最悪最低な男
運動が終わったのでランニングマシーンを元の位置に片づけ、宣言した通りふんぞり返ってテレビを見ていた男・綾斗に回し蹴りを繰り出す。
しかしヤツは胡散臭いヘラヘラ笑いを浮かべひょいひょいとあたしの渾身の回し蹴りをことごとくかわしやがった。
「危ないじゃないか、チロ。女の子がそんなことしちゃいけません」
「うるせーよ、このヘラヘラ野郎め」
「何そのヘラヘラって」
「お前のその胡散臭い笑顔のことだよッ!」
チッ、何で当たんねーんだ?
昔っから何度もコイツをぶちのめそうと色々なことで勝負を仕掛けてきたけど、忌々しいことに今だ一度も勝ったことがない。
非常にムカつくことにこのヘラヘラ野郎は、顔・知能・運動神経どこをとっても異常なほどレベルが高いのだ。
その代わりと言っては何だが、性格は最悪だ。
「胡散臭いって、ひどいなー。この笑顔、世間的にはけっこう評判いいのに」
「それは世間の人間がお前の本性を知らないからだ」
この男のヘラヘラ笑いは実に不思議なことに世間では「ハニースマイル」という寒い名で呼ばれ、絶大な人気を誇っている。
確かにコイツの外見だけ見ていたら人気になるのも分かる。
おばあちゃんがロシア人という所謂クウォータ―である綾斗の顔はカッコイイというよりも綺麗という言葉が似合う、繊細な作りをしている。
金茶色の切れ長ながらも大きな瞳、通った鼻筋、ちょっと薄めだけど形のいい唇、綺麗な弧を描く眉……それら完璧なパーツがこれまた形・大きさ共に調度いい顔に理想的に配置されているのだ。
瞳と同じ色の首筋辺りまで伸ばした髪はふわふわと天然の緩いパーマがかかっていて、その触り心地はかなり良い。
適度な筋肉がつきながらも細身な体は180超えという長身。
つまり、生まれてからずっと傍で見飽きるほど見てきた幼なじみであるあたしの目から見ても外見だけなら文句無しの極上の男なのだ。
だから、世間の人々がコイツに王子様のような理想を抱き、夢中になるのも理解できないわけではない。
だけどあたしは声を大にして言いたい。
夢中になるあまりこの男に近づきすぎるな、と。
遠くから眺めてるだけにしなさい、と。
でないと理想は打ち砕かれ痛い目に遭うよ、と。
「俺の本性ってどんなの?」
「白々しい。そんなの自分がよくわかってんだろ?」
「えー、わかんない☆」
「キモい。近づくな」
回し蹴りは一向に綾斗に当たらない。
何だか不毛な事をしてる気分になってきたので、ものすごく口惜しいが回し蹴りを綾斗にくらわせることを諦め、パソコンに向かう。
幸いなことにあたしは切り替えが早い方だ。
ムカつく綾斗のことは忘れ、仕事モードに切り替える。
「ねー、チロ」
「…」
「ねえってば」
「…」
「ちーひーろーちゃーん」
「…」
「可愛い可愛いちひろちゃん」
「…」
「マイスイートハ二ー・ちひろちゃ――――」
「いい加減、黙りやがれクソ野郎がッ!!!」
パソコン用の椅子に敷いていたクッションを引っ掴み、クソ野郎・綾斗に思いっきり投げつけてやったがまたあのヘラヘラ笑顔でかわされた。
マジで腹立つわーこの男。
「あはは、やっと返事してくれたー」
「あたしは今ね仕事してんの。わかる?し・ご・と!」
「見ればわかるよ、そんなの」
「じゃあ話しかけんな」
「無理。暇で死にそう」
「心配するな。暇で死んだ人間なんて人類史上今だかつていないから」
「じゃあ俺がその最初になるかも。『愛しの幼なじみに放置され暇で死んだ男』として人類史に名を刻んじゃうよ」
「何とも不名誉な名の刻み方だな。アホ丸出しだ」
「そんな冷たいこと言わないでさー、俺のことかまって?」
いつの間にやら近くにやってきた綾斗は背後からあたしを抱きしめ、低くも甘いその声でねだるように再度「かまって」と囁く。
そんな甘えた行為はあたし以外の女だったら確実に陥落させることができただろう。
あたし以外ならば、だ。
「お前ほんとうっぜえよ。離れろ」
何度も言うが、あたしは生まれたときからこの男と共に育ってきた。
どんなに綺麗な顔してようが、無駄に色気ムンムンだろうが、今更この男に陥落するはずがない。
長年傍に居続けたせいで耐性ってものができているのだ。
「相変わらず冷たいなーチロは。俺、寂しすぎて泣いちゃうよ?」
「泣けば?どうぞご勝手に」
「うわあ、マジひでえ。傷ついた」
そんなことを言いながらも綾斗はヘラヘラ笑っている。
傷ついているようには到底見えない。
それもそのはず、綾斗だってあたしには自分の魅力が効かないことくらい分っている。
なのにわざわざこんなことするなんて、アホの極みとしか言いようがない。
――――ん?ちょっと待てよ…
よくよく考えてみると、さっきからあたし綾斗のくだらない話にまんまと乗っかって無意味な会話しちゃってるじゃん!
