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「あ、ハハ、だ、大丈夫です。堀井さんのところで事務所をお貸しいただけるとか」
「おー、俺も気になるからな。それに田中さんのところじゃ今回の話はしづらいだろ」
そう言ってハハッと笑った堀井が先導し、堀井探偵事務所まで移動することとなった。田中の不動産屋と堀井の事務所は目と鼻の先だ。それなのに堀井探偵事務所を借りるということ、それは今回の件はあやかしが関わっている恐れがあるから。普通のただ単に住人同士のトラブルならばもう少しスムーズに対処出来ていただろう。しかし今回これほど時間がかかっているのは、不可思議な現象が起こっているからだ。そんな話を他の客もいる不動産屋のなかで行うことは今後の営業にも関わってくる。
不動産屋を通り過ぎ、堀井探偵事務所の名が窓に貼られているビルへと入って行く。入り口は表通りに繋がってはいるが、それほど大きくもないビルのためか、エントランスもそれほど広くはない。八階建てのビルでエントランスにある郵便受けにはそれぞれ会社名が記されてある。ワンフロア毎に一社が入居しているようだ。夕方に差しかかり薄暗くなったエントランスからエレベーター横にある階段を使い二階へと向かう。二階へと上り切るとひとつの扉が現れ、その扉にも『堀井探偵事務所』というネームプレートが貼られてあった。堀井は鍵を開けるでもなくドアノブに手を掛け、ガチャリと扉を開けた。
「ただいまー」
やれやれといった様子で室内へと入った堀井は、持っていた上着を入ってすぐのソファに投げ捨て、部屋の電気スイッチを押した。少し夕陽が差し込んでいたにしろ、薄暗かった部屋のなかは明るくなり、事務所内が見渡せる。
入ってすぐのところにはソファが対面で置かれ、おそらく応接スペースなのだろうということが容易に想像がつく。パーテーションで区切られ、その奥には事務机が並んでいた。奥には扉がふたつ、それと扉のない続き部屋らしきところが見える。そのうちのひとつの扉がガチャリと音を立て開いた。
「おかえりー、って、あれ? お客さん?」
そこから顔を出したのは、艶やかで長い黒髪ストレートにキリッとした瞳、グレーのパンツスーツを着こなしたスタイルの良い女だった。堀井の後ろから続いた田中はペコリと頭を下げ、さらにそれに続く蒼司も同様に頭を下げるが、興味深そうにきょろきょろと周りを見回す。
「客……というか、客ではないが……まあ、お茶出してくれ」
堀井は苦笑しつつもそう言い、女は「ふーん?」と言いながらも聞き返すことなく、扉のない隣の部屋へと入って行った。堀井は田中と蒼司を応接椅子に促し、きなこは蒼司の横へとちょこんとお座りをする。珠子はというと相変わらずウキウキとしながら、事務所のなかを徘徊し始めた。向かいには堀井と田中が並んで座る。
「ちょっと珠子さん、話を聞きたいからこっちに来てよ」
珠子は蒼司が呼ぶと、少し不満そうにしながらも大人しく蒼司の隣に座った。足をプラプラとさせ、相変わらずきょろきょろと周りを見回しそわそわとしている。田中は蒼司の言葉や動きから、『珠子』と呼ばれた何者かが、蒼司の横にいるのだ、と理解すると身体を強張らせ冷や汗をかく。堀井はそんな田中とは違い、特に怖がる様子はないが、そこになにがいるのかを見極めたいのか、眼光鋭く宙を睨む。前のめりでじぃっと睨む堀井が面白いのか、珠子も前のめりになり、堀井の目の前でまたしても頬を伸ばし変顔をし出す。蒼司はそんなふたりのやり取りにプッと噴き出すが、きなこは先程の気持ち悪い気配がいまだに残っているのか、ブルブルと身震いをしているだけだった。
「ちょっと、兄さん、なに睨んでるのよ」
先程の女が戻って来たかと思えば、怪訝な顔をしながら声を上げる。そしてそんな怪訝な顔のまま、お盆に乗せられた三つのグラスをそれぞれの前に置いていった。蒼司はその目の前に置かれたグラスよりも、女の言葉に驚きを隠せず目を見開いた。
「兄さん?」
思わず堀井の顔を真っ直ぐに見詰め、驚いた顔をする蒼司。そんな蒼司の言葉に堀井は睨んでいた先から視線を外し、ドサッと背もたれに寄り掛かるとヘラッと笑った。
「あぁ、こいつ、堀井亜耶。俺の妹。行き遅れのため、うちで事務員として雇ってやってるんだよ。以後よろしく」
「ちょっと、行き遅れってなによ! 私は敢えて結婚しないのよ! そもそも兄さんがひとりで生きて行けないから私が世話をしてあげているんでしょうが! 感謝しなさいよ!」
亜耶は手刀を堀井に浴びせようとして、見事に避けられイラッとした顔をした。
「……はいはい、感謝してますよ」
堀井は一瞬無表情となったがすぐさまいつも通りの飄々とした態度で、亜耶に感謝の言葉を述べる。本当に感謝しているのかは疑いたくなるような口調だが。
「着流しを着ているイケメンなんて目立つわねぇ。あぁ、もしかして『彌勒堂』さん?」
亜耶は堀井から視線を蒼司に移し、興味深そうに全身を眺めたかと思うと、思い出したかのように言葉にした。
「えぇ、堀井さんにはいつもお世話になっています。彌勒堂の南と申します」
「やっぱり! 噂はいつも兄から聞いていますよー! うちでは解決出来ないような怪しい……」
そこまで言いかけ、堀井に脇腹を小突かれた亜耶は「うっ」と唸り声を上げて言葉を止めた。明らかに「怪しい依頼」と言いかけたのだろう、ということは容易に想像がついた蒼司は苦笑する。田中は聞いていないふりなのか、そっと顔を逸らした。
「フフ、そうですね、うちでは基本的に皆さんが敬遠されるような事象での依頼が多いです」
にこりと笑う蒼司だが、堀井も亜耶も、田中ですらもなにやらその笑顔に圧を感じたのか顔を引き攣らせた。
「珠子さん、マンションでの聞き込みの報告をお願いしていい?」
固まる三人を無視し、自身の横に座る珠子へと視線を送った蒼司は、珠子が聞いたであろう付喪神たちの話を確認する。




