Scene 3 所長と助手
公園近くの温度計は30度を越えていた。もうすぐ夕方だというのに、この暑さは正直身体に答える。
若いときは平気だったのに。というかまだ27歳だが、こうも体力が少なくなるのを感じるとさすがに歳とったな、って苦笑いだ。
とりあえず近くのベンチに腰をかけることにした。
まだ時間はあるし、何しようかなんて考えていた時だった。
「稲本くんですよね?」
俺の名前を呼ぶ男性。
このクソ暑いときに上から下まで黒いスーツを着こなしている。すらっとしたモデル体型の中年男性だ。
そして俺はこの男を知っている。
「えっと、松葉…所長でしたよね?小さい頃俺んちの隣に住んでた?」
男は微笑んだ。
「覚えていてくれたんですね。いやあ、お久しぶりです。お母さんはお元気ですか?」
この男は松葉 たかし。小さい時の記憶だが、確か小さな興信所の所長、つまり探偵みたいな仕事をしていたはずだ。
「母さんは、亡くなりました。中学んときに交通事故で。」
所長は驚き、そして顔を曇らせた。
「そうでしたか…、いろいろ大変でしたでしょう?」
「まあ…。でも今の生活にももう慣れたので…」
「だーれだっ!?」
急に視界を遮られた。
冷たい手の感触。
聞き覚えのある声。
「…松葉みさと。」
「ぶーっ。はずれ。」
俺の視界を遮る手を振り払った。
「痛ぁい。そんな乱暴にしなくてもイイじゃん。もう!」
彼女は口を尖らせる。
所長が笑いながら彼女に話かけた。
「里見くん、キミはいつもどんな相手にもキミのペースでいこうとする。でもそれは時としてキミを不幸にすることでもあるし、キミのいい所でもある。でも、ケースバイケースで対応できないといい探偵になれないよ?」
「別にボク探偵になりたいわけじゃないよ!ブツブツ…」
所長は笑う。
「いや、稲本くん。すまなかったね。」
「あ…、いえ。」
「じゃ、あらためて自己紹介しようか。こういうものです。」
所長から名刺を受け取った。
「あの…。」
「なんでしょう?稲本くん?」
「あ。篤でいいですよ。あの、さっき里見って言ってましたよね?みさとじゃないんですか?」
所長は困ったように笑う。
「あー。えっとですね、私引越ししてから離婚しましてね…」
みさとが割り込む。
「だからボク、里見が苗字なんだ。ママに引き取られたから。今は所長の所でバイト中。まあ、助手ね。」
所長は苦笑いしている。
それでか。松葉じゃないから違うと言い張ってたわけね。
いい歳して…、ガキみたいだ。
「それより所長ぉ?いい加減、里見くんって呼ぶのやめてくれない?みさと、でいいじゃない。」
「ならキミも所長と呼ばずにパパと呼んでください。」
「ヤダ、絶対にやだ。」
「じゃあ私も嫌です。」
この親にしてこの娘ありと思った。
それにしてもみさとがこんなにイイ女になってたなんてね。時間の魔法にかけられたみたいな気がした。
小さい頃はよく二人で遊んだっけ。
ままごとの時なんか、よくみさとにお嫁にもらってくださいって言われたっけ。
小さい頃の楽しかった思い出だ。
思い出にふけってると所長が切り出した。
「あ、そうそう。篤くん、まあ…そんなことはないと思うけどね、もし近いうちにキミの周りで変な事が起きたらでいい。連絡してくれないか?連絡先は名刺に書いてるし、キミも一人暮らしだからね、一応なんかあった時のためにもね。」
いささか疑問な所はあったが一応聞いた。
「わかりましたけど、なんかあったんですか?」
所長は笑いながら答えた。
「今手掛けてる案件が素行調査でね。キミの家のそばのひとなんだよ。まあ調査対象がいわくつきの奴でね。万が一のことを考えて、だよ。」
「そうですか。じゃ、気をつけますね。失礼します。」
俺はふたりに会釈して公園をあとにした。
みさとはずっと手を振っていた。