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「なんかヤバそうなやつなのか?」
怪訝な顔のまま堀井は聞くが、その横に座る田中は明らかに蒼褪め怯えている。堀井だけならばそれほど気を遣わずに伝えても良いだろうが、田中に対してはそうもいかない、と蒼司はどう伝えたものかと少しばかり思案する。しかし、今現在、蒼司自身にも『黒い影』が何者なのかは分かっていないのだ。自身の分かる範囲ですらもそれほど伝えられることなどない。変に『大したことなどない』と伝えて、実際は『大したこと』だった場合のほうが厄介だ。蒼司はそう考えると苦笑しつつ、目の前に座る堀井と田中に視線を送り話す。
「うーん、そうですね……なにやら今までになく不気味な感じですかね……」
『不気味』という言葉を聞いて田中は小さく「ひっ」と口から出て強張るが、堀井はしかし蒼司のその言葉に怪訝な顔をしながらも、背凭れに大きく寄り掛かり頭をガシガシと掻いた。蒼司と知り合ってからというもの、堀井は蒼司から『不気味』などという不確かな言葉を聞いたことがなかったからだ。いつも楽しそうにあやかしたちと対峙しているところしか知らない堀井には、今のなんとも言えないあやふやな態度の蒼司の真意が掴み切れなかった。心の内が分かるほど長い付き合いでも深い付き合いでもない。しかしながら堀井は職業柄なのか、本来の性格のものなのか、ひとを観察し、そのひととなりを知ろうとする癖がある。性格や行動パターンなどを自身でも気付かぬうちに観察している節がある。それが蒼司にとって堀井を苦手とする理由のひとつでもあるのだが。
「不気味ってのはどういうことだ? 今までに視たことがない奴なのか?」
「そうですね。僕も、珠子さんやきなこさんですらも視たことも聞いたこともありません。だから今はなんとも言いようが……」
顎に手をやりながら言葉にした蒼司に、蒼褪めながら震える声で田中が聞く。
「そ、それってなんとかなるんですかね?」
「うーん、どうでしょう。本体を視てみないことにはなんとも……その部屋の住人が帰って来るのはいつですかね?」
「た、確か昼間は仕事なのかほとんどいないようです。騒音がするのもいつも夜中らしいので、おそらくその時間頃に帰宅しているのではないかと……」
「それって何時頃です?」
「えーっと、確か日を跨ぐか跨がないか、といった感じだったと思うので零時前後ではないかと……」
「零時ですか……」
うーん、と考え込んだ蒼司に田中は冷や汗を流しながら、じっと見詰めていた。堀井はそんな蒼司に再び口を挟む。
「零時だとなにか問題でもあるのか?」
「あー……いえ、なんでもありません。遅い時間だから眠たくなりそうだなーっと思っただけです」
にこりと笑った蒼司の姿に、堀井は苦笑する。明らかになにか考えていそうな割には、笑って何事もないかのような顔をする蒼司が胡散臭くて仕方がない。蒼司は蒼司で堀井はなにか怪しんでいそうだ、と思いながらも、あえて顔には出さない。お互い腹の探り合いのような意味深な笑みを浮かべ合いながら、横では田中が顔を引き攣らせていた。
話し合った結果、住人が帰って来るであろう零時頃にもう一度マンションへ向かう、ということで、そのまま田中とは事務所内で契約を済ませる。そして、零時にマンション前で待ち合わせることを約束し、田中は不動産屋へと戻って行った。蒼司は一度彌勒堂へと戻ろうとしたが、なんだかんだと堀井に引き留められ、なぜか夕食を共にすることに――そしてそのまま堀井探偵事務所で仮眠をすればいい、とまで押し切られ、たじろぎながらも出前の夕食を堀井兄妹と共に食べるはめになったのだった。
「さすがに着流しは着替えて来たかったんですけどね」
店にいるときの着流し姿のままで出歩いてしまったため、結局そのままの姿となってしまっている蒼司は苦笑する。普段から着流しに着慣れているのは確かだが、しかし、洋服よりは動きづらいことに変わりはない。文句を言うように呟いた蒼司の姿に堀井はただ笑うだけだった。
出前で取った中華弁当の匂いが立ち込めるなか、亜耶がお茶をテーブルに並べ、先程まで田中が座っていた場所に、今は亜耶が腰を下ろす。珠子ときなこは食事をしなくとも死ぬことはない。しかし、人間の食事には興味津々で、いつも彌勒堂ではあやかしたちも共に食事をする。だからこそ、蒼司の横では涎を垂らしそうな目で見詰めてくる珠子ときなこ。帰ったら用意をするから、と我慢をさせている手前、なんとも食べ辛い蒼司だった。
「で、本当のところどうなんだ?」
大口で中華弁当を豪快に食べながら堀井が聞いた。先程までは田中がいたため、当たり障りのない説明しかしていないのだろう、という堀井の予想だった。それは当たってもいるのだが、蒼司からすると本当に今現在はっきりしているものなどなにもないのだ。同じく弁当に箸を伸ばしながら苦笑する。
「本当のところもなにも、今はなんとも言えません。あちらこちらに気配が残せるだけの力を持つあやかしの割には実体がないらしい、ということが不気味に思える、というだけですね。その部屋の住人に憑いているのか、その住人自身があやかしなのか……その方を見てみないとなんとも……」
今までになく弱気な発言の蒼司に堀井は怪訝な顔をするが、しかし思い出すかのようにニッと笑った。
「まあでもあの姐さんがいるなら大丈夫だろ」
堀井の言う『姐さん』とは銀子のことだ。堀井を助けたときに銀子の力を見ている堀井は、怪しい存在であろうとも銀子に一定の信頼を置いている。銀子が堀井や他の人間たちに感心を持っていないことは堀井自身分かっていたが、それでも今この目の前にいる蒼司が絡むことならば、銀子が見捨てるはずなどないことをなんとなく感じていた。それは堀井の観察眼のおかげなのか、それとも銀子が分かりやすいのか、それは謎だが、堀井から見た銀子は蒼司になにやら執着しているようにも見えたからだ。その理由を銀子に聞いたところで答えるはずがないことも堀井はよく分かっていた。だから敢えてそのことを口にすることはなかった。
「ハハ、でも銀子さんは気まぐれですからねぇ」
堀井がなにを思っているのか、蒼司には知る術もないが、いつも見透かすような目を向ける堀井はなにをどこまで理解しているのか。しかしそれらを堀井自身に聞こうとも思わない。堀井のことを知ろうとすると、この男はおそらく嬉々として蒼司のことを根掘り葉掘り聞いてくるに違いない、と蒼司は考えていた。だからこそ堀井には深入りしないよう気を付けてはいるのだが、そんなことは無意味だとばかりに堀井が再び怪し気にニッと笑った。




