003.創造主、ぼこぼこにされる
「まさか両頬をいくとは思わなんだ」
無理やり華美な服を着せられた私は、ガラクタだと思っていた物に背を預けて呟く。どうやら背中のこれは、移動用として使われていた物……馬のない馬車とのこと。
馬車というからには馬が付いていたのだろうが、馬本体は見当たらない。管理区へ還ってしまったのだろう。
私の頬を思い切り叩いた女児によると、彼女達は旅芸人で、運悪く野盗に襲撃されたらしい。その際に旅芸人の男達は殺され、彼女達(解体女児を含めて六人)が残ったのだと。
あの行為は合意の上ではないのかと問う私の頬に、再び衝撃が走ったのは先刻のこと。
頬をさする私に向かって、解体女児はフンと鼻を鳴らした。なんというべきか、そう、全体的に小柄だ。そして胸がない。
……上に乗っていたのが男だったのでてっきり女かと思ったが、私は判断を間違えただろうか。
私は見事な解体術を見せてくれた人物に対し、疑問を口にした。
「君は胸がないが、実は男なのか?」
パン、という乾いた音が鳴る。どうやら私は、また我が子に叩かれたようだ。そしてその行動の意味する所は……そろそろ分かってきた。
彼女は間違いなく彼女だ。
「うん。個体差が激しいのか」
「それ以上いうなら刺すわよこの変態」
「へんたい……」
あの男児達と同じように解体されてしまうのはまずい。私の背が馬車にガツンと行き当たった。
それを見てか、女児は口の端をつりあげた。
「素っ裸で森を横断しようだなんて変態の所業でしょ。いろんな意味で」
裸で登場した所為か、私は女児達に嫌われてしまったようだ。状況的にあっていると思ったのだが、なかなかどうして子供達の考えは分からないものだ。
私が体重を乗せると、横倒しの馬車が更に軋んだ。
「そういう感覚か。しかしながら、君はこちらにも事情があったとは思わないのかい」
「……あったの?」
「あった、というより、現在も問題は続いている」
言いながら私は管理区のある方へ目を向けた。そこに見えたのはハコニワの『空』であって、遥か彼方にあるはずの作業場ではない。
視線を戻すと、女児は首を少し傾けていた。
「そういえば変態さん、何か言ったわね」
「あぁ、確かに言ったよ。私は探しているものがある。君は知らないかな……サーブとか、ウォルテとか、フレヤとか、メイとか」
思いつく名前を並べていくと、女児の顔が険しいものになっていった。明らかに怒った表情をしている。
どことなく、噴火寸前の火山を思わせる変化だ。もっともその現象をとらえたのは上からであって、こうして間近で見たことはない。
近くに寄るとこんな風なのか……妙な感覚だ。
だが、大いなる谷になっていた女児の眉間のシワが唐突に消えた。
「貴方、どこまで私を馬鹿にしてるの」
「いたって真面目なのだが……」
「それ神様の名前でしょう」
「そう、私は神を探している」
息巻く私とは対照的に、女児は哀れむような目を向けてきた。怒りは去ったようだが、代わりに別の感情が彼女を支配しているようだ。
解体女児は悩ましげに唸って、唇に手を当てた。
「よっぽど酷いことが起きたのね。愛しい人が目の前で居なくなったりしたのかしら」
「そうだね……愛しい者が何処かへ消えてしまった」
そう言いながら、ちらりと視界に入ったのは解体女児以外の女児達。男児達を土に埋めている真っ最中の彼女達は随分疲れている様子だが、解体女児は元気いっぱいだ。
これも個体差か……などと考えていると、とうの解体女児が私に頭を下げた。
「真面目に謝る。殴ったりして悪かったわ」
「大丈夫、気にしていないから」
子供の癇癪に怒るようでは、親として器が狭いというものだ。
私が安心させるように頷くと、女児は頭を掻いて目を逸らした。
「優しいのね。だからちょっと……アレになってしまったのかしら。あれだけ目の前で酷いことしたのに、ちっとも動じてないようだし」
