008.創造主、挑まれる
遠くに聞こえる馬の嘶き。それから振動。頬に温かいものが置かれている。
ぼやけていく視界。いや違う。逆だ、鮮明になっていくんだ。
フレヤ……フレヤ?
リンクはまだ辛うじて繋がっている。だが、フレヤは頑なに語ろうとしない。私から、とても遠いところにいる……。
何をすれば理解してくれるんだ。
私は身を動かそうとしたが、頬に乗る温かな手がそれを抑えた……頬がブニュリと歪むほど。
私は横向きになって寝ていた。それも冷たい床ではなく寝台。この部屋には、他にも寝台が置いてある。そしてそれを使用しているのは……旅芸人の女児達だ。
誰かが私をここに運んだのか。
目の前には私を見つめる人。不機嫌さを隠そうともせず、椅子にどっかりと腰掛けていた。
胸がないが、これは女児だ。
「ひささか、らんぉうではないかなアーネス。後、フレヤの場所を知ららいかい」
「……起きないでコーズ。あとその言葉を何回聞かせるの。ねぇ、私の服に吐き散らかしたの、また覚えてないの」
私の言葉は無視された。そしてアーネスの手に力がこもる。温かい、などと言っている場合ではないかもしれない。
「吐いた。私が。何を?」
私の身体にかかっている厚手の布生地から手を出……そうとして、アーネスの手が阻止する。その時の体重移動で、アーネスの座る椅子が軋んだ。
「あのね、そろそろ分かって欲しいわ、何度ゲロッたって胃液じゃ私の服は洗えないってことを。で、何をやらかして、何をやらかされたの」
「誰も何もしていない。会話しただけだよ」
そう答えると、彼女は私の身体から手を退けて、自分の顎に持っていった。
「あぁ。さっきまでと言ってる事が違うわね。流石に目が覚め……ちょっと待って。会話?」
「あぁそうだ。シィリヤについて分かっていることを話して、喧嘩のことも話して、私のことも……会話を、確認をして、そして勘違いされた。よし、待とう」
「いやその、待たなくていいわ……吐くそぶりはないわね。この調子で気絶しないでコーズ。小難しい話は分からないけど、私達の大事な馬車を襲った青紫ゲロが何か関係してるのよね?」
「青紫ゲ……そうだ」
「人が弱ってる時を狙って洗脳して、情報収集させたってとこかしら……ッチ」
「うん?」
「彼奴らに、されたんでしょ。洗脳」
「せんのう?」
「洗脳。強制的に思考を変えられちゃうこと。本人が気付かないようにしてるのね……世界のためだかなんだか知らないけど、胸糞悪いわ」
彼女が何に怒っているのか分からない。だが、それを言うと更に怒らせそうだ。
「私達もこき使われる運命みたいだけどね。今ケムナが話を聞きに行ってやってるわ。やらせたいことがあるみたい。怪我が治るまで衣食住を提供する代わりに、ね。
あなたの勘違いに関しては……おつかいの報酬として会話を取り付けてもらうようお願いするしかないでしょうね。その気がわくのなら、だけど。
これだから狂信者は……あ、思い出したわ」
アーネスを注意深く観察していると、彼女は寝台のすぐそばにあった低い棚の上から、白い器を手に取った。
「ごめん、やっぱちょっと起きて」
「あぁ、分かった」
言われて上半身を起こすと、アーネスが白い器を渡してきた。
器の中には白いつぶ、それから赤いつぶと同色の液体がたっぷりと入っている。何というか自分の、血と肉と脂肪を想像させた。
奥深くに仕舞われた記憶を刺激してくる……。
明らかな拒絶反応を示したからか、アーネスが困った顔を見せた。
「何でそんな急死しそうな顔してるわけ」
「いや……ウッ……こ、これは?」
「さっき味見したけど、クァーの木の実だと思う。乾燥させてないやつなんて貴重よ。狂信者様から貴方にって。よほど早く仕事して欲しいのね」
「これは木、木の実、なのかい?」
「えぇ。この辺りの大木でたまに取れるやつ。丁度、今が旬ね。傷の治りとかが早くなる、らしいわよ。本当かどうかは知らないけど、味は好評」
「しかしこの見た目……気持ち悪くないのかい」
「んー、そうは思わないけど。何にせよ貴重な食べ物……いえ飲み物かしら、潰してあるし」
「そ、そうか……これが……しかし」
あの時出来なかったハコニワの食事。しかしこの状況では、感動も何もあったものではない。
私が辞退しようとしているのを察したのか、アーネスの顔が近づいてきた。
「つべこべ言わない」
そう言うなり、アーネスは器を持つ私の手を動かして、無理矢理に傾けてくる。口に滑り込んできた大きな塊を吐こうとして、しかし大失敗。
塊は、口の端から溢れる液体とは逆に喉へ侵入した。く、くるしいっ。
