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第8話 美しき公爵令嬢


 西棟は穏やかなメイドさんが行き交い、美しく保たれた廊下はとてつもなく大きく長い。エースによれば4階建てのこの西棟ではそれぞれの階にお風呂とお手洗い、簡易的な食堂が完備されている。

 

「西棟には、ミレーユ・スピンス様の他にはシュリレ・ローザンヌ伯爵令嬢様がお住まいになっております。シュリレ様は、中庭にある研究室にいらっしゃいますので後ほど」


 エースに連れられて3階まで階段を上がり、奥の大きな部屋へと向かった。一際お大きな扉を彼がノックすると、侍女らしき女性が一度確認し、「どうぞ」と扉を開けた。


「失礼します」


 中は大変広い寝室だった。天蓋付きのベッド、シルク製のつい立ての奥には猫足のバスタブ、大きな本棚には学術書がぎっしりと詰まっていて、並んでいるアンティークはどれもこれも「猫」のモチーフ。

 

「あら、はじめまして。ベッドからでごめんなさい。今日はあまり体調がすぐれないの」


 少し裏声が混じったような美しい声の主は、天蓋付きのベッドに腰をかけていた。ブルネットの豊かな髪は片方にまとめて三つ編みに、今にも消えてしまいそうな儚い笑顔を私に向けている。


「フィルミーヌ・リソットと申します。本日より、公妾としてこちらに」

「あら……えっとフィルちゃんと呼んでもいいかしら? どうぞ座って」


 ミレーユさんは、優しく微笑むと目の前のソファーを指差して私を促した。


「失礼……します」

「私は、ミレーユ・スピンス。エースさんから聞いていると思うけれどこの屋敷に一番最初にやってきたの。年齢は19歳。フィルちゃんはいくつ?」

「17歳です」

「学校は?」

「やめてきました」

「全く……エースさん。彼女が十分に学べるように環境は整えているんでしょうね?」


 優しい声色だがちょっと圧がある。エースは「もちろんでございます」と取り繕うような笑顔を彼女に向けた。


——あれ、でもどうして「エースさん」と呼ぶんだろう?


「他の公妾たちには会った?」

「はい、先ほどヴァイオレーナ様に」

「あの子のことは気にしなくていいわ。キツく当たるのはいつものことですから。でも大丈夫よ。私が守ってあげる。あの子は爵位や美しさで人を判断してしまうまだまだ子供だけれど、私にはあまり突っかかってこないもの」


 うふふ、とお上品に笑った彼女は、部屋の隅にいた侍女に目配せをする。しばらくして、侍女が私に細い桃色のリボンを手渡してきた。


「そのリボンは私からの贈り物。どこかに身につけておけば、私の後ろ盾があるとヴァイオレーナたちも理解するでしょう。東棟の子たちはどうしてもトゲトゲしてるから……ね?」

「ありがとう……ございます」

「そんなに怖がらなくて大丈夫よ。うちの子たちも貴女には協力してくれるから。いつでも困ったら私を頼ってね」


 ミレーユさんは美しさだけではない、人格者で賢い人。でもどうして彼女が妃ではなく公妾なんだろう?

 まさか、体が弱いから? そんな残酷なことがあるんだろうか。


「フィルちゃん」

「はいっ」

「大丈夫よ。きっとすぐにここでの暮らしも慣れるわ。親元から離れてたった一人でよくわからないところにきて不安だったわよね。でも、もう大丈夫よ。ここは思ったほど悪い人ばかりじゃないし……ルディール王子も悪いようにするつもりはないわ。貴女はここで何をしたい? どんなものを見て、何を聞いて、どうしたい? それを考えるところから始めましょうね」


 ミレーユさんはゆっくりとベッドから立ち上がると、私の方に歩み寄ってそっと私を抱きしめた。彼女の胸に抱き寄せられ、甘い花の香りに包まれる。優しく髪を撫でられ、人肌の暖かさに私は安心した。

 ずっとずっと張り詰めていた緊張が少しずつ解け、気がつけば涙が溢れていた。


「もう大丈夫だからね。ごめんね、怖い思いをさせて」


 泣きじゃくる私に、ミレーユさんは優しく言ってくれる。そして、エースに向かって


「怖がらせたらダメじゃない。エースさん、しっかりしなさいな」


 と叱咤した。

 先ほど、ヴァイオレーナさんに会った時に私はここでの生活が怖くて怖くてたまらなくなった。庶民の出身である私は公妾様たちにも虐げられ人間だと思ってもらえないのではないかと思った。そしてただ一人ここで一生を過ごす事になるのかと思った。

 でも、こんなに優しい人がいるんだ。自分を受け入れてもらえた安心感ですっと意識が遠のいていく。







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