悪趣味なゲーム
目の前に立っていた女が膝から崩れ落ちる。
絶望した時なんかにやるお決まりのポーズだ。
少々大げさではあるけれど。
『どういうことなの、ジュンッ!!』
崩れ落ちた女――――西園寺蝶子は私の隣に立つ男に向かって叫ぶ。
いつもは嫌味なくらい自信満々な表情を浮かべている綺麗な顔が、今は悲痛そうに歪んでいる。
泣いているせいで完璧な化粧はドロドロに落ちて、普段からは考えられないほど醜い顔になっていた。
『どうしたもこうしたも、最初から俺はお前のことなんて何とも思ってなかったぜ?』
『なに、それ…?』
『ハッ、頭悪い女だなー。つまり最初からお前を嵌めるために近づいたってことだよっ!』
『そ、そんなッ!!』
見開いた茶色い瞳に映っているのは絶望。
今、彼女の目の前に広がっている世界はまさに地獄だろう。
私にしてみれば愉快な世界であるけれども。
『だって、だってあなた言ったじゃないッ!!私のこと本当に好きだから、だからホストもやめて一生私だけのために生きてくれるって!!そのためにまずは真っ当な仕事をしたいから、応援してくれって!!だから私、あなたに全財産渡したのよ!?あなたが自分で会社をおこしたいって言ったから!!』
『ほんと、おもしろいくらい騙されてくれたよなーアンタ。いつも吹き出しそうになるのを堪えるの大変だったんだぜ?』
ククッ、と心底可笑しそうに笑うホスト―――ジュン。
彼の笑いに合わせて私も薄く笑う。
その笑いに蝶子への蔑みをたっぷりと込めて。
『…ッ!!ちょっと、アンタ誰よッ!!何でジュンと一緒にいるのよ!!』
最初からずっとここにいましたけど?とか思ったけど、きっと彼女にはジュン以外見えていなかったのだろう。
それにしても絶望的な状況であるにも関わらず、よくもまあここまで強気でいられることだ。
昔と変わらぬ勝気さに腹が立つ。
『久しぶりね、西園寺蝶子さん』
『久しぶり……?アンタなんて私知らないわよ!』
蝶子の言葉にドス黒い怒りが胸にこみ上げる。
私のことを知らないだと?
私は一日だってアンタのこと忘れたことないのに。
『ふ~ん。すっかり忘れちゃったのね。私はしっかり憶えてるのになー、蝶子様のこと』
『その呼び方…!』
『思い出してくれたかしら?』
私は少し離れたところに崩れ落ちている蝶子のもとへ近づき、彼女の髪を鷲掴みにして顔を思いっきり上に向けさせる。
そしてウエーブのかかった茶色い髪の間からのぞく耳に唇を近付け、囁く。
『私はね昔アンタ達のグループに散々いじめられた、水瀬千紘よ』
『!?』
髪を離し、彼女から一歩後ろに下がる。
私の足元に崩れ落ちる、画面蒼白の女。
嘗て私を散々苦しめたヤツらの内の一人。
『ぶざまな姿ねー蝶子様?いい気味だわ』
『ア、アンタがあの千紘…?』
『そうよ。アンタたちにブタと呼ばれて蔑まれてたデブの千紘よ』
『嘘よ…!だってアイツはもっとデブでブスで…!』
『アンタたちに復讐するために色々努力したのよ。驚いた?』
『…ッ!』
『やっとあの時の復習ができるわ』
涙でドロドロの蝶子の顔をハイヒールを履いた足で蹴りつけ、予想外の衝撃に頬を抑えながら倒れた蝶子に向かって、最高に意地の悪い笑みを浮かべて吐き捨てる。
嘗てこの女が私にしたように、容赦なんてしない。
『醜いブタは地面に這いつくばって残飯でも漁ってなッ!!』
昔、自分が私に言い捨てた暴言だと気がついたのだろう。
蝶子の目が驚愕に見開かれた。
私はそれを見てもう一度笑みを浮かべてから、踵を返しジュンのもとへと戻った。
そして二人で歩きだす。
背後の蝶子になんて見向きもしないで。
『女は恐いね~』
暫く歩いたところでジュンが茶化すように呟いた。
私は彼のその言葉に微笑みを浮かべ答える。
『そうよ、女は恐いの。ジュンも女を甘く見てるといつか痛い目を見るわよ』
『ククッ…気をつける』
『まあ、なにはともあれ今回は助かったわ。協力してくれてありがとね』
『ヒロは復讐を果たしたし、俺は楽しめたしよかったな』
『ふふ。でもこれでまたしばらくはジュンとはあまり会わないわね。お金ができたらたまには店に顔出すけど』
『いつでもお待ちしてますよ?』
『ありがと。それじゃあね』
ジュンから離れ、家を目指し歩き出す。
