後編
3.暗闇
いつでも一緒だったのに、どうして僕はここにいるの?
いつでも君の声を聞いていたいのに、君はもう話しかけてくれない。
僕はずっと、君だけを見てきたのに、君の頑張りを見つめてきたのに、どうして君は心を閉ざしてしまったのだろう。
―――押し入れの奥深く、積もる埃が傷にしみこんでくる。
僕はもう、君にとっては不要な存在?
僕は二度と、君の声が聞けないの?
それでも、もう一度君にあいたい。
4.流れる時間
闇の時間が過ぎるまで、私は荒れ狂う渦の中で沈まないように必死だった。
沈んでしまったら、命を落とすだろう。それだけはやってはいけない。
でも、もしも命を落とすことが許されたら、私は大好きだったママに会えるのかもしれない。
大好きなママが泣いている。
パパが私の頬を叩いた。火のように熱い頬は、私の心を更にかたくした。
妹は、憎しみを込めて私を睨み、ママを独占した。
それでもママは、どんなにつらく当たっても、毎日温かいご飯を私のために用意してくれた。
荒れ狂い、家じゅうのものを投げつけても、じっと耐えて何も言わなかった。
その時間は、家族にとっても地獄だったけど、私にとっても地獄だった。
本当のママなら、きっと分かってくれる。
分かってくれるはず。
分かってくれないはずがない。そう思い続けていた。
長い闇が抜けるのに、多くの涙を流して、大好きな家族を傷つけて、やっと小さな光が見えだしたころ。私は、大人への階段を上り始めていた。
自分らしさを見失い、良い子を演じることに疲れ、何が自分なのかも分からずに社会へと踏み込み、働くことで悲しみを忘れようともがいたのかもしれない。
毎日着ていた学生服が会社固有の制服に変わり、それがしっくりと体になじみだしたころ、私の固く閉ざされた心も解け始めていた。
そんな時、彼と出会った。
私の生い立ちを全て受け入れ、私の苦しみや悲しみの全てに頷いてくれた。彼に出会って、久しぶりに優しくなれた。
今、私のお腹には彼の子供がいる。もうすぐ私は母になる。
どこで間違ってしまったのか、本当なら結婚してから子供を授かり、両親の喜
びの声を聞くはずだったのに。
結婚もしていない私にパパは眉をしかめた。また、一人になるのかもしれない。でも、今は彼がいる。彼と一緒に子供を育てていくんだ。
そう決意していたから、パパの不愉快そうな顔は怖くはなかった。もう、誰にそっぽを向かれようと、本当の気持ちを隠さずに生きていくんだ。だから、たとえママが怒っても、私は自分の気持ちをちゃんと伝えようと思っていた。
ママは一瞬驚いた眼を向けた。
当たり前のことだ。
せめて、大人になった今くらい、親の思い通りに幸せになって欲しいだろう。
でも、今の私は彼と一緒にいられるだけで幸せなのだ。分かってくれとは言わない。分かるわけもない。
ママ……大好きだったママなら、分かってくれたかな。おめでとうって言ってくれたよね。
私は、不機嫌なパパの顔から眼をそらし、ママの方へ視線を向けた。
「そっか……。おめでとう、彼と幸せになるのよ」
ママ……。
私は明日結婚する。
二十年以上もの時間を過ごしたこの家を出ていく。そして、荒れた時間を過ごした自分の部屋にサヨナラを言うんだ。
今夜がこの部屋で過ごす最後。
私は部屋に残る傷の一つ一つを撫でながら、かつての自分を思い出していた。
この傷は、妹と喧嘩したときに作ったもの。
この傷は、パパに殴られたときに、やけになってつけたもの。
この傷は……そうだ、ママが作ってくれた料理を投げつけたんだ。
涙がこぼれた。
本当に、なんてわがままだったのだろう。これほどわがままを言わせてもらえた自分は、誰よりも幸せだったのかもしれない。
押し入れを開けた。
洋服がしまってあるケースや、バックを収納してある棚。その奥に見える箱は、思い出と書かれている。開けてみようと手を伸ばしたとき、その手に触れた温かい感触。
私はそっとそれを引っ張り出した。
それはかつて、痛みを感じることすらできずに切り刻んだぬいぐるみだった。お腹を切り裂き、耳をもぎ取り、腕を引きちぎった。あらゆる個所から綿が飛び出したクマのぬいぐるみ。そのまま押し入れの奥に突っ込んだはずだった。
涙が流れた。
なんてひどいことをしたのだろう。
優しいママが、最初にくれたプレゼント。それが、逆に私の憎しみのはけ口になってしまったんだ。そして、無残なほどに傷つけた。
それが、しっかりと縫い合わされていた。丁寧に、耳をつけられ、腕も縫い付けられていた。お腹は手術の跡のように絆創膏型に布が当てられていた。
いつの間にこんなに丁寧に直してくれていたのだろう。あんなに荒れて、家族を罵倒し、物を投げつけた私なのに。それでも、一針一針心をこめて縫ってくれた。どれほど辛かっただろう。
きっと、縫いながらママの心も縫い合わせてきたのかもしれない。どんなに辛くても、いつか分かってもらえると信じて、私の言葉に傷つけられた心を縫い合わせてきたんだ。
流れる涙は止まらない。拭っても拭っても、涙が止まらなかった。
私は大きなクマのぬいぐるみを抱きしめて泣いた。
「ごめんね。痛かったね、クママ。ごめんね」
―――大丈夫だよ。大丈夫
やっとあえたね。あいたかったよ―――
かすかに聞こえたそれは、幼い日に聞いたクママの声だった。
知らず知らずに私の泣き声は幼い日の泣き方になっていたようだ。驚いた母が私の部屋のドアを開けて入ってきた。
「どうしたの? 大丈夫?」
その顔は、いつもと変わらない優しいママの顔だった。
始めて会った時と変わらない、あの時のママのままだった。
私は大きなクマのぬいぐるみから手を離すと、あの時のようにママの胸に飛び込んだ。
―――大丈夫だよ。大丈夫
ママはあなたが大好きだから
end
最後までお付き合いくださりありがとうございました。
泣けたかな~?
作者は、何度読んでも泣いてるww
次は、笑えるものをアップしますね~
次回もお付き合いくださると嬉しいです^^
(コメントくれると、もっと嬉しいです•(●´ω`●)ゞエヘヘ)