微笑みの国タイ
二00九年十二月のとある日のこと。
私はこの時既にマレーシアで仕事をしていた。
私と一緒に仕事をしていた職場の人が、突然目の前でため息をついた。どうしたのかと思い話を聞くと、その人は案件の都合により、急遽タイに出張にいかなければならないと言い出した。しかも、同行するのはマレーシアのエンジニア。出張の目的は、当時マレーシアよりも進んでいた、監視システムの構築について、実機を触りながらマレーシアのエンジニアが学習するというものだった。
同僚は英語が話せないため憂鬱になっていた。するとその人は私を見るなり、
「英語話せますよね?もしよければ、通訳としてタイに一緒に行きませんか?」
と持ち掛けてきた。この時の私は長期のマレーシアの長期滞在に、少々疲れを覚え始めていた。この当時のマレーシアには、日本食料理屋の数も少なく、毎日現地の食事を食べて過ごしていた。マレーシアはイスラム教が故に、豚肉を食べる文化が殆どない。あったとしても、イスラム教徒とは関係のない中華系のマレーシア人ぐらいだろう。私は異常なまでに、日本食が恋しくなっていたのだ。
同僚は、過去にタイに行った事があるらしく、
「タイには日本食屋が沢山ありますよ。」
と教えてくれた。途端に私の目は輝き、「日本食」の一言に釣られてタイへ同行することにした。向かった先は、バンコク。マレーシアからタイへは国内線で一時間少々だっただろうか。私達は夜便でタイへ渡航した。初めてのスワンナプーム国際空港。クアラルンプール国際空港とは違って、非常に明るかった印象がある。空港を出て、タクシーでバンコク市内へと向かう途中、私は周りの景色に衝撃を覚えた。深夜、空港からタクシーで高速を使って向かっていたのだが、その高速道路が日本でも見たこと無いほど明るかったのだ。
我々は、ホテルに到着するとすぐに、近くの日本食屋へ向かった。向かった先は、「江戸屋」という日本料理屋。店の入り口には暖簾がかかっており、日本にある居酒屋と、なんら遜色のない店の佇まいだった。
暖簾をくぐり店内に入ると、そこはまさに日本。店内の壁や棚には、日本酒や焼酎のボトルがずらりと並んでおり、店内に置いてあるテレビでは、日本の番組が流れている。タイにいることを、完全に忘れてしまう程だった。違うところを挙げるとするならば、我々を迎え入れてくれた店員さんが、タイの方ということぐらいだろう。
我々は席に座り、早速メニューを開く。すると、目に飛び込んできたのは、日本語で書かれた、日本で見慣れたメニューがずらり。私はこの時、生まれて初めて日本語で書かれたメニューを見て感動を覚えた。それと同時に、マレーシア出発前に、クアラルンプール国際空港で軽食を取ってしまったことを非常に悔やんだ。
私は悩みに悩んだ挙句、「とんかつ」と「おにぎり(鰹)」を注文した。待ち時間は然程無かったと思われるが、久しぶりに食べる日本食に既に心を奪われてしまっていた私は、この待ち時間が三十分にも一時間にも感じた。
暫くすると、注文していた物が次々と運び込まれてきた。私がオーダーした以外にも、枝豆やたこわさ、だし巻き卵など、久しぶりにお目にかかる物に私は目を輝かせていた。時同じくして、私が頼んだ「とんかつ」と「おにぎり」も運ばれてくる。
一口目を「とんかつ」と決めていた私は、目の前に運ばれたとんかつを眺めては一呼吸し、たっぷりのとんかつソースをかけ、いざといわんばかりに端の一切れを箸で挟み、ゆっくりと口の中へと放り込んだ。そして、そのとんかつをしっかりと噛みしだく。
サクッ、サクッ、サクッ。
衣の砕かれる音が耳に届くと共に、懐かしい豚肉の味が、口の中いっぱいに広がっていく。
旨い。
これ以上、余計な言葉は要らなかった。
日本にいる時は、全く気にもしたことがなく、日常の中に当たり前にありふれていた「とんかつ」。それが他の国にいることで、食べることも難しい状況に置かれ、その物を久しぶりに口にする事が出来た時、これほどまでに感動するとは思ってもみなかった。