「うん?」
解体女児の言葉に少し引っかかるものがあるが、しかしこれで話を聞いてくれそうだ。
「話を戻してもいいかい」
「えぇ、えぇ、どうぞ。結果としては、貴方の登場に助けられたのも事実だし……あの奇抜すぎる格好も、かえって良かったのかもだし」
「君の言う事は大半が理解できないが、しかし前半の言葉通りに受け取らせてもらうよ。それで、神を知らないかい?」
「そうね……フレヤ神に縁のある場所なら案内できるかもしれないわ。一緒にいる間、手伝ってくれるというなら」
「ほぅ!」
私は彼女のその提案を、素直に喜ぶ事にした。ここまでで分かったことからして、私には子供達の案内が必要だ。ハコニワの中の営みは、外から見るのと内で見るのでは感じが違う。
自ら成長する、が主題のハコニワにおいて、私の知りえない知識は今後も多くあるだろう。
私が微笑むと、つられて彼女の頬も、ほんの少しだけ緩んだようだ。うん、愛らしい。
女児はようやく刃物をしまってから、私の背もたれになっている木材をペチペチと叩いた。
「でもまぁ、その前に馬車と荷車をどうにかしないと駄目ね。獣除けの香は焚いてるけど、少しでも移動しないと。私達は疲れてる。獣に襲われてしまったら、いくら私でも対応しきれないわ」
「しかし足は居なくなってしまったのだろう」
「馬のことかしら。ちゃんと逃げてくれたから、死んでさえいなければそろそろ帰ってくるわ。そういう高い馬なの、旅芸人が連れる馬はね」
少し言葉を貯めてから、女児は、旅はいつだって危険だからと、こぼして悲しそうに笑った。それから、息を吐いたのを契機に、彼女は他の女児へ向けて言葉を投げた。
土に埋める作業を終えた女児達が、こちらに振り返る。
「皆、私達は生きてる。だから、ね、もう少しだけ頑張りましょう。このままじゃ、本物の獣に食われてしまうわ」
▼
馬車に繋がれた馬の、筋肉質な尻が揺れる。
馬車はガタゴトと音を立てながら前進していた。隣に座った解体女児に言われるがまま、私は紐を握っていた。馬に指示を出す為のものだろう。だが、私にはそれの使い方が分からなかった。
幸い馬は私の意志を尊重し、前進してくれているが。
風が強く凪ぐ毎に服の裾がはためく。それを見ていた解体女児がぽそりと呟いた。
「その服、芸をやる時に着る一張羅だから、見た目は綺麗だけど防寒着としては優秀ではないのよね……それに貴方、そういう派手な服好きじゃなさそうだし。まともな服が残ってれば良かったんだけど。村に着いたらすぐ、別の服と交換してもらうわ」
「気にしないでも構わないよ」
「そういう訳にもいかないわ。貴方が登場してくれたお陰で、目が逸れて隙ができたんだから」
「実際に解体していたのは君だろう」
「解た……まぁ、そうなのだけど。身も蓋もないわね……」
女児がそう言った後、一旦会話が途切れた。
空は暗色が混じり始めている。遠くの方で、何かの鳴き声が聞こえた。他の個体を呼んでいるのだろう。
私は紐を手にしたまま、他の女児達が居る後ろをちらと見た。そちらから会話が聞こえてくることはない。
他の女児は私を遠巻きに見ていた。嫌われているというより、恐れられているようだ。馬車を起こす時に微笑みかけてみたが、引きつった表情が帰ってきただけだった。
「貴方は悪くない」
諭すような言葉に首を戻せば、解体女児が私を見つめていた。
「貴方は悪くないの。ただちょっと……そう、受け入れるのに時間がいるのよ。大切なモノが無くなったから。不幸な気持ちになってるの。だから今は、触れないであげて」
「それを望むなら、そのようにしよう。君はどうなのだい」
「私はね…………慣れてるから。あの人達に拾われる前は、いろんなことしてた。同族殺しなんて生ぬるいって事すら言えちゃうくらい。そういう時代だからっていうのもあるけど」
「君は『不幸』なのか?」