帰ったらまた新たな復讐プランを立てなくてはならない。
まだまだ復讐は終わっちゃいないのだ。
ターゲットは蝶子一人ではないのだから。
『ヒロ』
背後から声をかけられる。
振り返れば金髪に碧眼の端正な顔をしたホスト、ジュンが少し離れたところに立っていた。
『ヒロの本名は?』
ジュンには本名は教えていなかった。
千紘という名前からとって、ヒロと呼ばせていた。
そうすることに特に意味もなかったけど。
『水瀬千紘』
『ふーん。俺の本名は早瀬純』
『あら。ホストってお客に本名を教えてもいいものなの?』
『お前はお客じゃないだろ?』
『それじゃあ、何なのかしら?』
『うーん。何だろうな。とりあえず特別な人?』
『何よそれ。いつも適当なんだから』
『そんなことないけど』
『はいはい。それじゃあ、私ほんとにもう行くわね』
もう一度ジュンに背を向け、私は歩き出す。
夜のネオンが少し眩しく感じた。
『千紘は俺にとって本当の特別なのにな』
小さなホストの呟きは、伝えたい相手に届くことなくネオンに照らされた夜の闇に溶けていった。
〖セーブしますか?〗【当たり前よ/そんなことしないわ】
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
「【当たり前よ】っと」
セーブをして今までのストーリーを保存する。
ほどなくして〖セーブしました〗という文字がテレビ画面に浮かび、〖続けますか?〗という文字がそのあとに続く。
私は迷うことなく【当たり前よ】を選択した。
「ねー、チロ」
「何」
「そのゲーム、楽しい?」
「楽しくなきゃやってない」
「何か道徳的にマズイ気がするんだけど」
「人の家に勝手にあがりこんでおきながら、さらにゲームにまでケチをつけるなんてお前はほんと最低な男だな」
「あはは。人として最低な生活送ってるチロに言われたかないよ」
傍らに座る男があまりに煩く話しかけてくるので、ゲームに集中できない。
次のターゲットは大河内姫華。
蝶子よりも難易度が上がってるから戦略を立てるのが大変なのだ。
だから全神経をゲームに注ぎ込まなければならないというのに、この男ときたらベラベラとこちらの神経を逆なでる事言いやがって。
「てかさ、このゲームってどんなストーリーなの?」
「それ知らないくせにこのゲームのこと貶したわけ?」
「だって、ちょっと見ただけでもこれが健全なゲームじゃないことは明白でしょ」
健全じゃないと言えばそうなのであえて反論はしない。
けどこのゲームの価値は健全だとかそうじゃないとかいう所じゃないのだ。
「これはね『いじめ~ブタと蔑まれた女の復讐~』って言って、高校時代にクラスの女子全員からいじめられていた女の子が大人になって自分をいじめていた奴ら一人一人に復讐を果たしていくっていうゲーム。復讐を果たす人物は全部で17人。一人一人個性があるから違ったやり方で復讐を果たさないといけないの。相手の行動をリサーチして弱みを握り、時には弱みを作り、おとしめていかなきゃいけないからけっこう頭使うんだよこのゲーム。だから隣でベラベラと喋られて集中力を奪われるとすっごい迷惑なんですけど」
「ふ~ん。すっごい悪趣味なゲームだね。何処が楽しいわけ?」
最後に言った嫌味を見事にスルーした男を軽く睨みつけたが、睨みつけられた当人は無駄に整った綺麗な顔に満面の笑みを浮かべて全く反省を見せない。
いつものことながらムカつく。
「あたし(ゲームの主人公)を下に見て散々いじめてきた奴らを時間をかけて踏みつぶして絶望させるのが面白い」
「うわっ、性格悪ッ!じゃあさ、このゲームの主人公とチロの名前が同じな理由は?」
「自分の名前でやった方が復讐に身が入るし、何よりその復讐を遂げたときの満足感と面白さが増すから」
「あははっ、最高にひんまがった性格してるね!」
何とでも言うがいい。
自分の性格がひんまがっていることぐらいよくわかってる。
「まあ、チロが性格悪いことぐらいよく知ってるけど」
「お前、ほんとうるせー」
「あと、口が悪いこともよく知ってる」
厭味ったらしく付けたされたその言葉通り罵詈雑言を吐いてやろうかろと開きかけた口は、けたたましい目覚まし時計のベルの音によって閉じざるを得なくなった。
「運動の時間だ」
