前編
都内某所にそれはある。広大な敷地面積を誇り、全国から有数のエリートが集まる。文武両道なんて古典的な校訓を掲げずとも、卒業生および在学生には各界に名をはせる逸材がごろごろしている。
私立オベルジーヌ学園、漆黒の衣に身を包み、私こと魚沼絹子はなぜだかそこへと通っている。
「ちょっとやだ、あとがついてる!」
鏡を見て、級友の長子が言った。
時刻はお昼休み、皆それぞれお弁当を食べている。私も級友二人と一緒に駄弁りをまじえてご飯をもぐもぐしてる。
「あんた、昨日、雨の中にいるからよ。割れるに決まってるじゃない」
薄めた液肥を飲みながら、同じく級友の千両が言う。虫がつくぞ、飲み過ぎるとというと「たまには飲ませてよ」と半眼で睨まれた。うん、ごめん、付き合ってた彼とは別れたんだよね、品種が合わないは致命的だよね。
「へっ、所詮、身体が目当てだったのよ。結実できないって! ふん、おまえなんか自家受粉でもしてろ……」
「ちょっ、千両」
こわい、千両すごく鬱々してる。
「うわーもう最悪、これ以上等級下がったらどうすんのよ、私、規格外品になっちゃうじゃない」
ゆるくカールしたへたをかきむしりながら長子が叫ぶ。うるさいよ、と千両がそのくらいどうしたという顔で見る。
いかん気まずいぞ。この二人が喧嘩したらちょっと面倒くさい。よい友人としては、上手く話題をそらさなければ。
「大丈夫、ひとつ落ちてもDクラスよ。ギリギリ卒業できるわ!」
私はぽりぽりと窒素肥料をかじりながら、長子を慰めるが長子は逆に睨むばかりだ。やばいなあ、と作り笑いを浮かべるしかない。思わず本音がでちゃうのが私の悪いところだ、いや、困った困った。
Dクラスといえば崖っぷち、たとえ卒業できたとしても、即ワゴンにのった特売品扱いにされる程度の扱い。それを想像したのか「いやー」と長子が叫ぶ、うん、ごめん、私も嫌さ、そんなもん。
この学園は、家柄と出身地がものをいうエリート校。それでも私やこの二人みたいな大衆向けのものたちだっているわけで、そんなところにいる私たちの立場は狭い。青果市場主義のこの学園で生き残るには、せいぜい身づくろいくらい綺麗にしておく必要がある。傷一つが等級落ちになることもあるのだ。
「あーあ、私もブランド物だったらよかったのに」
長子が酸素を吐き散らしながら言った。今日は天気がいいせいか、教室の中でも酸素濃度が高い。皆、しおれないように水をたっぷりとっている。
「それはこのクラスの誰だって思うところでしょ。ない物ねだりしたところで仕方ない」
「わかってるけどさー、憧れるでしょ。箱は箱でも段ボールじゃない桐箱入りの高級品」
「桐箱って……。老舗の糠漬けにでもなる気?」
「んにゃ。初競りの一番値、価格破壊させて競り落とした業者破産させてやるのだ」
わかりにくい話かもしれないけど、初競では縁起物としてご祝儀価格というものがある。そこでは本来ありえない額の値で買われる。
「私たちの就職先がそんな一流企業のわけないでしょ。地元のスーパーさんに丁寧に扱われたらそれで十分だわ」
千両、堅実な意見を述べる。
「それでも見切り品になる可能性もあるけどね」
ついでに毒を吐く。
「やめろー!! おまえなんか窒素の食い過ぎで虫に食われてしまえ!」
そんな感じでいつもどおりお昼休みを過ごしていると、急に周りがざわめき始めた。何なのかと思えばなんのことはない。皆、窓の外を眺めている。こういうときは大体なにが起こっているのかわかる。
私も二人が外を見るので、一緒になって眺める。付き合いも大変なのよね。ええ、付き合いだから仕方ないですとも。
