004.創造主、叫び声をあげる
『受け入れるのに時間がいるのよ。大切なモノが無くなったから。不幸な気持ちになってるの』
アーネスの言葉が、頭の中を巡る。
『貴方がさっき言ってた神様って、全部対立しているんだもの』
本来空っぽであるはずのこの頭には今、血肉がつまっている。
だからだろうか。
枝から落ちた時に負った傷が、激しい自己主張をしていた。
私は馬を走らせ、先を急がさせた。
アーネスの話通りならば、それがどれほど無意味なことであるか、分かっているというのに。
先程からアーネスは馬の行動を止めようと紐を操っている。だが、馬は私の気持ちを汲み取って、足を止めない。
彼女は焦った声で馬を叱咤した。
「ッ止まれ、止まれって……ッ。なんなのよ急に!!」
暴風のためか鼻声になりつつあるアーネスは、息を飲んだ後、再び私に紐を握らせた。そして、少し腰を上げた状態で風音に負けじと叫んだ。
「お願いコーズ持っていて、今獣使いに変わっ」
「血の臭いがする!!」
アーネスの声を遮るように、後ろの箱から面長な顔を突き出して、女児が絶叫した。
騒ぎになりつつあることを理解し、我に返った私も流石に体ごと振り向きかけ……しかしアーネスの手がそれを阻止した。私は無理やり首を固定された際発生した鈍痛に呻き声を上げたが、アーネスは気がつかなかった。
顔を出した女児に負けじと、アーネスも怒鳴り返す。
「男達やった私がいるんだから当たり前でしょ、それよりこの馬」
「馬鹿ネスっ、新鮮な血じゃない、腐った血だよッ、シィリヤに追われてるんだ!」
「何ですって、ケムナ貴女、香は最低限の量を焚いたんでしょう?!」
「焚いたよ、焚いたけど血の臭いがすごくて、誤魔化しきれないと思ってやり過ぎたみたい!」
「もう、何てこと……お互い獣ばかり気にしていたってことね!」
シィリヤが何かは分からないが、慌て様を見るに、子供達に危機が迫っている。彼女達は母体になる、種にとっては大切な者たちだ。
私自身にも危機が迫っているのだろうか。私はすぐに優先順位を入れ替える。
解決できない遠くの問題より、まず目の前の問題だ。
馬に止まるよう指示しようか迷っていると、ケムナと呼ばれた女児が咆哮した。
「だから止めないで!」
「言われなくても止まらないわよ……どっちにしてもまずいわ、ケムナどうするの、今、私、投げられるほど短剣持ってないのよ!」
「そもそもシィリヤは死なないよ死んでるんだから……あ、ひ、火とかで追い返せるよアーネス!」
「無いから、まずいんでしょ!!」
アーネスは中腰のまま、ケムナも恐らく居辛い体制で言葉を交わしている。問題が何であるかを知らなければ、対処のようもない。
ちらりと確認した馬車の後ろ、人の乗る部分は長方形の箱状になっている。
私は手に握られた紐を、隣で興奮する女児に押し付けた。
「え、何を」
疑問に答えてあげるよりも先に、私は不安定な椅子に立ち上がって……そして箱の上に飛び乗った。ガコンと大きく揺れたが、中央に着地したので倒れることはない。
成る程。
後ろから不快な臭いが漂ってきた。風向きを考えると、相当な臭気だ。
長方形の箱は少しの空間を経て、やや低い荷車へ続いている。私は箱を蹴って、荷車の方へと着地した。
そして問題の姿を見るに至る。
それに、地を踏むための『足』は無かった。
それに、ものを掴む為の『腕』は無かった。
それに、物を見るための目はおろか、音を聞き取る為の器官も無かった。
唯一あるのは、恐らく鼻であろう一つの穴。
青紫色、いや、それよりももっと黒ずんだような色味の、理解不能な形状の物体が浮いていた。
そして気がついてしまった。どういうことか理解できないのだが、確かに意志があるのだ、これに。
私を拒絶するという意志が。
訂正……これは物体ではない。意志があるならば、生物だ。
口からつい、言葉が漏れ出てしまう。
「こんなもの、私は知らない」
自然発生するのは文化や言葉、物などだ。
個は増えても新しい種は生まれない。私が作らない以上は生まれない。
そのようにハコニワは作られている。
ハコニワは自ら成長する。だが、成長するというのは、種が無尽蔵に増えるということではない。
生まれ直しを繰り返しながら成長した種の個々が(その限度はあれど)創造主である私により近づくということなのだ。
万物魂転生の輪システムがある限り、魂の数は一定でなければならない。
なら、この魂は誰が、どこから引っ張ってきた?
