プロローグ
文芸部というのに入ったのは、別に何か考えが有った訳じゃない。
部活勧誘が盛んな時期には多くの部活に勧誘された。それは別に俺が特別目立った特技を持っていたり、奇抜な外見だったりしたわけじゃなくて、ただ単に新入生だったからだ。
校門を入って昇降口へと続く道中では、弓道部なら道着、野球部ならそのユニホームといったようにどんな部活か一目で分かる服装をしてる連中が有利だったように思う。
天文部が望遠鏡を担いでたり、クイズ研究会が早押しボタンを連打していたのもよく覚えている。パンだかポンだかよく表現できないが、連打していたのでうるさかったなあ。
部活というのに入るつもりはあった。部活に入るのが強制される学校ではないから、別に入らなくともよかったのだけど。
しかし、趣味というのを持っていない俺にとって放課後の時間は長すぎる。暇つぶし程度になる、そこそこ楽な部活に入ろうと思っていた。
地学部、科学部、囲碁・将棋部、文化系の地味なところなんか良いんじゃないか、そう朧気に考えていた俺がどうして文芸部に入ったのか。
何か特別な出来事があったわけじゃない。
むしろ、何もなかったといった方がいいのかもしれない。
部活勧誘の賑やかなあの道を、本を片手に立ちつくしている人が居た。ぞろぞろと登校してくる新入生を勧誘しようと試みる気配はなかった。それでも恐らくは勧誘の意思はあったのだろうと思う。
なかったら本を片手にそんな所で突っ立っているわけもない。
それに、もう片方の手にはペーパーを持っていたから、それを配るつもりで居たのだろう。どうして配らずに立ちつくしていたのかは、今でも知らないけど。
とぼとぼと歩いて、その文芸部らしき女子生徒の下へ行き「すいません、一枚貰ってもいいですか」と尋ねた俺を、数秒の硬直の後に「どうぞ」と淡々とした声で彼女は俺にペーパーをくれた。その光景はどうしてか記憶によく残っている。
その紙面上部には「文芸部に入りませんか!」と筆か筆ペンで書いたのだろう達筆な文字が書かれていた。下部には部活動の説明がちょろっと載っていて、下部の殆ど半分は小説の冒頭らしき文章が印刷されていた。
これを配っても文芸部に入ろうという気が起きる人はないだろう、そう直感的に思う程にそれは勧誘用のペーパーとしては不出来だった。
その場で紙を眺めた俺の表情を見て何か察したのか、「やはり駄目だろうか」と訊かれた。「少し堅苦しいというか、他の所に比べると地味ですかね」と、その前に貰ったペーパーをポケットから取り出して見比べて言った。思うに、それはだいぶ失礼だった様に思うけれど、彼女はさして気にした様でもなく「そうか、やはりそうか。そうだと思ったんだ」と、呟いて昇降口へと歩いていった。
何か悪いことをしたような気になって、俺はその後を追いかけて横に並んだ。そしてぼそっと「あのっ、俺文芸部に入るのでよろしくお願いします」と言った時に彼女は歩みを止めた。横に並んで居たのが対面するように、俺はクルリと回って彼女の前に立った。
赤いフレームのメガネ越しにこちらを見る目は、何か探っているかのような印象を受けた。ペーパーと本を左手に合わせて持ち、空いた右手を差し出してきて彼女は言ったのだ。「そうか、ではよろしく頼む」と。
だから俺はこう答えたのだ。「よろしくお願いします」と。
そうして俺も右手を差し出した。
文芸部に入った経緯というのはこんなものだった。
在籍人数五人。内、三年生が三人。二年生が二人。三年生は既に誰も活動をしておらず、また二年生も彼女しか活動していない。そんな活動実態が殆どない部活だった。三カ月に一度に薄い部誌を発行している地味な部活。数年後には廃部になってそうな過疎状態。
その時の俺はそんなことを知らなかったけれど、文芸部ってのが大所帯な所の方が珍しいだろうし、当時の俺も寂れた部活だろうとは思っていた。
「私の名前は唐草 冬音という。唐草模様の唐草に、冬の音と書いて唐草 冬音だ」
「菅井 清鶴と言います。管理人の管に、井戸の井。そして清い鶴と書いて菅井 清鶴です」
冬音さんの自己紹介を真似て、俺もそう名前を伝えた。
「清鶴か。なかなか良い名前だと思う」と彼女は俺の名前を褒めてくれた。
名前を褒められるというのは、俺が褒められているのか、名付けた親が褒められているのか微妙な感じだけど悪い感じはしない。
「そうですね、割と気に入ってはいます」と無難な受け答えをした後に、ぞろぞろと昇降口に向かう流れに乗って歩いて行った。
それが今年の四月。
菅井 清鶴が高校一年生になった春の出来事――
――ところ変わって文芸部室。
「どうだ、少しは書けたか」と、冬音さんに尋ねられたが俺の目の前で開かれているノーパソの画面では真っ白なwordの画面が広がっている。
「ただいま構想を練っている最中です。ああそうだ、キャラメル食べます?」
ポケットからくすんだ黄色なパッケージの箱を出す。
「キャラメル? ……貰っておこう」
差しだされた白い手に、包み紙に収められたキャラメルを置く。
「部誌は今月末には出来ていないといけない。それまでに頼むぞ」と、包み紙をはがしながら冬音さんは言った。
それに対して俺は、「大丈夫ですよ。何とか間に合うとは思います」と、何の根拠もないのに大丈夫と返事をした。
新高校一年生、菅井 清鶴。今年度、風川高等学校文芸部に最初に入部し恐らく最後に入部する生徒は今、人生で初めての小説を書こうとしている。