外を見ると、黒々としたきらめきを持つものがいた。さんさんと照る太陽を浴び、美しいフォルムに私も思わずどきりとしてしまった。
わかる、わかるんだ。私にだって美醜の違いくらい。つい見とれてしまうくらい初心なところだって私にもあるんだよ。
美しいフォルムの主は、Aクラスの賀茂くんだ。病弱だという彼だが、ガラス張りの教室の中に籠もってちゃいけないらしい。名門の彼にはそれぞれ育ち方に制限されるらしい。季節が大切とのことで、ちゃんと外へ出て光合成をする。その揺れる葉は、丁寧に揃えられ、美しい肌を傷つかないように最新の注意を払っている。
「すてき。賀茂くん、もう等級決まっているらしいよ」
長子が長い輪郭をふにゃんとさせている。おいおい、しおれているみたいだよ、長子。
「そんなのA級品に決まってるじゃない」
「それが、賀茂くん、もしかしたら御用達になるかもしれないんだって」
どこから仕入れたのか、長子が言った。私と千両は葉を丸くする。
「ちょ、ちょっと御用達ってあれよね。やんごとなき御方にってことよね。どこで仕入れたのよ! その情報!」
千両がへたを震わせて掴みかかる。長子はしたり顔で花を揺らす、なんてむかつく実をつける奴だ!
「なーがーこー。私とあなたの仲でしょ、教えてよ」
気が付けばネコナデ声ですり寄ってしまった。私とて気になることは気になるのだ。
「へへへ。ひ・み・つよ! 知りたければなにか情報をよこせい」
偉そうに酸素を吐き散らす生意気な長子に仕方ないので、正義の鉄槌をくらわすことにした。
じりじりとへたを長子の実にすりつけてやる。
「ちょ、やめ、やめい! そのとげとげしいへたをくっつけないで! まじで、外品になったらどうすんの!」
「ひひひ、傷物にしてくれるわ!」
そうやって私と長子がじゃれあっていると、思い出したかのように千両が花を揺らした。
「そういえば、変な噂聞いちゃった」
噂大好きな乙女としては、そんな話題にへたをつっこまないわけにはいかなかった。
変な噂というのは、よくあるゴシップの類だった。Aクラス、将来有望な期待の星たちの中で危ない薬に手を出している奴がいるらしいと。
昼休みは皆と一緒にエリートなAクラスをうらやましく思ったけど、本当はそれ気軽なもんじゃないらしいのよねえ。好きな肥料は食べられないし、変に生活も制限されるしさ。昼の賀茂くんだって見てたら綺麗なのはわかるけど、それ以上に苦労がにじみ出るよ。彼、家柄的に病弱だっていうのに、露地にでなくちゃなんないしさ。普通、エリートってガラス張りの温室育ちかと思いきやそれじゃいけないんだって。賀茂の名を継ぐため苦労しているはずだと思う。
あっ、なんで私がその、賀茂くんに対してけっこう知っているかといえば実は――。
私は周りを見ながら、裏庭へと向かう。少し根を急がせる、ちょっと時間が遅れたかもれない。
裏庭、誰もいないそこに整った輪郭が斜陽に影を伸ばしていた。
私は思わず枝を上げようとして思いとどまる。駆けだしたい気持ちを横に、ゆっくりその影の主に近づく。
影の主は、私に気づいたらしく尖ったとげのついたへたを上げた。
「よお、魚沼」
「うん、賀茂くん。久しぶり」
本当は久しぶりじゃないけど、私が一方的に見てたんだけど、そんなこと彼は知らないんだろうな。
私はごそごそと懐から竹の筒を取り出す。
「はい、言われていたもの。ちゃんと薄めて使ってね」
賀茂くんは竹の筒を受け取ると、その匂いを嗅ぎ、花をしおらせた。わかる、わかるよ、原液はきついよ。