お前は、誰の魂を食い潰して生まれた?
返答はない。
私は目の前の不愉快な存在に目を凝らし、そして目を見張った。まったくこの生物の芯が見えない。いや、芯は見える。
ある一定時間の間、そう、ほんの一瞬だけ。もっというと、これの芯は砕け、そして再生するという不可解な現象を繰り返している。
崩壊と、再生を繰り返している。生きながら死んでいる。
足元の荷がパキリと音を立てたのを機に、音が帰ってきた。
「ー……コーズ、コーズってば!」
「……何だい、アーネス」
「ねぇ、平気なの?!」
「真実平気じゃない」
私は動揺している。
この誤りを修正できるかどうか考えているが、解決策は浮かばない。
私は万能どころか、とんだ無能だ!
アーネスの声が遠くでキィキィと響いた。
「コーズ、私も今そっちに」
「来るな!!」
「ひ、ぅ」
これまで出したことのないほど大声で叫ぶと、馬共々女児達を怯えさせてしまった。これでは八つ当たりだ。
私はできるだけ穏やかに言葉を紡いだ。
「来ては駄目だよ」
私は足元にある荷物……乾燥した肉の塊を手に取り、青紫色の不定形に放り投げた。
ごぼんと音を立てて不定形の中に取り込まれた肉は、その中で四散した。一瞬だけ不定形の浮遊速度が鈍る。
あの不定形が、肉の芯だけを砕いたのだ。
浮遊。解体。
「私と同じ力なのか……?」
今の肉は、他の種の屍肉だ。
肉を解体するなら、人間はどうなる。
「アーネス」
「なに?!」
「これは君達にとって脅威か?」
「身体をなくすことが脅威じゃないっていうの?!」
つまり、あの肉の塊と同じようになるということ。
私は足元の物を掴んでは、物を投げ入れる行為を繰り返した。そのたびに不定形の浮遊速度は鈍った。
「身体が死に土に還るということは、魂成長の証だ。けして脅威ではない」
「それはどの神様もお伝えになった、共通の神典でしょ、それは今重要?!」
私はその言葉に頷いたが、アーネスとリンクしているわけでも、まして隣にいるわけでもない。すぐに肯定を言葉にした。
「重要だ。これは、これが行っているのは破壊だ。土に還すわけではない、魂をゴミのように捨てている」
「え、何、どういうこと?!」
「……ハコニワの間違いを正すのは神の役目。アーネス、これは火で払えるんだね?」
「そうよ、でも今手元には!」
「重ねて言おう。馬車の行き先はフレヤに所縁のあるところでいいんだね?」
「そうよ、そう…………そう、もう、すぐだわ!」
「そこに火がないとは言ってくれるな?!」
一瞬の間があって、後ろから風音より大きい叫びが届く。
「言うわけないわ、総本家だもの!」
「ちょっと待ってアーネス、確かにあるけど火があるところは一番奥の神廟だし……彼奴らに借りを作ったら面倒だよ!」
「責任は私が取ろう。私が取れるならば」
「門が見えたわ、その言葉忘れないで!」
「うわわわ退いてどいてぇええええ!!」
「突っ込んでくれ!!」
私が最後の宣言をするや、荷車が浮き上がった。宙に浮いた多くの荷物が不定形に当たり、解体されていく。
再び地面に接したときには、既に建造物の中だ。馬の悲痛な声が響いた後、何かを破る 物騒な音が届いた。
そしてその直後、馬が急に曲がったらしく、荷車が横滑りして横転した。
空を飛ぶことのできない私の身体は、文字通り吹き飛ばされた。
予測される着地地点は……大きな青い火!
引きずられるように突進しながら、私はほとんど反射的に、腹に力を込めた。
「起きろ、フレヤァァアアアアァ!!!!」
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