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百閒と猫と私

作者: 小村基秀

 初夏なにかの用事を終えて川西にある「のらや」といううどん屋を訪れた。味はさして言うほどでもない。その証拠にざるかきつねか、なにうどんを食べたか今ではさっぱり思い出せずにいる。代わりに強く印象的だったのは湯飲みの底、茶碗の側面に丸々とした可愛らしい猫の顔が描かれていたことである。なかでも急須は意匠が細かく、顔の描かれたふたの上部からは耳がぴんと二つ突起していて、腹の胴体に相当する部分にはぷっくりと前脚が盛り上がり、もちろん把手は丸まった尻尾を成して、見るうちにいよいよこれは猫の置物であったか急須であったか判然しなくなってくる。店を入って左の棚には前述の湯飲みや茶碗それから受け皿や丼を積み上げて土産用に販売していたりする。もはや便器をただ一つの例外として店内のすべての陶器に猫が描かれているらしく思え、店のオーナーの狂信的なまでの猫好きにこちらの気まで触れそうになる。

 百閒(ひゃっけん)の『ノラや』も猫の物語である。といっても夏目漱石の『吾輩は猫である』のように猫が主人公となって語られる小説とは違ってこれは「私」のつまりは百閒の日記のていをなしている。したがって登場する猫にはちゃんと名前がある。表題のノラがそれでありクルツもまた然りである。日記はノラ、クルツとのほかほかした日常風景の描写記録に終始するのでは断じてない。むしろ、ほとんどの頁で毎日のように百閒先生は悲嘆にくれ寂寥に苦しみ涙をぼろぼろと流すのである。というのもノラはある日突然居なくなってしまい以後行方知れずに。クルツの方はというと病に倒れて衰弱死を遂げるのだ。

 百閒は自分が猫好きではないと確かに作中で断言している。しかしノラが居なくなると警察に捜索願を出し、新聞には広告を載せ、その効果が薄いとみるや折り込みチラシを万枚刷ってまで必死に捜しだそうとするのである。似たような猫がいるとの報告をうけるとその度に期待を寄せてすぐさま使いの者を遣るのだがノラでないことが判ると大いに落胆する。一喜一憂の絶えざる心労から次第にやつれていく百閒先生。痩せっぽちの老人が家の各所にノラの残影を認めてはひとり涙する寂寞の日々。

 猫好きでないと言う人間が斯様になるのだから猫好きな私がもし飼い猫を失ってしまったらどうなることか知れない。作中の日付が進むたびそんな底知れぬ不安に襲われるのであった。幸か不幸か公団住宅に住んでいるため犬猫を飼育するのは禁じられており、そのせいもあって、いつか猫を飼ってやるぞと強く意気込んでいたものの『ノラや』での百閒先生の周章狼狽ぶりをみて、すっかり消沈してしまった。猫と言わず可愛がった動物を失くすとはどういうことか。ペットと無縁の私でもその悲しみのほどは斟酌を措くにあたわず、我が家の猫の置物をみてその命無きことに胸なでおろす。

 思えばどうして私は猫が好きなのだろうか。由縁ははっきりせずとも、祖父母の家にキョウという名の毛並みの良い黄茶色の雑種が飼われていたことが一因であるのは明白である。そのはしこい生命体は私が自他の区別もままならない乳飲み子の時分、生まれ堕ちた衝撃でぐしゃぐしゃになった世界を再構成している間の混乱に乗じてするりと識閾下へ闖入していたのである。だから物心がついた時にはすでにキョウは私の世界に泰然と座を占めていたわけで当然拒絶する由もなかった。この乳幼児期に過ごした環境こそ私が猫を好く原初的な理由であるように思う。

 小学校に上がる頃にはキョウちゃんは私の格好の遊び相手になっていた。猫も馬鹿ではないから捕まると何をされるか分かったものでないと思ったのだろう。近づく私からいつも必死になって逃れようとするのである。こちらは可愛がってやるつもりでいるのに逃げ出されては癪に障る。そうなると追いかけたくなるのが性分で、家のなかは上を下への大騒動である。

