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『えっとねぇ、何人かに話は聞けたけど、みんな怖がってた』
「怖がっていた?」
『うん。あそこ、あやかしたちが出入りすることはよくあるらしいんだけどぉ』
「うん」
思い出すように斜め上を見上げながら話す珠子の言葉を蒼司は急かさないよう待った。『あのマンションにあやかしたちが出入りすることはよくあること』、その言葉に蒼司は頷く。
しかし、蒼司以外の三人は唖然としている。堀井は興味深そうに蒼司とその横にいるだろう視えない珠子とを見比べ見守っている。田中は顔が引き攣りどちらかと言えば蒼褪めていた。耳を塞ぎ、目を閉じてしまいたいのだろう、あからさまにそわそわと落ち着きがない。亜耶は堀井のようにあやかしたちをぼんやりとでも視ることは出来ない。それどころか全く感じない類の人間である。視ることも出来ず感じることも出来ない亜耶ではあるが、人一倍好奇心旺盛ではある。蒼司が珠子に対して話していることが気になって仕方がない。
「ね、ねぇ、そこになにかいるの?」
亜耶は遠慮がちに言ったが、それでも興味津々だということが表情から見て取れる。見た目はクールな女性という印象だが、明らかに今はまるで子供が新しいおもちゃを見付けたかのような表情だ。
「あぁ、珠子さんというあやかしの女の子がいます。先程マンションで聞き込みをお願いしたもので、その報告をしてもらっているのですよ」
「あやかしが聞き込み……凄いわね! 私にも姿が視られたら良いのに!」
感心しつつ、姿が視えないことに非常に残念がる亜耶。その亜耶の態度に珠子は機嫌を良くしたのか、にこにこと嬉しそうだ。亜耶からは視えていないというのに得意げな顔で亜耶を見詰めている。
「おい、もう良いだろうが、話が途中なんだろ? 亜耶は無視して話を続けてくれて良いぞ?」
興奮気味の亜耶に呆れつつ、堀井は「あっち行ってろ」と、さも邪魔もののように手で追い払う。亜耶はムッとしたのか先程までのご機嫌な表情から一転、不機嫌そうな顔となり堀井を睨んだ。しかし、邪魔をしているということを理解した亜耶は渋々ながらもペコリと頭を下げて隣の事務机へと移動して行った。
堀井は蒼司よりも年上だったはずだが、兄と妹のやり取りを見ていると、どうにも微笑ましく見えてしまい、フフッと笑う蒼司だった。
「それじゃ、珠子さん、続きをよろしく」
ご機嫌となった珠子に再び話を促すと、一瞬きょとんとし、ハッとしたかのような表情となった珠子は、再び思い出す。
『えっと……なんだっけ……えーっと、そうそう! 最近現れたあやかしはなんだか異様だって』
「異様……」
『うん、いつも現れるあやかしたちは通り過ぎるだけで、なにかをしてくる訳でもないから、みんなはただ過ぎ去るのをそっと見守っているだけなんだって。だけど、最近現れた黒い影……』
珠子の言う『黒い影』はおそらくマンションのあちらこちらに残っていた気配、それに例の部屋にも残っていたと思われる気配の本体だろう。蒼司はマンションの様子を思い出しながら珠子の話を聞く。
『それはなんだかいつものあやかしとは違って実体がないんだって』
「実体がない?」
『うん。黒い影があるだけで、他のあやかしに比べて姿形がはっきりとしないみたい。でもすっごく気持ち悪い気配を漂わせていて、いつもなにかをブツブツ呟いているみたいだ、って』
「呟いている……」
『うん。近付きたくないからみんな遠巻きにひっそりと様子を伺っているらしくて、はっきりとは聞き取れないけど、なにか怨みのような言葉を発しているっぽいよ』
「……」
珠子が言う付喪神たちの言葉を頭のなかで整理しつつ、蒼司は考え込んだ。今までにも実体のないあやかしがいたこともある。現に彌勒堂に住み着いているあやかしたちは実体のないものもいる。それは光の珠にしか見えなかったり、それは黒い靄のようだったり。しかし、それらのあやかしは弱々しく、すぐにでも消えてしまいそうなほど儚げな存在だ。その場におらずして気配を残せるほどの力を持ち合わせてはいない。逆に言うと、それだけの気配を残せるほどの力の持ち主ならば実体がない、ということ自体が不可解でもあった。
銀子のように『敢えて姿を隠す』ということは力のあるあやかしならば、自在に行えるだろう。しかし、『黒い影』として現れる、という事例は多くのあやかしたちと過ごす蒼司ですら聞いたことがなかった。
それは人や動物などの霊だとしても同様だ。姿をはっきりと現す霊はそれだけ強い思念が残っているのだろう。しかし、はっきりとした姿を保てない霊もいる。そういった霊はやはり弱々しく力もない。今にも儚く消えてしまいそうなものたちばかりだ。
気配を残すことが出来るほどの存在。そう考えるとあやかし以外には考えられないが、蒼司はやはり首を傾げる。
「珠子さんもきなこさんもそんなあやかしの存在とか聞いたことはある?」
考え込んでいた思考を一度戻し、隣にいる珠子ときなこに聞くが、ふたりとも首を横に振る。
『みんなに話を聞いているときも思ったけれど、わたしはそんなあやかしに遭ったことないなぁ』
『あたしも知らないのにゃ。しかも黒い影なんて実体のないものが言葉を発するなんてことも聞いたことないのにゃ』
珠子ときなこは首を傾げながら蒼司を真っ直ぐ見詰め、そう言葉を返す。ふたりともに長く生きているあやかしだ。そのふたりが出逢ったことのない『黒い影』。それが蒼司としてもなにやら不気味に思えた。今まで蒼司はあやかしと対面しても恐怖を感じたことなど一切ない。子供の頃から身近にあやかしを感じて来た蒼司には、怖がる理由などなかった。それは蒼司に力があるからでも、あやかしたちに守られているからでもないのだが。
そんな蒼司が正体不明のあやかしに初めて不気味さを感じた。得体の知れない存在。通常のあやかしとは違う存在。それが一体なにを意味するのか。そんな不気味さを感じながらも、蒼司はフフッと笑った。
「おい、どうした?」
堀井がそんな蒼司の様子に怪訝な顔をする。真面目な顔をしていたかと思うと、意味深な笑みを浮かべる。蒼司と珠子のやり取りも蒼司の言葉でしか分からない堀井からすると、なにやら手に負えない大事なのかと思いきや、突然笑みを浮かべる蒼司こそが不気味な存在に思える。




