第1話 田舎くらしの元令嬢
小さい頃、私はとても裕福な暮らしをしていたらしい。デュボワ家の一人娘として生まれて、優しい父と賢い母がいたらしい。
覚えてないのは、私が小さいうちに両親共に事故で亡くなったからだ。当主を失ったデュボワ家は自然と没落し、私は遠縁の農家であるリソット家に引き取られた。その事実を教えてもらったのはつい数年前のことである。
私自身、そんなことを言われても信じられなかったけれどほとんど血のつながっていない私をこうやって育ててくれている両親にもっと感謝するようにはなった。
1階は広いキッチンダイニングとバスルームだけ、2階には私と両親の寝室がそれぞれある小さな家だ。私は、本で読むような貴族の暮らしよりも木製の古い家具が並んでいる小さなこの家での暮らしが大好きだ。
「お母様、荷積みが終わったよ」
「フィル、ありがとうね。重かったろう?」
「いいえ、小麦の収穫期だもの。ちゃんと準備してたわ。そうだ、他にお手伝いすることはある?」
「いいよ。今日はサクッと私がお料理しちゃうからね。あ〜やだよ、鍋底に穴が開いてるじゃない。もう少し贅沢したっていいのにねぇ」
母は腰をポンポン叩きながら、穴が空いた鍋を治す方法がないかと呟きながら新しい鍋を探すためキッチン下の収納を探りはじめた。
フィルミーヌ・デュボワ。
今の両親や村の人たちは私を「フィル」と呼んでくれる。誰一人として親を失った可哀想な子としてではなく、一人の女の子として接してくれていたことには感謝しかない。私は、この素敵な場所でいつか素敵な家庭を築いていきたいと思っていた。
キッチンダイニングからすぐの玄関扉が開いた。
「あら、お父さんおかえり。何さ、急にお役所から呼び出しだなんて。うちはちゃんと年貢は納めているし、今年は豊作だったろう? 文句なんか言わせないよ!」
父はいつものラフな農服ではなく、フォーマルなシャツを身につけ、格好良くタイまで。お役所から何やら呼び出しがあるとの事で今日1日不在だったのだ。
父は真っ青な顔で、手に持っていた書類をテーブルの上に置いた。母は「何事か」とその書類を手に取って目を通す。
「何よ……これ」
「お母様? どうしたの?」
母も父と同じように真っ青になった。私は、心配になって声をかけたが、母はその書類を背中に隠すように腕を動かすともう片方の腕で私を抱きしめた。
「フィル、母さんたちはフィルの選択を尊重するからね。そこに座ってちょうだい」
***
ダイニングテーブルに座った私は、青ざめている父と何かの覚悟を決めたような母の表情を不安な気持ちで見つめている。書類には何が書いてあったのか。
「フィル、単刀直入に伝えるわ。貴女に、お見合いの話が来ているわ」
「お見合い?」
「母さん、そんな言い方をしちゃいけないよ。これはお見合いなんかじゃない。うちの子は……フィルは『公妾』になれと誘われているんだ」
ぐっと父が唇を噛んだ。
公妾というのは貴族や王族が正式な妻の他に寵愛する「愛人」である。公の立場になり、爵位をもらうことはできるが……「妻」ではない。
もちろん、高貴な人間相手であればそれを光栄だと思う人間も多いしこれまでに公妾を大切に扱っていた方々も多い。
でも……一度誰かの「愛人」になってしまえば……金や権力を目当てに差し出された人間だという視線を受け続けることになるのだ。
目の前にいる父と母がこの申し出に顔を青ざめさせているのが一番の証拠だ。公妾というのは聞こえは良くても多くの人は良いものだとは思ってないのだろうと私は感じた。
「お父様、お母様、私は……公妾様として迎えられるほどの功績も美しさも爵位もございませんよ。一体どこのどなたが?」
時に、貴族のお嬢様たちが愛していない方との婚約をしたなんて話は私たち庶民にまで噂が回ってくることがある。最近だって、有名な伯爵令嬢様が50も年上の男性と結婚したことが新聞記事になっていた。貴族として生まれた以上、お家の政治の道具なのかと女学生の間で話題になったっけ。
「ブノローワ王国・第3王子のルディール・ブノローワだ」
ルディール王子は、つい昨年行われた王権選抜に敗れた王子の一人。国営のカジノの運営を主にしており商才を買われていたが、素行不良や派手な行いで国民からの支持が得られなかった。
そして、彼は別の意味でも有名な王子である。
——複数の公妾を迎えている、女好き王子
彼は、王子という身でありながら妃を取らず公妾を何人も迎えて庶民の納めた金で贅沢放題。派手な見た目も相俟って「ダメ王子」という印象になってしまっている。だからこそ、父と母は喜べないんだろう。
「フィル、君はまだ学生で……もしも仮に君の血筋が貴族だったとしても今は違う。この村の同世代の子たちと同じように自由にのびのびと暮らしていいんだ」
「お父さんの言う通りよ。うちの可愛い娘を女好き王子に渡してたまるもんですか
フィルはフィルが愛する男とだけ結婚をすればいいんだ。女好きの王子なんてたまったもんじゃないよ!」
母は書類をくしゃっと丸めるとゴミ入れに投げ入れた。
「さっ、お父さん。料理するんだから、着替えてきちゃいなさい。フィルは玉ねぎの皮剥きを手伝って。あ〜やだやだ、傲慢な王族様はなんでも自由になると思って。うちの可愛い娘をスケコマシのところになんかやるもんかい」
「そうだな。母さん、フィル。このことはもう忘れよう。せっかくだ、今日は奮発して父さんがハムを買ってこよう! 全く、忙しい時期に仕方がないことで役所に呼び出しやがって」
父は財布を手に家を出て行った。私はエプロンをつけた母と一緒に玉ねぎの準備を始めた。私は、ゴミ箱に放り込まれたあの紙に何が書いてあるのかが気になっていた。何故なら、母はあれを頑なに私には見せようとしなかった。
——もしかして、何か条件が書いてあったのかもしれない。
例えば、そのお見合いに私が行かなかったら……リソット家に不利益が生じるといったような条件だ。相手は王族、こちらは庶民。もしも命令に従わなかったらそれなりの罰があるんじゃないか。
だから、二人の表情がこわばっていたんじゃないか。私のために何かを我慢しようとしているんじゃないか。
たくさんの不安や恐怖が突然襲ってくる。
「お母様……?」
「どうしたのフィル?」
お母様はいつもの笑顔で私の方を向いた。そして、私の不安を拭い去るようにぎゅっと私を抱きしめた。
「忘れましょう。さ、可愛いフィルや。お手伝いをしてね」
「はい、お母様」
この日から、私の平凡な暮らしが変わってしまうのだった。




