が一度もなかったので、若干の不安を感じた。しかし、待たない事にはどうにもならないので、私は一旦その場を去ることにした。


空港内を一通り歩き、三十分が経過したので、私は再び電光掲示板の元へと向かった。モニターを確認するが、「Delay」の文字は表示されたまま。遅延時間を見てみると、先程三十分と表示されていたものが一時間へと変わっている。


『な、なぜだ…。』


私の中で不安が募る。二十二時が一時間遅れで二十三時か…。でも、一時間程度ならまだ大したことはないか。そう自分に言い聞かせて、私は再び空港内を歩き回る。その後も、三十分おきにモニターを確認するが、出発予定時刻が二十三時半、〇時となり、結局私が上海行の飛行機に乗れたのは深夜一時だった。


飛行機に乗った時点で私は疲れ果てており、何も考える事無くただシートにじっと座っていた。私はこの時初めて中国系の飛行機に乗った。機内の殆どは中国人と思われる。最初に乗った感想は、機内はとにかく五月蠅(うるさ)い。乗客があちこち至る所で喋りまくっているのだ。疲れ果てている私は、この五月蠅さに耐えられなかったので、すぐに眠りにつき、夢の中へと逃げることにした。しかしそれも、程なくして現実に引き戻されるのであった。


私は三人掛けのシートの通路側に座っていた。私の隣には一組の老夫婦が座っていた。隣に老父、そしてその奥に老婆といった形だ。飛行機が離陸した後も、その老夫婦はかなりの大声で只管(ひたすら)喋っていた。私にとってはその大声がかなり邪魔だったので、睡眠に逃げる事にしたのだ。フライトが深夜になった事もあったので、私は直ぐに自席で眠りに就いた。


自席で眠っていると、突然私に何かが重く伸し掛かり目が覚めた。訳も分からぬまま寝ぼけ眼をゆっくりと開くと、目の前には老父がこちらを向いて私を跨っているではないか。察するにお手洗いに行きたいのだろうが、声もかけずに容赦なく通っていく事に、私は驚きを隠せなかった。それと同時に激しい憤りを覚えた。


老父が席に戻るまで、私は目を閉じて待っていた。寝たところでまた老父に睡眠の邪魔をされるからだ。暫く目を閉じ老父の帰りを待っていると、今度は突然左隣から激しい衝撃を受けた。パッと目を開くと、次は奥に座っていた老婆が容赦なく私の前を通っていこうとしていた。


『な、なんなんだコイツ等は…。』


この老夫婦をコイツ等呼ばわりするのは如何なものかとは思うが、ここまでされるとこの二人に敬意の念を抱く事など到底出来ない。機内の収まりそうにないざわつきといい、この老夫婦の行動といい、この機内の中で中国という国に対しての私の印象は、一気に最悪となった。


結局私が乗った飛行機は、早朝に上海に到着。私は若干フラフラになりながらも空港をでて、煙草を一服する間にカバンからホテルまでの地図を出す。一服を終えるまでの間に周囲や人の流れを確認してタクシー乗り場を探す。タクシー乗り場が確認できたところで私は煙草を早々に捨て、足早にタクシー乗り場へと向かう。


タクシー乗り場に到着すると、鉄の柵で迷路のように仕切られた通路を歩く。列に並ぶと、先頭にはどうやら誘導員らしき人物が。誘導員は客に対して、『あの車に乗れ』というような指示を出しているようだ。どんどんと列は進み、あっという間に私の番だ。誘導員に英語で話しかけるも、誘導員は英語が全く分からない模様。私は取り出しておいたホテルの住所を誘導員に見せた。すると誘導員は、手を差し伸べて、他の客同様に「あの車に乗れ」といったジェスチャーをした。私は誘導員の指示に従い、指定されたタクシーへと乗りこんだ。


タクシーに乗り込んで、私はここでも驚かされた。タクシーの車内が、日本や他の国では見たことが無い仕様になっているのだ。後部座席と前の席は鉄格子の様なもので仕切られており、また、運転席と助手席はプラスチックの板のようなもので仕切られているのだ。なんとも物騒な様相を呈している。


後部座席に座った私は、タクシーの運転手にホテルまでの地図を渡した。すると運転手は、住所を見ただけで行先を理解したのか、ものの数秒で私に地図一式を返し、何も言わずに車を走らせ始めた。しかしこの運転手、客が乗ったにも関わらず一言も発さない。なんとも不愛想だ。だが、逆に中国語で話しかけられても私も何も話すことが出来ない。これはこれで好都合かもしれない。


『秀さんは地図を渡せば目的地まで連れて行ってくれると言っていたけど、ちゃんと目的地まで行けるのかな…。』


私は一抹の不安を胸に、この運転手に全てを委ねる事にした。


上海浦東国際空港を後にした私は、とりあえずタクシーの車中から初めての中国の風景を楽しもうと、車中から外を眺めていたのだが、それも一瞬にして終わった。それというのも、私が乗ったタクシーの運転が、かなり荒いのだ。かなりのスピードで、次々と周りの車を追い抜いていく。かと思いきや、別のタクシーが私の乗っている車を追い越していく。


『なんなんだ、ここは…。』


この当時の上海は、今考えると全体的に車の運転が荒かったような気がする。


上海浦東国際空港から上海市内へ向かう途中、高速道路から様々な建物が建っている広場の様な物が目に飛び込んできた。アミューズメントパークの様にも見えるが、私にはそれが一体何なのかは、この時は分からなかった。それよりも、なんとかホテルまで辿り着く事を願う事で一生懸命だった。


暫く走ると、タクシーは高速道路を降りて上海市内を走りだした。街中は私が想像していたよりも全然違っていて、大きなビルが建ち並んでいたり、百貨店やブランドショップなども多くあり、私がイメージしていた中国とは全く違った。


タクシーは程なくして、宿泊先となる「花園飯店(オークラガーデンホテル上海)」に無事に到着した。私は、フラフラになりながらもなんとかチェックインを済ませて部屋に行き、朝の打合せに向かうまでの間、僅かな仮眠を取る事にした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