「いいえ、むしろ幸運だったわ。その服の持ちぬ……いえ、彼らに会えたもの……別れが早すぎたのは不幸と言えなくもないけど。貴方は、どうなの?」
「どうだろう」
問われた私は首を捻った。
幸福とは、満たされていること。
大切な何かがそばにあるなら、それは満たされていると言えるのだろうか。
私はまだ、大切な何かを失った事はない。
姿は見えなくとも神は不老不死であり、人間や獣といった種を含め、ハコニワはまだここに存在している。
これは子供達の言う、不幸ではない、ということなのだろう。答えは出た。
しかし、私が言葉を発するのを止めるように、女児は鼻を鳴らした。
「無理して、そんなに考えなくていいわ。馬鹿なのよ私。つい質問に質問で返しちゃう……それより貴方」
「なんだい」
「馬車を戻した時、ヒィヒィ言ってたでしょ。貴方、見た目通りの力なのね」
「どうも、そのようだ」
「だから、見逃されちゃったのかしら。襲った奴、相当性格が悪いわね」
「うん?」
「いえ、いいの、気にしないで頂戴」
「そうか」
私が再び前を向いてしばらくの沈黙後、女児は突然、笑い出した。
「どうしたんだい」
「今気がついた、私達、自己紹介してないわ!」
「それは必要なものかい?」
「当然。私はアーネス。ただのアーネスよ。ねぇ、貴方の名前は?」
そう聞かれ、手にしている紐を落としかけた。
問われた私は、恐らくなんとも言えない表情をしていたことだろう。
名前をつけたことはあっても、私自身に個体としての名前はない。父とか創造主で通じるものだから、必要がなかったのだ。
神の名を出して笑っていたアーネスの反応を見るに、流石にこの場で自分が創造主だと言うのはためらわれた。
これは、名前のないことを言うしかないだろう。
「名前は……ない」
「そう、ないの。良いわ、私が付けてあげる」
「それは嬉しいな」
少し噛み合ってないような気もするが……。
ともかく、自己紹介が必須だというならば、ハコニワの中にいる期間が長引けば長引くほど必要になるモノに相違ない。
私が頷くなり、アーネスはウンウン唸りはじめた。
「うーん。そうねぇ。あ、貴方、よく見る神様の像に良く似てるから、サーズを捻ってコーズとか、どう。ふふふ」
「サーズに似てる響き……コーズ、気に入ったよ」
「あら、それでいいの。気づいちゃいたけれど貴方、本当に節操がないのね」
「ん、何故かな?」
「だって、貴方がさっき言ってた神様って、全部対立しているんだもの」
何かを察してか、馬の脚がピタリと止まった。
彼らは不安そうにこちらを見ているが、馬達を宥めるより先にした行為は、声を張ることだった。
「そんな、馬鹿なことが」
「そうよね、神様同士の仲まで悪いなんて、馬鹿馬鹿しくて、考えたくはないわよね」
「それは事実なのか?」
「え、あぁ……話の出所はもう何百年も前の、所謂神話の時代の話よ。昔は、さっき貴方が言ってた神様の他にもずっと多くの神様がいたらしいのだけれど、神様同士で戦って多くがお隠れになられたらしいの。だから今私が名前を言えるのは生を司るサーブ、水を司るウォルテ、炎を司るフレヤ、死を司るメイね。
地方ならまだ他の神様の名前が残ってるかもしれないけども。何にしても神様の名前をあまり口にしない方がいいわ。熱烈な信者に聞かれでもしたら…………信仰している神様以外の名前なんて聞いた日には首から上を吹き飛ばしにかかるわよ、連中」
「神は……不老、不死だ」
「本来滅びるはずのない神様がお隠れになられた理由については諸説あるのだけれど、有力なのが、何らかのなくてはならないモノが失われて、その所為で神の力が失われたとか……ねぇ、大丈夫?」
私は口を噤むばかりで、アーネスに、大丈夫、とは返せなかった。
私は今、不幸なのかもしれない。
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