目覚まし時計のベルを止め、『いじめ~ブタと蔑まれた女~』を再びセーブしてテレビの電源を切り、ゲーム機を片づける。
きっちりと元通りに整頓したのを確認してから、私は部屋の隅に置いてあったランニングマシーンを部屋の中央に引きずり出す。
「ねー、チロ。テレビ見てもいい?」
「見るなっつってもどうせ見るんだろ」
「よくわかってんじゃん」
生まれてからずっと傍で育ってきた、所謂幼なじみであるこの男のことは嫌というほどよくわかる。
非常に不本意で喜ばしくないことだが。
「あ、そう言えばさ」
準備運動のストレッチを入念にしていた私に、不意に男が話しかける。
さっきあたしが消して男が再び点けたテレビ画面には何やら映画の宣伝のようなものが映っていた。
「この映画の主演、俺なんだ。応援してね」
にっこりと満面の笑みを浮かべる男の背後にあるテレビ画面に、同じような笑みを浮かべた男が映る。
世間で「ハニースマイル」とかいう寒い名前で呼ばれている笑顔。
いつ見てもあたしには胡散臭い笑顔にしか見えない。
「ああ、それが今日までの仕事だったの?」
もうどれくらい前だったか、ズカズカとうちに上がり込んできたこの男は「しばらく仕事で来れないから」とか言ってそれから本当にしばらく姿を見せなかった。
そして今日、ひょっこりと姿を現したのだ。
「そう。俺がいない間、寂しかった?」
「それ以上バカなこと言ってると東京湾に沈めるぞ」
入念な準備体操が済んだので、ランニングマシーンに乗り速度と距離を設定して起動させる。
動き出したランニングマシーンに合わせ、足を動かす。
「東京湾に沈める?チロには無理だろ」
「何故そう言い切れる?」
「だってチロってば引き籠りじゃん。この家から出れないでしょ?」
的確な意見だ。
けどあたしをそん所そこらの引き籠りと同じように考えてもらっては困る。
「あたしが外に出なくても、金さえ払えばあたしの代わりに動いてくれる人間はたくさんいる。お前を気絶させた後、そいつらにでも東京湾に沈めさせればいい」
「でもさ、俺ってば一応、俳優なんですよ?それに自分で言うのもなんだけどけっこうな売れっ子なわけですよ。そんな俺が突然姿を消したら世の中が黙っちゃいないでしょ。すぐに犯人がチロだってわかって捕まっちゃうんじゃないの?」
「そんなヘマはしない。綿密な計画のもと、お前を東京湾に沈めてやる」
「チロが言うと本当に完全犯罪になりそうだから恐いんだよねー」
口ではそんなことを言いながらヘラヘラと胡散臭い笑みを浮かべる男。
ほんと食えないヤツ。
こんなのと幼なじみだなんていい加減うんざりだ。
「お前、本当に邪魔だ。もう帰れ」
「い・や・だ」
あたしがランニングマシーンから動けないのをいいことに、男はこれでもかとふんぞり返ってテレビを見ている。
何様のつもりなんだ。
此処はあたしの部屋だぞ。
「わかった。お前、あたしが運動を終えるまでそこにいろよ?わざわざあたしの時間を邪魔してくれたお礼に、日々鍛錬に鍛錬を重ねてきた回し蹴りを送ってやる」
「えー、それは嫌だな」
「安心しろ。芸能人だということで、顔は避けてやる」
「できれば蹴らない方向でお願いしたいんですけど」
「それは無理だ」
「ほんと、チロは『アグレッシブな引き籠り』だよねー」
こちらを振り返った男はやれやれといった感じで笑う。
その余裕ぶったところにさらにカチンときたので、回し蹴りは最低5回はくらわせてやると心に決めた。
あたし、水瀬千紘20歳。
性別は一応、女。
周りの人間(といっても二人しかいないけど)からは千紘を縮めてチロと呼ばれている。
職業は……まあ、パソコンを使って色々なことをしている。
そんなあたしのことを幼なじみで現在売れっ子俳優である桐谷綾斗は『アグレッシブな引き籠り』または『働くニート』と評する。
否定はしない。
また思いつきで変な物語を書いてしまいました(ーー;)
とにかくヘンテコなものが書きたくて生まれた作品です。
温かい目で見てくださると嬉しいです…。
分かりにくいかもしれませんが、前半は千紘がやっていたゲームの一部始終です。
ものすごく悪趣味なゲームですが、千紘のお気に入りなのでこの先も度々出てくるかもしれません。(←どうでもいいことですが)