(1)
何度も何度も、細剣を振り下ろす。
美しく整えられた庭園にある巨木の下で、ミーシャは素振りを繰り返していた。小さな手にはまだ大きく感じる剣の切先を快晴の空に向ける。
「……まさか、またこうして握れるとは」
ミーシャ・ユーストフォード公爵令嬢。
それが燃え盛る王宮の中で終えた筈の生命に与えられた、2度目の人生だった。
レヴィティア帝国。大陸全土でも1、2を争う程の強国であり、肥沃な大地の実りや魔法の発達により繁栄する最古の国。戦争国家であるアーヴェグリード帝国でも手を出さない、否、出せないほどに強大な国の公爵家に、至って普通の令嬢として生を受けたミーシャは、今年で12歳。
前世の祖国、ベルツハイムの名は既に地図から消え、アーヴェグリード帝国の領土はあの頃よりも更に広がっている。
苛烈な記憶を持つミーシャは12歳の誕生日、真っ先に両親へ細剣を求めた。
ユーストフォード公爵家は、貴族の中では最上位に君臨し、皇族さえ顔色をうかがうだけの権力を持っている。普通の令嬢としてならば、悠々自適に何の心配もなく生きていけるだろう。
ただ、生憎とミーシャには普通の令嬢というものが分からない。
常に強く、誇り高く。
それは死んでも変わることの無いミーシャの信念。
「ミーシャ」
「ディラン兄上」
赤と白の薔薇の中に立つ、漆黒の髪と瞳、ついでに衣装まで黒い――ディラン・ユーストフォードは、いつもと変わらない無表情でミーシャを見下ろしていた。
彼はミーシャの4つ上の兄だ。
ディランの視線が細剣に向くと、悩ましげな溜め息が零れ落ちてくる。
「お前はまた……母上が泣くぞ」
ミーシャの母、ユーストフォード公爵夫人であるナタリーは、ミーシャが剣を握ることを嫌がる人だった。それは決して否定ではなく、心配する親心であるのだが。年頃の少女が剣を持ち、勇ましく振るう姿はやはり一般的な令嬢とは程遠いのだろう。
「こればかりは、母上に諦めてもらわなくてはいけませんね」
ミーシャは肩を竦めた。
剣を与えてくれたのは父であるドミニク・ユーストフォード公爵だ。彼はミーシャが剣を持つ事を咎めもしなければ、嘆きもしない。朗らかに笑って「好きなようにしなさい」と言ってくれている。
だからこそ、嘆く母も強くは止めてこないのだ。
ディランが腕を組む。
「何故そこまで剣に拘る?」
「……成すべきことを、成すために。力は必要です」
前世のことは関係なく。ミーシャがミーシャとして生まれたのなら、剣は常に共にある。魂が、それを運命と定めている限り。
今度こそ、守りたいものを守り通せるだけの力を。
「我が家のお姫サマはかっこいいねぇ」
不意に巨木の上から声が降ってきた。
「ゼノ兄上」
「ゼノ」
ディランとミーシャが見上げると輝くような銀髪を乱雑に纏め、よれたシャツを着崩したゼノ・ユーストフォードが木の上で寝転んでいる。
ヒラヒラと手を振る彼はディランの双子の兄であり、ミーシャのもう1人の兄。ついでにユーストフォード公爵家の後継者筆頭でもあるが、本人は見ての通り。
「やっほー」
真面目で硬派なディランとは正反対。気まぐれな猫のようにフラフラと出歩いては、気がつくとそばに居る人だった。
ディランとゼノが並ぶと、夜と月に喩えられる。
夜空の色を持つディランと、月光の色を持つゼノは公爵家の地位も相俟ってご令嬢たちから引く手数多なのだという。他人の美醜にはあまり興味のないミーシャでさえ、2人が並ぶと少し圧倒されてしまうものがあるので。さもありなん。
「太陽のお姫サマ」
ゼノはミーシャをそう呼んだ。
それは彼女が前の生と変わらない黄金の髪と瞳を持って生まれたからだろう。銀髪の母と黒髪の父からは生まれるはずもない異色。
ただそれは、ユーストフォード公爵家に嫁いだナタリーの血筋が影響している。
ナタリー・ユーストフォード。
その先祖の姓はレヴィティア。
つまり、ミーシャたちの母であるナタリーは末端ではあったものの、間違いなく皇族の血を引いているのだ。
そしてレヴィティア帝国では黄金の色を“沈まない太陽”と称し、代々の皇帝に引き継がれていく高貴な色としており、ミーシャはナタリー側での隔世遺伝ということになる。
故に、両親とも兄とも異なる色を持ったミーシャだったが、下世話な事を言われることもなく、むしろ何処か神聖視されることの方が多かった。
前世でも、同胞である騎士や守るべき国民から“陽光の剣聖女”と呼ばれ、太陽の化身や女神として崇められたミーシャには馴染みの深い渾名だ。
「こんなに強くて可愛いミーシャも、遂に社交界デビューするんだねぇ」
しみじみと目を細めるゼノに、ミーシャはぴし、と固まった。