 終局は決まって座敷は床の間で迎えるのであった。キョウちゃんは床板に置かれたテレビの裏へ逃げ込んで息を殺し籠城の構えである。棒っきれで台の下の隙間から突っついてやるのはどうか。いやそれとも上から物を投げ込んで驚かしてやるのがいいか知ら。私はブラウン管の前でどうやって隠れた獲物を引っ張り出すかあれこれと思案した。しかしながら私も頭の悪い子どもであったから畢竟もはや策は不要とばかりに全速でテレビ裏に突進し、虚を突かれて身動き遅れた獲物を力業でねじ伏せるのである。抱えあげられたキョウちゃんは万策尽きてなお不服そうに私の手の中で子どもは手に負えぬといった風にぐうと鳴くのであった。

 祖父母の家では随分昔から猫を飼ってきたようである。遡れば母が幼少の頃には家に白黒ぶちの猫がいたらしく、それ以前のことは訊かないので分からない。当時の写真を見るとぶち以降も数匹の猫が飼われてきたことが判るが、到頭キョウをもって最後の代となった。そのキョウが居なくなってから祖父母の家へ遊びに行くたび、私はどうして次の猫を飼わないのか頻りに祖母に尋ねた。すると祖母は飼い猫が死ぬのが悲しくて堪らないから飼いたくないと言ったきり、もうその話は止してくれという風に顔をそむけるのであった。

 某日早朝キョウは自分の寝床であるメイズのバスケットに入ろうとした所で気が緩んだのか、頭を突っ込んだままふちに折り重なるようにして死んでいたそうである。身体に走った幾条もの傷は凄まじい衝撃のあったことを物語っており、これを祖母は車かなにかによって轢かれた為に出来たものだろうと言っていた。散歩の途中で不運にも交通事故に見舞われたキョウは身体を休めようとふらふらとした足取りでなんとか家に帰ったと思われる。消耗した体力では最早にゃあと叫んで家人を起こすことも叶わなかっただろう。代わりに血を吐いて静かに死を迎え入れたというわけである。

 愛猫の死を幾度も経験してきた祖母はキョウの死骸をみて遂に堪えられなくなった。悲しみがこれ以上許容できぬようになったのだ。慰めに新しい猫を飼ったとしても過去の猫の死が記憶から払拭されることはないのだから悲しみの総量が減じることはない。それにまたその猫が死ぬことを考えると悲しみは増える一方である。だからもう飼うのは止そうと祖母は決めたのだ。そこにどうして新しいのを飼わないのかと詰め寄った私はひどく彼女を困らせたことだろう。

 私には癖がある。生まれて十日ほど経ったときにはすでに顕れていたという卦体な癖である。母は私を無事出産すると豊中病院から引き揚げてきて祖父母の家でしばらく養生していた。その間赤ん坊の私は母の横に寝かされていたわけであるが、布団のうえで時折なにかを探すしぐさをして空中に腕をふらふらと彷徨わせるのだという。そのまま観察していると母の顔の方へと手を伸ばしてある箇所を引っ掴み、そうそうこれを探していたのだとでも言うように中々離さなかったそうである。その箇所というのは耳たぶである。抱かれている最中もちょうど電車のつり革を持つように耳たぶに手を掛けて離さず、振り払ってもまた同じようにして掴むのでもう観念して放っておいたというのだが母はそれで私を相当気味悪がっていたようだ。

 この妙な癖は以後十年経っても抜けることはなかった。途中どうして耳たぶを掴む私を叱って止めさせなかったかというと、可愛い我が子を愛するためにというのでなく、母はある因果に思い当っていたからである。というのも私以上に猫好きである母は幼少期、ただ感触が良いというので、嫌がる飼い猫を捕まえては耳ばかり触っていたというのだ。だから私に耳たぶを触られたとき、ああこれは猫の罰が当たったのだと思ってその業報を受くる覚悟を決めたそうである。母は未だに私があの時いじめた猫の生まれ変わりでないか疑ってびくびくしている。

 私は産まれて来た当初、産声ひとつ上げずしばらく仮死状態にあったというから、一度死んでいたと考えても問題はない。助産婦は死んだような私をとりあげて第一声、「正常か」と周りに訊いたそうである。これが死産とならなかったのは、母のいじめた猫の怨念ともいうべき魂が今生で母に復讐せんと私の死骸に宿って蘇らせたからだろう。にゃあと泣いて息を吹き返した私はその十日後、見事に耳たぶの怨みを晴らしてみせたというわけである。私の耳が人一倍小さいのはきっと忌々しい記憶の所為である。

 

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