仕事モードに切り替えたはずなのに!!
「…そんなに暇で暇で寂しいなら、お取り巻き連中のとこにでも行ったら?」
かまいたくないと思いつつも結果的にかまっている現実に嫌気がさし、打開策を打ち出してみる。
とにかく仕事を続けるためにもこのかまってちゃんモードの綾斗を追い出したい。
「最近のお気に入りは……名前何だったっけ……えーと……あっ!そうそう!モデルの結華ちゃん、じゃなかったっけ?その子のところ行けば?」
幼稚園~芸能界と綾斗の周りにはいつもお取り巻きの女の子たちがいる。
おもしろいことに取り巻き連中には美人でスタイルがよく、尚且つ勝気で性格があまりよろしくない子たちばかりが集まる。
幼稚園~高校まで綾斗と同じところだったので、各年代のお取り巻き連中にあたしはよく絡まれた。
彼女達曰く、「幼なじみだからって綾斗に近づくんじゃないわよ。調子乗り過ぎ」だそうだ。
幼なじみってことは今更変えようがないし、近づくなって言われても近づいてきてるのはむしろ綾斗の方だったし、調子に乗るなってどこら辺が調子に乗っていたのか逆に聞きたいくらいだった。
理不尽かつバカバカしい彼女達の言い分にあたしが黙っていられるはずもなく、倍にして言い返して最後には泣かせてやった。
やられたら倍返しにしてやり返す。
それがあたしのモットーだったからだ。
まあ、そんなわけでお取り巻き連中に負けることはなかったのだけど正直相手をするのがものすごくめんどくさかった。
あたしが引き籠りになった理由の一つに彼女達との麗しくない思い出があるのは明白だ。
「結華?」
「そう。最近のお気に入りはその子じゃなかったっけ?」
芸能界に入っても綾斗の周りには相変わらずお取り巻き連中がいる。
綾斗が芸能界に入る頃あたしは引き籠り生活に突入したので、芸能界のお取り巻き連中を実際に見たことはないが、綾斗からの話を聞く限り錚錚たる面子であることは間違いない。
フレッシュな新人から壮年のベテランまで、綾斗のお取り巻きは幅が広く皆売れっ子だ。
今をときめくモデルだろうがプライドの高い女優だろうが、女という女は皆綾斗に惚れこんでしまう。
まさにハーレム状態だ。
芸能界という美形ぞろいの華々しい世界の中でも綾斗は別格であるらしい。
あたしにとっては今だ解せない謎だけども。
「あー、結華ね。いたね、そんな子も」
「いたねって……お気に入りじゃなかったの?」
「んー、確かにこの前まではそれなりに気に入ってたけど、もう終わったよ。飽きちゃったからね」
「お前ってヤツは…」
綾斗はものすごい気分屋だ。
そしてかなりの自己中。
そのひどさたるや、「世界は自分中心に回ってるとでも思ってんじゃないのコイツ?」と疑いたくなるほどだ。
「サバサバしてるから割り切って付き合ってくれる子だと思ってたのにさ、この間会ったら『体だけの関係はもうイヤ。私、綾斗の心が欲しいの』とか言い始めるんだよ?マジ萎えたわー、アレは。それにそろそろ飽きてきたなーこの女って思ってたところだったから、さようならしたってわけ」
「相変わらず最低な男だな」
甘い微笑みに物語の中の王子様のように完璧なルックス。
そのルックスに似合った柔らかな仕草と優しい言葉。
綾斗に接した人は皆、理想を抱き夢中になるだろう。
素敵な人だな、と。
しかしその綾斗はあくまで遠くから眺めた、または適度な距離で見た彼の姿にすぎない。
ようはすべて本性を隠すためのまやかしなのだ。
「最低?どうして?」
取り巻きの女の子と肉体関係を結ぶのは、性欲を満たしたいから。
心が欲しいと言った女の子をふるのは、その子に縛られたくないから。
特定の彼女を作らないのは、自分が飽きやすいと自覚しているから。
「俺は自分に正直なだけだよ?」
恐ろしく自分に正直かつベタ甘な、暴君。
それが綾斗の本性なのだ。