これは、日常にありふれた小さな幸せを、自分か如何に日々感じられていなかったかということを、痛感させられた経験である。また、日本と同じものを提供できるタイという国に、素晴らしさを感じた事でもある。
翌朝。いつもより早めに目が覚めた私は朝食を早々に済ませ、ホテルの外に出てみた。すると、建物の至る所に、これまで見たことのない文字の看板があり、マレーシアとは違った東南アジアの一つの国を感じた。
この時の出張は、2泊3日の短期ということもあって、タイ人の働きぶりというものは、あまり感じる事ができなかった。しかしこの数年後、私はこの国に滞在し、タイの人々と仕事を共にすることになる。
日中は業務を淡々とこなし、夜は同僚の計らいで、軽くバンコク市内を案内してくれた。同僚も、然程タイの土地勘がなかったため、ホテル付近を軽く散歩することに。私は土地勘がないので、同僚に合わせてフラフラとついていく。
ホテルの目の前の大通りを歩いていると、歩道には沢山の屋台が立ち並んでいる。夜にもかかわらず、その通りは活気に溢れていて、沢山の人が買い物などを楽しんでいる。屋台を横目に歩いていると、同僚はとある脇道に入る。するとそこには、これまでに見たこともない光景があった。
通りの両脇には、煌びやかな電飾で飾られた建物が立ち並んでおり、色鮮やかな日本の女子高生の制服らしき物を着た沢山の女性で溢れかえっていた。私は目の前の状況が全く理解できず、慌てて同僚に問いかけた。
「すみません、あの、今私達が歩いてる通りって何なんですか?女性が物凄く沢山いますけど。」
「あ、この通りですか?この通りにはカラオケのお店が沢山あって、周りにいる女の子達は、そのお店の娘達なんです。」
…カラオケ?
これがまた私には理解ができなかった。何故ならこの頃の私は、カラオケ=(イコール)カラオケボックスをイメージしていたからだ。
「あの、カラオケに女の子っていうのが、いまいちよく理解ができないんですが…。」
そう投げかけると同僚は、
「あー、こっちで言う『カラオケ』は、日本でいうキャバクラみたいなもんですよ。それで、そこの女の子達が店の外に出て呼び込みをやっているっていうわけです。」
なるほど、そうなのか。やっと理解ができた。私自身日本にいる時は、殆どキャバクラには行かないが、勿論行ったことがないわけではない。ただ、そういった場所は個人的にはあまり興味もない。私自身人見知りが激しいため、お金を払って初めましての女性に会って、気を遣いながら酒を飲む行為が理解できないからだ。
「そうなんですね。」
そうとわかった私は、途端に興醒めしてしまい、気乗りもせず淡々と通りを歩く。通りを端まで歩き終わると、今来た道を再び引き返す。ボーっとしながら通りを歩いていると、同僚が突然、
「どこか入ってみますか?」
と誘ってきた。私は全く興味が沸かなかったので、とりあえず丁重にお断りをするが、
「折角タイに来たんだし、とりあえず行ってみましょうよ。勿体ないですよ。」
確かに仰る通り。まだ二カ国目とはいえ、今後タイに来ることなんてないかもしれない。人見知りながらも、好奇心は人一倍旺盛な性格。それならばと、誘われるがままカラオケへ入ってみる事にした。
入ろうとした所は通りの入り口に近い古びたビル。かなりの年季が入っているようだ。入り口に客引きのおばさんがいたので、同僚が声をかけてビルに入ろうとしたところ、驚愕の光景を見た。
それは、先程まで表に座って客引きをしていた女の子達が、一斉に狭いエレベータへと乗り込んできたのだ。そのエレベータはホントに小さく、六人も乗ればいっぱいといった感じだ。しかし、そんなことは構わず乗れるだけ乗ってくる。缶詰め状態だ。これでエレベータのアラームさえ鳴らないのだから恐怖すら覚える。
最上階まで上りきりエレベータから降りると、すぐにお店の入り口がある。恐る恐る中に入ってみると、そこには初めて見た光景が広がっていた。