「む、ぐっ」
「塊、丸呑みしたわね今。ほら一応噛んで」
「ぐ、ん」
二人で無意味な戦いをしている間にも、ゴボゴボと溢れる赤と白の液体。いつの間にか代わっていた私の服も、アーネスの服も真っ赤に染まっていく。
それでも拒否しようとする私の頭をグッと掴んで、アーネスが凄んだ。
「噛めや」
「ぐっ…………」
結局私はうまくこれを口にすることができず、それどころか舌を噛み笑われることになった。
悲しいかな、ハコニワ初めての食事は、自分の血肉の味がした。
▼
馬車で押し入った時には気が付かなかったが、フレヤが眠っていたあの部屋にたどり着くまでにも多くの建造物があったらしい。
敷地を仕切る木の柵の中は、迷路のようになっていた。迷路は建造物の連なりでできている。この何処かの棟に、旅芸人の女児達が……神子が……フレヤがいるのだろう。
勘違いをとくどころか、逢わせてすら貰えなかった。だが、まだリンクを解いた気配はない。望みはまだあるのだ。
サーブに頼むのはさらなる勘違いを生むだろう……なら、私自身が力を示さなければ話を聞いてはくれない、か。
シィリヤの力が、私のものと同じものである保証はない。だが、関係していないはずもない。
私は柵にもたれかかり、ケムナが建造物から出てくるのを待っていた。気分がすぐれない……。
「気持ち悪さが無くなった代わりに気持ち悪い……」
「何言ってんの」
私の独り言に反応し、アーネスが笑う。
あれから三日間、寝台の上で血の味しかしない(という印象しかないだけで、実際は違う味なのだろうが)飲み物を飲む飲まないで戦いを繰り広げた。その結果、確実にアーネスの勝利になることが分かった。
腕力がなくて良かったわ、とはアーネスの言葉だ。
いっそ清々しい顔をしているアーネスとは裏腹に、時間が経っても私の気分は晴れなかった。
少し経って、大荷物を背負った馬とケムナがやってきた。
私との距離感はあるものの、親しげに手を掲げてくる。その手に握られた棒の先端には青い炎が灯っているが、これはフレヤではない。
集合した私達は、三人とも厚手の青い服を着ている。ただし、私だけ裾が長く動きにくいものだ……私は、戦いを期待されている訳ではないのだろう。
ケムナが炎を持ってない方の指を二本立てる。
「大目標は二つ。まずシィリヤの生け捕り」
「それいきなり死ぬわ。こっちが死ぬから」
「うっさいアーネス。二つ目、ぶち壊した扉の装飾に使われてた木の枝を探す!」
「装飾に使われてたって……別にそんなの……はぁ。ま、いいわ。いや良くはないけど。私達がやるのは、そっちが本命なんでしょうね」
「なーんか忙しそうに動いてるからねー」
そう。ケムナを待っている間に、柵の出入り口を、武具を所持した青い服を着た男児や、身体の大きな馬が行き交っていた。
何かをしているのは間違いないのだが、しかし私達には何も知らされていない。
そのことが不服なのだろう。ケムナの頰は大きく膨れていた。
出入りする男児達が重装備であることから、外が危険であるのは十分理解した。だから、出発する前に女児二人には言っておかなければならない。
「……君達はここにいるべきだ。本来は私がやるべき事なのだから」
「待ってても暇」
「アーネスほっとけない」
あぁ、即答だ。
「まぁケムナは見た目通りに鼻が利くからいると便利ね」
「なにそれ酷いッ野生丸出しってこと?!」
「えぇ、そう言ったわ」
「ふっざけ……このペタン」
「んなっ!」
「ペタンとは何だ?」
「い、言わせないでよ変態!!」
何やら険悪な関係を止めるつもりで質問したが、失敗したようだ。余計に恐ろしい顔になったアーネスが、私に掴みかかろうとする……寸前で、横から声がかかった。
「楽しそうなところを申し訳ないが、よろしいか」
「あぁ?」
「今取り込み中……あっ」
声の主を見、生き物を殺せそうな、強烈極まる二人の睨みが止まる。
声をかけてきたのは、馬を三頭引き連れた男児。かの神子と同じ、青い色の髪と瞳。
細身ではあるものの、彼は私のように非力ではないのだろう。背中にはあの時と違って大きな鉱物の塊を背負っていた。
私に一瞬向けられた鋭い目付きは、お前を信用していないと語る。
その口から出たのは、数日前の記憶を裏付ける声。
「監視役として私も同行することになった。名はイロオ……妙な真似はするなよ」
フレヤに跪き、私と神子を除いて直接会話をしていた唯一の……あの細身の男児だった。
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