「言われなくてもそうする。さすがに直につけたら枯れそうだ」
「うん、根元には気を付けて」
「ああ、前は枯れかけた」
「……意地悪言わないでよ」
思わずとげをたててしまった。意地悪だ、もう。
私が彼に渡したのは竹酢というものだ。その名の通り竹から抽出した液で、昔からいろんなものに使う。主に虫よけに。
私と彼がこうやって知り合ったのも実はこれのせいだ。
以前、私があぶら虫に集られている彼を見て、これをかけてあげた。そのときはつい慌てて原液をかけてしまいすごいことになった。とりあえず臭かったとだけ言っとく。
私たちはちゃんと健康状態、生活習慣をしっかり管理していないと、すぐ悪い虫がついてしまう。もちろん、そんなこと賀茂くんはわかっているはずなんだけど。
世の中には、エリートに嫉妬するという悪いかたたちもいるわけで、賀茂くんは妬まれる立場らしい。
酷い話だよね、本当に。ただでさえ、おうちが厳しいから薬を使うことが制限されているのに。
あっ、ちなみに竹酢は制限されていないみたい。私の持っているやつが合うらしく、あれからこうして彼のために準備している。
「いつも悪いな」
「べ、べつにいいよ」
あんまりその実をきらりと輝かせないでほしい。斜陽でも十分眩しくて、呼吸の息が荒くなる。酸素吐いちゃうじゃない。
病弱なのに、温室に入ることも駄目で、おくすりも使うな、ごはんも限られたものだけ、そんな中で一握りの美しいフォルムを保ち続ける、それが彼の等級の証なのだろう。
多分、賀茂くんにとって私は親切な奴どまりなんだろうな、でもそれでもいいと思うんだ。今、葉っぱをご機嫌に揺らしている丸いフォルム、それを見るだけで幸せなんて私はなんてけなげなんだろうって思う。
いえ、貢いでるとか言わないで、ええ、わかってますとも。
それでもいいんだって、根っこで小石を蹴った。
「あっ、魚沼」
「なに? 賀茂くん」
なんだか賀茂くんの実がほんのり赤い。夕日に照らされているせいかなと思ったら。
「その、……花びらめくれてる」
「……」
賀茂くんがためらいがちに言った言葉に私は一瞬フリーズした。そして、次の瞬間、叫んでいた。
「いやーーーーーー!!!」
絶叫は放課後の裏庭どころか校内中に響きわたる。
花びらとか、花びらがめくれてるなんて。ま、まさかめ、めしべとか見えてたりとか、いやそれはないよね。
「……見た?」
「……うん」
見ただと……。
もう一度、絶叫しそうになったところで、さすがに賀茂くんが私を押さえこんだ。いかん、私のさっきの叫び声で警備の人たちが集まってくる。
やばいと、私は賀茂くんとその場を去ろうとする。うおっ! 反対側からもきたぞ。
賀茂くんと私は立場が違う。なにかしら噂を立てられて困るのはどう考えても賀茂くんだ。
私は賀茂くんの枝をひっぱった。
裏庭には倉庫がある。あそこは鍵が壊れていたはずだ。
「賀茂くん、あそこ」
「ああ」
賀茂くんも理解したらしく根を走らせて、倉庫の扉を開けた。
「……」
「……」
私はそれを見て唖然とした。中にはただ肥料が置いてあるだけのはずだ。そのはずなのに。
独特の匂いが充満していた。
有機肥料の匂いとは違う。独特の化学薬品の匂い。嗅いでいるだけでしおれそうなそれを直に浴びたものがいた。
艶のある肌は無残に変色し、葉がしおれ、枝はあらぬ方向に曲がっていた。実は熱気で柔らかくなっており、コバエがたかっている。
「……泉州」
賀茂くんはそこに倒れているのが誰かわかったらしい。実を青くしてつぶやいた。
私はただ茫然と、そこにある枯死体を見ているしかなかった。