三段程の階段状になった長いソファーに、女の子が既に十人ほど座っている。さらに一緒にエレベータに乗ってきた女の子や、後追いで階段で上がってきた女の子達が続々とやってきて、気が付けば三十人くらいの女の子達がそのソファーに座った。
ひとしきり女の子達の準備が終わると、ママさんが声をかける。すると一斉に、
「イラッシャイマーセー」
の挨拶が飛んできた。これには正直驚いた。少なくとも、私がそれまでに行ったことのあった日本のキャバクラでは、そういう光景を目にした事が無かったからだ。
挨拶が終わると、次にママさんが声を上げた。
「日本語喋れる人ー!」
すると、席に座っている女の子達が、一斉に手を挙げる。そして、『私を選んで』と言わんばかりに、我々に笑顔を振りまいてくる。ひとしきり眺め終わると、次にママさんが、最初と同じ様に英語が喋れるかを女の子に尋ねる。すると、また何人かの女の子が手を挙げる。
ここまででお分かりとは思うが、客は「自分の好み+話せる言語」で女の子を選ぶというわけだ。
私は日本語でも英語でもどちらでも構わないのだが、この時はとりあえず日本語が話せる女の子を選んでみた。女の子を選んだ後は、その子達と一緒に別のテーブルへ移動する。席に座ると女の子は、
「何飲む?」
と尋ねてきたので、私は焼酎の水割りを頼んだ。お酒を取りに行って戻って来ると、いろいろと女の子に聞いてみた。年齢は二十代前半で、地方から出稼ぎでバンコクに来ているらしい。地元には姉妹がいるらしく、その子達の分まで頑張らないといけないらしい。何とも健気に頑張っている娘だった。こうやって話を聞いていると、その他のいろんな事が気になったので、更に尋ねてみた。
「日本語はどこで勉強したの?学校?」
すると彼女からは意外な言葉が返ってきた事に驚いた。
「チガウ。ムービーね。携帯でイッパイ見れるから。」
「えっ?ムービーだけ?学校は行ってないの?」
と聞くと、
「学校はお金かかるだからねー。ダカラ、日本のドラマとかアニメとか携帯で見て勉強する。あとは、お客さんに教えてもらうネー。」
凄いの一言だ。携帯の動画と、お客さんに教えてもらうだけで、こうも他国の言葉が話せるようになるとは。人間、学ぼうという気持ちと努力でここまでにもなれるという事を痛感させられた。ただ、この子は何故『日本』という国を選んだのかが不思議だった。
「あのね、じゃぁ、どうして日本語を選んだの?他にも沢山の国があるでしょう?」
「ナンデ?んー、日本のアニメ面白いね。私スキ。」
「えっ?それだけ?」
「アト、日本のヒト、優しいダカラネー。」
「日本の人、優しい?そうかな?他の国の人だって優しいんじゃないの?」
「他の国はダメネー。優しくないよ。私キライ。」
バンコク市内を歩いてみて分かったが、バンコクにも多くの外国人が訪れている。そうなると、必然的に彼女達も様々な国の外国人と出会う。すると、彼女達は彼女達が接してきた人々の中でいろいろと感じている事があるらしい。具体的な話についてはここでは触れないが、私についてくれた女の子も、あの国の男性のあれが嫌いとか、この国の男性のここが嫌いとか、話し出したら止まらない程に自分の経験談を語ってくれた。日本人男性でも、彼女達が嫌うような男性は往々にしているものだが、彼女達が接してきた人からすると、比較的嫌われるような男性は少ないのだろう、そう思った。しかし彼女は、最後に笑いながらも衝撃的な一言を発した。
「日本人男性は、ミンナ、スケベダカラネー。」
そうなのか…。この一言は結構ショックだった。この一言を、私自身否定するつもりは全くないのだが、この一括りの中に自分も含まれていると思うと、少々寂しい気持ちになった。
この後も、日常の他愛も無い話などをして時間になって店を出た。先にも言った通り、日本ではこのような店には殆ど行くことがない私も、この時ばかりはタイの夜の様々な事情が知れて、楽しい気持ちでいっぱいだった。
翌日我々は、何事もなかったかのように業務を淡々と熟し、タイの地を後にした。タイは私にとって、また訪れたいと思わせる国の一つとなった。